第1104話

 砂上船のテストを一通り終えると、レイは未練を残した様子もなくさっさと砂上船をミスティリングの中へと収納する。

 最初に砂賊から砂上船を奪った時に感じていた高揚感は既にない。

 寧ろ、早いところオークションでもやって手放したいという思いすらあった。

 ミスティリングの中に入っていれば場所を取るといったような問題はないのだが、それでも砂上船のような物を持っているだけで邪魔になるような気がするのだ。


「……ま、砂上船についてはオウギュスト辺りに話を通して貰えばいいか。それよりセト、少し周囲を見て回ろう。未知のモンスターを発見出来るかもしれないしな」

「グルルゥ?」


 いいの? と小首を傾げるセト。

 サンドサーペントの解体もあり、既に今は午後も半ばを過ぎている。

 そんな状況で今からモンスターを探してもいいのかというセトに、レイは問題ないと頷きを返す。


「大丈夫だって。もし何かあってもセトならすぐにでもゴーシュに戻れるだろ?」

「グルゥ」


 レイの言葉に、セトは同意するように喉を鳴らす。

 ここまでやって来るのに時間は殆ど掛かっていない。

 レイの言う通り、もし何か危険があってゴーシュへと戻ろうと思えば、すぐに戻れるのは間違いなかった。

 それにまだレイと一緒にいたいというセトの思いもあり、結局はレイに言いくるめられた形で周囲にモンスターがいないのかを上空から探すことになる。

 空を飛びながら、十数分。やがてセトは地上の砂漠へと視線を向けて鋭く鳴き声を上げる。

 セトに釣られてそちらへと視線を向けたレイの視界に入って来たのは、巨大な殻を背負ったモンスターだった。


「……ヤシガニ?」


 そのモンスターを見たレイの口から出た一言がそれだ。

 実際、空から見る限りでは、レイが日本にいる時にTVで見たヤシガニに似ているように思えた。

 当然モンスターである以上、違うところもある。

 その最たるものが、殻を覆っているスライム状の物質だろう。

 半透明のその液体は、ヤシガニの殻を覆いながらも蠢いている。

 まるでそのスライム状の物質そのものがヤシガニとは別に意識を持っているかのように。


「それでもヤシガニ型のモンスターには違いがないけど……何だって砂漠でヤシガニ?」


 レイの認識では、ヤシガニというのは熱帯雨林のような場所に住んでいるというイメージがある。

 あるいは、沖縄のような暑い場所か。

 この砂漠は暑いというより熱いと表現すべき場所ではあるが、水分が致命的に不足している。


「いや、そもそもモンスターならそういう常識は通用しないか。だからこそ、モンスターと言われてるんだろうし」


 通常の動物とは大きく違い、常識外れの能力を持つ者が多い。

 ……もっとも、モンスターにとっては自分達よりも更に常識外れなレイに言われたくはないだろうが。


「グルルルゥ?」


 倒すの? と自分の背に乗っているレイへと視線を向けるセトに、レイは当然と頷きを返す。

 未知のモンスターの魔石を求めてやって来たのだから、当然ヤシガニ型のモンスターを見つけた今は倒すと判断する。


「当然倒す。ただ、どう攻撃すればいいのかが問題だな。ただのヤシガニなら何とでもなるだろうけど、あのヤシガニは殻をスライムみたいなので覆っているし、何より巨大だ」


 比較対象がないので正確には分からないが、それでもこれまでの経験からヤシガニの足から殻の天辺までの高さは三m程度はあると思われた。

 ヤシガニという形式のモンスターであるが故に、全長という意味では驚くものはないのだが。


「それに、ヤシガニは食べることが出来た筈だ。……うん? だよな。確か食べられるってTVでやってたような……それとも毒を持ってたか?」


 うろ覚えのレイは、以前見たTVの内容を正確に思い出そうとするものの、ヤシガニを食べている光景しか思い出せない。

 正確にはヤシガニ自体にフグのような毒はないのだが、雑食性のヤシガニが食べている餌によっては毒を持つ。

 それ故、きちんと食用に飼育されたヤシガニであれば食べても問題はないのだが、野生のヤシガニは食べない方がいい。

 そんな事情を知らないレイは、次にモンスター図鑑の知識を思い出そうとしてみるが、残念ながらモンスター図鑑には載っていない種族だった。


「ってことは、倒してみるしかないか。食べられるかどうかってのは、ギルドにでも行って聞けばいいし。セト、どっちが倒す?」


