第1072話
一面に広がっているのは、モンスターの死体の数々。
中でも多くのモンスターが手足や胴体を切断されており、五体満足の死体というのは殆ど存在しない。
レイがデスサイズを使って放った飛斬の成果だ。
見渡す限り……と言うのは多少大袈裟だったが、それでも今レイの前には多くの死体が転がっている。
デスサイズの石突きを地面に突き刺し、周囲の様子を窺っているレイにラグドが近づく。
その顔には見て分かる程の疲労があった。
ラグドも、モンスターと戦ったことが皆無という訳ではない。
それでもこれだけのモンスターと相対するのは初めてであったし、そうである以上、当然それらのモンスターとの戦いの指揮を執るというのも初めてだった。
「お疲れ様でした。レイ殿のおかげでこの戦いも無事に勝利出来ました。……もっとも、勝利が確定したのはここだけですが」
「そうだな。ラグドが指揮を執って互角に近い状況だったんだから、他の場所だと結構厳しいかもしれないな」
「いや、そんな風に言われましても。そこまで高く買ってくれるとは思いませんでした」
「そうか? 実際俺が見た限りだと十分によく戦っていたと思うけどな。それより、ここが片付いたのならそろそろ他の場所に向かいたいんだが、いいか?」
「……ええ。お願いします。正直、他の戦場がどうなっているのかは心配ですしね」
ラグドにとって、集落を守るというのは何にも勝ることだ。
集落の部外者であるレイに頼るのは少し癪ではあったが、それでも自尊心と集落の安全を天秤に掛けた場合、重いのは明らかに集落の安全だった。
(いえ、レイとマリーナは深い関係にある筈。そうなると、完全に部外者とは言えませんね。……もっとも、それを認めるのもまた癪ですが)
マリーナの……正確にはその祖父であるオプティスの集落での地位を考えた場合、マリーナと深い関係にあるレイは自然とこの集落でも重要な人物となる。
それに思うことがない訳でもなかったが、今はそれよりも集落の安全を確保するのが先だった。
「じゃあ、俺はそろそろ行くけど……ああ、そうだ。あそこに倒れている緑色の狼のモンスターの死体を二匹分貰ってもいいか?」
レイの視線の先にいるのは、体長一m程の緑の狼だ。レイの飛斬により身体が上半身と下半身に別れて死亡している。
尻尾を含めてその体長である以上、そこまで大きい訳ではないが、それでもレイにとっては初めて見るモンスターであり、魔石を確保するという意味でも是非欲しかった。
「その代わり、ゴブリンやコボルト、オーガはそっちにやる。オークは出来ればこっちに欲しいけど、それも可能な限りでいい」
「……いいんですか? それだとレイ殿の取り分が殆どありませんよ?」
最も数が多いゴブリンの死体はともかく、コボルトは肉の味は落ちるもののゴブリン程に不味い訳ではないし、毛皮も使い道はある。オーガにいたってはコボルトやゴブリンとは比べものにならない程に素材の使い道が多い。
そしてレイがある程度でいいから欲しているオークは、食料としてみればかなりの上物だった。
その殆どを譲ってもいいと言っているのだから、当然だろう。
だが、レイにとっては有象無象のモンスターの死体よりも未知のモンスターの魔石の方が重要だった。
(オークの肉は惜しいけど、ある程度は貰えるだろうし)
周囲に濃厚に漂っている血の臭いに一瞬だけ眉を顰める。
これだけのモンスターをダークエルフと共に殺しておいて何だったが、別にレイは殺しを好むという訳ではない。
それでも自分や仲間が危ない時に躊躇うような真似はしないが。
「条件はそれでいいのか? なら、俺は別の場所に向かおうと思うんだが」
「え? あ、はい。レイ殿がよければ、こちらとしては全く構いません」
「よし、じゃあ決まりだな」
それだけを告げると、レイは緑色の毛皮を持っている狼の死体へと触れ、ミスティリングへと収納する。
ラグドはともかく、周辺にいた他のダークエルフの何人かはレイがミスティリングを使うところを初めて見たのだろう。驚きの表情を浮かべて黙り込んでいた。
そんなダークエルフ達を一瞥し、レイは上空へと視線を向ける。
そこでは相変わらずセトと巨大蝉が戦いを続けていた。
あらゆる色々な方向から放たれる炎や水、氷、風。
それがセトに比べると圧倒的な巨体を誇る巨大蝉に向かって放たれ……
「グリフォンのセトですか。希少種と聞いていましたが、さすがですね。炎や風、水、氷、土……多種多様なスキルを使いこなすのですから」
「うん?」
上空の戦いを見ていたレイだったが、自分の隣で同じく上を見上げていたラグドの言葉にふと気になったことがあって視線をラグドへと向ける。
そんなレイの視線を向けられた為だろう。ラグドが不思議そうな表情を浮かべてレイを見返す。
「どうしました?」
「いや、今……土って言ったか?」
呟き、レイはセトの覚えているスキルを頭の中で並べていく。
(土? ……毒の爪とパワークラッシュを土のスキルと見間違えた? いや、まさか。どっちも無理矢理考えれば土属性って思ってしまうかもしれないけど、じっとあの戦闘を見ている訳でもない状況で土属性とは思わないだろ?)
