第1041話

 茂みの向こう側から聞こえた鳴き声は、どこか力の抜けるような愛嬌を持っているように思えた。

 だがそれでも、ミスティリングからデスサイズを取り出したレイはその鳴き声に対して警戒を怠らない。

 それはレイだけではない。エレーナやマリーナ、ヴィヘラ、アーラ、ビューネといった面々も同様であった。

 しかし……一行の中で、セトとイエロだけは特に緊張した様子もなく茂みの方へと視線を向けている。

 茂みの向こうから聞こえた鳴き声の主が危険なモンスターではないと知っているかのように。

 そんな二匹を横目で見ながら、レイは内心で疑問に思う。


(俺やセトに全く気配を感じさせないでこんな近くにいたんだから、隠密性に関しては高い能力を持っているモンスターの筈だ。それはいいんだけど……何でセトは警戒していないんだ? 見知らぬモンスターだぞ? いつもなら、間違いなく警戒している筈なのに)


 セトの背に乗っているイエロが無警戒なのも、レイには意外だった。

 純粋な戦闘力という意味では、イエロは決して高い訳ではない。

 姿を消すことが出来る能力や、生半可な武器の攻撃は弾くことが出来る鱗といったように防御面では非常に優秀な能力を持っているイエロだったが、如何せんまだ黒竜やブラックドラゴンと呼ばれる種族の子供……それもドラゴンにとっては生まれたばかりと言ってもいいような年齢の子供だ。

 そんな子供……というより赤ん坊に近い存在に攻撃力を求めるのが間違っているのだろう。


「誰だ? 出てこい」


 レイが茂みの向こうにそう声を発するものの、茂みが揺れているだけで何かのモンスターが出てくる気配はない。


「グルルルゥ、グルルゥ? グルル」

「キュ! キュウ! キュキュ!」


 デスサイズを構えているレイの前に、背中にイエロを乗せたセトが割って入る。


「セト?」


 まるで危険を感じていないようなセトの様子にレイは改めて茂みへと視線を向ける。

 そして考えること数秒。やがてデスサイズを持ち、いつでも振るえるようにしていた構えを解く。


「いいの?」


 こちらもまた、何があってもすぐに対応出来るように手甲に魔力による爪を生み出していたヴィヘラの問い掛けに、レイはセトとイエロへと視線を向けながら頷く。


「ああ。セトとイエロがここまで警戒していないんだ。多分警戒する必要はない相手なんだろ。だよな?」

「……うむ。イエロは戦闘力はセトのように高くないが、勘は鋭い」


 呟きながら、エレーナもミラージュを下ろす。

 いつもであればアーラもエレーナに習うところなのだが、アーラはエレーナの護衛という役割も持っている。

 そうである以上、エレーナに万が一の危険があるかもしれないというのに、ここで武器を下ろすことは出来なかった。

 ビューネも武器を下ろしてはいないが、こちらは危険だった場合に先制攻撃を仕掛けるという思いからの行動だった。


「ポルとかポロロとか鳴いてたけど、鳴き声に聞き覚えはあるか?」


 茂みの向こうにへと向けて必死に鳴き声を上げているセトとイエロの様子を見ながら、レイはこの森に一番詳しいだろうマリーナへと尋ねる。

 だが、レイの言葉に対してマリーナは首を横に振って口を開く。


「残念だけど分からないわ。私がこの集落にいた時にはあんな鳴き声のモンスターや動物はいなかったけど、その時だって森にいる全てのモンスターを見知っていた訳じゃないもの」


