第1134話

「暗殺者……ですか? その、申し訳ありませんが私はそのような話を聞いたことはないのですが」


 ダリドラから説明された内容に、オウギュストはそう返す。

 研究所の件で一緒に行ったレイと別れ、それから一時間と経たないうちにまたオウギュストの屋敷にやって来たダリドラの口から出された言葉が、暗殺者についてだった。

 そのような存在がいるというのは知っているし、例え周辺諸国に比べて小さな国であってもソルレイン国だけがそのような存在とは関係がないとは思ってはいない。

 だが……それも、ソルレイン国の王都でこその話ではないかという思いがあった。

 事実、以前何度か王都からやって来た商人からその手の話を聞いたことがあったからだ。

 しかし、あくまでもそれは他の場所での話。

 自分が住んでいる場所での話ではない。

 それだけに、ダリドラの口から聞かされてもその話をすぐに信じることは難しかった。


(ダリドラは、私に砂賊をけしかけてきたことがあった。だとすれば、ここでは砂賊が暗殺者のような役割を果たしていたと考えてもおかしくはない、のでしょうかね?)


 疑問に思うが、砂賊と暗殺者というのは社会の闇に潜んでいる存在であっても、大きく違う。

 なろうと思えば誰にでもなれる砂賊と、本当の意味で社会の闇に沈んでいる暗殺者。

 勿論これはあくまでもオウギュストの想像であり、実際には色々と違うのだろうというのは予想も出来る。

 だが……それでも、やはりこのゴーシュに暗殺者がおり、しかもそれが自分達を狙っているというのはどうしても理解出来なかった。


「そもそも、何故私とダリドラさんが狙われるんです? その辺があまり意味が分かりませんが」


 疑問の声を発するオウギュストに、護衛についているザルーストとレイは二人共頷きを返す。


「勿論私も商人として働いている以上、誰にも恨まれていない……などとは、とてもではないですが言えません。ですが、私とダリドラさんの二人が揃って狙われる理由とはなんでしょう?」


 その質問にはダリドラも首を横に振るしかない。

 自分が多くの人間に恨まれているというのは理解しているし、そんな自分とは裏腹にオウギュストが街の住民に好かれているというのも理解している。

 それだけに、二人が同時に狙われる共通点が分からなかった。


「やっぱりオウギュストさんは囮として、そっちの護衛の目を眩ます為に狙われたんじゃないのか?」


 ザルーストの呟く声が、夕焼けの残滓とでも呼ぶべき赤さと、夜に向かって薄暗くなり始めている部屋の中に響く。

 現状で考えられる一番の可能性がそれだけに、誰もが納得の表情を浮かべてしまう。


「私が狙われているとしても、結局オウギュストさんの方も狙われているのは変わりません。だとすれば、向こうがまたオウギュストさんを囮にして私を襲ってくる……という可能性は十分にあります」

