第1084話

 エレーナがギルムから出て行って一月程。既に季節は春を通り過ぎて夏となっていた。

 それでもまだ夏の最も暑い時期ではない為、皆が暑い暑いと言いながらも活発に活動している者も多い。

 当然冒険者も活発に動いており、暑さに汗を掻きながらも依頼ボードに貼り出された依頼をこなしている。

 そんな中、レイはと言えば……


「これも駄目、か」

「そうですな。味も以前までのものと変わりませんし、余計に費用が掛かってしまいます」


 干し肉を一口食べて呟いたレイの言葉に、二十代後半の男は首を横に振りながらそう告げる。

 男は汗を手で拭いながら、近くにある冷蔵のマジックアイテムの箱から冷たく冷えた果実水を取り出し、一息で飲む。

 身長はレイよりも大分高く、百八十cmはあるだろう。だがその身長に比例したかのように横にも広く、体重は百kgを優に超えているのは間違いない。

 マーヨという名のこの男は、冒険者用に各種道具を売っているパーシー道具店の三代目であり、マリーナからの紹介で今回レイが協力を要請した人物だった。

 パーシー道具店はギルムの中でもそれなりに大きい店だが、それでもトップクラスといった程ではない。

 それでも良い品を良心的な値段で売っているということもあり、ギルムの冒険者にはかなり高評価だ。

 時には行商人までもが品物を仕入れに来ることすらあった。

 そんな店の三代目……正確には父親が店主を勤めているので次期三代目と呼ぶのが相応しいのだが、そのマーヨは体格を見れば分かる通り食べ物に強い興味を持っている。

 自分が美味いものを食べたいというだけではなく、他の者達にも美味くて安いものを食べさせたいという、傍から見れば道具屋ではなく食堂でも経営した方がいいのではないかと思われる人物だったが、そんな人物だったからこそレイにとっては格好の相手だった。

 今、レイ達が取り組んでいる件が上手くいけば、冗談でも何でもなくこの世界の歴史に名前が残ってもおかしくないだろう。即ち……


「ゴブリンの肉の臭みを完全に消すのは難しいですし、味もえぐみや苦みがあります。肉の食感もどうにかする必要がありますし……ふーむ、難しいですな」


 そう、ゴブリンの肉を美味く食べられるようにするという方法を考えていたのだから。

 勿論歴史に名前が残るといっても、それが成功すればであり、今まで何人、何十人、何百人もの者達がその命題に挑戦し、最終的には失敗してきた。

 ゴブリンは、言うまでもなく非常に繁殖力が高い。

 辺境にあるギルムであっても全滅せずに生き延びることが出来ているのだから、その繁殖力は非常に脅威だと言えるだろう。

 だが食肉として考えた場合、その脅威は利点へと変わる。

 繁殖力が強いというのは多少コントロールする必要はあるだろうが、食肉として考えれば幾らでも肉を増やせるということを意味していた。

 おまけにゴブリンは雑食で、何でも……腐りかけのものであっても平気で食べる。それどころか、腐っているものですら食べる。

 つまり、餌には全く困らないのだ。

 唯一にして最大の問題が、その肉の不味さなのだが。


「マーヨ様、やはりゴブリンの肉を食肉にするというのは無理があるのでは?」


 そう告げたのは、マーヨの部下として同じようにゴブリンの肉を食べさせられるという不運に巻き込まれた使用人の男だ。

 レイがこの話を持ってきてマーヨが乗り気になり、研究を始めてから一週間程。その間何度もゴブリンの肉を食べさせられた男は、勘弁して欲しいと告げる。


「何を言うのですか。そもそも報酬に釣られて、自分からこの研究に協力を申し出たのでしょう? なら、しっかりと報酬分の働きをして貰わねば。そもそも、私やレイ殿も同じくらいゴブリンの肉を食べているのですから、泣き言を言うのは情けないですよ」


