第1075話

「ギギッ!? ギギギギギギ!」


 レイのデスサイズによる一撃で右側の羽根二枚を半ばから切断された巨大蝉は、当然のように飛び続けることが出来ず、地上へと向かって落ちていく。

 このまま落ちれば、間違いなく自分は死ぬと判断している為だろう。巨大蝉は無事な方の左の羽根と半ばから切断された右の羽根、合計四枚の翼を必死に動かす。

 それにより一直線に地上へと落下するのは避けられたが、レイにとっても予想外の事態を起こしてしまう。

 右の羽根が半ばからなくなってしまった影響か、世界樹が作った更地から逸れていっているのだ。

 このままでは折角世界樹が作った更地から逸れてしまう。

 そんな思いを抱き、再びスレイプニルの靴を使って巨大蝉へと向かおうとしたのだが……一瞬躊躇する。

 現在自分は空中を落下しているが、スレイプニルの靴をこれ以上使ってしまうと、セトに拾われなかった場合に使用回数が足りなくなるのではないかと。

 二、三歩程空中を歩くことが出来るスレイプニルの靴だったが、既に現在何回か使ってしまっている。


(いや、炎帝の紅鎧がある以上死んだりは……うん? 炎帝の紅鎧? 深炎? もしかして!)


 ふと深炎の能力……つまり、レイのイメージ通りの炎を生み出すということで思いついたことがあったのだが、どうしようもないのであれば話は別だが、今の状況でそれを試す必要はない。


「グルルルルルゥ!」


 レイが落下していると、セトの雄叫びが周囲に響く。


「ギギギギギギ!」


 そんなセトに対抗するように巨大蝉が鳴き声を上げるも、右の羽根がろくに動かせない状況では巨大蝉も的確な攻撃が出来る訳がない。

 下から急激に上空へと上がってきたセトは、雄叫びを上げながら前足の一撃を振るう。


「グルルルルゥ!」


 その一撃は、現在セトが放てる中でもっとも攻撃力の高い一撃。

 剛力の腕輪の力を借りて放たれた一撃は、そのまま巨大蝉の身体へと向かい……だが、巨大蝉は十本の足を使い、その一撃を受け止める。

 デスサイズの一撃すら受け止めるその足は、巨大蝉にとっては強力な切り札とも呼べる攻撃方法だった。

 デスサイズの一撃を防ぐのだから、セトのパワークラッシュも受け止めるのは難しい話ではない。

 だが……セトによる致命傷になり得たかもしれない一撃は防げたが、その衝撃を完全に逃がすことは出来ずに吹き飛ばされる。

 羽根が万全の状態であれば、セトの一撃を受け止めても空中で持ち堪えることは出来たのだろう。しかし右の羽根が半ばから斬り落とされている状況では、空中で体勢を整えることすら出来なかった。


「ギギギギギギギギ!」


 巨大蝉の口から放たれた聞き苦しい声は、セトの一撃を耐えきることが出来なかった悔しさからか。

 理由はともあれ、大きく吹き飛ばされた巨大蝉は世界樹が作った更地へと向かって落下していく。

 まともに地面に叩きつけられるのは巨大蝉も嫌なのか、必死に羽根を動かして落下の衝撃を減らそうとする。

 本来ならここで巨大蝉に追撃を入れるのがセトにとって最善だったのだろう。

 だが、今のセトは巨大蝉の追撃よりもやるべきことがあった。


「グルルルルルルゥ!」


 必死に翼を動かして向かう先にいるのは、真っ直ぐ地上へと向かって落下しているレイ。

 最初にセトの背から飛び降りた時はかなりの高度からの跳躍だった。

 その上、途中でスレイプニルの靴を使い、落下を止めて巨大蝉の羽根を切断する時に多少ではあるが高度を上げもした。

 それでもレイが空を飛べないのは事実であり、セトは何とかそんなレイを受け止めようと必死に翼を羽ばたかせる。


(炎帝の紅鎧も展開して身体強化されてるし、最悪このまま落ちても怪我はしても死ぬようなことはないと思うんだけどな)


 自分の身体の周りを覆っている可視化出来る程に濃縮された赤い魔力を眺めつつ、レイは内心で呟く。

 それでもセトが自分の為に必死に頑張ってくれているというのは、嬉しくない訳ではない。

 落下しているレイの下に回り込み、そのまま着地しやすいように背中を向けてくるセト。

 このまま落下するとセトに全体重が掛かるので、一旦スレイプニルの靴を使用してクッションを置き、セトの背へと飛び乗る。


「セト、悪いな」

「グルルルゥ!」


 背中にレイの重みを感じたセトは、安堵の息を吐く。

 空中で……それもかなりの高度から背中に乗っていたレイを落とすというのは、セトにとってもかなりの精神的な不安があったのだから無理もない。

 安堵の中に少しだけ心配そうな気持ちを込めた唸り声という器用な真似をしながらも、背中にレイを乗せたセトは翼を羽ばたかせて地上へと落下している巨大蝉の方へと向き直る。

