第1095話

 レイやオウギュスト達の前から逃げるように走り去ったダリドラは、神経質そうな顔に焦りを浮かべながらゴーシュの街中を歩いていた。

 いや、その速度は既に走っていると表現するのが正しいだろう。

 ゴーシュでも大きな商会として有名なエレーマ商会の会頭だけに、ダリドラはいい意味でも、悪い意味でも顔を知られている。

 それだけにダリドラがいつもと違う様子なのは非常に目立っていたのだが、本人は全くそのことに気が付いた様子はない。

 今ダリドラの頭の中にあるのは、レイのことだけだ。


(ミレアーナ王国、ギルム、レイ、グリフォン……間違いない、あの男はミレアーナ王国とベスティア帝国の戦争で多大な功績を挙げた、深紅の異名を持つ男でしょう。ですが、何故こんなゴーシュなんて砂漠に? 偶然立ち寄っただけだと言ってましたが……)


 先程のレイの姿がダリドラの脳裏を過ぎるが、それを信用するような真似は出来ない。

 あまりにも都合が良すぎるのだ。

 砂上船まで使ってオウギュストを仕留める算段を立てたのに、それを妨害するように姿を現した異名持ちの冒険者。

 ……レイの名前が広まったのはベスティア帝国の闘技大会や内乱といった要素もあったのだが、残念なことに弱小国の……それも首都ではない街にいては、そこまでの情報は手に入れられなかったらしい。


(とにかく、レイは危険です。何が不味いって、オウギュストに協力しているのが不味い。こちらに引き込めれば最適なのですが……無理でしょうね)


 完全ではないが、ダリドラはレイの情報を知っている。

 その情報を考えると、今の自分に手を貸すような真似をするとは絶対に思えなかった。


(それに、砂上船を彼に奪われたのは非常に痛い。全く、砂賊共もレイが合流する前に行動を起こしてオウギュストを仕留めれば良かったものを。忌々しい)


 エレーマ商会にとっても、そして自分にとっても、大きな財産であった砂上船がなくなったのは非常に痛い。

 オウギュストが持っているのであれば、交渉を持ちかけたり、最悪の場合は強引に奪うといった手段も存在しているが、レイを相手にそんな真似が出来るとは思えなかった。


(いえ、そう言えばレイはマジックアイテムを集めるのを趣味としていた筈。なら、砂上船はいっそのこと必要経費と考えてもいいかもしれませんね。厳しいですが、砂上船と同ランクのマジックアイテムでこちらに引き抜けば……)


 そう考えるも、レイが自分を見る目を思い出すととてもではないが自分の陣営に寝返るとは思えない。

 それどころか、破滅する未来しか思いつかなかった。


(どうする……もうあの件は動き出している。今から止めるにしても、エレーマ商会の財産の多くを使っているのですから、ここで手を引けば負債のみが残ることに……だとすれば……)


 歩きながらも眉間に皺を寄せているダリドラは、誰が見ても不機嫌に見える。

 そんなダリドラに話し掛けるような真似をすればどんな被害を受けるか分からないと、ダリドラの進行方向にいる者達はそれぞれ道を空けていく。

 砂漠特有の暑さに苛つくように空へと視線を上げたダリドラは、ふとレイが言っていたことを思い出す。

 偶然このゴーシュに寄ったのだと。

 砂賊の襲撃の現場に居合わせたのは運が悪かったが、それでもレイがこの地に永住するつもりでないのならまだ好機はある筈だった。

 レイの言葉は完全に信用出来ないのだが、それでも現在はその言葉が正しいことを祈るしかない。


(一時的に動くのを止めて、レイがいなくなってから再び動く。……これしかないでしょうね)


 考えが纏まると、ようやくダリドラは自分の護衛や取り巻き達が周囲にいないことに気が付く。


「ふむ、多少査定を考えなければなりませんか」


 呟き、背後から自分を追ってくる足音が聞こえ、そちらへと振り向くのだった。






 ダリドラが逃げるように去って行った後、当然ながらその場にいた者達の視線はレイへと集まる。

 お前は一体何をした。あからさまにそう視線で尋ねられたレイは、少し考えてからいつまでも黙っている必要もないかと口を開く。


「そうだな。俺のことを教えるのもいいけど、どこかいい宿を教えてくれないか? 出来れば料理の美味い場所がいい」

「ここで誤魔化すのか。……そうだな、予算的にはどのくらいだ?」

「特に気にしない。金には困ってないし。ああ、けどセトも一緒に泊まれる場所がいい」


 予算は幾らでもいいというレイの言葉に、周囲にいた者達が驚きの表情を浮かべるも、すぐに納得する。

 レイのような見た目の子供が何故それ程の金を持っているのかという疑問を抱き、次の瞬間にはレイの側にいるセトを見て、グリフォンを従魔にしており、あれだけの強さを持つ冒険者であれば当然だろうと。

