第1077話

 セトの雄叫びを聞いたモンスターが去って行くのを上空から眺めていると、レイの側にやってきた光球が明滅する。

 何を言いたいのか正確には分からなかったが、それでも恐らく感謝しているのだろうというのは理解出来た。


「キュキュ!」


 そんな光球へと視線を向けながら、巨大蝉を長時間引き付け、押さえてくれたセトを撫でていると、不意にそんな声が聞こえてくる。


「うん? イエロ?」


 視線の先にいたのは、当然のように空を飛んでいる黒竜の子供。エレーナの使い魔であるイエロだった。

 小さな羽根を羽ばたかせながら、レイの懐へと飛び込んでくる。



「お前が来たってことは……ああ、やっぱり」


 レイが地上へと視線を向けると、そこでは太陽の光に黄金の髪を輝かせているエレーナの姿があった。

 手にはまだ刃がモンスターの血に濡れているミラージュを持ち、空を飛んでいるレイの方へと視線を向けている。

 そしてエレーナの側には当然のようにアーラの姿もあり、こちらもパワー・アクスを手にして上空を見上げていた。

 周辺に散らばっているモンスターの死体は、優に五十を超えているだろう。その殆どがゴブリンであったが、まさに血の海……いや、血と肉片と内臓の海とでも呼ぶべき光景が地上には広がっている。


「セト」

「グルルルゥ」


 イエロを撫でながらレイが告げると、セトは地上へと向かって降下していく。

 そして地上へと着地すると、周辺には濃厚な血の臭いが漂っていた。

 これだけのモンスターを倒したのだから、この光景は当たり前のものだった。


「レイ、こうしているということは、あの巨大なモンスターは倒したのだな?」

「ああ。少し手間取ったが、取りあえず何とかなった。それで、こっちの方は……特に大きな被害はないみたいだな。死体もモンスターのものしかないようだし」


 少し離れた場所で仲間の怪我を治療しているダークエルフ達がいるが、その怪我も致命傷と呼べるような者はいない。

 一番重傷だと思われるのが腕の骨を折ったと思われるダークエルフなのを考えれば、この場所で行われた戦闘がどれだけ楽なものだったかが分かるだろう。


(いや、怪我人がいる時点で楽ってことはないか)


 ダークエルフの何人かが、自分達が見られていることに気が付いたのだろう。レイの方へと視線を向けてくる。

 レイに向けられている視線の中には、未だに畏怖や恐怖といったものは抜けきっていないものの、それでも感謝の気持ちが強く込められていた。

 誰もが理解しているのだ。世界樹を治療したのが誰なのかということを。

 そして、空を飛んでいた巨大な……とても自分達では勝ち目がないと思われるような、モンスターを相手にしていたのも。

 だからこそ、まだレイに対する畏怖や恐怖はあるが、それでも過剰なまでに恐れたりはしない。

 そんな視線を向けられたレイは、そっと視線を逸らす。


「ふふっ、感謝の気持ちは素直に受け取ってもいいのではないか?」


 照れているレイの様子に、エレーナは笑みを浮かべてそう告げる。

 アーラもまた、エレーナの隣でレイの様子に笑みを浮かべていた。


「キュ!」


 そしてレイの腕の中にいたイエロも、自分の主人に同意するように短く鳴く。


「それはそれとしてだ」


 自分でも話を誤魔化しているというのは分かっているが、このままからかわれ続けるのは性に合わないレイは、そう言いながら上を……空を見る。

 ここは障壁の結界の側であり、そのおかげで木々によって日の光が遮られることはない。

 春らしい青空と、暖かかな空気。モンスターの死体が周囲に転がっていなければ……そして血の臭いが周囲に漂っていなければ、ピクニックにでも来たかのような感想を抱いただろう。


「一応さっきのセトの雄叫びで殆どのモンスターは散っていったと思うけど、もしあの雄叫びを聞いてもまだ残っている奴がいたとしたら、そいつはかなり強力なモンスターの筈だ」

「まぁ、そうだろうな」


 グリフォンの雄叫びを聞いても残っているのだから、余程自分の力に自信のあるモンスターなのは間違いなかった。


(俺としては、そういう強いモンスターには残っていて欲しいんだけどな。何だかんだと、この戦いで得られた魔石は巨大蝉と緑の狼二匹分だけだし)


