第1115話

「いや、私ではありませんよ」


 レイの問いにそう答えたのはオウギュストだった。

 今日もまたキャシーの美味い食事が終わり、その後の食休みの時のこと。

 今日屋敷を見張っていた者が途中でいきなりいなくなったのを感じたレイがオウギュストの手の者なのかと問い掛けたのだが、それに対する答えは否だった。


「違うのか? この屋敷の様子を窺っていたし、てっきりオウギュストがザルーストへと命じたのかと思ったんだが」

「まさか。彼は私と懇意にしてはいますが、別に私の部下という訳ではありません。……まぁ、可能であれば彼を部下に出来ればと思っていますが、今のところはそんな金はありませんよ」


 ザルーストはゴーシュにいる冒険者の中でも、明確にオウギュスト派と言ってもいい存在だ。

 ダリドラの率いるエレーマ商会に比べると圧倒的に劣勢の勢力であり、それを考えれば貴重な存在だと言ってもいい。

 だが、それでもオウギュストの部下ではなく、あくまでも外様の存在に過ぎない。

 ダリドラが雇っている、近隣の街や国から金の力で集めた護衛達とは立場そのものが違う。

 それが出来ないのは、やはり金銭の問題が大きかった。

 ザルーストはこのゴーシュではそれなりに名前が知られている存在だ。

 それだけに、レイと遭遇した時のような護衛という短時間であればまだしも、永続的……とまではいかずとも長期的に雇い続けるというのは不可能だった。


「じゃあ、誰がこっちの様子を窺っていた奴を排除したんだ? いや、排除と呼べる程に強引なやり方じゃなかったけど」


 現在オウギュストはダリドラと対立している。

 だが対立していると言っても、その戦力や勢力、経済力、影響力といったものは圧倒的にエレーマ商会の会頭でもあるダリドラの方が上だ。

 それでもオウギュストが無事でいられるのは、オウギュスト本人の性格がゴーシュの住人に受け入れられているからでしかない。

 今レイがいる屋敷を見れば分かる通り、かつてオウギュストの先祖は大商人としてゴーシュで強い影響力を持っていた。

 しかし没落した今となっては、その影響力にも期待は出来ない。

 つまり、現状でオウギュストに味方をする勢力は非常に小さい。

 心の中ではオウギュストに親しみを覚えている者は多いが、それを表だって行動に移せない者が殆どだ。

 だからこそ、レイは今日自分達を監視していた者が何故途中でいなくなったのかが疑問だった。


「別に誰かが何かをした訳ではなく、単純にもうこれ以上レイさんの様子を見ていても意味がないと知ったから撤退したのでは?」

「……本当にそう思っているのか?」


 自分でも納得していないことを言うのはよくない。そんな思いを込めて告げられたレイの言葉に、オウギュストも少し気弱な笑みを浮かべて手に持つコップを口元へと運ぶ。

 そこに入っているのは酒……ではなく、水。

 ただしレイが流水の短剣から生み出した水であり、このゴーシュでは……いや、ソルレイン国の中でも限られた者しか味わうことが出来ない天上の甘露とでも呼ぶべき水だった。

 その水の味にうっとりとしながら、オウギュストは言葉を続ける。


「あくまでも可能性としては、ということですよ。ですが、ダリドラもレイさんを怒らせるような真似はしたくない筈です。こちらの様子を監視するような真似をするとは思えませんしね」

「……じゃあ、監視していた奴はダリドラの手の者ではないのか?」


 疑わしそうに尋ねるレイだったが、それに対してオウギュストは水の入ったコップから手を離して頷きを返す。


「ええ。ミレアーナ王国のギルムに住んでいたレイさんにとってはこのゴーシュも小さい街に見えるのかもしれませんが、これでもソルレイン国の中では五本の指に入るだけの大きさの街です。当然ここには色々な勢力がいる訳で……」