「しかも顔の皮膚を剥いだり付け替えたりして、体格はともかく外見は全くの別人になって……ですか」


 ダリドラの言葉に続けるようにしてオウギュストが呟くと、二人は揃って溜息を吐く。

 今回もたらされた、顔の皮を剥いで別人になるというのはそれだけ厄介なことなのだ。

 それこそ、顔見知りであっても皮膚を付けていれば見分けがつかない可能性が高い。そう考えれば、やはり警戒のしようがない……というのが正確なところだろう。


「そうなると、受動的な立場になるのは避けたいところだな。向こうがどこに紛れ込んでいるのか分からない以上、こちらとしては一気に攻めた方が効率的だ」


 部屋の中の夕日の残滓とでも呼ぶべき薄い赤に目を細めながら呟くレイ。

 それが真実なのは事実なのだが……だからといって、それが簡単に出来ない理由もあった。


「ですが、レイさん。そもそも他の暗殺者達がどこにいるのかも分からないんですよ? であれば、一体どうやってこちらから攻め込むんです?」


 オウギュストの言葉に、その場にいる他の者達も同様だと頷く。

 事実、手掛かりらしい手掛かりは全くない。

 あるのはレイが殺した……正確にはレイの一撃で自殺してしまった暗殺者の死体だけだが、それで敵のアジトを見つけろというのは無理があった。

 そんな視線を向けられたレイだったが、そんなのは最初から計算済みだと……そう言わんばかりの笑みを見せ、口を開く。


「確実……って訳じゃないけど、今回暗殺者を送ってきた奴等の拠点を突き止める方法はある」


 そう告げたレイに、その場にいた者達全てが信じられないといった表情を向ける。

 当然だろう。皆が色々と相談しつつも結局現状打開の方法を見つけられず、待ちの姿勢でまた暗殺者が来たら対処する……といった方法しか思いつかなかったのだから。

 そんな中で、いきなりレイが口にした暗殺者達のアジトを見つける方法。

 全員が興味を抱かない筈がなかった。

 すぐにでもその方法を知りたいと態度で示す全員を代表し、オウギュストが口を開く。


「それで、レイさん。それは具体的にどのような方法なのでしょう?」

「そんなに難しい話じゃない。セトに頼るんだ」

「……セトに、ですか?」


 セトに頼るという言葉に、最初はオウギュストも含めて全員が理解出来なかった。

 ダリドラの護衛の中にはセトの名前を知らない者もおり、余計に混乱が広がる。

 そんなダリドラの護衛達を見て、オウギュストが説明するように口を開く。


「セトというのは、レイさんが従魔としているグリフォンのことです。……それで、レイさん、セトをどうするのですか?」


 グリフォンという言葉に少し反応を見せたダリドラの護衛達だったが、レイはオウギュストの問い掛けに頷いて口を開く。


「知っての通り、グリフォンってのはランクAモンスターだ」


 正確にはセトは希少種扱いでランクSモンスター扱いなのだが、今はそれを口にする必要はなかった。

 ランクAモンスターという言葉に、その場にいた全員が頷いたのを見てレイは説明を続ける。


「で、そんなモンスターだけに、当然五感は人間に比べて遙かに鋭い。……それはつまり、嗅覚に関してもだ。で、ダリドラの手元には暗殺者の死体がある。……さて、これらから考えられることは何だと思う?」


 そこまで言ってしまえば、答えに行き着く者は多い。

 元々ここにいるのは腕利きの冒険者達が殆どであり、オウギュストやダリドラも決して頭の回転が鈍い訳ではない。


「アジトの場所を臭いで見つけることが出来る……と?」

「確実にとは言わないし、臭いを辿るという関係上少し時間は掛かるかもしれないが、それでも何の手掛かりがないよりはいいと思うが?」


 そう告げるレイの言葉に、その場にいた者全員が頷くしかなかった。

 事実、今のままでは向こうの出方を待つということしか出来ない。

 それはつまり、主導権が向こうにあるということになる。

 そんな状況では、精神的にも消耗するだろう。


「今回の襲撃で失敗したことにより、向こうが諦める可能性は……ないでしょうね」


 ダリドラの言葉に、皆が頷きを返す。

 実際、一度暗殺が失敗した程度でオウギュストとダリドラの暗殺を向こうが諦めるとは、誰も思っていなかった。

 もしこれが二流、三流の暗殺者集団であれば、もしかしたらその可能性もあったかもしれない。

 だが……顔の皮膚を剥ぐような真似をする暗殺者集団にそんな楽観的な予想が出来る筈もなかった。


「じゃあ、どうする? こっちは今から探しに行ってもいいけど」

「待って下さい、それは危険です。見ての通り、今はもう夕方。これから夜になるに従って気温が低下していき、動きにくくなります。更に夜は暗殺者の時間でもあるのですから、探すのは明日になってからでもいいと思いますが」

「……いえ、ダリドラさん。夜が暗殺者の時間であるのなら、それこそ今日の夜という時間を向こうに与えるのはどうかと思うのですが」


 ダリドラの言葉にオウギュストが今から探しに行った方がいいのでは? と口にするが、ダリドラはそれにも首を横に振る。


「他にも明日にした方がいい理由はあります。……こちらの護衛の纏め役をして貰っているナルサスが、今は戦力として使えません。いえ、無理をすれば戦力とすることも出来るでしょうが……」


 ダリドラが雇っている護衛の中でも最も腕の立つ人物であるナルサス。

 その人物が戦力にいるのといないのとでは、どうしても大きく違う。

 そう説明するダリドラの言葉に、オウギュストを含めて全員が納得の表情を浮かべていた。

 ……もっとも、ダリドラがナルサスを戦力として今回の件に参加させたいのは、自分達の戦力を充実させて暗殺者達を纏めてどうにかするという理由もあるが、それと同時にナルサスが活躍をすれば、それがダリドラの手柄となるというのもある。

