第1083話

「レイ……では、また少しの間お別れだ。可能であれば夏にでもまたギルムにやって来るから、それまで元気で」


 ギルムの正門から少し離れた場所、そこには現在何人かが集まってきていた。

 集まっている人数はそれ程多くないのだが、その代わり集まっている者は殆どがギルムでも有名な者達だ。

 グリフォンのセトを従え、深紅の異名を持つ若手のホープのレイ。

 レイとパーティを組み、その美貌と男の劣情を直接刺激するような薄衣を纏っているヴィヘラ。

 ギルドマスターであり、そして女の艶という言葉をそのまま形にしたかのようなマリーナ。

 盗賊としてレイやヴィヘラとパーティを組んでいる、まだ十歳かそこらにしか見えないビューネ。

 初めて見る者には恐怖を与えてもおかしくないような厳つい顔付きをしており、堂々たる体躯と表現するのが相応しいギルムの領主ダスカー。

 こんな五人に見送られているのは、パワー・アクスを背負って御者台に座っているアーラと……そして、レイに潤んだ視線を向けているエレーナ。

 太陽の光をそのまま髪にしたかのような黄金の髪と、見る者を惹き付けてやまない意志の強さを現したような、気高い美貌。


(この中で一番普通なのが私というのは……正直、どうなのかしら)


 レイとの別れを悲しんでいる自らの親友にして主人でもあるエレーナを見ながら、アーラは内心で呟く。

 アーラとてパワー・アクスという普通よりも巨大な武器を振り回し、オークの死体を片手で引きずって移動出来るような力の持ち主だ。

 普通に考えれば、間違いなくアーラも異常な……もしくは特別な人間という扱いになるだろう。

 外見もエレーナ、ヴィヘラ、マリーナといった者達には及ばないが、十分に美女と呼ばれる程に顔立ちは整っている。

 だが、この面子の中では明らかに平凡と表現すべき立場にあった。

 もっとも、エレーナの側にいることが最優先のアーラだ。下手にエレーナよりも目立つことになってしまっては色々と面白くない事態に巻き込まれるのは確定であるのだから、現状に不満はない。

 ……アーラの父親、スカーレイ伯爵はアーラに特定の相手が出来ないことを心配しているのだが、アーラ本人はその辺を全く気にしていない。

 そんなアーラの視線の先では、ダスカーがエレーナへと声を掛けている。


「エレーナ殿、またいつでも来て欲しい。俺もこのギルムの領主として……そして中立派の貴族として、姫将軍であるエレーナ殿がこの街に足を運んでくれるのは非常に嬉しい。貴族派との連携についても期待させて貰おう」

