第1076話

 全長二十mはある巨大蝉は、胴体を真っ二つにされてそのまま上半身がセトの一撃により吹き飛び、下半身は地面へと倒れ込む。

 それを見てようやくレイは炎帝の紅鎧を解除し、セトもパワークラッシュを放った反動を地上へと着地することで殺し、レイの方へと駆け寄っていく。


「グルルルルゥ!」


 嬉しそうに喉を鳴らしながらレイへと顔を擦りつけてくるセトに、レイはデスサイズを持っていない手で頭を撫でる。


「お前のおかげで何とかなったよ」


 そう褒めると、セトは更に喉を鳴らしてレイに褒められた喜びを露わにしていた。

 そのまま数分が経ち、ふと気が付くと光球がゆっくりとレイ達の方へと降りてくる。

 光の明滅はゆっくりで、どこかレイに近づくのを迷っているようにすら見えた。

 そんな光球の様子に首を傾げたレイは、何故近づいてこないのかと首を傾げる。

 だが……それも当然だろう。

 光球はあくまでも世界樹の意思であり、世界樹とは言うまでもなく木だ。

 そして木というのは当然のように火を怖がる。

 世界樹と呼ばれているだけあって、光球の本体とも呼べる世界樹はその辺で行われている焚き火や、それこそ魔法使いの放つ炎に対しても強い耐火性を持つ。

 そんな光球であっても、レイがつい先程まで身に纏っていた炎帝の紅鎧は別だった。

 膨大な量の魔力がレイの資質によって炎の魔力と化し、可視化出来る程に濃縮されたのだ。

 それこそ炎の化身であるかのように。

 世界樹と呼ばれている木で、例え強い耐火性があっても、それには限度がある。

 レイの放つ炎帝の紅鎧は、その限度を遙かに超えていた。

 だからこそ、レイに近づきたくても躊躇っていたのだ。

 光球と意思疎通が出来ればレイにもその辺の事情が理解出来たかもしれないが、生憎とレイにそんな能力はなかった。

 何となく光球が近づいてこないな、という感想しか抱けない。


「おーい、どうした? 何かあったのか?」


 そう尋ねるレイに、光球はゆっくりと近づいて行き……不意に今までの行動が嘘のように、激しく明滅する。

 同時に、背後で何か動く気配を感じたレイは、殆ど反射的にその場を飛び退く。

 そんなレイと共にセトも四本の足で横へと跳躍する。

 その場から離れて視線を気配の方へと向けたレイは、そこに巨大蝉の上半身があったことに驚き、目を見開く。


「なっ!?」


 上半身を切断され、その上でセトのパワークラッシュを食らって切断された場所から吹き飛ばされたのだ。

 にも関わらず、何故か巨大蝉は上半身だけで動き、レイへと向かって飛び掛かってきた。

 それでも今の攻撃が正真正銘最後の力だったらしく、そのまま巨大蝉の上半身は地面へと倒れ込み、ピクリとも動かなくなる。


「……今度こそ本当に死んだのか?」


 一度上半身だけで飛び掛かられただけに、デスサイズを手に警戒するレイ。

 そのまま数秒、十数秒、数十秒が経っても巨大蝉が動かないのを確認し、ようやく構えを解く。


「グルルルゥ?」


 大丈夫? と喉を鳴らしているセトに、レイは大丈夫だと頷いてそっと撫でる。

 そんなレイの横では、先程までレイに近づこうかどうかで迷っていた光球がいつの間にか巨大蝉との戦いが始まる前の距離にまで近づいていた。

 光球を一瞥したレイだったが、それ以上は何も口にしないままで近くに落ちていた石を拾う。

 巨大蝉の生死を確認する為、軽く……それでいて当たれば間違いなく痛みを感じるだろう速度で石を投擲する。

 命中した石は、周囲に石が肉にめり込むような、あまり愉快ではない音を響き渡らせた。

 そんな音を立てるような速度で石をぶつけられても、巨大蝉の上半身は微かにも動かない。

 いや、石がぶつけられた衝撃で多少動いてはいるが、それが巨大蝉の意思ではないというのは明らかだった。


「本当に死んだみたいだな。……ちょっと調べてくるから、セトは念の為に援護を頼む」

「グルルルゥ」


 レイがセトに告げ、デスサイズを構えたまま一歩を踏み出すと、その目の前に光球が移動してきて明滅する。

 まるで自分は? と言っているような光球に、レイは少し考えて口を開く。


「お前はセトの近くで待機だ。あの巨大蝉がお前の魔力や樹液で育ったモンスターなら、お前にとって最悪の相性と言えるだろうし」


 そんなレイの説明に、光球は何度か明滅すると大人しくセトの側へと向かう。

 自分の身を心配してセトの側にいるように言われたのだと、そう理解した為だ。

 セトの近くにいる光球を一瞥し、改めてレイは巨大蝉の方へと近づいていく。

 もし何かあっても、すぐに対応出来るようにしながら巨大蝉との……正確には巨大蝉の上半身と間合いを詰め、それでも巨大蝉が動かないのを見ると、次にデスサイズの石突きで何度か突く。