 右側の羽根が半分切断されている状態ではあっても、必死に落下速度を落とそうとしている巨大蝉だったが、その試みは半分程ではあるが成功してた。

 真っ直ぐに墜落するのは避けることが出来ていたが、それでも完全に速度を殺すということは出来ずに墜落していき……


「セト!」

「グルルルルルルゥ!」


 今が絶好の好機と、レイがセトに呼び掛ける。

 その声だけでレイが何をして欲しいのか理解したのだろう。セトは翼を羽ばたかせて真っ直ぐ地上へ落下している巨大蝉へと向かって距離を詰めていく。

 レイを拾ったセトと降下している巨大蝉だけに、セトが攻撃可能範囲に入ったのは巨大蝉が地上へと落ちる直前だった。


「セト!」


 再度の短い呼び掛け。

 だが、今回もセトはレイが何を言いたいのかをその声音から判断し、高く鳴く。


「グルルルルルルルルゥッ!」

「飛斬っ!」


 セトの周囲に十五本の風の矢が姿を現す。

 近接戦闘用のパワークラッシュを除くと最も威力が高いスキルはファイアブレスなのだが、残念ながらファイアブレスは遠距離用ではなく中距離用のスキルだ。

 現在セトが使える遠距離用のスキルの中で最も威力が高く、何より攻撃速度に優れているスキルがウィンドアローだった。

 攻撃速度という面だけなら衝撃の魔眼が最も優れているのだが、そちらは威力が致命的なまでに足りないのでこの場で使うには相応しくない。

 放たれた風の矢は、地上へと墜落する直前の巨大蝉へと次々に着弾する。

 速度と手数では非常に使いやすいスキルだったが、如何せん威力自体はそれ程高くはない。

 それでも次々に身体に着弾するウィンドアローは、着地に集中している巨大蝉にとっては煩わしい。

 そして、ウィンドアローの着弾に紛れ込むように……飛斬が巨大蝉の左の羽根を根元から斬り裂く。

 本来なら障壁の結界を展開して飛斬を防いでいた筈だった。だが、右の羽根が半ばから切断されており、着地に集中する必要があったこと。そしてセトのウィンドアローに意識を乱されつつあったこともあり、そこまで気が回らなかったのだろう。


「ギギギッ!」


 着地しようとしていたところで、突然唯一残っていた左の羽根が根元から切断されたのだから、巨大蝉は当然バランスを崩す。

 幸い既に地上から五m程度の場所まで降下していた為、巨大蝉の着地自体は何とか失敗せずに成功する。だが……


「ギギギギギギギギギギギ!」


 巨大蝉は唯一残っていた左の羽根も切断された苛立ちと共に上空へと身体を向け様に超音波を発する。

 巨大蝉にとっては、苛立ち紛れの一撃という他にも時間を稼ぐという目的もあった。

 だが……超音波を発しながら上を向いた巨大蝉が見たのは、炎帝の紅鎧を身に纏ったレイが自分目掛けて一直線に落下してきている光景。

 そんなレイを見て、巨大蝉が何を思ったのかは分からない。

 それでも空中に一人でいる以上、セトと一緒に相手をするよりはまだいいと考えたのか、レイを目掛けて放つ超音波に込められる魔力量は更に増え、一層威力を増す。


「はっ、その攻撃はもう何度も見てるんだよ!」


 超音波に対抗するように炎帝の紅鎧へと魔力を注ぎ込み、対応策はそれだけで真っ直ぐレイは巨大蝉へと向かって落下していく。

 そして巨大蝉の放った超音波がレイへと命中し……全くダメージを受けた様子のないレイが、落下しながらデスサイズを振り上げる。

 超音波その物を炎帝の紅鎧が燃やしている中で振り下ろされたデスサイズ。

 巨大蝉は自分の超音波が全く効果がなかったことに驚きつつ、足の一本でデスサイズを受け止めようとする。

 世界樹付近で起きた戦闘では、レイが魔力を込めて放ったデスサイズの一撃を防いだというのを理解していたからこその行動だったのだが……

 斬!

 炎帝の紅鎧を使用しているレイの身体能力は通常時とは比べものにならない程に強化されており、攻撃を受け止めるどころか一瞬すら打ち合うことが出来ずに足の先端を切断される。

 レイの振るった一撃がどれ程の威力と鋭さを持っていたのか……それは、切断された巨大蝉の足の先が斬り飛ばされた際の速度にも表れていた。

 そして巨大蝉の前足が曲がりなりにもデスサイズと打ち合えたということは、それだけの硬度を持っているということでもある。

 それだけの硬度を持っている足の先端が炎帝の紅鎧を使用したレイの一撃で飛ばされたのだから、当然その先にあった木の幹に突き刺さるのは当然だった。


(後で怒られるか?)


