第1096話

 ゴーシュのギルドは、当然のようにレイにとって初めて見る建物だった。

 それでもどこか懐かしく感じるのは、やはりレイがギルドという場所に慣れている為だろう。

 ただ、見知ったギルドではない以上違いも多くある。

 馬車や従魔用のスペースにいるのが巨大な蜥蜴のようなモンスターや駱駝であったり、ギルドの壁が砂や強烈な日光にたえられるように特殊な塗料を塗り込められていたりと。

 大きさもギルムのギルドに比べると大分小さい。

 ……もっとも、大国であるミレアーナ王国の中でも唯一存在する辺境にあるギルドと、そのミレアーナ王国の従属国のソルレイン国……それも栄えてはいても首都という扱いではない街のギルドを比べるのが間違っているのだが。


「セト、じゃあいつものように頼むな」

「グルルゥ」


 レイの言葉にセトは短く鳴き、そのまま待機用スペースへと向かう。

 そんなセトを見て蜥蜴や駱駝は声も出せない程に固まってしまった。

 少し寂しそうにしたセトだったが、それでもここで自分が鳴き声を上げればより怖がられるというのは理解しているのだろう。その場に寝転がる。

 砂漠の日光がこれ以上ない程元気に降り注いでおり、とてもではないが昼寝など出来るような温度ではないのだが、セトはそれを全く気にした様子もない。

 ランクAモンスターであるグリフォンだけに、セトにとってはこの程度の温度は快適に過ごせる誤差の範囲内なのだろう。

 そしてグリフォンが堂々と寝ていれば当然周囲の者達に注目されることになるのだが、そんなグリフォンに近づこうと考える者は今のところいなかった。


「レイ、行くぞ」


 セトと別れたレイは、ザルーストに呼ばれてギルドの中へと入っていく。

 それを見た周囲の者達は、グリフォンを従魔にしており、まるで犬や猫のように可愛がっているレイの姿が強く印象に残る。


「へぇ、やっぱり酒場が併設されてるんだな」


 ギルドの中に入って真っ先にレイが口にしたのが、それだった。

 今まで見てきたギルドも、全て酒場が併設されていた。だからこそゴーシュのギルドでも酒場が併設されているのを見ても特に驚きはしない。


「ん? ああ。依頼が終わった後とか、食事とか、打ち合わせとかで色々と使うからな。料理も値段はそこそこで、味もそこそこだし」

「じゃあ、ギルドでの顔見せが終わったら早速寄ってみるか?」

「時間があればそれもいいんだが、お前はこの後オウギュストさんと待ち合わせだろう?」


 ザルーストの言葉に、そうだったとレイは納得の表情を浮かべる。

 料理自慢のオウギュストの妻の作ってくれた料理を食べるのを思い出し、レイは苦笑を浮かべるが……そんなレイとザルーストの姿に、ギルドの中にいた冒険者、酒場で飲み食いしていた冒険者がそれぞれ驚愕の表情を浮かべていた。

 それも当然だろう。ザルーストはこのゴーシュではそれなりに有名な冒険者だ。

 そんなザルーストと、レイのように小柄な人物が対等に口を利いているのだから。


「お、おい。あの子供……子供か? いや、とにかく、何だってザルーストさんと対等に話してるんだ?」

「オウギュストさんの関係者だったりしないか? ほら、ザルーストさんは確か緊急でオウギュストさんの商隊の護衛依頼を受けてただろ?」

「それは……有り得る、のか?」

「いや、でもだからって、あのザルーストがあんな風な口を利かせるか?」

「……けっ、ザルーストの野郎も落ちたもんだな。あんなガキによ」


 もし、レイがギルドに入る前の光景……セトを相手にしていた姿を見ていれば、こんな思いを抱く者はそれ程多くはなかっただろう。

 それは不運でもあったし、自分達が想像出来ないような光景を目にしなくても良かったという意味では、幸運でもあった。


(これでレイは俺と親しい相手だという認識を持って貰っただろう。……レイに妙な考えを抱いている者も何人かいるようだが)


