第1094話
ゴーシュというのは、レイの目から見てこれぞオアシスの街! 砂漠の街! といった感じの場所だった。
砂漠にある街ではあっても……いや、砂漠だからこそと言うべきか、ゴーシュを囲むようにして壁が存在している。
見た目だけではギルムとそう変わらない壁なのだが、ギルムと大きく違うのはかなり地下深くまで壁が存在していることだろう。
ここが砂漠である以上、サンドワームやサンドサーペントを始めとして地下を移動するモンスターはかなり多い。
地下を通って街中にモンスターが現れないようにする為には、どうしても地下深くまで侵入を阻止する壁を作り出す必要があった。
……結果として、元々小国であるソルレイン国の財政は一時的に悪化したのだが、それでも長い時間を掛けて利益を生み出して現在はゴーシュを作る時に使った費用を全て回収し、今では黒字になっているのだが。
ともあれ、街中に入る時のやりとりでは既にお馴染みになった感もあるようにセトに驚かれるという一面もあったが、そちらはオウギュストのおかげで何とか取りなして貰い、砂賊を奴隷商に売る為の手続きも終わり、現在のレイはこうしてセトと共にゴーシュを見ていた。
レイの隣では、オウギュストがゴーシュについての説明をしている。
「まぁ、ゴーシュの建設費用は全て取り戻したんですが、それでも時間が経てば色々と問題が出てくるものでして……特に昨今の問題は壁の老朽化ですね」
「あー……うん、それは分かる」
ここが砂漠である以上、当然ギルムのような立地にある場所よりも壁の消耗は激しい。
砂嵐や強烈な日光、夜の強烈な寒さにより、壁は日々劣化していく。
その劣化が限界に達すれば当然壁は壊れ、役目を果たせなくなる。
「ですが、最近はゴーシュにもあまり予算がなくて……ほら、見て下さいあそこ」
オウギュストが示したのは、壁の一画。
ただし、レイの目から見ても分かる程に補修がされた跡があった。
「随分と粗末な仕事だな」
「ええ。ゴーシュに住んでいる身としては、出来ればもっとしっかりとした補修を行って欲しいのですが、一ヶ所や二ヶ所ではないんですよ。本格的に補修をするには、当然相応の材料も必要ですし……」
「けど、それでもちょっと酷すぎないか?」
「……以前はエレーマ商会の方でも、もっと腕のいい職人を雇ってたんですけどね」
その言葉だけで、レイも何となく事情を理解してしまう。してしまうが……レイの表情に表れたのは呆れの色だった。
「正気か? お前達はここに住んでるんだろ? それで手抜き工事なんかすれば、金が云々といった前に命に関わるぞ?」
辺境では……ギルムでは、絶対に考えられないことだった。
金惜しさに自分の命を……そして住民全ての命を危険に晒してるのだから、当然だろう。
(いや、アゾット商会の件があったか。でもアゾット商会でもここまでのことはやらなかったぞ。ダスカー様がいたからだろうけど)
レイの脳裏をここ最近何故かよく思い出すようになった人物の顔が過ぎる。
身の程知らずな欲を出し、自分を怒らせ……最終的には夜に寝る度に地獄を見ているだろう人物を。
「命に関わるというのは分かっています。分かっているんですが……エレーマ商会は上と深い繋がりを持っていまして……」
オウギュストがそこまで呟いた時だった。オウギュストの隣にいたザルーストが鋭い目付きで一点を睨む。
「オウギュストさん」
ザルーストの言葉にオウギュストがその視線を追うと、そこには見覚えのある人物の姿があった。
そこにいた人物は、偶然ここににいた……という訳ではなく、オウギュストがここに来るのを待っていたのだろう。
それでもオウギュストの方に近づいて来ようとせず、その場で足を止めているのは……やはりレイの側にいるセトが原因か。
「ダリドラ……何故ここに。いえ、考えるまでもないですね」
「誰だ?」
ヒョロリとした、神経質そうな顔付きの四十代程の男の顔を見て、レイは隣のザルーストへと尋ねる。
砂漠の民らしく日に焼けた褐色の肌をしているのだが、何故か精悍には見えない。
神経質そうな顔付きや目付きと相まって、非常に陰湿そうな印象をレイは受けていた。
「現在のエレーマ商会の会頭だ」
「……なるほど。あの男が……」
砂賊に砂上船を渡したのがエレーマ商会……それはまだ確定した訳ではないが、かなり可能性の高い話だった。