 マーヨの口から出た言葉は事実だった。

 マーヨもレイも、これまで優に五kg程のゴブリンの肉を食べている。

 その全てが試作品を一口程度だと考えれば、今までどれ程のゴブリンの肉が無駄になったのかというのは明らかだろう。

 ……もっともゴブリンの肉は余っており、手に入れる気になれば幾らでも手に入るのだが。

 尚、その失敗作のゴブリンの肉も、全て無駄になっている訳ではない。

 スラム街の方へとパーシー道具店の名前で寄付として放出し、多少なりとも評判を稼いでいる。

 スラム街に住んでいる者達にとっては、ゴブリンの肉であっても喜んで食べる者が多い。

 特に今は夏で、食べ物が腐りやすいだけに喜びは顕著だった。


「それはそうですけど……まさか、こんなに不味いとは思ってもみなかったので」


 男がゴブリンの肉を食べたのはこれが初めてだったらしく、幾ら報酬がよくても、味見役として参加したのは間違いだったのでは? と思わずにはいられない。

 そんな泣き言を聞いてくれる筈もなく、マーヨとレイはどうやればこのゴブリンの肉を食べられるようになるかという相談を続ける。


「香辛料をもっと大量に使うのは?」


 肉の臭みを消すというので最初にレイの脳裏に浮かんだのはそれだったが、マーヨは即座にそれを却下する。


「そうすればある程度の効果はあるかもしれませんが、香辛料は基本的に高価です。安いというのがゴブリンの肉の最大の特徴なのですから、香辛料を使えばそちらに問題が出てきますよ」

「……そうなるか」

「ええ。それに、香辛料を使えば味の上がる肉というのは他にも色々とあります。値段が同じくらいで、味に関しては格段に上……そうなれば、冒険者としてどちらを購入するかは決まってるでしょう?」


 マーヨの言葉は紛れもない真実だった。

 香辛料を使って高額になったゴブリンの肉と、同じような値段のモンスターの肉。そのどちらを買うかと言われれば、普通なら後者を買う。


「マーヨ様、同じように繁殖力が高いモンスターであれば、オークはどうです?」


 使用人の言葉に、マーヨは……そしてレイが言い聞かせるように口を開く。


「オークはゴブリンに比べると格段に頭がいい。個体としての能力もゴブリンとは比べものにならない程に高いし、数を揃えるのは難しいだろうな。頭がいいだけに、ゴブリンみたいに迂闊に姿を現さないってのもあるし」


 ゴブリンとオークは、共に社会性のあるモンスターだと言ってもいい。だが、その社会性にも大きく差がある。

 オークは集落や家すら作ることもあるが、ゴブリンはそこまで高い知能を持っていない。

 それだけゴブリンとオークの間には大きな差があり、継続的にオークの肉を仕入れるというのは難しかった。

 ゴブリンなら仲間が殺されても全く気にせずに同じような行動に出るだろうが、オークの場合は何か怪しいと思えばその場から退避することも普通にする。

 レイの口から聞かされた説明に、使用人は納得の表情を浮かべて頷く。


「なるほど、そう簡単にはいかないんですね」

「オークの肉はランクを超えて美味いし、もし継続的にオークを仕入れることが出来るのなら、間違いなくうちとしては美味しいんだけどね」


 マーヨもオークの肉はこれまで何度も食べたことがある。

 その味は確かにゴブリンの肉とは比べものにならない程に上であり、適当な味付けの調理でも問題なく美味く食べることが出来た。


(オークの肉なら、世界樹の件でダークエルフの集落を襲ってきた奴のが結構あるけど……あの肉は別に売り物じゃなくて、俺やセトが食べる為のものだしな)


 レイの脳裏を、オークの死体の数々が過ぎる。

 ダークエルフの集落を思い出したことにより、連鎖的に巨大蝉のことも思い出し……少しだけ苦い表情を浮かべる。

 巨大蝉は全く未知のモンスターということもあり、ギルドからの要請で剥ぎ取りはせずにギルドへと預けられているのだ。

 勿論それは強制力のない要請であり、レイが強引に巨大蝉の所有権を主張して剥ぎ取りを行うと言えば、叶えられただろう。

 だが、巨大蝉がレイの魔力と世界樹によりあのような異常な進化を遂げた謎が解けるかもしれないとマリーナに言われれば、レイにそれを拒否する言葉はなかった。

 自分の魔力を大量に流し込んだだけではモンスター化しないというのは既に判明している。

 レイの予想としては、恐らく世界樹の樹液が関係しており、それも世界樹が死ぬ寸前まで弱る程に樹液や魔力を吸収しないとあそこまで明確なモンスターにはならないというものだったが、今回の調査でその辺もしっかり調べて貰える。