レイの知ってる限り、石の槍や土の塊を飛ばすといったような見ただけで明確に土属性のスキルだと呼べるものをセトは持っていない。
それだけに疑問を覚えて口を開く。
「セトは土系統のスキルは持ってなかったと思うぞ?」
「は? ですが……あ、ほら」
ラグドの視線が再び空中へと向けられると、そこには間違いようのない土で出来た槍の姿があった。
レイが放つ槍の投擲に比べると速度は落ちるが、それでも十分高い殺傷能力を持つだろう一撃。
それが空を飛んで……
「って、セトを狙ってる!?」
そう、土の槍が真っ直ぐに向かう先にいるのは巨大蝉ではなく、セト。
翼を羽ばたかせて自分へと向かってきた土の槍を回避し、反撃の水球を放つ。
真っ直ぐ巨大蝉へと向かって飛んでいく水球だが、それ程レベルが高くないスキルである為かあっさりと巨大蝉の超音波によって迎撃される。
「何であの巨大蝉が土のスキルを使ってるんだ?」
レイが巨大蝉と戦ったのはそれ程長い時間ではない。だがそれでも、土属性のスキルを使えるならばその時に使っても良かったのではないかと。そんな疑問を抱く。
超音波が示す通り、巨大蝉の攻撃方法は主に風に属する攻撃だった。
そんな相手が何故土属性の攻撃を、と。
そう思った瞬間レイの脳裏を過ぎったのは、世界樹にしがみついていた巨大蝉の蛹……正確にはその蛹になる前の幼虫。
「……なるほど。世界樹の根元、土の下で暮らしてたんだから、羽化した後でも土系統のスキルを使えてもおかしくはないのか。けど、そんなスキルでやられる程にセトは甘くないぞ」
呟くレイだったが、その言葉には多分に強がりも含まれている。
巨大蝉の攻撃は、命中すればセトにも大きなダメージを与えることが可能なのだ。
そしてセトの攻撃は巨大蝉の超音波と高い運動能力によって回避されやすい。
(俺がいれば……いや、今更だな)
巨大蝉が世界樹から飛び立った時、レイがセトの背に乗っていればここまで膠着状態に近くなることはなかっただろう。
だがそのような真似をしていれば、世界樹は巨大蝉によって完全に殺されていた。
そして現在集落を守っている障壁の結界を再び展開することも不可能だっただろう。
そう考えれば、現状は決して最悪の事態という訳ではなかった。
轟っ! と。空に湧き上がった巨大な炎。
セトのファイアブレスによる攻撃だが、一直線に放たれるファイアブレスは巨大蝉にとって回避するのは決して難しい攻撃ではない。
その炎を見ていたレイは、小さく頭を振る。
(俺がやるべきなのは変わらない)
内心で呟き、自分がやるべきことをはっきりさせると、レイの視線は上空の激しい戦闘に意識を奪われているラグドへと向けられる。
「ラグド、他の戦場がどうなっているのか分かるか? 危ない場所があったら教えてくれ」
「……いえ、残念ですが。他の戦場がどうなっているのかの情報は入ってきていません。ですがここと同じような状況であれば、恐らく一方的に不利になっているということはないと思いますが」
レイの言葉に我に返ったラグドがそう返し、レイは少し考えて頷く。
「分かった。じゃあ予定通り障壁の結界をなぞるようにして集落を一周してくる。今はセトがあの巨大蝉を押さえているが、それもいつまで保つか分からないからな。早く集落の周辺にいるモンスターを始末して、セトの援軍に向かいたい」
「ええ、お願いします。この集落は私達にとって大事な……非常に大事な場所なのです。そうである以上、何としても守り切らねばなりません。ですから、レイ殿の力を借りることが出来るのであれば……」
深々と頭を下げてくるラグド。
レイに対して色々と思うところはあるが、それでも自分の故郷である集落を守る為であればどんな真似でも……それこそレイに頭を下げるくらいなら幾らでもやってのけるという思いがあった。
ラグドの様子を見ていたレイは、頷く。
「任せろ。俺もマリーナの故郷をどうにかしようとしているモンスターを相手に、手を抜くような真似はしないからな。それに、モンスターを倒すというのは俺にも利益がある」