そうである以上、エレーマ商会としては砂上船すら渡した筈なのに、何故オウギュストの商隊が無事に戻ってきたのか。それが気になるのは当然だろう。
ザルーストは苛立ちを込めてダリドラを睨む。
だが、ダリドラは……そして周囲にいる護衛達も、そんなザルーストの殺気が込められた視線に全く気が付いた様子がない。
それだけ、初めてみるセトの姿に唖然としているのだろう。
「行きましょう」
ダリドラの顔は一秒でも見ていたくないと、オウギュストはその場を立ち去ろうとする。
だが、そんなオウギュストの行動でダリドラもようやく我に返ったのだろう。慌てたようにオウギュストの方へと向かって歩き始めた。
そんなダリドラの後を追うように、護衛や取り巻きと思しき者達も動き出す。
「やぁ、オウギュストさん。色々と大変だったとお聞きしてますが?」
蛇のような、と表現するのが相応しい様子で尋ねてくるダリドラ。
ただし、極力セトを視界にいれないようにしているのは、やはり恐怖心を抱いている為か。
それでもこうしてオウギュストへと話し掛けたのは、セトの首に従魔の首飾りが掛かっているというのが大きい。
従魔の首飾りをつけているモンスターが起こした騒動は基本的にその主人が責任を取ることになる。
この場合はレイだ。
エレーマ商会の会頭という自分の立場を考えれば、絶対にそんなことはしない……出来ないだろうというのがダリドラの予想だった。
それは決して間違っている訳ではない。だが、あくまでゴーシュの住人に限ってだが。
それでも近づいてくるダリドラに対し、レイは特に何も口にはしない。
ただ、無言でオウギュストとダリドラのやり取りを眺めているだけだ。
「おや、随分と耳が早いですね。私達は今帰ってきたばかりなのですが。まるで、私達が襲われるのを知っていたかのように聞こえますが?」
普段は人の良いオウギュストではあったが、やる時にはやると言わんばかりにチクリと嫌味を言う。
(襲撃されて、嫌味だけで片付けるってのも凄いとは思うけどな)
自分ならこの程度では済まさないと、レイはダリドラや護衛、取り巻き達を一瞥する。
だが、オウギュストとダリドラでは構えている店の大きさが違う。
何店舗も店を持っており、エレーマ商会の会頭でもあるダリドラと自分の店が一店舗しかないオウギュスト。
その影響力の差は非常に大きく、純然たる力の差として現れていた。
数分、お互いに相手を非難するような言葉を交わし……そしてダリドラはようやく本題に入る。
「そう言えば、オウギュストさん。何でも襲われた砂賊は砂上船を持っていたとか。……その砂上船はどうしたのですか?」
それが本題だったのかと、オウギュストは納得する。
勿論砂賊にオウギュストを襲わせたにも関わらず、無傷で戻ってきたオウギュスト達を気にしているというのもあるだろう。
だが、それ以上に砂上船の行方を気にしているというのは明らかだった。
(無理もないですけどね。砂上船はちょっとやそっとで購入出来る代物ではないのですから。……寧ろ、なんの保証もなく砂賊に貸したのだとすれば、それこそ普通では有り得ない。……そこまで私を疎ましく思っていたということですか)
もしかしたらオウギュスト達が砂上船を持ってきたかもしれないと思い、帰還の報告を聞いて急いで正門へとやって来たが結局そこに砂上船はなく。
だからといって、砂上船程の高価なマジックアイテムを砂漠に捨ててくるなどと考えられず、砂上船がどうなったのか気になっているのだろう。
ダリドラの行動をそんな風に予想し、当然だろうという思いを抱く。
そもそも、アイテムボックス持ちの存在を想定しろというのが無理なのだろうが。
「おや、随分と耳が早いですね」
先程と全く同じ言葉を口にするオウギュスト。
そこに込められている揶揄の色を理解したのだろう。ダリドラは神経質そうに眉を動かす。
それでも激昂する様子は見せず、苛立ちを押し殺しながら言葉を続ける。
「どこかの商人と違って、私は広い情報網を持ってるのでね。……それで、砂上船は一体どうしたのか聞いても?」
砂上船の価値を思えば、絶対にここで退く訳にはいかないという思いのダリドラに、オウギュストは笑みを浮かべて口を開く。
「どうしたのか、ですか。何故それをダリドラさんが気になさるんですか? 砂賊が持っていた品は、それを倒した者が所有権を得る。それは当然のことでしょう? それをダリドラさんに気にして貰うようなことではありませんよ」
