第1093話

 砂漠の夜は気温が下がるので、商人や護衛の冒険者はそれぞれテントの中で毛布にくるまりながら寝る。

 だが……レイはそんな者達とは全く違う快適な夜を過ごしていた。

 何故なら、レイが使っているのはマジックテントだからだ。

 当然その中は快適に過ごせるように設計されており、砂漠であろうが雪山であろうが、マジックテントの中にいると外の環境とは全く無縁の生活が出来るようになっていた。

 幾らマジックテントとはいえ、外からテントに攻撃されれば多少なら防げても、すぐに壊れてしまう。

 セトがマジックテントの側にいるというのは、それを防ぐという意味もあった。


『ソルレイン国か。私も知ってるのは名前くらいだな。砂漠が多いという話だったが』


 対のオーブに映し出されたエレーナが、紅茶を飲みながら告げる。

 春をギルムで過ごしたエレーナは、ギルドマスターのマリーナ程ではないにしろ、仕事がかなり溜まっていた。

 それでも持ち前の能力で溜まっていた仕事を次々に片付け、今はこうして夜になればレイと話す時間くらいは作れるようになっている。

 ……エレーナにも公爵令嬢の立場がある以上、どうしても外せないパーティ等もあり、毎日という訳ではないのだが。


「そうか。ゴーシュについて何か知ってればいいと思ったんだけどな」

『すまない』


 レイに頼られたのに、それに応えることが出来ないというのは、エレーナにとって悲しいことだった。

 だがソルレインという国は、ミレアーナ王国に数ある従属国の中でも特に特徴といったものがない国だ。

 無理矢理特徴を挙げるとすれば、エレーナが口にしたように砂漠が多いといったところだろう。

 それはつまり国土の多くが砂漠に覆われているということであり、宗主国であるミレアーナ王国はともかく、周辺各国と比べても国力が非常に低い……いわば小国の中でも更に小国と呼ぶべき国なのだ。

 だからこそエレーナもソルレインという国のことは大まかなところしか知らない。


「いや、そもそも俺だって知らなかったんだから、気にするなよ。……それより、この前言ってた件はどうなった?」

『ふむ、あの件か。少し難しい……と言うべきだろうな。父上としては前向きに考えてはいるが、その対象は私ではない。こう見えて、私は貴族派の顔だから仕方ないのだが』


 仕方がない。そう言いつつも、エレーナは残念そうな表情で溜息を吐く。

 エレーナが父親のケレベル公爵に提案したこと、それは現在協力関係を結んでいる中立派と密に連絡を取る為に貴族派からギルムに人を送るということだった。

 勿論現在でもギルムに貴族派の貴族は何人も住んでいるのだが、もっと重要な人物を送ることで貴族派と中立派の結束を固めるという提案をエレーナが父親にしたのだ。

 その本心は対のオーブではなく、生身でレイと会いたいというものがあったのだが。

 ケレベル公爵はエレーナの提案に一定の理解を示しつつも、ギルムに派遣する人材としてエレーナを検討することすらなかった。

 エレーナも分かってはいるのだ。自分が貴族派の象徴という立場にあり、いざ貴族派として戦いが始まればそれに参加しなければならないということは。

 だが……長年の敵対国であったベスティア帝国は去年の内乱で親ミレアーナ派とでも呼ぶべき勢力が出来上がっており、当面の間は戦争はないとエレーナは予想している。

 皇帝が親ミレアーナ派という訳ではないので、絶対、確実という訳ではないが。


「そうか。俺もエレーナが来てくれれば嬉しかったんだけどな。セトもイエロと遊ぶのを楽しみにしてたし、ヴィヘラやマリーナも何だかんだとエレーナとの再会を楽しみにしてた筈だ」

