第1024話

「ふふっ、まさかダスカーまで見送りに来るとは思わなかったわ」


 マリーナが面白そうな笑みを浮かべて、目の前に立つ人物へと視線を向ける。

 そこにいるのは、マリーナの口から出た言葉通りにダスカー。

 ただし、領主として見送りに来ているのではなく、ダスカー個人としてここに来ているというのを示しているかのように、部下を引き連れてはいない。

 もっとも、領主である以上は当然護衛が少し離れた場所におり、何かあればすぐに駆け付けることが出来るようになっているのだが。

 元々ダスカーも若い時は王都で騎士をやっていただけあって、自分の腕に覚えはある。

 訓練も領主の仕事の合間にではあるが毎日続けており、その身体は巌の如くと表現するのが相応しい。……領主の仕事で溜まったストレスをその訓練で発散させているというのも間違いではないのだが。


「……マリーナだけならともかく、エレーナ殿とヴィヘラ殿が一緒にギルムを出るんだから、当然だろう。全く、あんたも厄介な真似をしてくれるな」


 少し恨めしそうな視線になったのは、もしこの件でエレーナが何か怪我をするようなことにでもなった場合、その責任がダスカーにもくるからだろう。

 ダスカー自身は今回の件には関係していないが、それでもダスカーの治めるギルムのギルドマスターがエレーナを巻き込んだのは事実なのだから。


「あらあら、そう怒らないでよ。ダスカーだって私達の森がなくなったら困るでしょう?」

「それは……そうだが」


 不満そうではありながらも、ダスカーは渋々マリーナの言葉を認める。

 マリーナはダークエルフの中でも有数の力を持っている存在であり、それだけに影響力も強い。

 そのおかげで、ギルムは細々とではあるがダークエルフと取引を行うことが出来ている。

 そういう意味では、マリーナの住んでいる森の世界樹が病気になっているというのはダスカーにとっても完全な他人事という訳ではない。


「安心しなさい。これだけの戦力が揃っているんだから、エレーナ様に危害を加えられることはないでしょうね」


 その言葉は、紛れもない事実だった。

 レイ、エレーナ、ヴィヘラ、マリーナという高い戦闘力を持つ集団であり、オードバン、アーラの二人も戦闘力は高い。戦闘力という意味ではセトもいる。

 また、ビューネは一行の中で最も戦闘力が低いが、盗賊としての能力は一定以上ある。


「……まぁ、それはそうだろうけどな。にしても、マリーナもこれから旅に出るってのに、何だってそんな格好なんだ?」


 呆れたように呟くダスカーの視線は、マリーナへと……正確には男好きのする身体を包んでいる服へと向けられていた。

 その身に纏っているのは、マリーナがいつもギルドで着ているパーティドレスに比べれば露出は少ないが、それでもパーティドレスの一種なのは変わらず、とてもではないが旅に適している格好だとは思えなかった。


「あら、ダスカーも私が冒険者の時にどういう服装で活動しているのかは知ってると思うけど?」


 その言葉に、ダスカーは諦めたように頷く。

 事実、ダスカーが以前父から聞いた話でも今着ているものとは多少違うが、それでもパーティドレスを身につけていたという話なのだから。


「じゃあ、ここであまり時間を掛けてもいられないし、そろそろ行くわね」

「……気をつけろよ」


 そう告げ、マリーナは近くに止まっていた馬車の扉を開けて中へと入る。

 その馬車の中はとても馬車とは思えない程に広く、過ごしやすくする為の家具も揃えられている。

 エレーナの使用する馬車で、レイの持っているマジックテントと似たような能力を持つマジックアイテムだ。

 いや、エレーナの父親のケレベル公爵が大金を注ぎ込んで錬金術師に作らせたのだから、マジックテントよりも上位の性能を持っているといった方が正しい。

 馬車そのものもエレーナが乗るのに相応しく、幾つもの特殊な能力を備えている。

 その馬車を牽く馬も当然ただの馬ではなく、小さい頃から厳しい訓練を受けてきた馬だ。

 その馬を操る御者台に座っているのは、アーラ。

 マリーナが馬車に乗ったのを確認し、馬を進める。

 いつもであればエレーナが御者を務める使用人を連れてくるのだが、今回はレイと会うということで出来るだけ人数が少ない方が良かった為だ。

 そして馬車の隣にはセトの姿もある。

 普通の馬であればセトを怖がってしまうのだが、この馬車を牽く馬はセトを怖がるような様子は一切見せない。

 基本的に優しい性格をしているセトとしては、そんな馬の様子が非常に嬉しかった。

 ……もっとも、厳しい訓練を受けてきただけあってセトが遊ぼうと誘いを掛けても全く乗ってこないのだが。

 そんなセトの背には、イエロの姿もある。

 いつものように、道を進みながらキュウキュウ、グルゥグルゥと、傍から見れば本当に言葉が通じてるのかどうかも分からないやり取りを行っていた。

 それでもお互いの意思はしっかりと通じているのが、御者台からそんなやり取りを見ているアーラには不思議だった。

 見て分かる程に一流の馬が牽き、その隣をグリフォンのセトが歩き、その背にはドラゴンの子供のイエロが乗る。

 そんな馬車が目立たない筈はなく、ギルムから出て来た者や、ギルムへ入ろうとしている者から多くの視線を向けられていた。


(まぁ、教えて貰った通りに進めば途中から街道を逸れるんだし、人目を気にする必要はないと思うけど)


