第1108話
その報告を聞いた時、ダリドラの表情に笑みが浮かぶのを止められる者はいなかった。
「その情報、本当ですか?」
ぬか喜びはしたくないと……それでいながら神経質そうな顔に僅かな期待が浮かぶのを止めることが出来ずに尋ねるダリドラに、部下の男は即座に頷きを返す。
「はい。レイがグリフォンと共にゴーシュから出て行ったのをこちらの手の者が確認しています」
「……一応聞いておきますが、彼に監視を付けていた、という訳ではないのですね?」
反感を持たれるということは、レイと敵対することになる。
勿論気が付かれなければ問題はないのだが、異名持ちの……それもグリフォンを従魔にしている冒険者が監視に気が付かないということはない。
ここで下手にレイの機嫌を損ねれば、それは自分達にとって最悪の事態になりかねなかった。
それだけに、どうしてもレイの扱いは慎重になる。
そんなダリドラの言葉を、報告を持ってきた男は首を横に振って否定する。
「大丈夫です。わざわざ監視を用意したりはしていません。エレーマ商会の者が門の側を通った時にグリフォンを連れている冒険者が外に出るのを見たとのことです」
「……なるほど。それで、ですか」
ゴーシュに戻ってきたエレーマ商会の商人が、街中にいるグリフォンを目にする。
そうなれば当然のように何が起きたのかというのが気になり、情報を集めようとするのは当然だろう。
そして情報を集めるという意味では、自分達が所属しているエレーマ商会はゴーシュの中でも強い影響力を持っているのだから、そちらに頼るのは当然以前の出来事だった。
勿論その商人がいなくても、ゴーシュにおけるエレーマ商会の影響力を考えれば、いずれレイがセトを伴ってゴーシュを出て行ったという情報は判明したのだろうが。
「どうしますか、ダリドラ様。ティラの木の件もそろそろ動き出さなければ……レイとセトも既にゴーシュから出て行ったのですから……」
動きを見せるべきです。そう告げる男の視線を向けられたダリドラだったが、何かを考えるように目を閉じたまま言葉を発さない。
男の方も、ダリドラが何かを考えているというのは理解したのだろう。それ以上は言葉を口に出さずに沈黙を保つ。
そして……数分が経過した頃、ダリドラは目を開け、テーブルの上にあったコップへと手を伸ばす。
「レイが本当にゴーシュから出て行ったとは言い切れません。偶然ゴーシュに立ち寄っただけということでしたし、恐らくそれで間違いはないのでしょうが……」
「ですが、時間が経てばそれだけエレーマ商会の損害も増えていきます」
「そうですね。しかし、急いてはことをし損じる訳にはいかないでしょう。向こうにレイがいるとなれば、こちらとしても馬鹿に出来ないだけの被害を受けるかもしれません。確実性を考えると、本当にレイがいなくなったのかを確認してから動きたいですね」
「では?」
「明日……いえ、明後日まで待って、それでレイが戻ってこなければこちらも動きましょう」
出来ればそうなって欲しい。心の底から呟くダリドラの言葉に、男は黙って頷きを返すのだった。
ダリドラが出来ればレイに帰ってきて欲しくないと願っている頃……そんな思いは知ったことかと言わんばかりに、レイはセトが倒したサンドリザードマンの死体とトライデントをミスティリングに収納し、四人組の冒険者と合流していた。
レイの渡した果実の味に感動していた四人だったが、それでもセトが飛んでくるのを見れば我に返るのは当然だった。
桃源郷とも呼べる場所に旅立っていたのだが、それだけに現実へと戻ってしまえば余計に周囲の砂漠が無味乾燥染みたものに思えてしまう。
「待たせたか?」
セトの背から降りて尋ねるレイに、男は首を横に振る。
「いや、あの果実を食べていたら一瞬で時間がすぎたよ」
「それは大袈裟……って訳でもなさそうだな」
レイは待っている間、暇だろうからこれでも食べててくれといった感じで渡した果実だったのだが、それがここまで喜ばれるとは思わなかったのだろう。
珍しくフードの下で意外そうな表情を浮かべていた。
「喜んで貰えて何よりだ。それで、さっきも言った他に頼みたいことだけど……」