 オウギュストの側にレイがいる以上、最大の手柄を持って行かれるのは確実だった。

 だが、それでも何の手柄も立てないままで今回の件を終わらせてしまえば、それはダリドラにとって大きなダメージとなる。

 それ故に、出来ればダリドラとしては暗殺者達のアジトに攻め込む時はナルサスに行って欲しかった。


「それに暗殺者集団のアジトに襲撃を仕掛けるのであれば、警備隊にも手を回す必要があります。リューブランド様を通す必要があるので、今すぐに……という訳にはいきません」

「そうですね。暗殺者達のアジトに襲撃している時に警備兵が顔を突っ込んで来ると色々と面倒なことになりますし」


 オウギュストもダリドラの意見に賛同の声を上げる。

 ……二人揃って警備兵を今回の襲撃の戦力として数えていないのは、やはりそれだけ練度が低いからだろう。

 もし警備兵を連れていっても、足を引っ張られるだけだと理解しての言動だった。

 冒険者の技量が低いのであれば、警備兵も多少ではあるが役に立ったかもしれない。

 だが、幸か不幸かここにいる冒険者は皆がゴーシュという街のレベルで考えると非常に高い者達ばかりだ。


「……分かった。じゃあ、明日にしよう」


 今日のうちに暗殺者の問題を片付けてしまいたかったレイは、不承不承ではあるが頷く。

 やはり決め手になったのは、警備隊に話を通すのに時間が掛かるということか。

 そしてレイが納得してしまえば、他の者達も特に反対はしない。

 そんな中で問題だったのは……


「その、レイさん。本当にセトは暗殺者の者達を見つけることが出来るんでしょうか?」

「どうだろうな。可能性はあるってだけだし。しかも明日になれば当然臭いも薄れてるだろうから、今追うよりは可能性が低くなると思う」

「それは! ……いえ、そうですよね。臭いですからそうなりますか」


 ダリドラが何かを言おうとしたものの、結局臭いが消えてしまえばどうしようもないということに気が付き、すぐに語気を収める。


「そうなると、多少無理をしてでも今夜中に済ませておいた方がいいんでしょうか。明日になって臭いを追えなくなる可能性があるのを考えれば……ナルサス云々とは言えなくなりますし」

「ですが、その場合は警備隊の方への連絡はどうするんです?」


 オウギュストがダリドラに告げると、返ってきたのは首を横に振るという行為。


「そちらに関しては、それこそこれから領主の館に向かえば何とでもなります。……ただ、警備隊に連絡が徹底出来ない可能性というのはありますので、もしかしたら首を突っ込んでくる可能性はありますが」


 どうします? と、ダリドラはオウギュストへと視線を向ける。

 戦力を十分に整えるのであれば、明日。確実に暗殺者達のアジトを突き止めるのであれば、今日。

 そんな二者択一で迷っている二人の商人に、レイはミスティリングからポーションを取り出す。

 オウギュストに使った物程高品質な物ではないが、それでもゴーシュで売っている物に比べると間違いなく数段上の効果をもたらすだろうポーション。

 そのポーションがどんな意味を持っているのかというのは、当然ダリドラも知っていた。


「いいのですか? 本当に?」

「ああ。戦力が増えるのはこっちとしてもありがたい。なら、ここで躊躇う必要はないだろう?」

「……分かりました」


 正直なところ、ダリドラにも当然ポーションの在庫はある。

 だが……そんなポーションと比べても、目の前にあるポーションは明らかに高品質の代物だった。


「これで大体のところは解決したし、今夜暗殺者達のアジトに攻撃を仕掛けるということでいいな? それと当然ながら襲撃に参加するのは、俺とセト以外には数人くらいにして貰う」


 確認の言葉を発するレイに、誰も否と言える者はいない。

 そもそも、明日になれば臭いが薄くなって見つかる可能性が低くなるのだ。

 そう考えれば、護衛や暗殺者達に狙われている身としては、それを否定することは出来ない。

 こうして……本来であれば、暗殺者の時間ともいえる夜にそのアジトを探し出し、そこに襲撃を掛けることになるのだった。

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