「利益、ですか?」
「ああ。……ま、気になるなら後で聞かせてやるよ」
そう告げ、デスサイズを持っていない方の手を軽く振ると、そのまま走り去る。
出来ればもう少し他のダークエルフ達についての情報を得たかったが、ずっとここで戦闘をしていた以上、他の戦場の情報を持っている筈もない。
「気をつけて下さい!」
ラグドは急速に遠ざかっていくレイの背中へと、聞こえているかどうかは分からないがそう声を掛け、周囲のダークエルフ達は走り去るレイの背中に頭を下げたり、応援の声を投げ掛けたりしていた。
「さぁ、まずは死体を片付けましょう。今の季節だと、このままにしておくと臭いが酷いことになりますし、その臭いに引かれて獣や他のモンスターが来ないとも限りません。細かな解体の類は後でやるにしても、大雑把に纏めてしまいましょう。それが終わったら、ここを守るだけの戦力を残して他の戦場の応援に向かいますよ」
ラグドの指示に従い、ダークエルフ達は動き始める。
自分達を助ける為にレイがあれ程頑張っているのだから、ここで自分達が頑張らなくてどうすると。そんな思いを抱いた為だ。
その前向きな思いには、レイの圧倒的な強さが影響しているのは間違いない。
圧倒的なまでの強さは昨夜の森でも見ていたし、聞いてもいた。
だが、こうして明るい場所で見ると、明らかに違う。
これなら自分達は何とかなる。心の底からそう考え、すぐにでも仲間の下へと駆け付けたいのを我慢しながらモンスターの死体を一ヶ所に集めていく。
途中で何匹かモンスターが姿を現したが、元々ダークエルフというのは高い戦闘力を持つ。
集団で襲ってきたならともかく、数匹程度のモンスターは即座に命を絶たれて剥ぎ取り待ちのモンスターの山へと加えられる。
(レイ殿……頼みます……)
ラグドは最後にレイの去って行った方を一瞥し、再び他の者達へと指示を出し始めるのだった。
ラグド達が戦っていた戦場から離れた場所、そこでは障壁の結界沿いにレイが一人走っていた。
正確にはレイの側には光球がいるので、一人という訳ではないのだが。
「この障壁があるから、道に迷ったりしなくても済むのはいいよな」
多少ではあるが自分が迷子になりやすいという自覚のあるレイとしては、障壁の結界沿いに進めばいいというのは非常にありがたい話だった。
そんなレイを応援するかのように光球が激しく明滅する。
そうして走り続けること五分程。
時々空で行われている花火の如き炎や氷、風といったやり取りを視界の隅に捉えつつ、新たに土の攻撃も加わっているのに不安を覚える。
土の攻撃がセトの行っているものであればまだしも、巨大蝉が行っているのだから。
「セト、やられるなよ」
呟くと、光球がセトなら大丈夫と言いたげに明滅する。
自分の速度に遅れずについてくる光球の姿に、レイは小さく笑みを浮かべ……不意に進行方向に鋭い視線を向ける。
そちらから強い鉄錆の臭いが……既に嗅ぎ慣れてしまった臭いが漂ってきたからだ。
セト程に鋭い嗅覚を持っている訳ではないが、それでもレイの嗅覚を含めた五感は通常の人間に比べると遙かに鋭い。
つまり、自分がこれから向かう先では血が流れるような戦いが行われているということで……
レイの足が大地を蹴る速度が更に上がる。
そうして見えてきたのは、多くのモンスターと接近戦を強いられているダークエルフ達の姿。
ラグドのように優秀な指揮官がいない為か、モンスターを相手に上手く連携出来ずに戦っている光景だった。
「なら、俺があのモンスターの群れの脇腹を……っ!?」
食い破る。そう言おうとしたレイだったが、殆ど反射的にその場を跳び退る。
それと殆ど同時に真上から超音波が叩きつけられ……丁度レイが突っ込もうとしていたモンスターの群れの多くが、魔力を伴った超音波の刃により身体を斬り裂かれることになる。
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