 レイもセトも、どちらもヤシガニのようなモンスターを容易に倒すだけの実力は持っている。

 何匹もいれば話は別かもしれないが、こうして一匹だけしかいないのであれば、全く問題はない。

 そんなレイの問い掛けに、セトは自分がやる! と喉を鳴らす。

 自分がやるのであれば黄昏の槍を使おうと思っていたレイだったが、セトがやりたいというのであれば任せてもいいだろうとセトの背を軽く叩く。


「分かった。じゃあ、俺が背中に乗ってれば邪魔だろうし、一旦降りるな。ついでにあのヤシガニの注意を引くから」


 それだけを告げると、そのままレイはセトの背から飛び降りる。

 ……そう。空中で、だ。

 地上百m程の位置にいるセトの背から飛び降りたレイは、当然地上へと向かって落下していく。

 自分の身体で空気を斬り裂く音を聞きながら、レイはふと巨大蝉と戦っていた時のことを思い出す。


(そう言えば、あれを試すのを忘れてたな。今やればヤシガニが怯えて戦闘不能になるから……試すにしてもまた後で、か)


 真っ直ぐに地上へと落ちていくレイは、その事実に全く恐れた様子がないままに考える。

 落下地点が砂漠であっても、地上百mの高さから落ちれば当然ただでは済まない。

 それでもレイが焦っていないのは、それでも大丈夫だという思いがあったからだ。

 ゼパイルという魔人と呼ばれる程の人物が作りだした身体もそうだし、何より……


(これがあるし、な)


 落下している中でスレイプニルの靴を発動。

 するとレイが落下している速度は一瞬で止まり、身体に軽い衝撃が走る。

 そのまま止まった場所から空中を蹴って、何度か続けてスレイプニルの靴を使用しながら砂漠の上へと降りる。

 砂漠に着地した時には、既にレイの落下速度は殆どが殺されていた。

 本来なら足音を完全に殺して砂漠の上に着地も出来たのだが、それをしなかったのはヤシガニの注意を自分に引き付けるという目的があった為だ。

 そんなレイの考えは的中し、ヤシガニは自分から少し離れた場所へと着地したレイに気が付く。


「ギャアアアアアアア!」

「……は?」


 ヤシガニから聞こえてきたその雄叫びに、レイは少しだけ意表を突かれた表情を浮かべる。

 恐らく威嚇の咆吼だと思われる声が、どう聞いても人間の悲鳴にしか聞こえなかった為だ。

 それでも一応何かあった時の対処の為にと、ミスティリングからデスサイズを取り出して構える。


「ギャアアアア!」


 再度ヤシガニから聞こえてくる、悲鳴のような雄叫び。


(どうやら、本当にあの悲鳴が雄叫びで間違いないらしい。……正直、微妙だけど)


 デスサイズを構えながら、近づいてくるヤシガニを待つ。


「ギャアアアアアアアア!」


 再度の悲鳴と共に、ヤシガニの殻の部分を覆っていたスライム状の物質が鞭状になってレイへと襲い掛かる。

 てっきりヤシガニの持っている巨大なハサミを使った攻撃をされるのかと思っていただけに、レイの顔には少しだけ意外そうな表情が浮かぶ。

 それでも、自分目掛けて真っ直ぐに飛んでくる何本ものスライムの鞭を黙って受け止める気はない。

 ドラゴンローブの防御力があれば問題なく防げそうではあったが、それでもレイとしてはそんな真似はする気がなかった。


「飛斬!」


 レベルが五になり、以前とは比べものにならない程の威力を持つようになった、飛ぶ斬撃が真っ直ぐにスライムの鞭目掛けて飛んでいく。

 スライムで出来た鞭を容易く斬り裂き、あらぬ方へと飛んでいく斬撃。


「ギャアア!?」


 ヤシガニにとっても、その結果は予想外だったのだろう。驚きの色が濃い声を上げ……


「グルルルルルルゥ!」


 そんな雄叫びと共に、セトが上空から落下……いや、降下してくる。

 振るわれる一撃は、鞭が斬り飛ばされてしまった分容量の少なくなったスライムを容易く通りすぎ、その下に存在していた殻へと向かって振り下ろされた。

 パワークラッシュ……ではなく、ただの一撃。

 それでも剛力の腕輪とセト自身の身体能力、そして上空約百mからの落下から放たれた一撃は容易くヤシガニの殻を砕く。

 周囲に響く破壊音。

 それはレイにとっては耳障りな音であったが、ヤシガニにとってはそれどころではない。

 本来なら自分が隠れることが出来る、最後の砦とも呼べる殻が砕かれてしまったのだから。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアア!」


