第1025話
レイが握ったデスサイズから伸びた炎が、ゆっくりと目の前にいるエレーナとアーラの身体へと流れ込んでいく。
そして次の瞬間、エレーナとアーラの中にあった『戒めの種』という魔法はそのまま消え去り。加護と呼ぶべきものだけがその身に残る。
「……何だか、すっきりとしたような、どこか胸に穴が開いたような、そんな複雑な気がするな」
エレーナが己の豊かな双丘へと手を置き、呟く。
その言葉通り、エレーナはつい先程まで一緒にあったレイの存在が消えているような、そんな思いを抱いていた。
エレーナの側にいたアーラは、そんな主人の言葉に首を傾げる。
「そうですか? 私は特にどうこうとは感じませんけど」
「ふむ、そうなるとこれは私だけが感じているのか」
アーラの言葉に少し首を傾げたエレーナだったが、それでも次の瞬間にはどこか満足そうな笑みを浮かべる。
エレーナにとって、レイと共にいたというのは決して悪いことではなかった為だ。
「俺が思ってるのとは別の意味で嬉しそうな顔をされてもな。元々、今回ギルムに来たのは『戒めの種』を解除する為だっただろ?」
セトの特異性を他人に話すことを禁じる魔法が『戒めの種』だ。
もし魔法を使う前に誓約した内容を違えれば、その命を以て代償を支払うという凶悪な魔法。
だがセトが希少種だということを、レイは去年起きたベスティア帝国の内乱でこれ以上ない程に現してしまっていた。
そうなってしまえば、わざわざ『戒めの種』を使ってエレーナ達に秘密を守らせる必要はない。
その為に対のオーブを使ってやり取りをし、『戒めの種』を解除する為にエレーナとアーラはギルムへとやって来たのだ。
ただ、エレーナがギルムに来て早々にズボズの件に巻き込まれ、それが終わってからもサイクロプスの解体を始めとしてやるべきことがあり、落ち着く暇がなかった。
そんな中で一緒に馬車に乗ってダークエルフの森へと向かうことになり、野営をする時間の合間に丁度いいとこうして『戒めの種』を解除することになったのだ。
「そろそろ戻るか。ヴィヘラやマリーナにばかり仕事をさせておく訳にもいかないだろ」
エレーナの馬車はその性能を最大限に発揮して、普通の馬車よりも大分距離を稼ぐことが出来た。
それでも普通の馬車で片道十日程の道のりを今日だけでゼロに出来る筈もなく、日が沈んできた今は野営の準備をしている。
そこで少し抜け出してきたのだから、ここで時間を潰しすぎれば小言を言われるかもしれないと、レイはエレーナやアーラと共に野営の準備をしている場所へと向かう。
「あら、もういいの? 何か重要な用件があったんでしょう?」
戻ってきたレイ達を見て、マリーナは少し意外そうな表情を浮かべる。
言葉通り大事な用件だと言っていたのだから、てっきりもっと時間が掛かるのだと思っていた為だ。
だが、実際には殆ど時間を掛けずに戻ってきた為に疑問を抱いたのだろう。
「ああ、そっちの方はもういい。それより野営の準備はもういいのか?」
「見ての通りよ」
そう告げるマリーナの視線の先にあるのは、焚き火だけだ。
本来であれば、自分達が休む為に地面に生えている草を刈ったり食事の用意をしたり、寝袋やテントといった物を準備したりといったことをしなければならない。
だが、この一行にはそんな面倒な真似は必要なかった。
エレーナ達はマジックアイテムでもある馬車の中で眠るので特に準備は必要ないし、レイもまたマジックテントがあるので場所を整えたりする必要はない。
食事に関しても、この一行の場合はレイのミスティリングの中に幾らでも料理が入っているので、獲物を探しに行く必要がない。
周辺の警戒に関しても、セトというグリフォンがいる以上は全く心配をしなくてもいい。
敢えてやるべきことを上げるとすれば、馬車を牽く馬の世話といったところか。
水や餌を与え、汗を拭き、といったようなことをする必要がある。
「ギルムを出るのは久しぶりだけど、随分と快適な旅よね」
戻ってきてすぐに馬の世話をしに行ったアーラを眺めながら、マリーナが呟く。
実際、ギルムだけではなくエルジィン全体を見ても、レイ達よりも快適な旅をしている者の数は驚く程に少ないだろう。
