第1116話

 砂漠特有の暑さと、灼熱の太陽と評すべき太陽が地上へと強烈な日光を照らしている中、レイは今日もオウギュストの家の庭……という名の更地でデスサイズと黄昏の槍を振るっていた。

 二槍流の練習をしているのだが、それでもすぐに大鎌と槍の二つを同時に使いこなせるようになる訳ではない。

 デスサイズを振るう一撃の範囲に黄昏の槍の一撃が重なり、空中でぶつかりあう。


「っと」


 両手から伝わってきた衝撃により、動きを止める。

 小さく溜息を吐いて視線を上へと向けると、そこでは太陽がこれでもかと強烈な自己主張をしていた。

 その太陽の位置を確認し、ミスティリングの中の時計を取り出す。


「もう十時すぎか。結構集中してたな」


 ここで練習を始めたのが朝食を食べて一休みしてからだったので、午前八時前後。

 だとすれば、もう二時間近くも二槍流の練習をしていたことになる。

 砂漠特有の強烈な暑さに関してはドラゴンローブのおかげで殆ど感じない。だが、それでも身体を動かせば喉が渇くのは当然だった。

 時計をミスティリングへと収納すると、それと入れ替えるようにして流水の短剣とコップを取り出し、天上の甘露とでも呼ぶべき冷水で喉を潤す。


「グルルゥ? グルルルゥ!」


 少し離れた場所で寝転がっていたセトが、自分にも頂戴! と喉を鳴らす。

 レイが厩舎の近くで訓練を始めたのだから、当然セトはその近くにいた。

 もっともレイの邪魔をする気もなかったので、いつものようにのんびりと横になって眠っていたのだが。

 そうしながら、周囲に怪しい気配がないのかどうかを探っていたというのもある。

 前日に自分達を監視していた人物がいた以上、もしかして何か手を出してくるかもしれない。そんな思いがセトにもあったのだろう。

 砂漠の暑さは、グリフォンのセトにとっては全く苦にならない。

 普通であればゴーシュの住人であろうとも暑さに思わず顔を顰めるような気温であっても、グリフォンであるセトとドラゴンローブを着ているレイにとっては全く関係なく動き回ることが出来た。


「分かった分かった。……ほら、これでセトも飲みやすいだろ」


 流水の短剣に魔力を流して水を出すと、セトはその水を喜んで飲む。

 コップは勿論、皿に水を溜めてもセトは飲みにくい。

 飲めない訳ではないのだが、やはり水を流しっぱなしにした今の状態の方がセトにとっては飲みやすかった。

 そのまま水を飲んで一息入れると、レイは外出する準備をする。

 本来なら朝食を食べてからすぐにギルドへと向かってもよかったのだが、まだ朝だしギルドは混んでいるのではないかという思いから時間をずらしたのだ。

 ギルムでは大体午前八時過ぎくらいに大分人が少なくなるのだが、ゴーシュでもそれが同じかどうか分からなかったからというのもある。

 そこで念の為に時間をずらしたのだが……


(ああ、もしかして朝の内にサンドリザードマン解体の依頼を入れておけば、今日のうちに誰かが引き受けてくれたか?)


 そう思うも、既に二匹分の魔石は入手してある――吸収はしていないが――ので、特に急ぐことはないという判断もあった。


「ま、その辺は何とでもなるか。……じゃあ、セト。そろそろ行くか?」

「グルゥ!」


 レイの言葉にセトが流水の短剣から流れている水はもういいのか、嬉しげに鳴き声を上げるのだった。






「ふーん、やっぱり日中はあまり人がいないんだな。まだ午前中だから、もう少し人がいてもよさそうなもんだけど」


 ゴーシュの街中を歩きながら、レイは呟く。

 その街並みには決して人の姿がないという訳ではない。

 だが朝方や夕方に比べると、やはり少ないのは事実だった。


「ま、この暑さだ。あまり外に出たくないって気持ちは分からないでもないけど」


 視線が向けられた先にある太陽は、相変わらず強烈な自己主張をしている。

 雲でもあれば多少は日射しが柔らかくなるのかもしれないが、生憎と今の空には雲の類は一切存在せず、真っ青な青空のみが広がっていた。

 ギルムにでもいれば多少の暑さに眉を顰めつつ夏らしい青空だと言って喜ぶことが出来るかもしれないが、砂漠のど真ん中にあるこのゴーシュでは、雲一つない太陽を喜ぶような者は基本的に存在しない。