 そこまで告げると、一旦言葉を切ったマリーナはそれに……と再び口を開く。


「私が森を出てから随分と経っているのを考えると、その間に新しいモンスターがやってきたとしても不思議じゃないわ」


 マリーナが集落を出てから百年近くが経つ。そして百年近くもあれば、森の生態系は容易に変わる。

 そこにいるのが動物ではなくモンスターであれば、生態系が変わる可能性は更に高いだろう。

 だからこそマリーナには茂みの向こうにどのようなモンスターがいるのかというのは、全く分からなかった。

 ただ、鳴き声から考えてそれ程凶悪そうなモンスターではないのだろうというくらいの予想は出来る。

 そう思ったからこそ、マリーナは構えていた弓を下ろしたのだから。


「グルゥ、グルルルゥ……グルゥ」

「キュ! キュキュ! キュウッ!」

「ポロ? ポルル? ポルゥ?」


 レイ達の見ている前でそんなやり取りが行われること、数分。

 やがて茂みがこれまで以上に揺れているのを確認すると、レイは口を開く。


「どうやらいよいよお出ましらしいな。……セトがいるのに、逃げないって時点で色々と訳ありのモンスターなのは間違いないだろうけど」


 危険はないのが半ば予想出来ていたが、どんなモンスターが出てくるのか分からず、じっと茂みへと視線が向けられる。

 そうして、まず最初に茂みから出て来たのは……青だった。

 小型の……それこそイエロよりも小さいモンスターなのだが、そのモンスターは全般的に青い毛並みをしている。

 他にも人目を引くのは、その額だろう。

 楕円形の赤い宝石のようなものが額に埋め込まれている。

 そんな風に顔だけを茂みから出して周囲を見回していたモンスターだったが、やがて危険はないと判断したのか、身体全体を茂みから出す。

 大きさとしては、普通のリスより一回り大きいくらいか。

 ただし顔同様に身体全体が青い毛で包まれており、体長の半分近くを柔らかそうな毛の尻尾が占めている。

 そして何より一番特徴的だったのは、その尻尾だろう。

 大きさは体長の半分程もあるが、それだけではない。尻尾の数が複数あったのだ。


「何だ、このモンスター……初めて見る」


 呟くレイに、他の者達もマリーナ以外は同意するように頷く。

 姫将軍として戦場を生きてきたエレーナ、ベスティア帝国の皇女として生きてきたヴィヘラ、盗賊としてダンジョンに一人で潜り続けた経験のあるビューネといった三人は普通よりも物を知っている筈なのに、セトやイエロとグルグル、キュウキュウ、ポルポルと会話を交わしいるモンスターを見たことはなかった。

 尚。アーラも当然のように青い毛のリスのようなモンスターを見たことはない。


「うん? あれ? もしかして……」


 レイがイエロにじゃれついている青いリスのモンスターの額にある楕円形の赤い宝石のような物を見て、ふと思い出すことがあった。

 ただし、それはエルジィンに来てから得た知識ではない。日本にいた時にゲームや漫画、小説といったもので出て来た存在。


「カーバンクル?」

「ポルル?」


 レイの呟きに、呼んだ? と青いリスのモンスターが視線を向ける。


(俺の声に反応した? つまり、自分のことが呼ばれたって分かっているって事で……人の言葉を理解している?)


 人の言葉を理解出来るモンスターというのは多い訳ではないが決して皆無という訳ではない。

 セトやイエロといった高ランクモンスターであれば、人の言葉を話すことは出来なくても、聞き取り、理解することは珍しい話ではない。


「正解。かなり珍しいモンスターなのに、よく分かったわね」


 その声に、レイはそちらを振り向く。

 そこには満足そうに笑みを浮かべているマリーナの姿があった。


「え? じゃあこのモンスターって本当にカーバンクルなのか?」

「ええ。もっとも……私が以前見たことがあるカーバンクルとは大分違うけどね。特に尻尾なんて私が見たのは一本しかなかったし」


 マリーナの言葉に、経験豊富な冒険者は違うと思いつつ、青いリス……カーバンクルへとレイは視線を向ける。

 その尻尾はマリーナの言う通り複数生えており、レイが日本にいる時にゲームや漫画で知ったカーバンクルとは大きく違う。


「恐らくセトと同じ希少種ね。凶暴性がないのは、世界樹が治療されたからかしら。それとも、カーバンクルという高ランクモンスターだから?」

「高ランクモンスター?」

「ええ。ランクBモンスターよ。それも希少種となると、当然一つ上のランクという扱いになるから、ランクAモンスター相当ということになるでしょうね」


 マリーナの説明を聞きながら、レイはカーバンクルへとそっと手を伸ばす。

 少し離れた場所では、他の面々が羨ましそうにレイのことを見つめていた。

 レイの指の臭いを嗅いでいるカーバンクルの様子は非常に愛らしく、出来れば撫でてみたいという思いを抱いている者が多かった為だ。


「ポル? ポロロロ……」


 レイの指の臭いを嗅いでいたカーバンクルだったが、不意に地面を蹴るとレイの肩へと跳び乗る。


「……随分と人懐っこいな。本当にモンスターか?」


 人見知りをしないカーバンクルの様子に呆れたように呟くレイだったが、そんなレイに対してヴィヘラは羨ましそうにしながら口を開く。


「当然でしょ。額に宝石が埋め込まれた動物が、普通にいる筈ないじゃない」

「それにしては随分と人懐っこいぞ? 野生のモンスターなんだし、普通に襲ってきてもおかしくないと思うんだけど」

「カーバンクルは元々大人しい種族なのよ。特殊な能力として魔力を使った攻撃を反射するスキルを使うことが出来るけど、攻撃的なスキルは使えないし。……その割りに俊敏で、額の宝石を狙って攻撃を仕掛けられたならともかく、自分から相手に襲い掛かるようなことは基本的にないわ」