 尚、現在のレイは当然のようにドラゴンローブのフードを被っている。

 ゴーシュに住んでいる住人は、その殆どがダークエルフ程ではないにしろ褐色の肌の持ち主だ。

 そんな中で、レイのような白い肌の持ち主は非常に目立つ。

 ザルーストからその辺を忠告され、こうして現在は顔を隠していた。


「そうだな、食事が美味い宿ってのは色々あるが……セトが泊まれる厩舎を備えている場所となると難しい。特にダリドラと敵対している現状だと……」

 

 ゴーシュの中でダリドラと、そしてエレーマ商会と敵対しているとなれば、当然のようにその影響を受けざるを得ない。

 そしてセトを泊めることが出来る厩舎を持つ宿は全てが高級宿であり、エレーマ商会との関係が深くなるのは当然だった。


「最悪、どこか土地を貸して貰えばテントで寝起きするけどな」


 レイの口から出た言葉に、周囲の者達は可哀相といった表情を浮かべる。

 だが、それはレイの持っているテントがマジックテントだというのを知らないからこその視線だった。

 マジックテントの中は、その辺の宿とは比べものにならないくらいに設備が整っており、非常に過ごしやすい。

 暮らす上で必要になる水に関しても、レイの場合は流水の短剣がある以上は気にすることはない。

 それを知らないのだから、今のような視線を向けてきても仕方がなかった。

 そんな中、不意にオウギュストが口を開く。


「レイさん、もし良ければ私の家に来ませんか? 幸いうちにはセトが入っても大丈夫な厩舎はありますし、妻も客人を歓迎するでしょう。部屋の方は高級宿並とは言えませんが……料理は高級宿に引けを取らないと思いますよ?」


 妻の料理の腕について告げるオウギュストは、その味を思い出しているのだろう。目の中にうっとりとした光が宿っていた。


「あー、レイ。オウギュストさんは愛妻家だからな。いつまでも仲のいい夫婦という表現すればいいんだろうが」


 熱々ぶりに当てられるから、出来ればオウギュストの家に泊まるのは止めた方がいいかもしれないと、ザルーストはレイへ忠告するように告げる。

 だが、そんなザルーストの言葉にレイは難しい表情を浮かべていた。

 セトを連れて泊まれる店にはエレーマ商会の影響力がある以上、レイに取れる手段はマジックテントを使った野宿か、オウギュストの家に泊まるというものだけだ。

 マジックテントを使えば自分の好きなように時間を使えるが、食事の用意を自分でしなければならない。

 オウギュストの家に泊まれば夫婦の熱愛ぶりを見せつけられることにはなるだろうが、食事の用意をしなくてもいい。……勿論レイやセトの食事量を考えると相応の料金を支払う必要はあるだろうが。

 どちらがいいのかと考えるが、どうせならこの地方の料理を食べることが出来るオウギュストの家への宿泊へと傾くのは止めることが出来なかった。

 この地方の料理という意味では、屋台もあるのだが……エレーマ商会の影響力を考えると、下手な店で食べることは出来ないという思いもある。


(うん? じゃあ、オウギュストの嫁さんはどうやって食事の材料とか買ってるんだ? エレーマ商会がそんなに強い影響力を持っているなら、店で食材を売って貰えないと思うんだけど)


 そんな疑問を抱いたレイだったが、その疑問に答えが出る前にオウギュストが迫ってどうするのかを尋ねてくる。


「レイさん、どうします? 私としては、是非一緒に来て欲しいのですが。妻にも自分の命の恩人だと紹介したいですし」

「……あー、うん。分かった。なら世話になる。セトの分も合わせて食費は渡すから、安心してくれ」

「食費の心配とかはしなくてもいいのですが」


 命の恩人なのですからと告げるオウギュストだったが、砂上船というマジックアイテムを手に入れ、砂賊も奴隷として売ることになっているのだから懐に余裕はある。

 ダンジョンの擬似的な砂漠ではなく本物の砂漠という、レイにとっては未知の領域だった為に本拠地を聞いてもそこを見つけるのが難しいだろうと判断してそちらは放っておいてはいるものの、少し余裕が出来たらそちらを探してみてもいい。


