第1091話

 砂丘の向こう側から姿を現したのは、明らかに船と呼ぶべきものだった。

 船のマストには帆が張られており、砂漠の風を受けて砂の上を走っている。

 全長十m近いその船は、傍から見ると普通の船のようにしか見えない。

 櫂の類も存在せず、見た目は本当に何の変哲もない船だ。


「砂漠を砂の海って表現するのは良く聞くけど……だからって、これはちょっとおかしくないか? 何だって砂の上を船が……」


 見る間に迫ってくる船を眺めながら呟くレイに、武器を構えながらザルーストは口を開く。


「砂上船持ちか。くそっ、思ったよりも大きい砂賊だな。てっきり普通に襲ってくると思ってたんだが」

「砂上船?」

「……ああ、そうか。レイはフェリス砂漠は初めてだったな」


 レイの言葉に少しだけ驚きつつ、それでも冒険者達に細かく指示を出しながらザルーストは説明を続ける。


「砂上船。その名の通り砂の上を走る船だ。マジックアイテムだから、当然そう簡単に手に入る物じゃないんだが……」

「へぇ。マジックアイテム……か」


 数秒前の驚きは既に消え、レイの目に映っているのは砂上船と呼ばれたマジックアイテムだ。

 ……そう、マジックアイテムなのだ。そしてレイは飾りの類ではなく、実際に――特に戦闘中に――使えるマジックアイテムを集めるのを趣味としており、そんなレイにとって砂上船というマジックアイテムは是非手に入れたい物だった。


「一応聞いておきたいけど、ミレアーナ王国では盗賊の類を倒せば、その盗賊が持っていたお宝は基本的に倒した奴の物になるんだけど……この国でも同じか?」

「うん? ああ、そうだな。……もしかして一人で砂賊を倒すつもりか?」

「ああ。本来ならお前達が砂賊とやらを倒すのに協力してもよかったんだが、あの砂上船とかいうマジックアイテムがあるとなると、そう簡単にはいかないだろ?」


 レイの言葉に、ザルーストは頷く。

 オウギュストの護衛をしている中には、残念ながら魔法使いはいない。

 弓を持っている者もいるが、人数としては少ないのでどうしても攻撃手段は限られてしまう。

 それに比べると、向こうは最初から砂上船に乗って攻撃するのを前提としているのだから、遠距離攻撃の手段も多いのは間違いない。

 そう考えれば、ザルースト達が不利なのは間違いのない事実だった。

 それを理解しているザルーストは、視線をオウギュストの方へと向ける。

 普段であれば護衛についてはザルーストに一任されているのだが、今回は砂上船という特別な相手だけに雇い主のオウギュストが判断すべきだと思ったのだろう。


「……そう、ですね。正直砂上船というのは非常に高価なマジックアイテムなので、砂賊がそう簡単に入手出来る物ではありません」


 砂上船が近づいてくるのを眺めながら、オウギュストが告げる。

 その口調にあるのは、憂鬱な色。


「オウギュスト?」

「……レイさん。恐らくですが、あの砂上船は私に死んで貰いたい人が用意した代物だと思います。勿論あの砂賊が偶然砂上船を入手したという可能性がない訳ではありませんが……」

「エレーマ商会、だったか?」

「ええ。……よほど私が邪魔なんでしょうね」

「だからって、黙って死ぬつもりはないんだろ? それに、あの砂上船が高価なマジックアイテムなら、もし今回の件を企んだ人物が砂上船を失ったりしたら……どう思うだろうな?」


 絶対にここで邪魔者を仕留めるという思いで、砂上船という高価なマジックアイテムを砂賊に与えたのは間違いがなかった。

 だが、レイが聞いたエレーマ商会の跡継ぎの性格から考えて、本当の意味で砂賊に砂上船を与えたとは思えない。


(恐らく運が良くて貸しただけってことで、今回の件が終わったら砂上船を取り上げられる。最悪の場合は口封じといったところか)


 もちろん砂賊の方もその程度のことは読んでいるんだろうが、オウギュストを殺してそのまま砂上船に乗って逃げてしまえば義理を果たしたという言い訳が出来る……と思っているのだろうとレイは予想する。


「先程も言いましたが、砂上船は非常に高価です。もしなくなってしまえば、エレーマ商会にとっても小さくない損害になるでしょう」


 オウギュストの言葉は、レイが望んだものだった。

 笑みを浮かべ、レイは近づいてくる砂上船を見て口を開く。


「さっきも聞いたけど、盗賊の持っていたお宝は当然倒した者に所有権がある。そして、俺があの砂賊だったか? 砂上船に乗ってる奴を倒せば、当然砂上船の所有権も俺の物になる。それで間違いないよな?」