それだけレイの持っているミスティリングと、そこに入っている各種マジックアイテム。それとエレーナの馬車が特別なのは間違いない。
「それにしても、今日一日だけで随分と進んだよな。普通の馬車と比べると圧倒的だったけど、これなら七日程度じゃなくて、もっと早く着くんじゃないか?」
「どうかしら。今は辺境にいるからあまり盗賊とかはいないけど、このまま進めば間違いなく盗賊が襲ってくる筈よ。……自分で言うのもなんだけど、この一行は色々な意味で目立ちすぎるし」
マリーナの隣に座っていたレイの方へと視線を向けていたヴィヘラが、小さく肩を竦めながら告げる。
その際に双丘がユサリと揺れたのだが、本人には全く気にした様子はない。
「モンスターじゃなくて盗賊の方を警戒しないといけないってのも、ちょっと情けないけどな」
「ふふっ、そうね。でも盗賊喰いとか言われてるレイなら、盗賊の襲撃は歓迎するんじゃないの?」
面白そうな笑みを浮かべて告げるマリーナに、レイは少しだけ驚きの表情を浮かべる。
自分が盗賊達に盗賊喰いと呼ばれて恐れ、忌み嫌われているというのは当然知っていたが、それはあくまでも盗賊の間だけに広がっている話だと思っていた為だ。
「良くその名前を知ってたな」
「ギルドマスターともなれば、色々とあるのよ。どう? いっそ深紅から盗賊喰いに異名を変えてみない? そうすれば、盗賊達も多少は大人しくなると思うんだけど」
「いや、別に異名ってのは自分でどうこう出来るものじゃないだろ。自然発生的に付けられるものだし」
呟き、レイの視線は空へと向けられる。
そこには夕焼けがあり、どことなく深紅というレイの異名を思い起こさせる光景だ。
夕日が周辺を真っ赤に染めている中で、レイの視線は空を飛んでいるセトとイエロの姿を捉える。
地面を走っての追いかけっこではなく、空を飛んでの立体的な追いかけっこ。
「……随分と面白い遊びをしているな」
そんなレイの言葉に、馬の世話をしているアーラ以外の全員が上を見る。
その中には、レイに対して畏怖の心を抱いているオードバンの姿もあったが、幸い今はその畏怖を表に出すような真似はしていない。
「イエロも空を飛べる仲間がいて嬉しいんだろう。セトにとっては物足りない相手かもしれないが……」
慈しむような笑みを浮かべるエレーナの姿は、普段の戦女神を思わせるものとは違い、母性に近いものがあるように思えた。
じっと自分を見つめるレイの視線に気が付いたのだろう。エレーナはふと視線をレイへと向ける。
お互いに言葉を何も口にせず、ただ黙って見つめ合う。
どこか甘酸っぱい雰囲気が周囲に漂い……
「ん!」
不意にその沈黙を、ビューネが破る。
腹を撫でているのを見れば、ビューネが何を言いたいのかというのは一目瞭然だった。
エレーナとレイも、お互いに小さく笑みを浮かべながら口を開く。
「そろそろ夕食にしないか? ビューネ程じゃないにしろ、レイも空腹ではないか?」
「それは否定しない。……アーラ、そっちはそろそろ終わるか?」
馬の世話をしていたアーラにレイが声を掛けると、すぐに声が返ってくる。
「あ、はい。もうすぐ終わりますので、先に食べてて下さい!」
エレーナの護衛騎士団の団長という地位にいても、本来ならアーラも立派な貴族令嬢なのだが、今のアーラを見て貴族令嬢だと思う者はそれ程多くはないだろう。
アーラの言葉もあり、レイはミスティリングの中から各種料理を取り出す。
焼きたてで香ばし匂いを周囲に漂わせ、外はサクッとした歯応えと、中はふんわりしていて、それでいながらしっとりとした食感の白パン。
しっかりと具が溶けるまで煮込まれ、そこに更に食べる為の具を追加した、野菜と肉がたっぷりのシチュー。
甘酸っぱい果実のソースがしっかりと焼かれたオーク肉の旨味を引き立てるオーク肉のソテー。
野菜とチーズ、木の実を特製ドレッシングで混ぜ合わせたサラダ。
それ以外にも何種類かの料理が、次々とレイのミスティリングから出て来て並べられていく。
周囲には、とても野営では食べられないだろう料理の匂いが広がる。
いや、野営どころか街にいても普通では食べられないような豪華な食事。