 人があまりいなくても、屋台や店を経営している者は日陰にいることもあって商売熱心に人の呼び込みをしている。

 中には火を使う料理を売っている屋台の店主が、太陽の熱と調理に使う熱の両方にやられるといったことになっている者もいたが、レイはそんな屋台の店主からそっと目を逸らしながら通りを進んでいく。


「何か食べていくか?」


 漂ってくるのは、食欲を刺激するような刺激的な香り。

 香辛料をたっぷりと使っているのだろうと思われるその匂いの元を眺めながら呟くレイに、セトは嬉しげに喉を鳴らす。

 朝食はサンドリザードマンの肉を使った料理をたっぷりと食べたのだが、それから既に三時間程が経っている。

 その間二槍流の練習として動き回っていたこともあって、レイの腹は食べ物を要求するように自己主張をしていた。


「じゃあ、まずは……あそこの屋台に」


 しよう。そう言おうとしたレイだったが、行こうとした屋台と自分の間を遮るようにして一台の馬車が停まる。

 その馬車が邪魔だと思ったレイだったが、自分がいるのが通路である以上馬車が止まっても仕方がないという思いもあり、馬車を避けて屋台へと向かおうとした。だが、その馬車から一人の人間が姿を現す。


「失礼します、冒険者のレイ殿でしょうか?」


 そう声を掛けてきたのは、老人と言えるが老人とは言えないという奇妙な印象を持つ人物だった。

 まず外見は六十代から七十代程で、髪の毛も白髪が交じっている。

 それだけならば老人と表現してもいいのだが、目に浮かぶ光が違った。

 強い意志と全身から放たれる精力的な印象は、どこから見ても老人と呼ぶには相応しくない。


(へぇ、いるところにはいるもんだな)


 目の前の老人がそれなりの強さを持っているのに気が付くと、レイは小さく笑みを浮かべつつ頷きを返す。


「ああ、俺がレイで間違いない。そっちは?」


 レイの問い掛けに、老人は恭しく一礼する。


「失礼しました。私はこのゴーシュを治めるサルマス伯爵家に仕える、メバスチャンというものです」


 惜しい、と。その名前を聞いたレイは思わず内心で呟く。

 執事といえばセバスチャンという名前が非常にポピュラーだったが、一文字違いであるというのは予想外でもあった。


(いやまぁ、別に執事だからセバスチャンじゃなきゃいけないって訳じゃないんだけど)


 目の前にいるメバスチャンは、執事と言った訳ではない。ただ仕えると言っただけだ。

 だがそれでもきっちりとした服装をしており、慇懃な態度を示すその様子は執事であるとレイに思わせるに十分だった。


「……で、そのメバスチャンとやらが俺に何の用件だ? こっちはこれからギルドに行くところなんだけど」

「その、実は我が主のリューブランド様がレイ殿にお会いしたいと申してまして」


 サルマス伯爵の名前は、レイもオウギュストから聞いて知っている。

 先程メバスチャンが口にしたようにこのゴーシュを治める貴族であり、ダリドラと繋がっている人物。

 それでいながら、ゴーシュの住人に圧政を敷いている訳でもない。……だからといって善政を敷いている訳でもないが。

 可もなく不可もなくといった人物であり、ゴーシュの住人からは時折その存在すら忘れられてしまうことがあると聞いている。


(まぁ、全体的に見れば善良な貴族に入るんだろうけど……他に酷い貴族とかは幾らでもいるしな)