「それは……はい。間違いはありませんが……今の言葉から考えると、お一人で砂賊を相手にするつもりですか?」

「ああ。そっちにとっても砂上船とやり合わなくてもよくて、更にはエレーマ商会とやらに損害を与えられる。俺は砂賊を倒して砂上船という高価なマジックアイテムを手に入れる。この辺の人間は砂賊が消えて安全になる。……誰にとっても悪くないだろ?」

「いや、砂賊とエレーマ商会にとっては最悪だと思うんだが」


 レイとオウギュストの話を聞いていたザルーストは、思わずそう言葉を挟む。

 それは事実だったが、レイはそんなザルーストの言葉に全く気にした様子もなく言葉を返す。


「敵のことを心配する必要があるのか?」

「いや、それはないな」

「だろ? ともあれ、折角護衛として一緒に行動してるんだ。あの砂賊は俺の方で片付けさせて貰うよ。俺の利益ってのもあるけど。構わないか?」


 そう告げるレイの言葉に、ザルーストもオウギュストも、そして他の者達も黙って頷くしかなかった。

 元々砂上船を持ち出してきた相手に、この人数で勝つのは無理……とは言わないが、敵からの一方的な攻撃を受け続けるのだから大きな被害を受けるのは確実だろう。

 それこそ商隊の半分以上が死に、護衛も同様の被害を受ける……という可能性が高い。

 それならレイという空を飛ぶ手段を持っている相手に頑張って貰って何とかなるのであれば、それが一番良かった。

 ……レイに頼るという気持ちの中には、当然のようにレイは自分達との関わりが薄いので、もし死んでも仲間が死ぬよりはいいという冷徹な思いもあったのだが……それはレイも承知の上での行動だった。

 誰からも文句が出ないのを確信したレイは、小さく頷くとセトの方へと視線を向けて声を掛ける。


「セト」

「グルルルゥ」


 レイの言葉に、セトは近寄ってくるとレイが乗りやすいように少しだけしゃがむ。

 いつものようにセトの背へと飛び乗ったレイは、軽くセトの背中を叩く。

 それを合図とし、セトは数歩の助走で翼を羽ばたかせて砂漠の空へと駆け上がって行く。

 当然砂上船の方からでもセトの姿は確認出来たのだろうが、特に進路を変えたり警戒している様子は見せなかった。


「砂上船ってマジックアイテムを手に入れて、それだけ強気になってるのか? いや、こっちとしてはそれでもいいんだけど」


 ミレアーナ王国では、セトが姿を見せれば盗賊達はすぐに逃げていく。

 それを考えれば、砂上船に乗っている砂賊達が全く逃げる様子がなかったのは新鮮であったとすら言ってもいい。


「まぁ、新鮮だからってこっちが手を抜くわけじゃないけどな。……セト、まず最初に先制攻撃をしたい。あの砂上船はこっちで確保したいから、出来ればそっちに被害を与えないように……王の威圧を頼めるか?」