 基本的にと付け加えたのは、やはり食事をする為に動物を襲ったりすることもあるからだ。

 だがカーバンクルは雑食性ではあるが、木の実を好んで食べる。

 余程に空腹でなければ、生き物に襲い掛かったりはしない。

 マリーナの説明を聞きながら、レイは自分の肩に乗っているカーバンクルを撫でる。

 その際に尻尾を撫で、尻尾の数が九本あることに気が付く。


「九尾の狐ならぬ、九尾のカーバンクルか。……お前、本当に希少種なんだな。だからこの森の影響を受けてないのか?」

「ポロロ?」


 レイの言葉に、カーバンクルは首を傾げる。


(うん? 完全にこっちの言葉を理解している訳じゃないのか? それでも十分に凄いけど)


 セトの毛並みに負けない程に滑らかなその感触は、いつまでも撫でていたいと思うものだった。


「ポルルルルゥッ!」


 だが、カーバンクルはいつまでもレイの肩にいるつもりはなかったらしく、跳躍して地面へと着地する。

 そうして次に向かったのは、エレーナ。

 九本の尻尾を振りながら、地面を走って速度を得ると跳躍してエレーナの肩に乗る。

 一瞬そんなカーバンクルに対してアーラが反射的に持っていたパワー・アクスを振るおうとしたが、何とか堪えることに成功していた。

 エレーナが笑みを浮かべてカーバンクルを受け入れたというのも大きいだろう。


「うん? 今度は私と遊びたいのか? 随分と元気がいいな。ほら」


 自分の肩に乗っているカーバンクルの喉を撫でてやると、嬉しそうに喉を鳴らす。

 その仕草は、見た目はリスのようにも見えるカーバンクルの割りに猫科の動物のようにも思えた。


「ポロー! おーい、どこに行ったんだ! ポロー!」


 不意にどこからか聞こえてきたその声に、エレーナの肩に乗っていたカーバンクルはピクリと反応する。

 声の聞こえてきた方へと視線を向けると、そのカーバンクルは甲高く鳴き声を上げる。


「ポロロロロロロロロ!」


 周囲に響く、カーバンクルの鳴き声。


(もしかしてポロってこいつのことか? もしかして、ポロポロ鳴くからポロなのか? ……安直だな)


 ポロという名前らしいカーバンクルの様子を見ていたレイだったが、ふととある事実に気が付く。

 ここは迷いの結界の中なのだ、と。

 つまり、このポロと呼ばれているカーバンクルを呼んでいる人物はどうやってかは分からないが、迷いの結界の中に入って来たことになる。

 世界樹が弱っていた件で、迷いの結界の中に迷い込みやすくなっているという話はレイも聞いていたが、それによって中に入ってきたのではないかと。

 だが同時に、ポロと呼ばれた九尾のカーバンクルが懐いているのだから、それ程悪い相手ではないのかもしれないという思いもある。

 茂みを掻き分ける音と共に、次第に誰かが自分の方へと近づいてくる気配を感じ取り……レイはそっと隠し武器のネブラの瞳へと手を伸ばす。

 魔力を流せば鏃を生み出すという能力を持っているこのマジックアイテムは、デスサイズや茨の槍といったような、レイが得意としている長物の武器ではない。

 だがその分目立たずに使うことが出来るのは、大きな利点だった。


「ポロロ?」


 そんなレイの方へと視線を向けるポロ。

 魔力を感じ取っての行動だったが、それでも何も行動を起こさなかったのは、レイが横暴なことはしないと理解しているからか。

 ともあれ、一瞬だけレイの方へと視線を向けたポロは、再び茂みの向こう側へと向かって鳴き声を上げる。


「ポルルルルルル!」


 そしてポロの鳴き声に反応したかのように、茂みの中から一人の老人が姿を現す。

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