「ん? ああ、何だ? あんなに美味い果実を貰ったんだ。出来ることなら何でもさせて貰うぜ」
果実を渡す前と比べると、四人の冒険者達がレイに向ける視線の中にあった警戒心は驚く程に少なくなっていた。
(美味い果実だってのは知ってたけど、それでもここまで警戒心を解けるとは思わなかったな)
どことなく不思議な気持ちを抱きつつも、それなら寧ろ好都合ということでレイは遠慮なく口を開く……前に、確認の為に聞く。
「一応聞いておくけど、お前達が拠点にしているのはゴーシュでいいんだよな?」
「うん? ああ、勿論。この周辺にある中でも最も大きい街だしな。そもそも、砂漠で拠点を変えるのは結構大変だし」
「そうか、良かった」
安堵の息を吐くレイ。
ここまでやっておいて、実はゴーシュを拠点にしていない冒険者でした……ということになれば、かなり恥ずかしい出来事だった為だ。
勿論ゴーシュの人間ではないからといって、サンドリザードマンに襲われているのを見殺しにしたかと言えば答えは否なのだが。
「良かった?」
レイの言葉に、男は不思議そうに首を傾げる。
そんな男に向かい、レイは困ったように口を開く。
「実は、俺は昨日ゴーシュに到着したばかりなんだが……その、さっきも見て貰ったけど、俺はセトに乗って移動するのが普通なんだよ。で、セトが空を飛ぶとかなり速くて……」
そこまで言われれば、男もレイが何を言いたいのか理解してしまう。つまり……
「迷子になった、と?」
「端的に言えばそうなる。そんな訳で、これからゴーシュに行くなら俺とセトも一緒に連れて行ってくれると助かる。俺の強さは見て貰ったと思うけど、足手纏いにはならないから」
「いや、一緒に行ってくれるならこっちとしても願ってもない話だけど……」
男は仲間達に視線を向けると、他の三人も異論はないのだろう。すぐに頷きが返される。
「って訳で、こっちとしては大歓迎だ。……ああ、今更だけど自己紹介がまだだったな。俺はハウル。このランクEパーティ砂塵の爪のリーダーをやっている」
今までレイと話していた男がそう告げると、次に槍を手にした人物が口を開く。
「私はカルディナよ」
「オディロン」
「ニコールだ」
痩身の男と背の小さな男が続けて自己紹介するのを聞き、次にレイが口を開く。
「レイだ。ミレアーナ王国のギルム所属のランクB冒険者。こっちは俺の従魔のセト」
ランクB冒険者というところで、当然のようにハウルと名乗った男と……そして他の三人までもが驚愕の表情を浮かべる。
ゴーシュにはランクA冒険者はおらず、ランクB冒険者も数える程しかいない。
その少数のランクB冒険者も、ダリドラが金の力で引き抜いてきた者が殆どだ。
それだけにゴーシュに住む人間にとってランクB冒険者というのは冒険者の頂点に位置するような存在という認識であり、目の前にいる人物が……という思いを抱いても仕方がないだろう。
もっとも、レイがどれだけの力を持つのかは分かっているだけに、外見だけで嘘だと決めつけるような真似はしなかったが。
「ランクB冒険者……それも、ミレアーナ王国のギルムって言ったら高ランク冒険者が集まる辺境じゃないか。何だってそんなところで活躍してる人がわざわざソルレイン国に?」
驚きも露わに尋ねるハウルだったが、それに対してレイが返したのは軽く肩を竦めるという行為だけだった。
冒険者の中には人に言えない事情を持っている者も多い。
そう判断すると、ハウルはそれ以上突っ込んだことを聞くのを止める。
……正確には、黄昏の槍を目当てにした商人達が鬱陶しかったからという理由なのだが……
「それより本題に戻ろう。ゴーシュに俺が一緒に向かうのを認めてくれるって言うんなら、早速移動した方がいい。時間が経つと夜になってしまうからな」
『へ?』
レイの言葉に、砂塵の爪のメンバー全員が揃って妙な声を上げる。
それこそ、まるでタイミングを計っていたのではないかと思うくらいに。
「うん? どうしたんだ?」
何故そんな声を上げたのだろうと、そう疑問に思うレイにハウルはどこか哀れみに近い表情を浮かべて口を開く。
「その、だな。ここからゴーシュまでは今日到着出来る距離じゃないぞ? 恐らく明日の昼……いや、夕方くらいまでは掛かると思う」