 それでも一切反応がないのを見て、次はもう少し強めに突き……やがて、本当に死んだのだと理解した。


「まさか身体を真っ二つにしても生きてるとは思わなかったな。昆虫には痛覚がないってのを前にTVか何かで見たけど……そのせいか? いや、でも今までも昆虫型のモンスターと戦ってきたけど、明らかに痛みを感じてたモンスターもいたような」


 首を傾げつつ、改めて巨大蝉の死体を調べていく。

 まずレイが真っ先に興味を持ったのは、当然の如く巨大蝉の魔石。

 だが、全長二十m……胴体で真っ二つにされて半分になっていても、全長十mの胴体の中からすぐに魔石を取り出せる筈もない。

 いや、正確には切断された場所から体内に入っていけば魔石を取り出すことも出来るのだろうが、それはつまり全身が巨大蝉の体液に塗れるということに他ならず、レイとしては出来ればそんな状況は避けたかった。

 かといって、上半身をデスサイズで斬り裂いて……と考えても、間違いなく時間は掛かる。

 結局レイは魔石を後回しにし、次に足へと興味を移す。

 炎帝の紅鎧を使用したデスサイズの一撃で切断したものもあるが、元々巨大蝉の足は左右で合計十本もある。

 身体を切断されたので半分近くは下半身についているが、それでも上半身にはまだ足がある。


「この足……デスサイズの刃を受け止めた時、金属音を鳴らしてたんだよな」


 世界樹で行われた戦いを思い出しながら、レイはじっと巨大蝉の足の先端へと視線を向ける。

 足の先端は鋭利な刃……というよりは針の如く尖っており、それでいて中心部分には穴のようなものがあった。

 それを見たレイの脳裏を過ぎったのは、世界樹の幹にしがみつき、その幹からも樹液や魔力を吸い取っていたことか。

 つまり巨大蝉の足は武器であると同時に口の役割も果たしていたということになる。


「その割りには、顔にきちんと口があるんだけど」


 足の先端部分を触ってみるが、そこから返ってくるのは硬質的な……それこそ金属のような感触。

 レイの振るうデスサイズの一撃を弾いたのだから、間違いなく相応の硬さを持っているだろう。

 それはつまり、武器を作る素材としても優秀だということになる。


(ただ、真ん中に穴が開いてるのがな……これでただの鋭利な針のような状態なら、それこそそのまま武器として使えるんだろうけど)


 巨大蝉の足の一本へと触れながらそんなことを考えていると、不意にこちらに近づいてくる者の気配を感じ取る。

 そちらへと視線を向けると、そこには三人のダークエルフの姿があった。

 それを見て、上空で巨大蝉と戦っている時に何人かが光球の……世界樹の作りだした更地に向かっていたのを思い出す。


(いたな、そう言えば……)


 色々と激しく忙しい戦いであった以上、その件はすっかりと忘れていたレイは恐る恐る近寄ってくる三人のダークエルフに話し掛ける。


「どうした?」


 どことなく軽い感じで話し掛けられたその声に、緊張が解かれたのだろう。慌てて口を開く。


「どうしたじゃないですよ! 何なんですか、この更地は! あー、もう。どんな方法を使ったのか分かりませんけど、森をこんなに破壊して……」


 三人組のリーダー格だろうダークエルフの女が、そう言いながら近づいてくる。

 

「それに、その巨大なのってもしかしてさっきまで森の空を好き勝手に飛んでいたモンスターじゃないですか! レイさんのグリフォンと戦っていたようですけど……そんなのが急に地上に落ちていったのですから、様子を見に来るのは当然でしょう!」


 自分達のリーダーの言葉に、他の二人のダークエルフも同感だと頷く。


「森の破壊なんて真似をすれば……下手をすれば、集落の皆と戦闘になりますよ!?」


 その言葉の中に自分を心配する色があったことに、少しだけレイは驚く。


(一応、俺も感謝されてるんだな)