「うむ。父上にはダスカー殿からの手紙はきちんと渡させてもらう」

「……姫将軍の異名を持つ方を手紙の運び屋にして、申し訳ないとは思うが……」


 その言葉通り、申し訳なさそうな表情を浮かべるダスカー。

 事実、姫将軍を伝令代わりにするというのは非常に贅沢と言うしかない。

 もしそれを他の者が知れば、何をやってるんだと言われても仕方がない行動。

 だが、エレーナはそんなダスカーに対して首を横に振る。


「気にしないで欲しい。私もギルムでは十分に世話になった。マリーナの故郷でもある集落から戻ってきたばかりで慌ただしいが、そろそろ戻らねばならぬのでな」


 その言葉通り、マリーナの集落からギルムへと戻ってきたのが二日前。

 本来なら公爵令嬢という立場にあるエレーナの旅の準備ともなれば、一週間以上掛かることも珍しくはない。

 しかし今は公爵令嬢ではなく一個人として来ているのであり、エレーナも軍人としての経験からそこまで大量に荷物を揃えなくても旅をするのに支障はなかった。

 ……もっとも、それはマジックアイテムでもある馬車があるのが大きいだろう。

 馬車の内部はかなり広く、家具も豪華だ。

 普通に暮らすだけであれば、他に何もいらない程に。


「本当に帰ってしまっていいの? 私やマリーナがレイと一緒にいるというのを、忘れてない?」

「ふむ、そうだな。その辺が心配なのは事実だが……それでもレイは第一夫人の座に私を選ぶと信じているからな」

「……随分と自信があるのね」

「ふふっ、まぁ、エレーナらしいんじゃない? 私もその辺で負けるつもりはないけど」


 ダスカーの次にエレーナに声を掛けたのは、ヴィヘラとマリーナ。

 三人の間で何らかの話し合いが行われたのか、以前のように激しい女のやり取りは存在しない。

 既に自分達の中の誰かがレイの第一夫人になるというのは、三人共通の考えなのだろう。

 エレーナの脳裏に一瞬以前対のオーブで顔を合わせたケニーの姿が過ぎったが、すぐにそれを否定する。

 レイという存在を射止める為に全力を尽くすのであれば、この場にいないのが悪いという思いから。


「エレーナ、どうしたの? やっぱり戻るのを止める?」


 ヴィヘラの言葉に、エレーナは首を横に振る。

 そんなエレーナの様子を見て、ヴィヘラは少しだけ残念そうに溜息を吐く。

 ヴィヘラにとって、エレーナというのは色々な意味で対抗心を抱く存在だった。

 戦いの強さではほぼ互角であり、レイという男を巡っての恋敵としても強い対抗心を抱く。

 それでいながら、ヴィヘラの中にエレーナを憎むという思いは存在せず、寧ろ親近感さえ覚えていた。

 恋敵であり、同時に一人の男を共に想う仲間でもある。敵にして味方という、少し複雑な関係。


「いや。名残惜しいが、いつまでもここにいる訳にもいかないだろう。出来れば私もいたいのは事実なのだが、な」


 エレーナの視線が、とある方向へと向けられる。


「グルルルルルゥ」

「キュウ! キュキュ!」

「グルゥ」

「キュ!」


 全く違う言語であるというのに、何故か意思疎通が可能になっている二匹を。

 セトとイエロ。この二匹は相変わらず仲が良かった。

 親友同士と言ってもいいかもしれない。

 その二匹を引き離すのはエレーナも心苦しかったのだが、それでもイエロがエレーナの使い魔である以上どうしても連れて行かない訳にはいかない。


(いや、イエロは自分で戻って来ることも出来るのだから、もう暫くギルムに置いて行ってもいいのか?)


 エレーナの脳裏にふとそんな考えが過ぎる。


「イエロ」

「キュ?」


 何故かセトと話していた筈のイエロは、その頭の上にいたのだが……そんなイエロは、エレーナに呼ばれて羽を羽ばたかせてエレーナの方へと向かう。


「イエロは自分だけでも私の所まで戻ってくることが出来るだろう? なら、もう少しギルムにいてセトと一緒にいてもいいんだぞ?」

「キュウウ……キュ!」


 エレーナの言葉に、イエロはセトの方へと視線を向ける。

 だが、すぐにイエロは首を振り、エレーナの方へと着地する。


「キュウ!」


 エレーナと一緒がいい! と、そう告げているのだと、誰もが分かるイエロの鳴き声。

 イエロも、セトと別れるのは辛い。だが、それでもやはりエレーナと一緒にいる方が大事なのだ。

 セトが、他の人と仲良くしても一番好きなのはレイであるように、イエロにとっての一番もやはりエレーナなのだ。


「ふふっ、慕われてるわね」


 マリーナが笑みを浮かべつつ告げると、その隣にいたヴィヘラも頷き……やがて少し悪戯っぽく笑いながら口を開く。


「レイは私に任せて、エレーナはイエロと一緒に帰った方がいいわね」


 するとマリーナもその話題に乗ってくる。


「あら、ヴィヘラじゃなくて私に任せてくれればいいわよ? こう見えて長い時を生きてるんだし、ヴィヘラやエレーナに比べても色々と役立つでしょうし」

「それとこれとは話が別だろう」


 一瞬の躊躇もなく、エレーナの口から目の前の二人を否定する言葉が出る。

 三人共が笑みを浮かべて言葉を交わしているのだが、何故か少し離れた場所でその様子を見ていたレイは背筋に冷たいものを感じてしまう。

 いや、レイの方はまだ良かったと言うべきだろう。この場合悲惨だったのはダスカーだった。

 少し前までエレーナと話していたので、三人から発せられる冷気のようなものを間近でまともに浴びてしまったのだから。

 エレーナからはエンシェントドラゴンから受け継いだ竜気とでも呼ぶべき魔力が、ヴィヘラからは戦気とでも呼ぶべき魔力が、マリーナからは純粋な魔力がそれぞれから発せられ、周囲の気温を冷やしていく。

 冗談でも何でもなく、ダスカーは周囲の気温が二度から三度程下がっているような気がした。


(全く。レイも女難って言うべきか? 三人共桁外れの美人だが、それでいてまともな女は誰一人としていないんだからな)