「エレーマ商会以外の勢力が関わってきた、と?」

「恐らくですけどね。で、それを知ったダリドラがその監視をしていた勢力に手を出さないように言ったのでしょう」


 そう告げたオウギュストの予想は、正確ではないが事実に沿った形だった。

 正確にはゴーシュの領主リューブランドがレイの噂を聞いて興味を持ち、その情報を集める為の一環としてオウギュストの屋敷を監視させていたのだ。

 部下からの報告でそれを知ったダリドラは、慌ててそれを引き上げさせたという状況だった。

 全てではないにしろ、大まかなところを予想出来たのはオウギュストの能力があってのものか。


「第三勢力が絡んでくるのか。……面倒だな、それにこのままだとそっちにも迷惑を掛けるかもしれない。やっぱり俺はこの家を出た方がいいんじゃないか?」

「馬鹿言わないの」


 そう声を挟んできたのは、簡単な料理の入った皿を持ったキャシーだった。

 食事が終わったばかりではあるのだが、酒のつまみなのかレイが提供したサンドリザードマンの肉をさっと炒めて香辛料で味付けした料理。

 ……レイやオウギュストが飲んでいるのは、酒ではなく水なのだが。


「レイはまだ小さいんだから、人に気を使わなくてもいいのよ。ここを自分の家だと思ってゆっくりしなさい。幸い部屋は余ってるんだから。ねぇ?」


 キャシーはそう言いながらオウギュストへと視線を向ける。

 その視線を受けたオウギュストは、サンドリザードマンの肉へと手を伸ばしながら笑みを浮かべて頷く。


「ええ。勿論ですよ。レイさんが泊まっていてくれれば、私も安心して仕事に専念出来ますし」


 オウギュストにとって、レイを自分の屋敷に泊めるというのは様々な利益があった。

 その中で最も大きな利益は、やはりレイとセトが屋敷にいる限りダリドラも妙な真似は出来ないということだった。……そう。だった、なのだ。

 今となっては、レイが自分の屋敷に逗留していることの最大の利益はキャシーがレイを気に入ってるからというのが大きい。

 もしこれでレイが三十代、四十代といった年齢であればキャシーと二人で屋敷に残すというのは不安に思ったかもしれないが、レイはまだ十代半ばだ。

 オウギュストの愛妻であるキャシーも、レイを男ではなく自分の子供のような存在として見ている。


(これは、やはり子供が出来ないのが理由なのでしょうけどね)


 一瞬脳裏を悲しみが過ぎる。

 オウギュストとキャシーは、誰が見ても非常に仲のいい夫婦だった。

 そうなれば当然子供が出来てもおかしくはないのだが、その様子は一向にない。

 もしかしたら自分か妻に何らかの原因があるのではないか。そう思わないでもなかったが、それを知ったところで解決する方法は思いつかないのも事実だ。

 ともあれ、キャシーにとってレイという存在は擬似的にではあるが自分の子供のようなものだった。

 ……キャシーもオウギュストも三十代半ば程であり、レイの外見は十代半ば。年齢として多少無理はあるかもしれないが、レイのような年齢の子供がいてもおかしくない。

 その上、レイの顔は冒険者という言葉から想像出来るような厳ついものではなく、どちらかと言えば繊細さを感じさせる女顔だ。

 それだけにキャシーがレイに構いたがるというのはおかしくはない。


「……で、えっと何の話だったか」


 どこか自分には慣れない雰囲気が漂っているのを感じたレイは、その雰囲気をどうにかするべく口を開く。

 オウギュストとしてはもう少し今の雰囲気を味わっていても良かったのだが、レイの言葉を無視する訳にもいかず口を開く。


「第三勢力がいるということですよ。……ああ、当然レイさんがこの屋敷を出て行く必要はありませんので」

「本当にいいのか?」


 確認するように告げてくるレイだったが、オウギュストはその言葉に頷きを返す。


「こういう言い方は嫌いなんですが、今の私の状況は決して安心出来るものではありません。それは、レイさんもよく知っていると思いますが」


 その言葉でレイが思い出したのは、砂上船に乗って襲い掛かって来た砂賊だ。

 エレーマ商会の会頭であるダリドラが、邪魔に思っているオウギュストを排除しようとして手を回した結果の行動。

 勿論それを証明するものはなにもない以上、ダリドラを裁くということは出来ない。

 だが、それは逆に言えば証拠があれば裁けるということであり……


「あの砂賊から情報は引き出せなかったのか?」


 不思議そうに尋ねるレイに、オウギュストは少し驚きの表情を浮かべて口を開く。


「ご存じなかったのですか? あの時の砂賊は翌日には全員何者かに殺されていましたよ。おかげで、奴隷商人に売るより多少多い金額が支払われましたけど」


 口止め料という意味があるのは明白だったし、事実オウギュストは警備兵からしっかりとそう告げられている。

 上手く売ればより多くの金が手に入っただけにオウギュストも完全に納得した訳ではなかったが、それ以上何かを言ってもどうにもならず……それどころか警備兵に悪印象を与えるとあっては、大人しく引き下がるしかなかった。