 意外そうなレイだったが、ダークエルフの集落で世界樹を治療し、行方不明になった四人の子供を無事見つけ出して保護しているのだ。

 ダークエルフ達にとって、レイは恩人と言ってもいい。

 そんな恩人と戦うような恩知らずな真似は絶対にしたくなかったし、何より勝てるとは思えない。

 集落の者達にどう説明したらいいのかと迷っているダークエルフの女に、レイは安心させるように口を開く。


「大丈夫だ。森は破壊されていない」

「は? 何を言ってるんです? 現にこうして更地になってるじゃないですか。そんなので誤魔化せるわけ……」


 少しだけ呆れつつそう告げてくるダークエルフの女の言葉に、他の二人のダークエルフの男達も頷く。

 だが……そんな三人に対し、レイの視線が向けられたのは更地の先にある木々だった。


 レイの視線を追ったダークエルフ達は、何をしたいのか分からないといった様子で改めてレイへと視線を向ける。


(普通に考えて、森が……しかも一部分だけ移動したって言われても納得は出来ないが。……本当にどうやったんだろうな? 木の根とか、しっかりと土の中にあった筈なのに)


 どう考えても不条理な出来事ではあったが、レイやセトの存在そのものが理不尽と呼ばれてもおかしくないことに気が付いていないのは、レイらしいのだろう。


「どうしても俺の言うことが信じられないんなら……そうだな、一度森の外まで出てみるといい。そうすればここに更地が出来た分、森そのものが大きくなっているのが分かると思う」


 ふと、森の形が歪んだのであれば、集落そのものを覆っている障壁の結界はともかく、迷いの結界の方はどうなっているのかという疑問を感じたレイだったが、そもそも魔力や魔法というものが存在するこの地で、それを行ったのが世界樹なのだ。

 その辺の心配はするだけ無駄だろうという結論に達する。


「森が……この更地の分広がった、ですか?」


 世界樹と共に生きるダークエルフであっても、レイの口から出た言葉は予想外であり、到底信じられるものでははない。

 だが、それでも信じてみたくなったのは、一時的にしろレイが世界樹を全快させたという実績があることや、何より今目の前に広がっている巨大蝉の死体が強い説得力を与えていた。

 これだけの力がある人物が、調べればすぐに分かるような嘘を吐く筈がないと。


「今は森のことよりも、集落の方だろ。お前達がこの更地に向かった時はまだモンスターとの戦いは続いていただろ? 戻らなくてもいいのか?」

「っ!? そ、そうでした。あまりの光景に……取りあえず、この更地に危険はない。そう思ってもいいんですよね?」

「俺が作った訳じゃないから絶対の安全は保証出来ないけど、恐らくは大丈夫としか言えないな」


 そう告げると、レイは巨大蝉の上半身と下半身へと触れてミスティリングに収納し、セトを呼んで背へと跨がる。


「あ、ちょっ! 私達はどうすれば……」


 出来れば自分達も連れていって欲しい。言外にそう告げるダークエルフの女に、レイはセトの背の上で首を横に振る。


「悪いが、それは無理だ。セトには俺か……頑張っても子供くらいしか乗れないからな。どう見ても子供よりも体重があるだろ?」


 マリーナ程ではないが、ダークエルフの女はそれなりに胸が大きい。

 身長もレイより高く、とてもではないが子供程の体重とは言えなかった。


「そんな訳で、悪いけど自分達で戻ってきてくれ。ただ……モンスターの方は多分どうにか出来ると思うから、心配いらない」

「え?」


 更地の件を話した時と同様、何を言ってるのか分からないといった様子のダークエルフの女だったが、それに構わずレイはセトの首を軽く叩く。

 いつものようにレイの意思を察したセトは、数歩の助走で空中を駆け上がる。

 見る間に地上が遠くなっていき……ものの数分も掛からず、集落へと到着する。


「セト、頼むな」

「グルルゥ」


 小さく喉を鳴らし……そして集落の付近を飛び回りながら、セトは高く、高く鳴く。

 王の威圧という訳ではなく、純粋にセトが……グリフォンがここにいるのだと、そう他のモンスターへと示す為に。


「グルルルルルルルルルルルルゥッ!」


 セトの鳴き声は集落の付近にいる全てのモンスターへと聞こえ、それで自分達の近くにグリフォンがいるというのを理解すると、一目散に逃げ出すのだった。

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