 一瞬だけそう考え、ふと世界樹の光球がいつの間にか自分の近くにいないことに気がついたが、すぐに頭の中から消す。

 同時に振り下ろされた状態のデスサイズの柄を手首の返しだけで刃の方向を上へと向け、今度は斬り上げる。

 巨大蝉も今のレイの攻撃の恐ろしさを理解したのか、何とか攻撃を回避しようとしたものの右の羽根を半ばから、左の羽根にいたっては根元からと、四枚の羽根全てが切断されている関係上身体のバランスも崩れており、どうしても動きが鈍くなってしまう。

 ここまで接近すれば怖いのは足の攻撃だけであり、レイはその足の攻撃を回避しながらでも胴体を切断するつもりだった。

 幾ら巨大蝉の体長が二十mあろうとも、炎帝の紅鎧を使用した自分であれば足を盾にしようとも胴体を両断するのも難しくはないと、そんな思いのレイだったが……


「ちぃっ!」


 その場を咄嗟に飛び退く。

 すると一瞬前までレイのいた地面が消え去る。

 そう、まるでそこに落とし穴でもあったのかと思えるくらい、タイミング良くだ。


(魔法!?)


 飛び退きながらそう考えるレイだったが、土の槍を飛ばすような魔法を使ってくるのだから、落とし穴を作るような魔法を使えても不思議ではないと理解する。

 そしてレイにとって忌々しいことに、落とし穴というのは現状のレイに有効であるのは間違いない。

 これが土の槍を生やすといった魔法であれば、炎帝の紅鎧により先程の衝撃波のように土の槍を焼き尽くすことが可能だが、そこに何もなければ焼き尽くすような真似も出来ない。

 レイに出来るのは、その落とし穴に落ちないようにすることだけだった。


(待てよ? 落とし穴……落とし穴か。それに奴が今ので味を占めたら……)


 ふと思いつき、内心で笑みを浮かべつつも表情には出さないようにする。

 巨大蝉が自分の表情の変化を読み取れるのかどうかは分からないが、それでも可能な限り表情を見せない方がいいと判断した為だ。

 それどころか、レイは自分の考えを巨大蝉に悟らせない為に叫びすらする。


「セト!」

「グルルルルルゥ!」


 レイを背中から下ろした後、巨大蝉の背後へと回っていたセトが、大きく鳴き声を上げながら急降下してくる。

 パワークラッシュと剛力の腕輪、落下速度の三つが組み合わさった一撃は、命中すれば巨大蝉であろうとも致命傷を与えるだけの威力を持っていると巨大蝉も判断したのだろう。何とか回避しようとするが、羽根がなくなった状況では咄嗟に飛ぶことも出来ず足で動いて回避するしかない。

 それでも十本……いや、レイのデスサイズによって一本切断されているので九本だが、その九本の足があればある程度地上でも動けるのは事実だ。

 必死に動いている巨大蝉だったが、そんな風に動きながらもレイが隙を狙っているのには気が付いていた。


「ギギギギギ!」


 レイへと向かって牽制の意味も込めて何本も土の槍を飛ばし、またレイのすぐ近くの地面にも干渉して魔法を行使し、足下から土の槍を放つ。

 セトの一撃からの回避行動を行いながらの魔法であるにも関わらず、空と大地両方から迫る土の槍は逸れることなくレイへと向かっていた。


「そんなものが、今更俺に通じると思うのか?」


 自分に向かってくる土の槍を見て、回避するのではなくそのまま前に出る。

 深炎で迎撃しようと思えば可能だったが、それでは無駄に時間を長引かせるだけだ。

 長く続いた戦いをそろそろ終わらせる為に、レイは敢えてそのまま前に出る。

 真っ直ぐに向かってきた土の槍は、炎帝の紅鎧によりあっさりと燃やしつくされ……そのまま一気に巨大蝉との間合いを詰めて行く。

 巨大蝉にとって、そのレイの行動は絶好の機会だった。

 二つの相手を同時にするのではなく、片方ずつを相手にする為に……

 そしてレイが踏み込んだ次の瞬間、巨大蝉のいる場所だけを例外として半径五m程の地面全てが消える。

 落とし穴。それも先程とは違い、逃げる場所がない広さを持つ落とし穴だ。

 巨大蝉にとっては好機であり……


「馬鹿が!」


 同時に、それはレイにとっても待っていた絶好の好機。

 落とし穴に落ちそうになったレイは、スレイプニルの靴を発動する。

 空中を蹴って空を飛ぶという能力はその目で見て知っていた巨大蝉だったが、まさか落とし穴から落ちない為に使うというのは予想外だったのだろう。

 そのままレイは一歩、二歩、三歩と空中を……本来であれば大地のあった場所を歩きながら巨大蝉との間合いを詰めていく。

 そんなレイの姿に気が付いた巨大蝉は、焦って足の一本を振り回すが……

 斬っ! と。

 炎帝の紅鎧により増した身体能力で足諸共に巨大蝉の胴体が切断され、追撃として放たれたセトの一撃により上半身の切断された場所が砕けながら吹き飛ぶのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る