 元々の鳴き声は人間の悲鳴らしい声だった。

 だが、殻を破壊された今となっては、その悲鳴は文字通りの意味で悲鳴と呼んでもいいだろう。

 殻という部分である以上、痛みらしい痛みはないのだろうが、自分の最後の砦ともいえる殻を破壊されてしまったのは精神的なダメージとして大きかったのだろう。


「ギャアアアアアアアアアアッ!」


 そして当然のように自分の殻を破壊されたヤシガニが怒りを覚えない筈はなく、今の一撃で砂漠に着地したセトへと向かって巨大なハサミを裏拳気味に叩きつける。

 そこにいるのがセトだと……グリフォンだというのは理解しているのだろうが、それでも怒りによって半ば我を忘れているのだろう。

 普段であれば、相手がグリフォンだと知れば逃げ出してもおかしくはないのだが……それだけヤシガニの怒りは強かった。


「グルルゥ!」


 だが、セトもヤシガニがそんな攻撃を繰り出してくるというのは予想しており、砂地を蹴って後方へと下がる。


「グルルルルゥ!」


 そして空中にいる間に素早くウィンドアローを発動し、着地するや否や一度に放つ。

 十五本の風の矢は、その名に相応しく風の速度でヤシガニへと襲い掛かっていく。

 だが、殻を失ってもヤシガニのハサミや身体は頑丈な甲殻に包まれており、セトの放つスキルの中でも威力の低いウィンドアローでは致命的な傷を負わせることは出来なかった。

 しかし、そんなヤシガニを見てもセトに焦った様子はない。

 ウィンドアローはあくまでも牽制の一撃でしかなく、ヤシガニの動きを多少であっても止めることが出来ればそれで十分だったのだから。

 動きが一瞬ではあるが止まったヤシガニに対し、セトはクチバシを大きく開き……


「グルルルゥッ!」


 雄叫びと共にクチバシからファイアブレスが放たれ、正面からヤシガニへと命中する。

 砂漠の中に広がる、香ばしい匂い。


(焼いたカニだな。……俺はエビ派だけど)


 周囲に漂う食欲を刺激する匂いに腹を鳴らしながら呟くレイだったが、当然その間も戦いは続いていた。


「ギャアアアアアアアアアアアアッ!」


 ヤシガニから絶叫が放たれ、同時に地面が盛り上がってセトのファイアブレスを遮る。


「グルルゥ」


 それを見ていたセトは、面白いと言いたげに喉を鳴らす。

 エグジルにあったダンジョンではなく、本物の砂漠に住んでいる相手に自分のスキルがどの程度の効果があるのか。

 それを確認するように攻撃をしているセトを見て、レイは特に何も感じた様子もなく周囲を見回す。

 ここまでの戦いを見ただけでも、セトの勝利は揺るぎないと判断した為だ。

 周囲にあるのは、延々と続く砂の海。

 午後になり、日射しも大分傾いてきてはいるのだが、それでも太陽から降り注ぐ直射日光は砂漠の砂を熱し続ける。


(夏の太陽で熱された車のボンネットを使って目玉焼きを焼くとかいうのを見たことがあるけど、ああいうのとか普通に出来そうだよな)


 視線を戦いが行われている場所から逸らすと、そこでは遠くの景色が揺れて見える……陽炎がある。

 蜃気楼の類は見えなかったが、陽炎を見ただけでもどれくらいの暑さなのかは容易に理解出来た。


「グルルルルルゥ!」


 その叫びにセトの方へと視線を向けたレイが見たのは、クチバシから無数の泡を放っている光景だった。

 泡が破けると粘着性の液体となる、バブルブレス。

 ここでそのスキルが出てくるとは思わなかったレイは、少しだけ驚く。

 だが、その選択は悪いものではなかった。

 自分の殻を破壊され、更に炎によって炙られたヤシガニは見るからに怒り狂っており、まともな判断は出来なかったのだから。

 砂の壁を使ってセトの視線を遮ったにも関わらず、その場から全く動いてなかったのがその証拠だろう。

 離れた場所から見ていたレイには、ヤシガニの身体に力が入っているのが見て分かった。

 突撃に際して砂の壁を破壊しようとしているのだろうというレイの予想通り、ファイアブレスが終わったのを見計らったように砂の壁を破壊してセトとの距離を縮めようとしたヤシガニだったが、砂の壁を破壊した瞬間にバブルブレスが顔面へと命中する。


「ギャアアアアアアアアッ!」


 雄叫びか、悲鳴か……ともあれ、そんな声を上げたヤシガニが最後に見たのは、自分との距離を縮めて前足を振り下ろそうとしているセトの姿だった。

 そしてパワークラッシュの一撃はあっさりとヤシガニの命そのものを砕く。

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