「グルゥ!」


 セトにとっても、レベルが上がってから敵へと向かって王の威圧を使うのは初めてだ。

 それだけに、レイの言葉に少しだけ嬉しそうにしながら翼を羽ばたかせる。

 急速に近づいてくる砂上船。甲板の上にいる砂賊達は、当然近づいてくるレイとセトの姿に気が付く。


「おい、あれを見ろ! 空から近づいてくる奴がいるぞ!」

「あん? 空だぁ?」


 砂賊の一人が、弓を手にしながら近づいてくるセトに気が付き、隣の仲間へと告げる。

 そして砂賊が上空へと視線を向けると……その動きが止まる。


「ばっ、馬鹿な……あれは……グリフォン!?」


 叫ぶ砂賊の男の声が聞こえたのだろう。周囲の他の者達も自分達の方へと近づいてくる存在に視線を向け……


「グルルルルルルルルルルルルルルルゥッ!」


 まるでそんな砂賊の動きを待っていたかのようにセトが鳴き声を上げる。

 それも、ただの鳴き声ではない。世界樹の件でレベルが上がったスキル、王の威圧だ。

 その雄叫びを聞いた瞬間、砂上船に乗っていた砂賊の者全ての身体が震え、動けなくなる。


「ああ……あ……」


 そんな声を上げている者が数人いたが、それはほんの少数であり、ほぼ全てが声を上げることすら出来なくなっていた。

 空を飛びながら砂上船の様子を見ていたレイは、予想通りの展開に納得しながらも笑みを浮かべる。


「後は砂上船を止める必要があるんだが……どうすればいいと思う?」

「グルゥ?」


 どうしよう? と、レイの言葉にセトが喉を鳴らす。

 このまま真っ直ぐ砂上船が進めば、当然のようにオウギュストの商隊へと突っ込んで行くことになる。

 オウギュスト達を狙っていたのだから、それは変えようのない事実だった。


「なら砂上船を動かしている奴をどうにかするべきか?」


 そうレイが呟いた時、その言葉が合図だったかのように砂上船の動きは鈍くなっていく。

 まるで急ブレーキを掛けたかのように速度が落ちていく砂上船は、退避しようとしていたザルースト達の目の前で動きを止める。


「……どうやら、何とか無事に終わらせることが出来た、か」


 動きの止まった砂上船を眺めつつ、安堵の気持ちを抱きながらレイが呟く。

 砂上船の動きが止まらなければ危なかったところだが、レイとしては恐らく大丈夫だろうという思いがあった。

 半ば楽観的ではあったが、もし駄目であってもここは砂漠であり、周囲に建物の類がある訳ではない。

 また、ザルースト達も近づいてくる砂上船から弓で攻撃される訳でもないのだから、回避するのは難しくはないという予想もある。

 砂上船は出来れば欲しかったマジックアイテムだったが、最悪の場合は破壊するという手段もあったのが大きい。


「無事だよな?」


 それでも一応、レイはセトに乗ったまま地上へと降りると、ザルースト達へと声を掛ける。

 レイの呼び掛けに、ザルースト達は若干顔を強張らせながらも頷きを返す。

 その顔の強張りは、砂上船が目の前まで迫ってきたことか……それともセトから王の威圧を使って発せられた雄叫びの為か。


(一応仲間には王の威圧の効果はない筈なんだけどな。となると、やっぱり砂上船か?)


 疑問に思いつつも、いつまでもこうしていられないのは事実だ。

 砂上船の中にいる砂賊達は、今は王の威圧の効果で動けずにいるが、その効果も永遠という訳ではない。


「ミレアーナ王国だと、盗賊は奴隷商に売ったり出来るんだけど、こっちはどうなんだ」

「え? ああ、それはこちらも変わりませんよ」


 レイの問い掛けに我に返ったオウギュストがそう告げ、それならばとレイは提案を口にする。


「砂上船の中にいる砂賊達を縛り上げるのを手伝ってくれないか? それとゴーシュまで連れて行くのも。その代わり、砂賊達を奴隷として売った金は山分けってことにしたいんだが」

「……いいんですか? それだとレイさんが大きく損をすることになりますよ?」

「ああ。どのみち俺だけだと砂賊を全員生け捕りには出来ない。一人ずつ縛っている間に動けるようになるだろうしな」

「動けるように……では、やはり先程のセトの大きな鳴き声は……」

「ああ、想像通りだ。とにかく砂賊を縛って連れて行くから、そっちの方も頼む。こうして色々と雑用を頼んでるんだから、山分けでもいいだろ。それに……」


 一旦言葉を切ったレイは、砂上船へと視線を向ける。


「俺の最大の目的だった砂上船は無事に無傷で入手できたしな。……この砂上船の本来の持ち主が誰かはまだはっきりと分からないが、何も出来ずに砂賊が全員生け捕りにされて、その上で砂上船まで奪われたとなると……さて、どう思うだろうな」

「苛立ちのあまり、大荒れになるのは間違いないでしょうね」

「だろう? それに、生け捕りにすれば情報を聞くことも出来るようになるぞ。……殺すのはいつでも出来る。けど、殺してしまっては情報を引き出せないからな」


 人の悪い笑みを浮かべたレイは、そのままセトに頼んで砂上船の上へと向かう。

 それを見ていたオウギュストは、殺すという言葉の中に何の強がりや威勢の良さといったものが入っていないのに気が付き、見た目が若いレイがどれだけの修羅場を潜り抜けてきたのかと背筋が冷たくなる。

 そんなオウギュストの考えには全く気が付いていないレイは、砂上船の甲板から縄ばしごを下ろしてザルースト達を呼ぶのだった。

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