(まぁ、その前に誰かに荒らされている可能性は高いけど)


 砂賊の本拠地である以上、当然そこには色々なお宝が存在しているだろう。

 そして、レイによって砂賊の殆どが捕らえられた以上、その本拠地に砂賊はいないか……いても少ない筈だった。

 そんな絶好の獲物を前にして、他の砂賊や……もしくは冒険者が黙って見過ごすか。

 自分のこれまでの行いを考えれば、その答えは否であるのは間違いがなかった。

 もっともそれは盗賊喰いと恐れられたレイだからこそというのもあるのかもしれないが。


「まぁ、食費の件は後で話し合うとして……いつまでもここにいては他の人の迷惑になりますね」


 興奮していたのが落ち着いたらしく、オウギュストは周囲を見回しながら呟く。

 現在レイ達がいるのは、ゴーシュに入ってからまだそれ程進んではいない場所だ。

 そんな場所で、オウギュストが持っている馬車や駱駝、その護衛の冒険者といった者達が集まっているのだから非常に目立っており、他の通行人達の邪魔になっているのも事実だった。


「そうですね。俺達も護衛の依頼が完了したとギルドに行かなければなりませんし。……レイ、お前はどうする? ギルムで活動していた冒険者なら、ゴーシュでは周囲に敵う者がいない程の実力を持ってるだろうが」


 サンドサーペントや砂賊との戦いを見れば、レイの外見で侮るといった真似が出来る筈もない。

 また、従魔のセトがいることを考えても、レイを実力不足だと言うような者がいる筈もない。


(唯一の不安要素は……)


 ザルーストがフードを被っているレイを見て、不安要素を考える。

 見るからに小柄なレイは、まずその見た目で侮られることになるだろう。そしてフードを下ろせば、ソルレイン国の人間ではないというのを示すかのような白い肌と、女と見間違うかのような顔立ち。

 男らしい男が尊敬されるこの国では、レイのような外見で冒険者をやっているとなれば間違いなく侮られ、絡まれる。

 グリフォンを従魔にしているというのも、レイの力ではなくセトの力で強がっていると思われて侮られる原因となるだろう。

 ザルーストや他の冒険者達も、最初の一撃でサンドサーペントを仕留めるところを見ていなければ、レイを侮っていたかもしれない。


(エレーマ商会が雇っているような腕利きの冒険者なら話は別かもしれないが……な)


 腕利きというのは稀少であり、未熟な者の方が多いのは当然なのだから、そのような者達にレイの強さを感じ取れというのは理不尽だ。

 ゴーシュのギルドにいる冒険者がいらない怪我をしないように、レイには自分達と一緒にギルドに行ってもらうのが最善の選択だった。

 依頼を受ける訳でもなければ、基本的に冒険者がギルドに顔を出す必要はないのだが……


「サンドサーペントの素材とかも売るんだろう?」


 レイと出会った時に遭遇した巨大なモンスターの姿を思い出して尋ねるザルーストに、レイは頷きを返す。


「ああ、討伐証明部位は吹き飛ばしたけど……皮は売れるって話だしな」


 ゴーシュへとやってくる途中でザルーストから聞いたサンドサーペントの情報を思い出しながら告げるレイに、その情報を教えた本人は頷く。


「防具の素材としてそれなりに高額で引き取って貰える筈だ。内臓の中にも何ヶ所か売れる部分はあるし、肉も売れるんだが……」


 肉という場所で、レイは首を横に振る。


「セトが食べてみたそうにしてたから、そっちにやる」


 そう言いつつ、レイは蛇肉を食べようとは考えていない。

 人型のオークやオーガ、サイクロプスといったモンスターの肉は平気で食べるレイだったが、蛇というのはどうにも食べる気にはならなかった。

 ワイバーンの肉を食べ、日本にいた時はウナギや穴子、ヤツメウナギ、ちょっと変わったところではウツボといった食材は好んで食べたのだが、蛇を受け付けないのは傍から見ると疑問しかないだろう。


「それなりに高級品なんだけどな。取りあえず後でオウギュストさんに合流するにしても、今はギルドに行っておくか」


 その言葉と共に、レイは一旦オウギュストと別れ、ザルーストを含む護衛の冒険者達とギルドへと向かうのだった。

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