 実際に見てきた貴族の数々を考えると、どうしてもそう思ってしまう。このくらいの貴族であれば善良な方に入るだろう、と。


「どうでしょう? 是非リューブランド様にお会いして欲しいのですが……」


 答えを促すように尋ねてくるメバスチャンの言葉に、レイはどうするべきか考えながら視線を屋台のある方へと向ける。

 匂いだけで食欲を刺激するその屋台で売られている肉を食いたい。そう思っていた為だ。

 そんなレイの視線を追ったメバスチャンは、すぐに考えを巡らせて口を開く。


「そうですね、領主の館に来て貰えれば、レイ殿や……そちらのグリフォンにも十分な食事を用意しますし、少し早いですが昼食に招待させて貰えれば」

「グルゥ?」


 メバスチャンの言葉に、セトは喉を鳴らしながら首を捻る。

 グリフォンを見たのは初めてだろうに、メバスチャンは全く動揺した様子を見せていなかった。

 執事たるもの動揺を表に見せない……という風に考えているのか、それとも単純にメバスチャンの肝が太いだけか。

 その理由は分からなかったが、それでもレイはセトを見て怖がったりしないメバスチャンに好印象を持つ。


「分かった、ならお邪魔させて貰おう。いいよな、セト」

「グルゥ!」


 レイの言葉にセトが嬉しそうに喉を鳴らす。

 美味しいご馳走を食べることが出来るのなら大歓迎! といったところか。


「では、レイ殿は馬車にお願い出来ますか? そちらのグリフォンは馬車に乗せる事は出来ませんので、馬車と一緒に……」


 来て欲しいのですが。そう言おうとしたメバスチャンだったが、馬車を牽いている馬が怖がっているのに気が付く。


(そう言えば駱駝じゃなくて馬なんだな。……領主のだからか)


 馬車を牽いているのが駱駝ではなく馬であることに若干驚き、そして同時に何故メバスチャンが言葉を濁らせたのかを理解する。

 視線の先にいる馬が、全く動く様子がない為だ。

 まさに時間でも止まっているのではないかと思える程に一切の動きが存在しないその馬は、動けば殺されると判断しているかのようだった。

 怯えている対象は、当然のようにグリフォンのセト。


(いつものことか)


 そう納得するレイ。

 セトに怯える動物というのは、これまでに何度も見てきている。

 怯えられて残念そうにしているセトの頭を撫でながら、レイは口を開く。


「見ての通り、セトを別にやる訳にもいかないし、俺とセトは馬車とは離れて行くよ」

「いえ、ですが……」


 迎えに来た客人を自分で移動させて領主の館までやってこさせるというのは、メバスチャンにとって許容出来ることではない。

 だからといって、ここで無理にセトだけを馬車から離して行動させるという選択肢も存在しなかった。

 そんな状況で領主の館に行くのであれば、レイがセトと共に一緒に移動するしかない。


「悪いけど、セトと一緒に行動出来ないならこっちの用事を優先させて貰うけど……それでも構わないか?」

「……分かりました。やむを得ませんね」


 これ以上話が長くなれば、レイは本当に領主の館に来ることはないだろう。

 そう判断したメバスチャンは、不承不承ではあるがレイの言うことを認めることにする。


「では、私が馬車で先を進みますので、その後をついてきて下さい」

「分かった。じゃあ、案内を頼む。……セト、そんな訳で領主の館に行くぞ。あの馬車の後ろをついていってくれ」

「グルゥ」


 レイの言葉にセトは短く喉を鳴らす。

 少しだけ元気がないように感じたのは、やはり馬が怖がっているせいなのだろう。


「では、道案内を勤めさせて貰います」


 深々と一礼をすると、メバスチャンは御者に一言二言何かを告げると馬車に乗り込む。

 本来であればメバスチャンの他にレイを乗せて進む筈だった馬車は、結局メバスチャン一人だけを乗せたまま通りを進んでいく。

 サルマス伯爵家の馬車だというのは、車体の紋様を見れば分かるのだろう。周囲の者達は馬車が通ろうとするとすぐにそれに気が付き、道を空けていく。

 太陽が出ていることもあって、道に人が少ないのも影響しているのだろう。特にトラブルの類もなく道を進んでいく。

 その最中にも、武器や防具を売ってる店、ポーションの類を売っている道具屋といったものを横目に、パンや串焼きのように食べ物を売っている屋台といったものがレイとセトの目を引く。


(マジックアイテムを売っている店がないな)


 周囲の様子を眺めながら呟くレイ。

 火種を起こすような、普段使うマジックアイテムを売っている店はそれなりにあるのだが、レイが集めているようなマジックアイテムを売っている店がちょっと見当たらない。


(砂上船なんてものがあるんだから、当然マジックアイテムの類は活発に取引されてるんだと思ったんだけど……ああ、でも砂上船はオゾスに外注したんだったか)


 砂漠特有のマジックアイテムを楽しみにしていたレイだったが、少なくても大通りにはマジックアイテム屋はないのだろうと残念に思いながら進む。


(まぁ、俺が見つけられないだけかもしれないけど)


 マジックアイテムというのは高価であり、それだけに人目を忍んで店を出していてもおかしくはない。

 そんな風に考えていると、次第に道の両端に幾らか草や木が生えているのに気が付く。

 オアシスに近くなっている証なのだろう。

 そして……やがて大きな館がレイの目に入ってくるのだった。

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