 ザルーストは耳を澄まして周囲の様子を聞き取り、大体の目的を達成したと判断する。

 レイに絡むような真似をすれば、間違いなくザルーストと敵対するようになると認識されたのだ。

 もっとも、ザルーストが考えたように敢えてレイに絡もうと思っている者もいたのだが……その辺はザルーストもどうにかするつもりはない。

 全てを知り、その上でレイに絡むのだとすれば、それは自業自得だろう。


「では、レイ。俺は依頼の達成を報告してくるが……お前はどうする?」

「そうだな、サンドサーペントの解体をしてくれる冒険者を募集したい」

「ああ、それなら気にするな」


 レイの言葉に、ザルーストがあっさりとそう告げ、言葉を続ける。


「サンドサーペントの解体なら、俺達が引き受ける。レイに助けて貰った命だ。そのくらいの借りは返させてくれ」


 命を助けて貰ったとザルーストが口にしたことにより、周囲が再びざわめく。

 だが……そんなザルーストの言葉に一人の男が笑みを浮かべながら座っていた酒場の席から立ち上がり、近づいて行く。


「へっへっへ。おいおい、ザルーストさんよ。ちょっと大袈裟に言いすぎじゃねえか? そんな奴にサンドサーペントを倒せる訳がないだろ?」


 にやついているその男は、最初からザルーストの言葉を嘘だと決めつけていた。

 身長は二m以上あり、身体も筋肉の鎧で覆われている。

 特徴的なのは、髪の毛が一本もないその頭だろう。剃られた頭には、髪の毛の代わりだと言いたげな刺青が彫られていた。

 腰にはシミターの収まった鞘があり、典型的なパワーファイターといった感じだ。


「ゴルカスか。別に俺は出鱈目を言っている覚えはない。それは、お前の飼い主に聞けばよく分かると思うが?」


 飼い主という言葉が、ゴルカスと呼ばれた男は気にくわなかったのだろう。刺青に血管を浮かび上がらせながら口を開く。


「おう、ザルースト。俺が誰の飼い犬になってるって? あまりふざけたことを言ってると、その腕へし折るぞ」


 睨み付けながら告げるゴルカスは、一般人が見ればすぐに謝罪を口にするだろう。

 だが、ザルーストはそんなゴルカスを目の前にして、鼻で笑う。


「ふんっ、威勢だけはいいな。お前がエレーマ商会に雇われているというのを、俺が知らないとでも思ってるのか?」

「俺は冒険者だ。それが雇われて、何が悪い?」

「別に悪くはないさ。ただ、少しは自分の頭でものを考えるようになった方がいいとは思ってるけどな。ティラの木の件、俺が知らないと思ってるのか?」

「それがふざけてるっつってんだよ!」


 ザルーストの襟首へと手を伸ばしたゴルカスだったが、結局その手首は襟首へと届く前に動きを止める。

 ……そう、レイの手によって。


「なっ!?」


 そのことに驚いたのは、当然の如くゴルカスだった。

 レイに掴まれた手首が、まるで空間そのものに固定されたかのように、僅かにすら動かせないのだ。

 見た目は自分よりも頭一つ分……下手をすれば二つ分程も小さいレイが、だ。

 何が起きているのか理解出来ないと言いたげに、自分の手首とレイの顔を見比べるゴルカス。


「おい、ゴルカスの奴、何をしてるんだ?」

「さぁ? ……まさか、あのレイって奴に手を掴まれて動かせないのか?」

「はっ、それこそまさかだろ。力だけならザルーストにも負けないって普段から言ってるような奴だぞ? それがあんな子供に手首を掴まれたくらいで身動き出来ないなんてことになったら、恥だろ、恥」


 周囲で囁かれている声に、ゴルカスの頭部の血管はより大きく浮き上がる。

 それがゴルカスがどれ程力を入れているのかというのを意味していたが……その力を受けているレイは、フードを被っている為に顔は見えないものの、微動だにしていないというのは、誰の目からも明らかだった。

 何だかんだと自分がこのギルドで一目置かれているのは、高ランク冒険者にも負けないだけの力があるからこそだ。

 それなのにこんな小柄な人物に力で負けてしまえば、自分は明日から確実に侮られる。

 絶対にそれは我慢出来ないと、ゴルカスは押さえられていない方の手で拳を握り、レイのフードを被っている顔面へと向かって叩きつけ……ようとしたその瞬間、身体全体に激しい衝撃を感じ、やがて強烈な痛みが襲ってくる。