『ふふっ、あの二人は私がいない方がレイとゆっくり出来ると言いそうだがな。……そう言えばヴィヘラは現在ビューネを連れてエグジルに戻ってるのだったか』


 以前対のオーブでレイと話していた時に聞かされたことを思いだしたのだろう。エレーナは少しだけ笑みを浮かべ、面白そうに呟く。

 エレーナにとって、ヴィヘラは友人兼ライバル兼恋敵といった人物だ。

 特に友人というのは非常に大きい。

 これはエレーナだけではなくヴィヘラやマリーナにも言えることなのだが、三人共色々と特殊な事情が存在する。

 例えば、エレーナは公爵家令嬢で姫将軍の異名を持ち、ヴィヘラは元ベスティア帝国第二皇女、マリーナはギルドマスターで、世界樹と深い縁を持つダークエルフの血脈だ。

 このように特殊な事情を持つ者は、憧れたり畏怖されたりすることはあっても対等な友人を作るというのは非常に難しい。

 そういう意味では、アーラという友人を持っているエレーナは恵まれているのだろう。

 ともあれ特殊な事情を持っている者同士であるが故に、三人は友人となることが出来た。

 その最大の理由は、やはり三人が想いを寄せることになったレイという存在か。

 友情と愛情という二つにより結ばれている三人の絆は、レイが思っているより強固な代物だった。


「ま、あの騒動にヴィヘラを巻き込まなくて良かったとは思ってるよ。ヴィヘラの場合、下手をすれば商人達を叩きのめしたりしてただろうし」


 レイが鬱陶しがっていると思えば、ヴィヘラが何らかのアクションをするだろうというのはレイにとって半ば確定事項だった。

 レイに群がっていた商人も、ヴィヘラの美貌に目が眩んで妙な考えを起こすような者がいないとも限らない。

 エレーナは普段ギルムにおらず、マリーナはギルムのギルドマスターとしての仕事がある。

 だがヴィヘラはレイと一緒に行動しており、それ故に商人達と遭遇することが多くなっていたのは間違いない。

 そういう意味では、ヴィヘラがビューネと共にエグジルへと里帰りしていたというのは運が良かったのだろう。……ヴィヘラの手に掛かったかもしれない商人達や、その後始末に奔走されることになったかもしれないレイの両者にとって。

 その後暫くエレーナと話したレイだったが、やがて夜も遅くなってきたということで眠りに就くのだった。






 眠っていたベッドの上でレイが上半身を起こす。

 そのまま周囲を見回し、現状を把握すると短く呟く。


「……朝か」


 普段であれば非常に寝起きが悪いレイだったが、こうした特殊な状況ではすぐに目を覚ますことが出来た。

 この辺りは多分に本能的なものがあるのだろう。

 幾らセトがマジックテントの外で見張りをしていてその辺の村や街の中より安心だとしても、レイの本能に近い部分が野営であるということに警戒心を働かせているのだ。

 簡単に身支度を整えてマジックテントの外へと出ると、既に朝日は完全に姿を見せている。

 ドラゴンローブのおかげでレイは気にしていないが、気温も既に三十度を超えている。

 周囲では既に他の面々が朝食の準備をしており、マジックテントから出て来たレイにそれぞれ挨拶の声を投げかけていた。

 レイにとっては不思議なことに、周囲のレイに対する態度は昨日と比べると随分と柔らかくなっている。


(まぁ、理由は考えるまでもないけど……な)


 マジックテントの側で寝転がり、冒険者が渡したのだろう干し肉を食べているセトへと視線を向け、小さく笑みを浮かべる。

 セトの周囲には何人かの冒険者の姿があった。

 その冒険者に、レイは見覚えがある。

 昨日、ザルーストからセトと一緒に見張りをやる、と言われて紹介された者達だ。

 当初はセトと冒険者一人が見張りをやるという話だったのだが、結局は数人が用意されていたのはセトを……より正確にはセトとレイを完全には信用していなかった証だろう。

 もっとも、レイはそれに対して文句を言ったりはしない。

 そもそも、グリフォンを従魔としている者が突然姿を現したのだから、それを完全に信用しろというのは無理だろうと思っていた為だ。

 全員が数時間程度しかセトと接していなかったのだが、それでも自分達とセトだけがいる状況であれば自然とセトとコミュニケーションを取ろうとする怖い物知らずが現れるのも当然だった。

 セトは元々自分やレイに敵意を持った相手以外には懐きやすい。

 その結果、すぐに冒険者とセトは仲良くなり、それを見ていた他の冒険者も恐る恐るとではあるがセトを撫で……そして見張りの交代の時間が来た時にそれを見た者が……という風に冒険者と仲良くなっていった。

 見張りに関しては、セトがしっかりと見ていたので特に問題もなかった。


「で、結局砂賊の方は誰も助けに来たりはしなかった訳か」


 セトがいる以上、砂賊を助けようとすればすぐにそれが見つかる筈だったが、結局夜中に何の騒動も起きなかったとなると裏切り者がいたとしてもセトに脅威を感じて動きが取れなかったのだろう。

