第1071話

「……やっぱり俺がここに来る意味ってなかったよな」


 結界の外に出して貰ったレイだったが、視線の先では未だにオプティスが嬉々として暴れていた。

 蹂躙、無双、虐殺……色々な言葉がレイの脳裏を過ぎったが、それを口に出そうとして自分の今までの行いが思い出され、結局沈黙を守る。


「いや、ここに来た意味はあっただろ? この障壁の結界はダークエルフがいないと出入り出来ないんだから」

「……あ、なるほど。そう言えばそうだった。もしダークエルフがいないと、俺は集落の中に閉じ込められてたのか」


 レイなら無理をすれば障壁の結界から強引に出ることも可能だろうが、そうなれば折角回復した世界樹に再び負担を掛けることになる。

 ただでさえ巨大蝉に魔力や樹液といったものを吸収されており、世界樹は弱まっているのだ。

 ……それどころか、一時は本当の意味で枯れそうにすらなった。

 それをレイの魔力で強引に回復させはしても、まだ完調とは言いにくい。

 魔力に関してはレイの魔力で補充されたが、世界樹の体液や血液とも呼べる樹液は巨大蝉に大量に吸収されたのだから。

 また、レイは知らなかったが、世界樹の根そのものも巨大蝉が幼虫だった時に食い荒らされている。

 そうなると今の世界樹はレイの魔力だけで何とか元気な状態を保っているのであり、そこに更なる負担を掛けるのは致命的と言ってもいい。

 だとすれば、レイがこの場所までやってきたのは少なからず意味があることなのは間違いなかった。

 そんなレイのすぐ側で光球が不満を表すように明滅してる。

 この光球は世界樹の意思とでも呼ぶべきものだ。

 当然レイを障壁の結界に通すくらいは容易に出来るし、やろうとも思っていた。

 だが結局障壁の結界を通したのはダークエルフであり、今の光球には他に何も出来ることはなかった。


「うん? それ……何だ? 何だか、妙に懐かしいような感じを受けるんだけど」


 明滅している光でレイの側を漂っている光球に気が付いたのか、ダークエルフの男はオプティスの脅威から逃げ出そうとしているゴブリンへと矢を射ながら尋ねてくる。


「あー……うん。ちょっとな」


 まさか、この場で世界樹の意思だと言う訳にもいかないレイは黙り込む。

 もしここでそんなことを口にでもしようものなら、間違いなくダークエルフ達は騒ぎ出す。

 モンスターが襲撃してきている現状でそんなことになれば間違いなく混乱する。それは出来れば避けたかった。


(まぁ、世界樹の意思だと知れば士気が上がる可能性もあるけど)


 それでも現在の状況で士気と混乱のどちらを優先すべきかを考えたレイは、結局混乱しない方を選択した。

 オプティスがいなければ、もしかしたらそちらを選択したかもしれない。

 だが、この戦場で現在はオプティスが縦横無尽に暴れており、敢えて混乱する可能性を選ぶ必要はないという判断からだ。

 このまま自分がここにいても意味はないだろうと判断し、話を逸らすという意味でもレイは弓を射っているダークエルフに声を掛ける。


「障壁の結界が再展開されたし、俺はここに必要ないだろ。どこか戦力が足りない場所を知らないか?」

「どうだろうな。こうして何ヶ所かに固まって戦闘してるから、他の場所がどんな具合かってのは分からないんだよ……っと!」


 五匹のゴブリンを速射で連続して仕留めたダークエルフの言葉に、レイは納得して頷く。


「援軍の要請が来ないと、その辺は分からないか」

「ああ。だから、そういう援軍の要請が来ないってことは、多分どこも十分にモンスター達とやり合えてるんだろう、な!」


 弓を引きながらの説明に、レイは少し考えて口を開く。


「分かった。じゃあ、ここにいてもしょうがないし、取りあえず障壁の結界越しに周囲を回ってみるよ。それで危なくなっている所があったら、そこに助っ人に入る感じで」

「そうしてくれると、こっちとしても助かる」


 ここで戦っている以上、レイと話しているダークエルフも昨夜の森の戦闘には参加していた。

 そして、レイがどれだけの力を持っているのかを自分の目で直接確認したのだ。

 そうである以上、レイの力では不足……という言葉が出てくる筈もない。

 寧ろレイの力があれば今にも全滅しそうな戦場でもあっさりと逆転が出来ると、そう判断している。


「気にするな。これも俺の仕事だから」


 世界樹の治療と森の異変の解決がマリーナからの依頼だった。

 その両方に影響を与えていたと思われる巨大蝉の討伐と、その巨大蝉が呼び寄せたと思われるモンスターの処理はレイにとっても望むところだ。


(とか何とか言いながら、実は森の異常に巨大蝉が関わってなかったりしたら赤っ恥だよな)