 ダスカーは笑みを浮かべて話している三人へと順番に視線を向けていく。

 姫将軍、ベスティア帝国の元第二皇女にして戦闘狂、ダークエルフのギルドマスター。……ダスカーの目から見て、見事なまでに三人共まともな女とは言えなかった。


「あら、どうしたのダスカー。私に何か?」


 エレーナやヴィヘラと笑みを浮かべつつ言葉を交わしていたマリーナが、不意にダスカーへそう声を掛ける。

 自分の考えを読まれたのではないかと、ダスカーは慌てて首を横に振る。


「いやいや、何でもない。何でもないから、俺は気にせず進めてくれ」

「あら、そう? 折角ダスカーが子供の頃私にプレゼントした……」

「わああああああああああああああっ! お、お前! 一体何を言おうとしてるんだ!」


 それは、ダスカーにとっては思い出したくもない……そして思い出せばその場で転げ回ってしまいたくなるような思い出。

 小さい頃だからこそ出来た行為であり、今やれと言われてもまず不可能だろう。


「……ダスカー殿?」


 そんなダスカーの反応に疑問を持ったのか、エレーナが不思議そうな視線をダスカーへと向ける。

 いや、エレーナだけではない。ヴィヘラ、アーラ、レイ、そしてビューネまでもがダスカーの方へと視線を向けていた。

 自分に向けられる視線で我に返ったのか、ダスカーは小さく咳払いをして口を開く。


「さて、悪いが俺はそろそろ仕事に戻らないといけない。エレーナ殿には悪いが、この辺で失礼させて貰おう。では、またいつでもギルムに来てくれ」


 そう告げると、ダスカーは踵を返して去って行く。


「……逃げた、わね」


 追撃を掛けるかのようにマリーナが呟く声をダスカーの耳は捉えていたが、ここで何か迂闊な行動をすれば折角逃げ出したのが無意味になる。

 そう判断し、その場から素早く走り去るのだった。

 自分がこの場にいれば、マリーナにどんな風に弄られるのか予想出来る。

 領主としてそれは避けたい……そんな自分の思い出したくもない記憶を棚上げし、何故子供の頃の自分はこんな女に結婚を申し込んだのだろうと考える。


(もしこの場に小さい頃の俺がいたら、絶対にあんな性悪は止めとけって忠告するぞ)


 内心で呟くダスカーの背中は、御者台にいるアーラの目から妙に小さく見えていた。

 どこか小さく見えるその後ろ姿に、少しだけ同情の念を抱きながら視線を馬車を牽く馬へと向ける。

 小さい頃から厳しい訓練を受けてきた筈の……それこそセトが近くにいても特にどうということはない馬達が少しだけだが震えているのを目にし、納得してしまう。

 エレーナに対して強い友情や忠誠心を抱いている自分であっても、今のあの三人の中には入っていくのは難しいと。

 ……ここで無理と断言しない辺りがアーラの凄さを表しているのだが、本人はまだそれに対して納得はしていない。

 そんなアーラをよそに、類い希なる美女三人の会話は続く。

 ここはギルムのすぐ外で、当然のように多くの人が通るのだが、普段であればそんな三人の姿に目を奪われるだろう商人や冒険者といった者達も今関われば間違いなく自分達にとって良くないことが起きると理解しているのか、不自然な程に視線を逸らして通り過ぎて行く。

 だが、笑みを浮かべて会話をしている三人は、そんな通行人に対して一切の興味を示さない。

 もっとも示さないのはあくまでも興味であって、もし通行人の誰かがエレーナ達三人に対して邪な思いを抱いて襲い掛かるような真似をしようものなら、容赦ない反撃をくらうだろうが。


「安心して欲しい。私とレイは離れていても、毎晩……というのは多少言いすぎだが、対のオーブを使って顔を合わせている。お前達が心配するようなことにはならないだろう」

「あら、そうかしら? 対のオーブは所詮対のオーブでしょう? 私みたいに直接顔を合わせている方が有利なのは間違いないわよ」

「そこは私達、と言って欲しいのだけど」


 放っておけばいつまでも続きそうな三人の話だったが、それでも先程に比べると大分落ち着いてきたのを見計らい、アーラは口を開く。


「エレーナ様、そろそろ出発した方がいいかと……」

「ふむ、そうか。出来ればもう少し話をしていたかったのだが……レイ、名残惜しいが……」


 当然のようにエレーナが最後の相手として選んだのは、レイだった。


「ああ。また時間が出来たらいつでも来るといい。いつでも歓迎する」

「……うむ。こうして直接会えるのがいつになるのかは分からないが……それでも、楽しみにしている」


 そう告げ、そっと唇を重ねる。

 それを黙って受け入れたレイは、そのままエレーナの身体を抱きしめる。

 さり気なくヴィヘラやマリーナが身体を移動させ、周囲の視線から遮っていなければ姫将軍のスキャンダルとして大きな騒ぎになっていてもおかしくないだろう行動だった。

 レイを想う二人が止めなかったのは、やはりエレーナに対して恋敵にしてライバル、そして同志という思いを抱いていたからなのだろう。

 そのまま一分程が経過し、やがてレイとエレーナが離れて馬車に乗ると、窓から顔を出す。

 白い頬を真っ赤に染めながら、エレーナは幸せそうな……それでいて寂しそうな笑みを浮かべて口を開く。


「では、レイ。また会おう!」


 その言葉と共にアーラの操る馬車は出発し……レイはその姿が見えなくなるまで見送り続けるのだった。

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