 今回の成果が少し不満なレイにとって、強力なモンスターがいるのであれば、寧ろ望む所だった。

 勿論それだけ強力な敵がいるということは、ダークエルフ達が現在も戦っているということになる。

 そして恐らく戦死している可能性が高い。


「そんな訳で、取りあえず集落の周りを見て回ってくる」


 そう告げるレイに、エレーナは特に不満そうな様子も見せずに頷きを返す。

 出来ればレイと一緒にいたいという気持ちはあったが、現在のダークエルフの集落の状況を考えれば、レイを引き留める訳にいかないというのは姫将軍という異名を持つエレーナには十分に分かっていた。


「ああ、頑張ってくるといい。……ああ、そうだ。済まないがイエロを一緒に連れて行ってくれないか?」

「イエロを?」

「キュ?」


 レイの腕の中で大人しく撫でられていたイエロは、自分の名前が出て来たことに気が付いたのか鳴き声を上げる。

 そんなイエロの様子にエレーナは笑みを浮かべて頷く。


「ああ。イエロはこう見えても主力としてはともかく、サポートとしての能力は高い。特にその鱗は並大抵の武器は通さないしな」

「……いや、それはイエロを盾にしろって言ってるのか?」

「キュ!?」


 盾という言葉に、イエロはレイの腕の中で固まる。

 イエロの鱗は確かに並の攻撃を弾く防御力を持っている。

 それでもイエロはまだ子供であり、好奇心は旺盛であるものの、攻撃をされても平気だという訳ではない。


「うん? ああ、勘違いさせたか。別に盾にしろとは言ってない。ただ、レイの側にいてもイエロなら何かがあっても大丈夫だと言いたかっただけなのだがな」

「キュー……」


 良かった、と鳴き声を上げるイエロを撫でながら、レイは少し考え……やがて頷く。


「分かった。エレーナがそう言うのならそうさせて貰う。……じゃあ、イエロ。暫く頼むな」

「キュ!」

「グルルルゥ!」


 レイとイエロのやり取りを聞いていたセトは、そのまま走って翼を羽ばたかせる。

 そんな一人と二匹を見送っていたエレーナは、レイの姿が見えなくなるとダークエルフ達の方へと向かって口を開く。


「さぁ、取りあえず死体の片付けだ! この季節、放っておけばすぐに悪くなる。その前に血抜きや剥ぎ取りをしておかなければならないぞ!」


 エレーナの言葉に、ダークエルフ達が立ち上がる。

 出来ればもう少し休みたかったというのが本音だったが、今ここで動かなければ、何だかんだと今日はもう何も出来なくなるような気がした為だ。

 そうすれば血の臭いに惹かれて獣やモンスターが姿を現し、死体も腐り……と、都合が悪い。

 今ならまだ何とか出来るのだから、頑張って動くべきだった。


「一番数が多いゴブリンは、魔石だけ取って纏めて燃やしてしまった方がいいですね」


 アーラの言葉に、エレーナは頷く。


「そうだな。ゴブリンは肉も不味いし素材になる部位も安物でしかない。他に何もモンスターがいないのであればまだしも、今はオークやコボルトを始めとして多くのモンスターの死体があるからな。そうである以上、時間は有限だ」

「はい」


 そう言いつつ、アーラは地面に倒れていた二匹のオークの足をそれぞれ持ち、引っ張って行く。

 それを見た周囲のダークエルフ達は、ただ唖然とした視線を向けるしかない。

 アーラの力が強いというのは、当然ダークエルフ達も知っていた。

 ダークエルフ達では持つことが出来ないようなパワー・アクスを自在に振り回していたのだから、当然だろう。

 それでも……まさか、二匹のオークの足をそれぞれ片手で引きずって歩くことが出来るというのは、その目で見れば驚きしかない。

 これが筋骨隆々の大男であれば、まだ納得出来ただろう。だが、アーラの見た目は華奢……というのは少し大袈裟だが、それでも決して力が強いようには見えない。

 それだけに、受ける違和感がとんでもないものになっていた。

 ……もっとも、見た目に似合わぬ力という意味ではレイも似たようなものなのだが。

 ダークエルフ達から驚愕の視線を受けつつ、アーラはオークのように重量のあるモンスターを運ぶのだった。






 アーラがダークエルフ達から尊敬の視線を集めている頃、レイはセトとイエロ、光球と共に障壁の結界に沿って移動していく。

 何ヶ所かの戦闘の跡があった場所を通り過ぎたが、幸いその場所は既に戦いが殆ど終わっており、モンスターの死体の後処理を行ってるところだった。

 セトの存在で動きが固まった為か、逃げ出したモンスターから置いて行かれてオークやコボルトといったモンスターが何匹か残っている場所もあったが、集団であればともかく数匹程度ではダークエルフ達に対抗することは出来ない。