 森で起きていたモンスターが興奮状態になる異変と、今のモンスターの状況はどこか重なって見える。

 だが、それはあくまでもレイの予想であって明確な証拠の類は何もない。

 それだけに少し疑問もあったレイだったが、それ以上は何も言わずにその場を走り去る。

 その際、オプティスがレイに向かって意味ありげな視線を向けていたのだが、レイはその視線には気が付かない振りをしていた。

 ここでオプティスに話し掛ければ、無駄に時間を浪費するだけだと悟っていたというのも大きいだろう。だが、それ以上に面倒臭いことになるという絶対的な確信があった為だ。

 オプティスも自分の遊び相手がいなくなってしまうのが残念に思ったのだが、長老という立場としてはレイに感謝の気持ちを抱く以外にはない。

 それでもやはりつまらないという思いを表情から消すことが出来なかったのはオプティスにとってレイは色々な意味で貴重な存在だからというのもあるのだろう。

 だが、レイはそんなオプティスを気にした様子もなく、デスサイズを手に障壁の結界をなぞるように移動を開始する。


(炎帝の紅鎧を使えば……いや、森の中だと万が一があるか。なら、今はとにかく現状のままでモンスターを!)


 そう考えていたレイの視線の先で、何故か三匹のコボルトだけが走っているのが見える。


「ワオオオオオォン!」

「ワウワウ!」

「ブルルルルル!」


 それぞれに鳴き声を上げながら必死に走っているその様子は、どこか必死なものをレイに感じさせる。

 事実、この三匹のコボルトは必死に自分達の死地から逃げようとしているのだから、レイの感じたことは決して間違っていた訳ではない。

 三匹のコボルトにとって不運だったのは、やはり逃走途中にレイと出会ってしまったことだろう。

 ふと気が付けば、自分達の周囲にはゴブリン、オーク、オーガと、その他にも多数のモンスターが存在しており、生き残るのに必死だった。

 このままここにいては死ぬだけだと、そんな恐怖に駆られて必死に逃げ出し、同じように考えたコボルト達と合流して逃げ出したのだが……その先にいるのがデスサイズを手にした、コボルト達にとって死神と表すべき存在。

 自分達では絶対に出せない速度で走り、近づいてくるレイの姿を見た瞬間……コボルト達は、その場に引っ繰り返ってレイへと腹を向ける。

 この三匹にとって幸運だったのは、逃げてくる途中で邪魔になる武器を捨てていたことか。

 素手であり、腹を見せて尻尾を巻き込み、視線をレイに向けないように逸らす。

 それは相手に無条件降伏をする仕草だった。

 ……犬の、ではあるが。

 自分の進行方向にいたコボルトの三匹が突然そんな仕草をしたことに、レイは驚きで一瞬脳が真っ白になる。

 コボルトは犬の顔を持つモンスターではあるが、まさか仕草まで犬と同じだとは思わなかった為だ。

 そして、レイは驚きながらも走り続けており、降参の姿勢を取っている犬を……いや、コボルトの横を通り過ぎる。


(あ)


 通りすぎてから我に返るが、一瞬だけ後ろを見ると、そこではコボルト達が一目散に逃げ出しているところだった。

 まるで、この場に留まっていれば間違いなく死ぬとでも思っているかのように。

 実際その結論はそれ程間違っている訳ではない。

 もしコボルトが戦意を持ったままであれば、レイもコボルトを逃がすような真似はしなかっただろうから。


(ま、いいか)


 怯えきっているコボルトの様子を見る限り、人間やダークエルフといった者達に強い恐怖を感じているのは間違いなく、暫くの間は森の中でダークエルフに襲い掛かったりもしないだろうというのがレイの予想だった。

 それなら別にこのまま放って置いても構わないだろうと判断したレイは、見る間に遠ざかっていくコボルトには興味がないと視線を前へと向ける。

 そのまま一分程走っていると、やがて前方から戦いの音が聞こえてきた。


(障壁の結界に沿って全ての場所で戦いが起きてるかもしれない……って思ったんだけどな。こうして実際に移動してみると、さっきのダークエルフが言ってた通り一定の集団になって戦いが起こってるんだな。……これもあの巨大蝉の仕業か?)


 首を傾げながらも走っているレイだったが、やがて喧噪だけではなく実際の戦いが行われている光景が見えてくる。

 オプティスという例外がいないというのもあるだろうが、その戦場はモンスターとダークエルフの戦いはほぼ互角と言っても良かった。

 もっとも、互角なのはあくまでもモンスター同士が争っているのが影響している。

 ダークエルフの攻撃はモンスター同士の戦いの中から離れた者達に行われているのだろう。

 群れから離れつつも、ダークエルフの攻撃からも逃げ切ったのが先程レイが遭遇した三匹のコボルトだった。

 そうしてみるみる近づいてくる戦場の中に、レイの見覚えのある顔があった。

 神経質そうな表情のその男は、必死にダークエルフを指揮して自分達の被害を最小限に、そしてモンスターの被害はなるべく大きくなるようにしている。


「へぇ……やるな、ラグド」


 そう、必死に指揮を執っているのはラグドであり、周囲のダークエルフ達もそんなラグドの指示に躊躇うことなく従っていた。

 マリーナとの論戦で言い負かされて影響力が低下したラグドだったが、今この光景を見てそう思う者はいないだろう。


「レイ殿!? 何故ここに……」

「世界樹の治療……治療? まぁ、とにかく世界樹が弱っていた原因を判明させて、世界樹から離すことには成功したからな。世界樹も今は大分回復してきたから、モンスターの方をどうにかしようと思ったんだよ。そしたら……」


 レイの脳裏を、オプティスがモンスターを相手に無双している光景が過ぎる。

 それは、まさしくダークエルフの英雄と呼ぶべき姿だった。

 ……長老という立場にいる人物が英雄だというのは多少疑問を覚えるレイだったが、オプティスだからと納得してしまう自分もいる。


「そしたら? ……右側からゴブリンが抜け出そうとしています! そっちを優先して叩いて下さい!」


 レイと会話をしながらも、戦況を見渡して分析し、ダークエルフ達に指示を出し、その上で自分も弓や精霊魔法で攻撃をする。


(もしかしてラグドってかなり凄いのか?)


 これまでにも幾度かその片鱗は見てきたが、それでも今の状況は八面六臂の大活躍と言ってもいい。

 最初の印象が悪かった為か、どうしてもレイの中ではラグドを軽く見る……もしくは侮るといったことがあったのだが、今の様子を見ればとてもそんな風に見ることは出来なかった。


「レイ殿? どうしました?」

「いや、何でもない。俺が最初に行った場所ではオプティスが思う存分戦ってたってだけだ」

「ああ、長老が……」


 ラグドもレイの言葉で大体事情を理解したのだろう。小さく溜息を吐いてから再び他のダークエルフ達へと指示を出していく。

 それを見ていたレイは、デスサイズを手に口を開く。


「それで、助けはいるか? こうして見ている限りだと互角なようだけど」

「いります。是非いります。何が何でもいります」


 即座に告げてくるラグドにレイは一瞬気圧される。

 それだけ真面目な表情を浮かべていてた……ということなのだろう。


「分かった、落ち着け。それで俺はどこに攻撃を仕掛ければいい? 遠距離攻撃と近距離攻撃の両方が可能だが」

「遠距離からでお願いします。現在は皆が遠距離攻撃をやっていますので、ここで迂闊に敵陣に突っ込んでいかれては味方の攻撃に躊躇いが出ますので」

「そうか、分かった。……なら、少し派手に行こうか。士気を上げる為にもそっちの方がいいだろ?」

「それは……いえ、そうですね。正直、あまり派手にやってはモンスターの意識がこっちに向けられてしまうので不安なのですが、レイ殿がいれば……」


 レイの実力については、既に疑っていない。

 それどころか、レイの力がどれだけのものなのかというのを考えると、よくぞ今この時にここに来てくれた……というのがラグドの正直な気持ちだった。

 現在は互角だったが、この先どうなるのか全く不明な状況だった。

 モンスター同士が戦って数を減らしてくれれば、自分達に有利だろう。

 だが、逆にモンスター達の数が十分残っている状況で自分達に意識を向けられるようになれば、数の差で圧倒的に不利になる。

 そんな時にレイが来てくれたのだから、これ以上頼もしいことはない。

 そんなラグドの視線を向けられたレイは、小さく頷いてからデスサイズを構え……大きく振るう。


「飛斬!」


 飛ぶ斬撃が真っ直ぐにモンスターへと飛んでいき、数匹のゴブリンやコボルト、オークを切断し、もしくは大きな傷を負わせるのだった。

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