「ぐおおおぉっ! くっ、くそがぁっ! 一体何しやがった!」


 いつの間にか自分がギルドの床に倒れていたのに気が付き、痛みに呻きながらも上半身を起こす。


「何が起きたかも理解していないのか? 何だ、ただの力自慢か」


 レイの口から出た言葉はそれだった。


「何ぃっ! このクソガキが!」


 苛立ちも露わに立ち上がり、再びレイへと拳を振りかざそうとして……


「その辺で止めておけ。本当に何があったのか理解出来なかったのか? お前はレイに投げ飛ばされたんだぞ」


 ザルーストの言葉にゴルカスは信じられないといった表情でレイを見る。

 殴ってやろうとした動きを見せた瞬間、レイはゴルカスの手首を掴んだまま強引に床へと叩きつけたのだ。

 技も何もない、純粋な身体能力だけで行われたその投げは、だからこそそんな真似をされて気が付かない筈はなかった。

 そんな真似をするには、相手を圧倒するだけの能力がなければならない。

 それを、レイは今皆の前でやってみせたのだ。

 既に、周囲の冒険者達が……そしてギルド職員ですらレイを見る目は最初とは随分と違っている。


(予定とは違ったか……結果的に最善の選択だったってところか)


 未だに事態を理解していない……より正確には理解したくないゴルカスを見ながら、ザルーストはレイへと声を掛ける。


「レイ、一応ギルドの受付にお前のギルドカードを見せたらどうだ? その義務とかはないが、そうすればいらない騒動に巻き込まれるような事はなくなるぞ」

「……分かった」


 若干不満そうにしながらも、レイはゴルカスを一瞥してカウンターへと向かう。

 既に夕方に近くなっているのだが、そこに並んでいる冒険者の数はそれ程多くはない。


(いや、ギルムと比べるのが間違ってるんだけど)


 そして、カウンター前に並んでいる冒険者達は、レイが近づいてくるのを見ると無言で場所を空ける。

 本来ならそんなことをする必要はないのだが、今の出来事を見てそんな事は言っていられないと、そう思ったのだろう。

 周囲からは畏怖の視線を向けられるが、レイとしてはこれまでに何度となく経験してきた視線だ。

 そんな視線を向けられても、特に気にした様子もなくギルドのカウンターへと向かう。

 この場合、不運だったのはレイが向かった先にいた受付嬢か。

 今まで見た事もない人物が、真っ直ぐ自分の方へと向かって歩いてくるのだから。それも、乱暴者として有名だったゴルカスをあっさり手玉に取るような者が。

 それでもギルド職員として感情を表に出すようなことはせず……それどころか、笑みすら浮かべてレイへと話し掛ける。


「ようこそ、ゴーシュの冒険者ギルドへ。先程のザルーストさんとの話を聞いてましたが、何でもギルドカードを見せて頂けるとか」


 レイへと向けた笑みは、ギルドの花として相応しい魅力的なものだ。

 二十代の女らしい、色気のある笑み。

 日に焼けた肌と合わさり、それは周囲の誰もが見とれるような笑みなのは間違いない。

 ただ一つ受付嬢にとって誤算だったのは、その笑みを向けられたレイが何も感じていないように思えることか。

 だが、それも無理はない。レイはマリーナという……それこそ女の艶をそのまま人に――正確にはダークエルフだが――したような人物と何度も会っているのだ。

 目の前の受付嬢は、マリーナに比べれば女らしさという意味では明らかに下だった。


「これが俺のギルドカードだ」


 そう告げられ、受付嬢は自慢の笑みに何の反応もしないレイに少し不満を抱きつつ、カードを受け取る。

 そして目を通し……受付嬢の動きが止まる。

 三十秒程動きの止まった受付嬢に、ことの成り行きを見守っていた周囲の冒険者達は何が起きたのかと視線を向けるが……今の状況で声を掛ける勇気は持てなかった。

 やがて動き出した受付嬢は、フードを被っているレイの顔を見て、恐る恐るといった様子で口を開く。


「よろしければ、その……フードを下ろして貰っても構いませんか?」


 緊張を隠せない受付嬢の言葉に、レイは無言でフードを下ろす。

 そこから現れたのは、女顔と表現するのが相応しいだろう容姿。

 レイの顔を見た周囲の者達は、それぞれに反応を示す。

 驚く者が多かったが、中には年下が好みなのかレイの顔に目を奪われている者もいる。

 それでも侮るような反応がなかったのは、やはりゴルカスとの一件をその目で見ていたからだろう。

 そして、レイの顔を見た受付嬢は小さく息を呑む。

 ギルドに勤めている者として、やはりレイの顔は知っていたのだろう。数秒沈黙した後、ゆっくりと口を開く。


「異名持ち……深紅の、レイ」

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