「殺された? 警備兵に捕らえられていたのにか?」

「ええ。そういう相手がいると考えれば、やはりレイさんにはこの屋敷に逗留してもらうのが私としては助かるんですよ。キャシーも喜んでくれているようですし、ね」

「……分かった」


 レイにとっても、自分を可愛がってくれるキャシーには好意を感じている。

 勿論その好意は女に対するものではなく、母親に対するものに近い。親愛の情と呼ぶべきか。

 元々人付き合いが決して得意という訳でもないレイだったが、キャシーはそんな自分を温かく迎え入れてくれたのだ。






 そんな相手に好意を抱くなという方が無理だろう。


「では、この話はこれで終わりにしましょう。……それで、レイさんの明日の予定は?」

「出来ればギルドで討伐依頼か何かを受けたいところなんだけどな。もしくはサンドリザードマンの死体が結構あるから、その解体を依頼として頼みたい」


 ザルーストがサンドサーペントの解体を無料で行ってくれたが、それはあくまでもレイに対しての借りがあったからだ。

 その借りが返された以上、ザルーストに無料でやってもらうということは出来ないだろう。


(ああ、でもザルーストなら信用出来るか。報酬としてサンドリザードマンの素材を幾つか渡すということで引き受けてくれれば、こっちとしても助かるんだけどな)


 ザルーストが律儀な性格をしているというのは、これまでの付き合いで理解していた。

 付き合いそのものはまだ一週間と経っていないのを考えると、実はザルーストの性格は表向きだけが律儀……という可能性もあるのだが、その辺は何となく大丈夫だろうとレイは考えている。

 何の根拠もない、ただの勘なのだが。


「サンドリザードマンの解体ですか。……そうですね、それがいいかもしれません。第三勢力が出て来たとなると、街の外に出れば色々と面倒なことになりかねませんし」


 そう告げるオウギュストの脳裏にあるのは、やはり砂上船を使った砂賊の襲撃だろう。

 普通であればそうそう出来る手ではないだけに、どうしても強烈な印象を与える。


(その結果砂上船をレイさんに奪われてしまったのを考えると、向こうにとっては最悪の結果でしょうが)


 それとは反対に、自分はレイとの縁を深いものに出来たのだから、世の中何がどうなるか分からないといったところだろう。


「ま、そっちについては俺に手を出してくれば対処させて貰うさ。二槍流の練習もしないといけないし」

「二槍流、ですか?」


 レイの口から出た言葉に、オウギュストが不思議そうな視線を向ける。

 二刀流といった言葉は聞いたことがあっても、二槍流という言葉は聞き覚えがなかったからだろう。


「実際にそういう言葉があるかどうかは分からないけどな」

「言葉から予想すれば、二本の槍を使うんですか?」

「それに近い。まぁ、片方は槍じゃなくてデスサイズだけど」

「デスサイズというと……あの大鎌ですか? それで二槍流というにはちょっと無理があるのでは?」


 レイの持つデスサイズを思い出したのだろう。不思議そうに尋ねてくるオウギュストにレイは小さく肩を竦める。


「ま、勝手に俺が作った言葉だし。分かりやすさ優先で決めさせて貰った。ともあれ、その二槍流を使いこなすのがなかなかに難しいんだよ。訓練だけじゃなく、実戦でもある程度慣らしていかないといけないし」


 一度の実戦は十日の練習に匹敵するって話はよく聞くしな、と言葉を続けるレイ。

 オウギュストはそんなレイの言葉に複雑な表情を浮かべる。

 レイの実力は知っている。知っているが……だからといって、片手で槍と大鎌をそれぞれ別々に使うことが出来るのか? という疑問を拭うことが出来なかったのだ。

 それでも言葉に出さなかったのは、それこそレイがどれだけの強さを持っているのか自分の目で確認したからだろう。

 レイならば、もしかしてそんな無茶もどうにかしてしまうのでは? そう思ってしまってもおかしくはなかった。

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