所有権を得る。
その言葉を聞いた瞬間、ダリドラの表情に動揺が走る。
そして視線を向けたのは、レイ。
グリフォンのようなランクAモンスターを従魔にしている人物であれば、砂上船を使った砂賊であろうと倒すのは容易に出来るだろうという予想からだった。
ここでもっとも強そうに思えるザルーストやそのパーティメンバー、共に護衛の依頼を受けた者達ではなくレイに視線を向けたのは、ザルースト達の顔には全員見覚えがあった為だ。
エレーマ商会の会頭として、自分に逆らうオウギュストやその護衛を引き受けている者達の顔は当然のように覚えていた。
だからこそ、全く見覚えのないレイがセトを従魔にしているテイマーだと見当をつけたのだろう。
(それでも、このような小さな人物にグリフォンをテイム出来るとは思えないのですが……いえ、テイマーというのは腕っ節以外の手段でもモンスターを従魔にすることができるのでしたね)
ダリドラから見ても、レイはとても腕利きの冒険者には思えなかった。
だが、それはあくまでもダリドラが商人だからこそだろう。
その護衛である男達は、腕利きの冒険者だけにレイが自分達とは比べものにならない力を持っているというのを本能的に理解している。……して、しまっている。
冒険者達がレイを見て受けた印象は、羊の皮を被った狼……いや、ドラゴン。
だからこそ自分達の護衛対象であるダリドラにはレイに対して妙な真似をして欲しくはなかった。
「……あの砂上船、実は私共のところから盗まれた物でしてね。出来れば返して欲しいのですが」
「盗まれた、ですか。……天下のエレーマ商会が、砂賊にマジックアイテムを? もしかして、意図的に盗ませたなんてことはないですよね?」
「オウギュストさん、少し言葉が過ぎませんか? 砂上船を盗まれたのはこちらの手落ちでしたが、それでも意図的にやったなどと言われるのは心外です」
殊更不愉快そうに告げるダリドラだったが、そんな真似をしている本人もオウギュストが自分の言ってることを信じるとは思っていない。
だが、それはダリドラも承知の上の茶番なのだ。
幾らオウギュストがダリドラを怪しいと言っても、それを示す証拠はない。
いや、証拠はあるのだ。だが、それを示す証拠……証人の砂賊達は明日には物言わぬ骸と化しているのだから、証拠はないと言ってもよかった。
「そうですか? それは失礼しました。ですが、ご安心下さい。砂上船に関してはこちらできちんと処理しますので」
オウギュストの口から出た処理という言葉に、ダリドラは苛立ちの表情を見せる。
そんなダリドラの姿に、内心で戦々恐々としているのは周囲の護衛達。
出来ればこの場は騒動を起こさないで終わらせて欲しい、と。
今日で護衛は辞めるので、レイとは戦いたくないと考えるのだが……それを表情に出す訳にもいかない。
「処理、ですか。具体的にはどうするつもりなのですか?」
「ふむ、そう言われましても……あの砂上船の所有権があるのは私ではないので、お答え出来ません」
「……では、誰が?」
「レイさんです」
その言葉と共に、オウギュストの視線がレイへと向けられる。
オウギュストの視線を追うようにダリドラの視線もレイへと向けられた。
「……貴方は?」
渋々といった感じで尋ねてくるダリドラに、レイはセトの身体を撫でながら口を開く。
「レイだ。ミレアーナ王国のギルムで冒険者をやっている。ゴーシュにはちょっと立ち寄ってみただけだけどな」
正確には黄昏の槍の一件で騒ぎが収まるまで避難してきたというのが正しいのだが、目の前の人物にそれを言うつもりはない。
もしそれを言えば、恐らく面倒なことになると理解していた為だ。
「ギルム……レイ……グリフォン!?」
ゴーシュの中でも大きな権勢を誇っているだけに、レイという名前に聞き覚えがあったのだろう。
ダリドラは驚愕に目を見開き……数秒程してから、慌てたように口を開く。
「すいませんが急用を思い出しました。この辺で失礼させて貰います」
そう告げ、いきなり態度が変わったことに唖然としている取り巻きや護衛をその場に残し、一人急いでその場を去って行くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます