第1040話

 レイの流した魔力を世界樹が吸収し、一際眩く輝いた光が消えた。

 それを見ていたレイは、自分と手を重ねて世界樹へと触れているマリーナへと視線を向ける。

 レイと視線が交じわったマリーナは、いつものように艶のある笑みを浮かべて口を開く。


「世界樹は間違いなく元気になったわ。……見て」


 マリーナの視線が、世界樹の上の方……枝や葉の生えている方へと向けられる。

 そこにあるのは、つい先程までと同じ枝や葉だ。

 それは間違いないのだが、そこから感じられる圧倒的な迫力は最初に世界樹を見た時と比べると大きく違っていた。

 最初に見た時も十分に生命力を感じ、その大きさに圧倒されたレイだったが、今は違う。

 先程まで自分が感じてたのが何だったのかと言いたくなるような、それ程の違い。

 まさに世界樹と呼ばれるのに相応しいだけの、圧倒的な存在感。


「これは……凄い、な」


 驚きの言葉を発したレイは、一行の中でもまだ我を忘れていない方だと言えるだろう。

 事実、エレーナやヴィヘラといった面々までもが、現在目の前にある世界樹の存在感に圧倒され、目を奪われていたのだから。


「でしょう? ……でも、ここまで回復したのは、間違いなくレイの魔力のおかげよ」


 集落にいるダークエルフが総出で魔力を込めても世界樹の病状を現状維持とするのが精一杯だったにも関わらず、今はレイが一人で魔力を世界樹に流しただけでこうなったのだ。

 レイの持つ魔力がなければ、世界樹は枯れていた可能性すらある。

 そう考えると、マリーナがレイに向ける感謝の視線は当然なのだろう。


「馬鹿な……本当に一人で世界樹を……」


 唖然とする声が発されたのは、少し離れた場所から世界樹の治療に立ち会っていたラグドからだ。

 レイの持つ魔力については、前日の広場で腹心のレジュームから聞いてはいた。聞いてはいたのだが……それでも魔力を感じ取る能力を持っていないラグドは実感していなかったのだろう。

 それでもこうして直接目の前で見せられれば、レジュームの言葉に納得せざるを得ない。

 自分達の魔力とは比べものにならない……それこそ、文字通りの意味で桁が違う存在というレイの魔力を。

 呆然とレイとマリーナの方へと視線を向けていたラグドだったが、それでもやがて口元には笑みが浮かぶ。

 世界樹の治療を行ったのがマリーナの連れてきた人物だったというのは面白くなかったが、それでも自分の思いと世界樹の治療のどちらを重視するのかと言われれば、迷う必要すらないのだから。

 魔力を注がれる前と比べ、明らかに活き活きとしている世界樹を眺めながらラグドは溜息を吐いてレイとマリーナの方へと視線を向ける。

 そこでは、ようやくレイとマリーナがお互いに手を重ね合わせていたのに気が付いたのだろう。二人共が薄らと頬を赤くしながら――マリーナはそれでも艶然と微笑んでいたが――手を離しているところだった。

 そんな二人に、当然エレーナとヴィヘラは面白くなく、詰め寄っていく。

 アーラはそんなエレーナの様子に嬉しそうな笑みを浮かべ、ビューネはヴィヘラの方を一瞥するとじっと世界樹へと視線を向けている。

 セトは少し離れた場所で背中にイエロを乗せたまま、こちらもビューネと同様に世界樹を眺めていた。

 レイ一行の様子を眺めていたラグドだったが、やがて手を触れた触れないと騒いでいる四人の方へと近づいていく。


(マリーナ様とそういう関係になるのは……どうなんでしょうね。色々と面倒が起きるような気がするのですけど。それもマリーナ様と同じくらいの美人が他に二人もいるとなると、羨ましいんじゃなくて哀れみすら感じてしまいます)


 マリーナと同等レベルの美貌を持つ人物が他に二人もいる以上、間違いなくやっかみを受け、嫉妬を受け、妬まれ、憎まれ……色々な輩に目を付けられることになるだろう。

 そう考えれば、ラグドもレイの立場を羨ましいとは思うが、自分が代わりたいとはとてもではないが思わなかった。

 それでも世界樹の治療を終えたレイに対し、多少は感謝の気持ちがある。

 向こうは昨日の件で決して自分を快く思っている訳ではないのは分かったが、それでも今この場で助けるくらいはしてもいいだろうと。


「そろそろ集落に戻りませんか? 先程の光で集落の者達も随分と驚いている筈です。……まぁ、今の世界樹は遠くから見ても分かる程に力を取り戻してますから、動揺するといったことはないと思いますが」