「……あら、随分と豪華ね。昼食はサンドイッチとスープだけだったのに」
出て来た料理に驚いたのか、ヴィヘラが目を見開いて尋ねる。
「まぁ、今日は初日だし奮発してな。明日からはもう少し品質が落ちるだろうけど」
「グルルルルゥ!」
「キュ! キュウウ!」
料理の匂いに、空を飛んで追いかけっこをしていたセトとイエロも地上へと降りてくる。
早く食べようと喉を鳴らす様子に、レイを含めてその場にいた全員が笑みを浮かべていた。
普段は無表情なビューネですら微かに口元が弧を描いていたのだから、セトとイエロの様子がどういうものなのか理解出来るだろう。
「お待たせしました。……随分と豪華な食事ですね」
馬の世話を終えたアーラがやって来ると、全員が揃ったということで夕食が開始される。
どの料理も非常に美味く、皆が食事を食べていて笑みを浮かべていた。
セトとイエロも、喉を鳴らしながら料理を楽しむ。
そうして夕食の時間が終わると、その後は寝るだけとなる。
だが、まだ食事が終わったばかりでは眠気に襲われることもなく、それぞれが眠くなるまでの間を自由時間として使っていた。
「はああぁぁぁあっ!」
「甘いわよ!」
ミラージュが鞭状になり、その切っ先をヴィヘラへと向ける。
だが、ヴィヘラはその攻撃を読んでいたかのように身体をずらして攻撃を回避し、前へと進む。
自分へと近づいてくるヴィヘラが拳を握ったのを見たエレーナは、微かに笑みを浮かべてミラージュの柄を手首で返す。
すると、ヴィヘラの背後にあったミラージュの切っ先がその方向を変え、背後からヴィヘラへと襲い掛かる。
背後から迫る音でそれに気が付いたのだろう。ヴィヘラは、特に後ろを見もせずに進行方向だけを僅かに変え……同時にミラージュの切っ先が一瞬前までヴィヘラのいた場所を通りすぎていく。
「ほう、よく気が付いたな。今のは当たると思ったんだが」
「このくらいなら、誰でも察知することは出来るでしょうね」
「いや、無理ですから」
月明かりの下で戦う二人を見ていたアーラが、思わずといった様子で口を開く。
もし今のヴィヘラと同じく背後から攻撃をされた場合、自分は間違いなく攻撃に当たるという確信があった。
背後からの……それも魔剣のミラージュによる攻撃だけに、その一撃は致命傷となるだろう。
今回は模擬戦ということもあってお互いに本気での戦いではないが、それでも普通なら怪我をしてもおかしくないだろうやり取りだ。
「アーラ、貴方は模擬戦に参加しないの?」
エレーナとヴィヘラの戦いを見守っていたアーラに、ふと声が掛けられる。
声の聞こえてきた方へとアーラが視線を向けると、そこにはオードバンの姿があった。
「ええ。今のところその予定はないわ」
「残念ね。私も貴方と戦ってみたかったのに」
オードバンの口から出た言葉に、一瞬だけアーラの背筋を冷たいものが走る。
戦って負けるとは思えないが、それでも何故か感じた冷たいもの。
それは、オードバンの可愛い人や美しい人を好むという趣味を本能的に察知したからこそ感じたものだったのだが、幸いと言うべきか、アーラはその感覚の正体に気が付くよりも前にエレーナとヴィヘラの戦いは動いた。
「行くわよ」
最初に動いたのはヴィヘラ。
歩きながらも常に身体の重心を変え、それでいながら一定の速度を保つ。
ゆっくりと歩いているだけなのに、まるでヴィヘラの身体が揺れているかのように感じるだろう歩法。
迂闊に攻撃すれば、その攻撃が身体をすり抜けたかのように相手に錯覚させるという歩法だが、それを見たエレーナは強気な笑みを浮かべてミラージュを構える。
「来い。堂々と受け止めてみせよう」
その言葉を聞くと同時にヴィヘラは歩を進め、エレーナはミラージュを振るい……傍から見ると、これは模擬戦だと理解してるのかどうか分からない程に激しい戦闘が繰り広げられていた。
「……ん」
そんな戦闘を、ビューネは少し離れた場所でセトやイエロを撫でながら、どこか呆れたような視線を向ける。
模擬戦をするのはいいが、幾らなんでも本気すぎるだろうと。
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