「……本当か?」
ハウルの言葉を信用していないという訳ではなく……冗談だと言って欲しいという思いを込めて、レイは他の三人へ視線を向ける。
だが、その三人はハウルの言葉が正しいと示すかのように頷くだけだ。
「グルルルゥ」
レイを励ますようにセトが喉を鳴らす。
その鳴き声に砂塵の爪の四人は一瞬身体を強張らせるが、それでも自分達を助けてくれたレイがいるのだからと、それ以上の怯えは見せない。
「セト、か。そうだった。セトの移動速度を考えれば、明日になるってのは当然か」
「グルゥ!」
その通り、と言わんばかりのセト。
「……そんなに速いのか?」
レイとセトのやり取りを見守っていたハウルの問い掛けに、レイは頷きを返す。
「ああ。セトが飛ぶ速度はかなり速い。……だから、ゴーシュから距離を取った結果こうなったんだけど」
「そうか、羨ましいな。そんな移動速度があればもう少し速くゴーシュに……」
と、そこまで話をしていた中で、レイは不意に自分のミスティリングの中に入っている物のことを思い出す。
つい少し前に利用した物であり、ここは砂の砂漠で使うのにも全く問題はない砂上船を。
「移動するのに俺の砂上船を提供したいんだが、いいか?」
『砂上船!?』
砂上船という言葉を聞いた砂塵の爪の四人が再び声を揃えて告げる。
「ああ。最初にゴーシュに向かう途中で砂上船に乗っている砂賊と遭遇してな。そいつらを倒して入手した」
「……砂上船を持ってるような砂賊なんて、本当に限られている筈なのに……」
「さすがランクB冒険者ってことかな」
カルディナとオディロンがそれぞれ呟き、レイに感嘆の視線を向ける。
砂賊というのは、砂漠に暮らす者にとっては非常に厄介な相手だ。
その中でも砂上船を持っているような砂賊となれば、極めつけに厄介だと言ってもいい。
そんな砂賊を倒して砂上船を奪った――それも使用出来る程度の損害で――というのだから、砂塵の爪の面々にしてみればすでに感嘆の息しか出なかった。
「じゃ、出すぞ」
四人と一匹から少し離れた場所で軽く告げると、次の瞬間には砂の上に砂上船が姿を表していた。
何もない場所からいきなり姿を現したということにも驚いたが、そちらは既にレイがアイテムボックス持ちだというのを知っている。
だが、やはり砂上船という存在の衝撃は大きかったのだろう。そちらの方へと意識を集中していた。
「さて、じゃあそろそろ出発するか。砂上船なら普通に歩くよりはゴーシュに早く着くだろ」
レイの言葉に、全員が頷いて砂上船へと乗り込んでいく。
「うわ、傷とか一つもないんだけど……どうなってるの、これ?」
カルディナの言葉に、全員が改めて驚きを露わにする。
これが示しているのは、つまりレイが砂賊に殆ど何もさせずに勝ったということなのだから当然だろう。
「……結構汚いけど」
ポツリと呟いたのは、オディロン。
それを聞いたハウルは、早速砂上船を動かそうしていたレイへと向かって声を掛ける。
「なぁ、レイ。この砂上船の甲板だけでも片付けていいか? 命を助けられて、その上砂上船まで出して貰うってのは幾ら何でも申し訳なさすぎる」
「そうか? 別にそこまで気にしなくてもいいんだけど……まぁ、そこまで言うなら掃除を頼む。砂賊から奪ったままだから、それなりに汚れてるしな」
売るにしても綺麗な方が高値が付くだろうし……と言葉を続けたところで、ハウルを含めた四人全員の動きが止まってしまう。
「えっと、その……レイ、さん?」
先程まではレイと呼び捨てにしていたハウルが、何故かさん付けをしてくるのを気にしながらも、レイの視線はハウルへと向けられる。
「俺の聞き間違えじゃなければ、今、この砂上船を売ると聞いたのですが……」
「そうだな。売る予定だ。そもそも砂上船は砂の上でしか使えない。で、俺の本拠地はミレアーナ王国のギルムで、砂漠なんて殆ど存在しない。なら、持ってても邪魔になるだけだろ?」
何か変か? と尋ねるレイに、ハウルを含めた四人は声を大にして変だと叫ぶが、レイの意志を覆すことは出来なかった。
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