 驚いているとはいっても、良い意味での驚きだ。

 時間が経つに連れて力が弱まっていった世界樹が、一瞬のうちに回復したのだから。

 この集落にいるダークエルフであれば、それが分からない者はいないだろう。

 ラグドの言葉に、マリーナも慌てたように頷く。

 その頷きの中にレイと手を重ねた件を誤魔化そうという思いが全くないとは言わないが、それでも集落の者達へ正式に世界樹の回復を教える必要があるというのも事実だった。

 また、レイも絶妙のタイミングで口を挟んできたラグドに、驚きの表情を浮かべる。

 まさか自分を庇うとは思っていなかった為だ。

 レイに嫌われているというのは、ラグドもきちんと理解していただろう。

 それでもレイを庇ったのは、マリーナの件での謝罪も含まれているのか、それとも単純に世界樹の件で感謝しているからか。

 ともあれ、ラグドの言葉にレイが救われたのは事実だった。


「そ、そうね。じゃあそろそろ集落に戻りましょうか。世界樹の治療は終わったけど、もう暫く様子見をする必要はあるでしょうし、何より森の異変をしっかりと確認もしておきたいから」

「そうだな。ここで時間を消費すれば、それだけ集落の方で事態が判明しないってことで混乱しそうだし」


 慌てたように告げるマリーナに、レイも同意する。

 そんな二人をエレーナとヴィヘラは物言いたげな視線で見つめるが、レイの言う通りこのまま集落の方を放っておくことも出来ないのは事実だ。

 そう判断し、これ以上の追及に関してはこの一件が終わってからということで、エレーナとヴィヘラは合意する。

 目と目を合わせただけでそこまで意思疎通が可能なのは、二人共が同じ思い……いや、想いを抱いているからこそだろう。


「分かったわ。じゃあ、取りあえず行きましょう」


 ヴィヘラのその言葉に、全員は世界樹の前を離れて集落へと向かう。

 当然レイも世界樹の前を離れて集落へと向かおうとしていたのだが、ふと何か視線を感じたような気がして足を止める。

 改めて周囲を見回すが、特に自分へと視線を向けている者はいない。


(この視線、前にも感じたな。……何だ?)


 間違いなく視線は感じているというのに、その視線がどこから向けられているのかが分からない。

 それどころか、ふと気を抜けば視線を感じなくなる。

 それでいながら、何か切迫感があるような視線。

 色々な意味で奇妙な視線なのだが、周囲を見回したレイは結局その視線の主を見つけることが出来ない。


「レイ、何をしている? 置いて行くぞ?」


 周囲を見回しているレイが遅れたのに気が付いたのだろう。エレーナがそう声を掛けてくる。

 そしてエレーナの声へと意識を取られると、次の瞬間には自分に向けられている視線は綺麗に消え去っていた。


(どうなってる?)


 疑問に思うも、その視線を感じているのが自分だけ……それこそセトすらも気が付いている様子がないというのは、どうしたの? と首を傾げているセトの様子を見る限り確実だった。

 自分だけに感じる視線。それも、セトの鋭い五感や第六感、魔力を感じる能力をも誤魔化しているかのようなその視線はレイに取っても謎でしかなかった。

 それでも急いで解決しようとしないのは、自分に向けられる視線に悪意の類を感じられないからだろう。

 もしこれが悪意のある視線であれば、レイも何とかしなければならないと焦っただろうが、今自分に向けられているのは寧ろ好意を感じさせる視線のように思えた。


「レイ!」


 先程呼んだにも関わらず、再び立ち止まって周囲を見回していたレイに、エレーナが先程よりも強い声で呼び掛ける。


「っと、悪い。ちょっと気になることがあってな」


 自分よりも少し先にいるエレーナの下へと走りながら、レイは告げる。


「気になること? 何かあったか?」

「いや、それが……」


 妙な視線を感じた。

 そう言おうとしたレイの言葉を遮るかのように前方から歓声が聞こえてきた。

 これ以上ない程の喜びが含まれているその声の主は、当然のように集落にいたダークエルフ達だ。

 自分達にとって何よりも大事な世界樹が元気になったのを見てのことだろう。

 そうして顔一杯に嬉しさを表しながら、世界樹の方へと……つまり、レイやエレーナ達がいる方へと向かって走ってきていた。


「このままじゃ危ないわね。少し横に移動して道を空けましょう」


 マリーナの言葉に全員が頷き、道の端へと移動する。

 そうして走ってきたダークエルフ達は、マリーナやレイに気が付いた様子もなく世界樹の方へと向かって走って行く。


「あら、やっぱり。若いっていいわね」


 走って行ったのが集落の中でも若い――それでも百歳近い者達が殆どだ――であると知り、マリーナは可愛らしい相手を見るような笑みを浮かべる。

 それを見たレイが、それならマリーナは何歳なのかと聞きたくなったが、口にしようとした瞬間に背筋に冷たいものが走って口を噤む。


「全く……もう少しダークエルフとしての誇りを持って行動して貰いたいものですね」


 ラグドが愚痴るように呟くが、その顔には隠しきれない笑みが浮かぶ。


「ま、仕方ないわよ。世界樹の件で皆色々と思うところがあったんでしょうし。それより私達も早く集落に向かいましょう。お爺様に報告をしておかないと。……立ち会いなんだから、ラグドもしっかりと話して貰うわよ」

「分かりましたよ」


 ラグドにとっても、世界樹の治療が出来たのは非常に嬉しい。

 レイに対しては色々と思うところがあるものの、その功績を隠蔽しようとするような真似をするつもりはなかった。

 世界樹の方へと向かうダークエルフ達が一段落したのを見てから、一行は再び集落へと向かう。

 だが……集落で待っていたのは、皆にとって予想外の事態だった。


「え? お爺様が障壁の結界の外に出た? ……何故?」


 オプティスに世界樹の件を説明しようとしたマリーナだったが、家には誰もおらず、周囲の者にオプティスの行方を聞いて回った結果が集落の外へと向かったといったものだった。


「さぁ? 私も世界樹の件で嬉しくてそれどころじゃなかったから。ただ、喜んでいる時にちょっと見ただけで。……でも、世界樹が元気になったんだし、外の様子をちょっと見てきたいと思ったんじゃないかしら」


 普通であれば、長老と呼ばれている年寄りが一人だけで集落の外へ……それも興奮して凶暴性を増しているモンスターが増えている集落の外へ出向くのは自殺行為でしかない。

 だが、オプティスに関しては例外と言っても良かった。

 ダークエルフであるのに、生身でモンスターを血祭りにするだけの実力を持っているのだから、一人で集落の外に出ても何とでも出来るという自信があったのだろう。

 そして、オプティスの自信が決して過信ではないといことは、直接戦ったレイにも理解出来ていた。


「どうするんだ? 報告する筈だった相手がいないとなると……」


 このままここにいても時間の無駄じゃないか? と告げるレイに、マリーナは少し考えてから視線を集落の外へと……障壁の結界のある方へと向ける。


「そうね。じゃあお爺様に知らせに行きましょうか。世界樹が力を取り戻した影響が森の中でどんな風に出ているのかの調査もしたいし」

「いいのか? いや、俺はいいけど」


 少し離れた場所へと視線を向けると、そこでは世界樹が力を取り戻したことにより嬉しさのあまり踊っている者すらもいた。

 ダークエルフの踊りという珍しいものを見ながら、現状の集落を放って置いてもいいのかと尋ねたのだが、マリーナの視線はラグドへと向けられる。


「大丈夫でしょ。この騒ぎはラグドに抑えて貰うから」

「わ、私ですか!?」


 まさか、ここで自分に話が回ってくるとは思わなかったのだろう。

 そもそも昨日のやり取りで自分とマリーナの敵対関係はこれ以上ない程にはっきりと示された筈だった。

 それなのに何故……と。

 だが、マリーナはそんなラグドに構わずに集落を任せると、レイ達を連れて集落の外へと向かう。


(世界樹が力を取り戻した以上、ラグドが何を言っても無駄でしょうし……ね)


 マリーナが連れてきたレイが世界樹の治療を成功させた以上、ラグドがマリーナを排除しようとしても難しいのは明らかだった。

 それに何より、マリーナは世界樹の件が終われば再びギルムに戻る予定なのだ。

 政治的にどうこうされても、取りあえず暫くは……百年かそれ以上の年月は特に困ることはないという考えがあった。

 そうして哀れなラグドをその場に残したマリーナは、レイ達と共に障壁の結界の前へと到着する。


「じゃあ、いいわね?」


 一度だけそう確認し、皆が武器を手に頷くのを見てマリーナも小さく頷きを返す。

 世界樹で何が起きるか分からなかった以上、当然全員が自らの武器や防具を装備していたので、わざわざ家に戻る必要がないというのは都合が良かった。

 そうしてマリーナが短く呟くと障壁の結界に穴が開き、レイ達は障壁の結界の外へと出る。


「……こうして見ると、特に変わった様子はないな」


 エレーナがミラージュを手に周囲を見回しながら呟く。


「そうね。でも、ここは障壁の結界のすぐ側なんだから……」


 そう言ったヴィヘラの言葉を遮るように、近くにあった茂みが不意に揺れる。

 その場にいた者達が、それぞれ咄嗟に武器を構えて茂みの方へとその切っ先を向けると……


「ポロロロ、ポルルルー?」


 そんな鳴き声が周囲に響くのだった。

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