第1109話

 夜の砂漠の下、レイは砂塵の爪の四人と共に野営を行っていた。


「うーん、結局砂上船があっても今日中にゴーシュに到着するのは無理だったか」

「いや、それでもかなり行軍速度は増したぞ? 歩いての移動だと明日の夕方くらいだったのが、恐らく明日の朝方のうちには到着するだろうし」


 愚痴るようなレイの言葉に、砂塵の爪のリーダーハウルが焚き火へと何かを投げ入れながら呟く。

 レイはハウルの言葉に頷くよりも焚き火へと投げ入れられた物へと興味深い視線を向ける。

 そんなレイの視線に気が付いたのだろう。ハウルは手に持っている物をレイへと差し出す。


「なんだ、これがそんなに珍しいのか?」

「……まぁ、珍しいかどうかと言えば珍しい」


 ハウルが持っているのは掌程の大きさの物体であり、それは焚き火の燃料として使われている。

 だが……その焚き火の燃料は枯れ木の類ではないし、勿論燃えにくい生木の類でもない。

 砂漠には基本的に植物の類はそれ程多くは存在せず、当然のように火を起こす際の薪として使うには圧倒的に量が少ない。

 だからといって夜には氷点下まで気温が下がる砂漠で焚き火をしないという真似は出来ず、その結果この地域では独特の燃料が発達した。それは……


「まさか、動物やモンスターの糞を燃料にするとは思わなかった」


 最初にそれを聞いた時は微妙に嫌そうな表情を浮かべたレイだったが、実際に燃料として燃やしても悪臭の類は存在しなかったことでようやく安堵したのだ。

 それでもやはり糞を燃料にするというのは、レイにとっては奇妙なことでしかない。


「そうか? この辺だと一般的なんだけどな。大体、木を燃料なんかにしたらオアシスの周辺から木々がなくなるぞ?」


 砂塵の爪の中でも痩身の男……オディロンが呟くと、女の槍使いカルディナ、小柄な男ニコールがそれぞれ同意するように頷きを返す。


「まぁ、そう言われれば……」


 呟きながら、以前ザルーストやオウギュスト達と野営をした時にもその燃料が使われていた筈なのに、何故気が付かなかったんだろう? と不思議に思うレイだったが、すぐに納得する。

 あの野営の時、自分は夜になったらさっさとマジックテントの中に入ったし、朝に起きた時もそれ程焚き火の前にはいなかったのだと。

 そしてレイがソルレイン国の出身ではないと知った為に、動物の糞を使った燃料に忌避感を持つのではないかと目の前でその燃料を使うことはなかったのだろうと。


(気を使わせてたんだな)


 今更ながらにザルーストやオウギュストに気を使わせていたことを思い、レイは少しだけ悪い気持ちになる。

 そんなザルースト達に比べて、ハウル達は特に気にする様子もなくレイやセトの前で糞から作った燃料を使っていたのは……やはり経験による違いか。


「……臭いの類も殆どしないし、こうして聞くまでは糞から出来ているとは思わなかった」

「まぁ、糞をそのまま使ってる訳じゃないしな。しっかりと手を加えてから乾燥させてるし。……まぁ、もっと金に余裕があればマジックアイテムでどうにか出来るんだけど、高いしな」

「……うん?」


 ハウルの口から出た言葉に、レイは少しだけ興味深そうな表情を浮かべて問い掛ける。


「もしかして焚き火用のマジックアイテムとかあるのか?」

「あるぞ。ただ、着火とかだけなら日常用のマジックアイテムで済むんだが、焚き火……ずっと燃やし続けるとなると一気にマジックアイテムの値段が跳ね上がるが」

「何でだ?」


 率直に尋ねるレイに、カルディナが笑みを浮かべてから口を開く。

 既に夜になっている為、顔を覆っていたターバンや砂塵を防ぐマスクのような物はとっており、今はカルディナの顔は何にも隠されていない。

 どちらかと言えば整っている顔立ちであり、それ故に今まで幾度か面倒に巻き込まれてきた経験を持つ。……だからこそ、サンドリザードマンに襲われているのを助けられた時には警戒していたのだろう。


「当然でしょう? 火種を作るだけならまだしも、ずっと燃やし続けるのならその分の燃料を必要とするわ。この場合は魔石か魔力。そうなれば、当然費用も膨大になるわ。マジックアイテムで焚き火をするのなら……」