「どうしたんです?」


 巨大蝉のことを考えていたレイに、マーヨが不思議そうに尋ねてくる。


「いや、ちょっとオーク肉の串焼きでも食いたいなと思って」

「ほうほう、それはいいですね」

「……ゴブリンの串焼きを食べたばかりなのに、まだ食べるんですか?」


 マーヨはレイの言葉に同意したものの、使用人の方はもうこれ以上肉は食べたくないといった様子で呟く。


「そろそろ暑くなってきたし、少しでも食べて体力を貯め込んでおいた方がいいぞ」


 そう呟くレイは、ドラゴンローブで全く暑さを感じていない。

 尚、マーヨの方は調理の時に顔中から汗を流しており、ここにあった冷蔵のマジックアイテムから冷えた果実水を取りだしては飲んでいた。


「そうですね。夏になると食欲が落ちる人もいますし」

「……マーヨ様はそういうことがないから、羨ましいですね」

「ほっほっほ。私は一年を通して常に食欲がありますから」


 多少皮肉った使用人の言葉だったが、マーヨは自分が褒められたと感じたのか、大きく膨れている腹を叩く。

 そんな使用人の様子に、レイは特に何を言うでもなく改めてゴブリンの肉へと視線を向ける。


「香辛料を使うのも駄目、普通に調理しても駄目となると……他の料理人に頼んでみるか?」


 干し肉以外に用意されているゴブリンの肉の料理は、パーシー道具店の料理人が調理したものだ。

 普通の道具店には料理人という贅沢なものはいないのだが、ここでは冒険者向けに干し肉を始めとした保存食も売っており、その為に雇われていた。……もっとも、マーヨの従兄弟が料理人だというのも関係しているのだが。


「出来ればこの情報はあまり外に出したくないんですけどね。もし私達の研究が上手くいき、ゴブリンの肉の味が上がればうちの店に大きな利益をもたらしてくれるのですから」

「俺としては、普通にゴブリンの肉が食えるようになって広まればそれで十分なんだけどな」


 そうは言うものの、元々この件を相談するのに相応しい店はどこかということで、マリーナに紹介して貰ったのがこのパーシー道具店だ。

 紹介して貰い、こうして研究に協力して貰っている以上、パーシー道具店に利益を出さなければならないというのも、理解はしている。


「肉……肉か。肉の味そのものを……うん?」


 料理の仕方でゴブリンの肉を食べるのではなく、肉そのものの味を上げる。

 そう考えたところで、ふとレイの脳裏を過ぎるものがあった。

 それは日本にいた時にTVで見た番組。

 肉を腐らせるのではなく、熟成させることによって味そのものを上げるという手法だった。


「レイさん、どうしました? 何か考えついたのですか?」


 果実水を飲み終わり、続いて冷えた果実を取り出して皮を剥いていたマーヨに、レイは手を伸ばす。


「……一つですよ?」


 拳より少し小さな果実をレイの手に乗せ、ついでに使用人にも果実を一つ渡す。

 三人で冷えた果実を食べながら、少しの間休憩する。

 特に使用人は、口の中に残っていたゴブリンの肉の味が果実で上書き……いや、浄化されていくのを幸せと共に味わっていた。


「それで、何か思いついたんですか?」


 果実を食べながら尋ねてくるマーヨに、レイは頷いて口を開く。


「熟成肉って手法がある」

「……熟成肉?」

「ああ。ただ、これについては本当に俺も詳しくはしらない。前に師匠と暮らしていた時に本で少し見ただけだから」


 いつもの設定を思い出しながら告げるレイに、マーヨは興味深そうな視線を向ける。

 レイがギルムに来る前に凄腕の魔法使い――魔術師ということになっているが――と一緒に暮らしていたというのは、レイがその設定を活かす為に特に隠しもしていなかったので、知る人ぞ知るといった風に広がっていた為だ。

 レイのように強力な魔法を使う魔法使いの師匠であれば、何か自分の知らない肉の食べ方を知っているのかも? と考えるマーヨに、レイは説明をする。


「確か、ある程度気温の低い場所に肉を数日放置しておけば肉の旨味が増す。……簡単に言えばそんな風だったと思うけど」

「……腐るのでは?」

「いや、腐らない程度の気温。それこそ真冬くらいの気温だったと思う」


 正確には熟成肉を作るのには他にも色々と必要な手順があるのだが、レイがTVを見て覚えているのはそのくらいしかなかった。

 マーヨも何とかレイにもっと熟成肉についての情報を聞き出そうとするも……そもそも元からそれくらいの知識しかないレイには、それ以外に出せる情報は殆どない。

 それでもマーヨは研究に研究を重ね……数年後ではあるが熟成肉を作る手法を完成させることになる。

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