 他にもようやく我に返って逃げ出したモンスターもいたのだが、ダークエルフ達も追撃の矢や精霊魔法を放つことはあっても、森の中にまで追うことはなかった。

 ……そう、つまり今のところはどこにもレイが期待したようなモンスターの姿はない。

 

「まぁ、元々この場所にこんなにモンスターがいるのがおかしいんだから、しょうがないんだろうけど」


 あまりのモンスターの数にレイも時々忘れそうになるのだが、今レイがいるのは、迷いの結界と障壁の結界の間にある場所だ。

 世界樹が万全の状態であれば、基本的に迷いの結界を突破したような者しか存在しない場所。


「……となると、やっぱりあの巨大蝉が原因だったんだろうな。話に聞いていた、バーサーカー状態のモンスターってのも自分の意思がないって状態で似ているし」

「グルルルルゥ」

「キュウ!」


 レイの言葉に反応したのか、セトとイエロがそれぞれ鳴き声を口にする。

 また、光球も何らかの意思表示をしたいのか、眩く明滅していた。

 そんな風に、最初の予想に比べて随分と呑気に移動をしていると、また別のダークエルフの集団が見えてくる。

 そしてダークエルフ達の中にはマリーナとアースの姿もある。

 アースの左肩にはポロの姿もあり、特に怪我をしている様子はない。


「ここで戦ってたのか。……どうやら特に大きな怪我もしてはいないみたいだな」


 安堵しながら、レイはセトの背を軽く撫でると、セトは地上へと向かって降下していく。


「うん? ……エアロウィング!?」


 二人の側に倒れているのがエアロウィングだと知り、思わず声を上げる。

 セトもデスサイズも、既にエアロウィングの魔石は吸収し終わっている。

 そういう意味ではあまりレイにとって美味しいモンスターとは呼べなかったのだが、別の意味で美味しいモンスターではあった。

 食べる場所自体はそれ程多くないのだが、その代わりエアロウィングの肉は非常に美味なのだ。

 エレーナ達が借りている家で食べたエアロウィングの肉の料理は、レイにとっても強く印象に残っている。


「あら、私よりもエアロウィングの方に興味あるの?」


 少し拗ねたように告げるマリーナに、レイは何かを誤魔化すように笑みを浮かべる。

 そうしながら、視線を森の方へと逸らし……まるでタイミングを図っていたかのようにヴィヘラとビューネが姿を現す。


「レイ? どうやらそっちの方も片付いたみたいね」

「ヴィヘラ? 何だってここに?」

「何だってって言われても……ここは私達の受け持ちだもの。いるのは当然でしょう?」

「は? いや、じゃあ何で……」


 戸惑ったようなレイの視線がマリーナの方へと向けられる。

 その視線を向けられたマリーナは、小さく笑みを浮かべて口を開く。


「私達がここにいた理由? こっちの方は私とアースだけで片付いたから、まだ戦ってる場所に援軍にきてたのよ」

「……襲ってきたモンスターを全部倒したのか?」


 驚きの口調で告げるレイだったが、それを聞いたアースはそっとマリーナへと視線を向ける。

 その瞳に映っているのは、半ば畏怖に近い。

 何故なら、アースはマリーナの力を間近で見ていたからだ。

 精霊魔法を使い、次々にモンスターを殲滅していく光景を。

 それは、アースが憧れている英雄の仕業と言ってもいい。

 だが、その力を間近で見たアースは憧れると同時に畏怖を抱く。

 魔法を使えないアースだからこそ、極大とも呼べる精霊魔法のやり取りに意識を奪われたのだろう。

 それでも恐怖ではなく畏怖で済んでいる辺り、英雄に憧れているアースだからこそといったところか。

 そんなアースの視線を受け止めながら、マリーナはレイへと一歩近づく。


「レイ……」


 潤んだ視線でレイの名前を呼び、そっと近づいて行く。

 そしてレイの側にいる光球を一瞥すると、笑みを浮かべる。

 世界樹に連なる血筋なだけに、その光球がどのような意味を持っているのかというのは十分に分かっていた。

 そもそも、庭に姿を現した時から、殆ど本能的に理解していたのだから。



「世界樹の件、ありがとう。レイがいなければ、恐らく世界樹は完全に枯れてしまっていたわ。そうなれば……貴方は私だけじゃなく、この集落にいる全てのダークエルフ達の恩人よ。……ありがとう」


 そう告げ、マリーナはそっとレイへと唇を重ねる。

 自分の中に、確かに存在する愛しい気持ちを込めて。

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