「魔石を幾らでも使い捨てに出来る金持ちか、魔法使いが必要だろうな。まぁ、魔法使いもそんなことで魔力を消費したいとは思わないだろうけど」


 カルディナの言葉を引き継ぐように、ニコールがそう言葉を続ける。

 だが、それはレイに取っては非常に興味深い内容でもあった。

 何故なら、レイの魔力は無尽蔵と表現しても構わないだけの量があるのだから。


「その話、もう少し詳しく」

「……話を聞いてたか? 金持ちか魔法使いしか意味はないって言っただろ?」


 最初に助けた時に比べると、砂上船での移動中もある程度話をしていたこともあってか、砂塵の爪の四人がレイへと話し掛ける言葉使いは大分砕けてきていた。

 それに心地良さを感じつつ、レイはニコールに言葉を返す。


「砂上船を動かしていたのを見ただろ? 俺は魔法を使える」

「え? あの砂上船って魔石で動かしてたんじゃないの!?」


 真っ先に驚愕の声を上げたのはカルディナだったが、驚くという意味では他の三人もそう変わらない。


「ああ。こう見えて俺は魔法も使える魔法戦士だからな。魔力に困ることはない」

『……』


 呆然とした様子で四人はレイの言葉を聞く。

 魔法使いというのは非常に数が少なく、当然ミレアーナ王国よりも遙かに小国のソルレイン国では滅多に見掛けることはない。

 ゴーシュにはエレーマ商会が大金を積んで連れてきた魔法使いが何人かいるが、その例外を除けば数人いるだけだ。

 勿論練達の魔法使いという訳ではない。

 それなのに、今自分達の前にいるのは戦士としての力量だけでも自分達よりも圧倒的に上で、その上マジックアイテムを幾つも所持し……更に魔法まで使えるというのだ。


「グルゥ」


 四人の心を読んだ訳ではないが、少し離れた場所で寝転がっていたセトが自分を忘れるなとでも言いたげに鳴き声を上げる。

 そう、今自分達が考えた他にセトというグリフォンを従魔にしてすらいる。


「お前……何者だ?」


 自分達と比べると既に別次元の存在と呼ぶべきレイの姿に、ハウルが小さく呟く。

 その中にあるのは、羨望に嫉妬、情景といったような複雑な感情。


「ランクB冒険者……ってだけだと納得出来なさそうだな。そうだな、お前達に分かりやすく言えば……異名持ちの冒険者と言えば分かりやすいか?」

『異名持ち!?』


 再び重なる四つの声。

 当然だろう。異名持ちというのは、冒険者の中でも特別な功績を立てた者に与えられる称号に近い。

 ……レイの場合はそのベスティア帝国との戦争で自然発生的に得られたものだが。

 中には自分で考えた異名を名乗る者もいるが、そのような者は基本的に余程の実力の持ち主でもない限り鼻で笑われるだけのがオチだ。


「ああ。……ただ、こっちにはまだ届いていないっぽいけどな。深紅って聞いたことがないか?」


 そう尋ねるも、全員が首を振ってるのを見ればやはり、と思うしかない。


「ま、そのうちここにも俺の噂話が届く……と、思う。うん、多分」


 現在のフードを下ろしているレイの姿を見れば、とてもではないが異名持ちには見えない。

 それでも、レイの実力がどれ程のものなのかというのをその目で見て知ってる以上その力を疑うことは出来ないのだが。

 自信満々に異名を名乗ったのにも関わらず、その異名が全く知られていなかったということに多少恥ずかしさを覚えたレイは慌てて話題を変えることにする。


「それより、お前達のことを聞かせてくれよ。こうして見ると結構いいパーティっぽいけど」

「うん? まぁ、その辺は見ただけで分かるか」


 そう言いつつも、褒められて悪い気はしないのだろう。ハウルの表情には少しだけ嬉しそうな笑みが浮かぶ。


「見たところ魔法使いはいないようだけど、遠距離は弓があるしな」


 痩身のオディロンは弓を持っており、小柄なニコールは盗賊。そしてハウルはシミターを持ち、カルディナは槍を持っている。

 戦士二人に弓術士が一人、盗賊が一人。近距離、中距離、遠距離の攻撃と探索役の盗賊と、かなりバランスの取れているパーティなのは間違いなかった。

 異名持ちの冒険者であるレイに褒められたのが嬉しかったのだろう。四人ともが嬉しそうな表情を浮かべる。


(それにパーティの結束も固いのは、サンドリザードマンから逃げているのを見れば明らかだったし)