 冒険者と遊んでいるセトを眺めながらそう判断したレイは、少し離れた場所で話をしているオウギュストとザルーストの方へと近づいていく。

 そんなレイに気が付いたのだろう。ザルーストがレイに向かって苦笑を浮かべつつ声を掛ける。


「一晩で随分と人気者になってしまったな」


 何に対してのことを言ってるのかというのは、レイも考えるまでもなく分かった。

 何しろ、自分の視線の先でセトが冒険者と戯れているのだから。


「予想はしてたよ。基本的にセトは敵意を持っていない相手に対しては人懐っこいし。それに俺が普段拠点としているギルムでは、街全体の人気者だし」

「……ギルム、ですか。ミレアーナ王国の中でも腕利きの冒険者が集まる街の一つとして有名ですね」


 レイとザルーストの話を聞いていたオウギュストが、少しだけ羨ましそうに呟く。

 ゴーシュでそれなりに名前が知られているオウギュストではあるが、所詮ゴーシュというのはソルレイン国という弱小国の中の街の一つでしかない。

 ソルレイン国の中では大きい方に入る街ではあるが、ミレアーナ王国に比べると圧倒的に小さいのは事実だった。

 つまり、それだけ商人として扱うべき稀少な品が少ないということを意味している。

 オウギュストのような商人にとって、いずれはミレアーナ王国のような大国で一旗揚げたいと思うのは、ある意味当然ではあった。


「ああ、辺境にあるから周辺のモンスターにも狂暴な奴も多いし、夜に野営とかすれば基本的に襲撃されるしな。まぁ、俺の場合はそんな心配いらないけど」

「……セトか」


 しみじみと呟く声には、羨望の色がある。

 人間以上に五感が鋭く、魔力を感じる能力を持っており、個としての戦闘能力も非常に高い。

 まさに見張りという意味では非常に魅力的な能力を持っているモンスターだった。


「テイマーという存在は何人か見たことがあるが、それでもセトのようなグリフォンを従魔にしている者は初めて見る」

「ま、俺とセトは普通とはちょっと違うしな」


 レイの口からその言葉が出た瞬間、ザルーストとの話を聞いていたオウギュストの目に鋭い光が宿った。

 普段は人が良い……もしくは気弱だと言われることも多いオウギュストだったが、今のレイの口から出た言葉は商売の種になると判断したのだろう。


「レイさん、今のはどういうことです? もしかして普通にテイムする以外の方法でセトを従魔にしたのですか?」

「ああ。ただ、言っておくが聞いたからってすぐに出来ることじゃないと思うぞ?」

「それでも、是非教えて頂きたい。勿論報酬はお支払いしますので」


 オウギュストの外見からは珍しい程に迫ってくる様子に驚きの表情を浮かべたレイだったが、やがて小さく首を横に振る。


「別に報酬はいらない。一般的なやり方とは違うけど、誰も知らないって訳じゃないし」

「……うん? それはどういう意味でしょう?」

「簡単な話だよ。俺は小さい頃からセトと一緒に育ってきた。それこそセトが子供の頃からな。だからこそ、セトはここまで俺に懐いてるんだ。この方法は、竜騎士が竜を卵から孵して育てるとの同じような方法だから、やろうと思えば誰にでも出来る」


 それが上手くいくかどうかは分からないけどな、と言葉を締め括るレイ。

 オウギュストはその話を聞き、眉を顰める。

 竜騎士は当然ソルレインにも存在するが、維持するだけで大量の食料を必要とするワイバーンを養うには小国であるソルレインには非常に厳しかった。

 それでも国防や見栄といった問題から何騎かは用意していたので、オウギュストもレイが言っていることの意味は分かる。


「ですが、それは確実とはいえないのでは?」

「だろうな。実際ワイバーンを育てる過程で死ぬ者もそれなりにいるし。けど、俺はセトを従魔にしたのはそうやってなのは間違いない」


 正確には魔獣術によるものだが、それを口にする訳にはいかない以上、いつものカバーストーリーを口にするしかなかった。


「モンスターの子供や卵を入手できれば……あるいは……」

「オウギュストさん、取りあえずそろそろ食事を済ませませんか? 今日も暑くなるでしょうし、ゴーシュに到着するのも早い方がいいでしょう」


 どこまでも広がっている青空を見ながら尋ねるザルーストに、オウギュストも頷くのだった。

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