 パーティの仲が険悪であれば、最悪誰か一人を捨て駒にしてサンドリザードマンの生贄としてその場に残すということも有り得る。

 そのような真似をせず、全員が協力して逃げていたのを見れば結束の高さは理解出来た。もっとも……


(今回は助かったが、全員で逃げるのが必ずしも最良の選択って訳じゃないんだけどな)


 内心で呟く。

 もしレイが来なければ、サンドリザードマンに追いつかれていたのは間違いない。

 必死に逃げて体力が少なくなっている状況でサンドリザードマンの集団に襲われれば、どうなるのかは一目瞭然だろう。

 もし誰かが捨て駒になれば、背後から追ってきていたサンドリザードマンは足を止めざるを得ず、逃げていた他の三人は逃げ延びることが出来た可能性が高い。

 待ち伏せしていたサンドリザードマンを何とか出来れば、の話だが。


「それにしても一匹だけならまだしも、あんなに大量のサンドリザードマンに襲われるとは思わなかったよな。一匹か二匹なら俺のシミターで斬り刻んでやったのに」


 ハウルがそう告げると焚き火の前から立ち上がり、鞘からシミターを抜く。……そう、腰の鞘とレイからは見えなかったが背中の鞘の両方から、だ。


「二刀流?」


 両手にシミターを構えるハウルの姿にレイが呟く。


「ああ、ちょっと珍しいだろ? けど、このシミターは見た目程に重くないからな。片手で持っても……」


 レイの言葉に嬉々として二刀流についての説明を始めるハウルだったが、レイはその説明を聞いてはいない。

 ただ、何かを考え込むようにしながら、自分の両手を見る。


「二刀流……そうか、その手が……」


 何かを考えるようにしているレイの姿に、両手にシミターを持っていたハウルが不思議そうな視線を向けていた。

 だが、レイはその視線に気が付いた様子もなく何かを考え続け……やがて、その場で立ち上がる。

 真面目な表情を浮かべているレイに、何があったのかと砂塵の爪の四人が訝しげな視線を向けていた。

 ここですぐにモンスターが近づいてきていると思って戦闘態勢に移行しなかったのは、少し離れている場所にいるセトが寝転がったままだったからだろう。

 レイが動いたことで顔を上げはしたが、レイを一瞥すると再び目を瞑る。

 砂塵の爪の四人の視線を向けられつつ、レイは少し離れた場所まで移動して立ち尽くす。

 雲一つすら存在せず、大きな月だけが柔らかな月光を砂漠へと注ぎ、幾つもの星々が微かにではあるが自己主張をする。

 砂漠の上では風の音のみが周囲を満たす。

 そんな中、レイはミスティリングから黄昏の槍を取り出す。

 今日のサンドリザードマンとの戦いでも使っていただけに、砂塵の爪の四人もそんなレイを見て訓練でもする気になったのか? といった風に眺めていた。

 しかしその四人が驚いたのは次の瞬間だった。

 右手に持っていた黄昏の槍を左手に持ち変えたレイは、続けてミスティリングからデスサイズを取り出す。

 左手に黄昏の槍、右手にデスサイズ。

 共に長物の武器であり、普通であればどちらか片方ですら両手で保持しなければならないだろう武器。

 また、砂塵の爪の四人は知らなかったが、デスサイズはレイとセト以外が持つと百kg近い重量となる。

 そこまでは知らずとも、柄の長さ二m、刃の長さ一mという武器だ。それがどれだけの重量の武器かというのを想像するのは難しくない。

 そんな四人が見ている中で、レイはまず最初に左手の黄昏の槍を一閃し、続けて右手のデスサイズを一閃……しようとするが、黄昏の槍の一閃で身体のバランスが崩れており、デスサイズの一閃は非常に歪なものとなった。


「うおっ!」


 デスサイズそのものの重さは、レイにとってはその辺の枯れ木一本よりも軽い代物だ。

 だが重量は軽くても、デスサイズが長物で巨大な武器であるというのは変わらない。

 しかも両手でデスサイズを持っているのであればともかく、今のレイは左手にこちらもデスサイズ同様の長物の黄昏の槍を持っている。

 今までは両手で一つの武器を扱ってきたのが、今回は片手でそれぞれ違う武器を……それも槍と大鎌という長物を持っているのだ。

 当然その両方を使う動きが一朝一夕で出来る訳がなく、レイは砂塵の爪の皆が見ている前で暫くぎこちない二刀流……否、二槍流――片方は大鎌だが――とでも呼ぶべき戦闘スタイルの訓練を続けるのだった。

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