 御者台のアーラは馬車に……そして自分達に向けられている視線の中に、悪意の視線があるというのも理解していた。

 恐らく盗賊か何かの関係者だろうという思いもあるのだが、それでもギルムの周辺で動いている盗賊は基本的にいない以上、今から心配する必要はない。

 そもそも、盗賊が出て来たところで戦力に関して言えばその辺の一軍とだって渡り合える……否、一軍を殲滅出来るだけの戦力が揃っているのだから、何の問題もない。

 いや、寧ろその辺の盗賊程度であれば、マジックアイテムのパワー・アクスを持つアーラが一人でどうとでも出来た。


「ダークエルフの森、ね。エレーナ様にとっていい経験になるといいんだけど」


 呟き、馬車の中にいる自分の主人へと思いを馳せる。

 そんな風に思いを馳せられているエレーナはといえば、馬車の中にあった木の実を練り込んで焼き上げたパンをビューネへと与えていた。


「美味いか?」

「ん!」


 エレーナの言葉にビューネがもきゅもきゅと頬一杯にパンを詰め込みながら頷く。


(リスだな、まるで)


 馬車の中にあるソファに座りながら、レイはビューネを見て考える。

 実際、今のビューネの姿を見れば、リスを想像する者が多いのは事実だった。


「それで、ここからダークエルフの森まで到着するのに、普通の馬車で十日程だったか。なら、エレーナの馬車だとどのくらいだろうな?」


 レイに視線を向けられ、ソファに座っていたマリーナが少し考えてから口を開く。


「この馬車がどれくらいの速度を出せるのか分からないから正確なところは言えないけど、どう見ても普通の馬車より速いから、数日縮まるのは確実でしょうね」


 マリーナが外へと視線を向けて答える。

 事実、その言葉は決して間違っている訳ではない。

 この馬車はマジックアイテムの馬車として普通の馬車とは比べものにならない程に高性能であり、当然その性能の中には馬車の速度を上げるというものも含まれている。

 それに加えて馬車を牽くのが一流の馬であるのだから、速度が出ない筈がない。


「じゃあ、一週間を目処にするか。ダークエルフの森に……うん?」


 そこまで呟き、ふと今更ながらに気が付いたかのようにレイの視線は馬車の窓から外へと向けられる。

 そこにいるのは、イエロを背中に乗せたセト。

 そんなセトの様子をじっと見て、そこで改めてレイはマリーナに向かって話し掛ける。


「世界樹に魔力を注ぐだけなら、それこそ馬車で何日も掛けていかなくても、俺がセトに乗って一人で向かえばいいんじゃないか?」


 幾らこの馬車がマジックアイテムで通常の馬車と比べても速度が出るとしても、それはあくまで地を走る速度だ。

 自由自在に空を飛ぶことが出来るセトと比べれば、どうしても鈍足と言わざるを得ない。

 であれば、わざわざこんな大人数でダークエルフの森に向かわなくても、自分とセトでさっさと行って世界樹に魔力を注げばいいのではないかというレイの言葉は決して間違ってはいない。ただし……


「残念ながら森には結界が張られているわ。私かオードバンがいないと、中に入ることが出来ないのよ。……いえ、レイなら力尽くで結界を突破出来るかもしれないけど、そんな真似をされれば結界が壊れてしまうわ。それは遠慮したいの」

「あー……うん、なるほど」


 マリーナの言葉に、レイは自分が結界に引っ掛かり、魔力を全開にして強引に突破。結界に致命的なまでのダメージを与えるという光景を想像してしまう。

 それは決して妄想の類ではなく、レイとセトであれば十分有り得ることだった。

 その結界にも世界樹の魔力が使われている以上、強引に突破してしまえばそれは世界樹へのダメージとなる。

 世界樹を治療する為にマリーナの部族が住んでいる森へと向かっているのに、その世界樹にダメージを与えてしまっては何の意味もない。

 それどころか、レイの魔力量を考えるとそれが致命的な一撃となる可能性は決して否定出来なかった。


(いや、否定出来ないとかじゃなくて、間違いなく致命的な一撃になるわね)


 マリーナとレイのやり取りを聞きながら、オードバンはレイへと視線を向ける。

 その視線には畏怖の色が宿っているが、本人は全くそれに気が付いていない。

 オードバンは、昨日感じたレイの魔力を思い出す。

 指輪を外した瞬間、魔力を感知する能力が決して高いとはいえないオードバンだったが、そのオードバンですら圧倒された程の魔力。

 あんな魔力が世界樹の結界に正面からぶつかったりすれば、今の弱っている世界樹ではなくても致命的な一撃となるだろうことは容易に想像出来た。


(怖い……そう、これは怖いという感情よね。マリーナ様も他の人達も、よく平気な顔をしてレイと付き合っていられるわ)


 ふと、視線を感じたのだろう。レイがオードバンの方へと視線を向けると、即座に視線を逸らされる。

 オードバンに声を掛けようか考えたレイだったが、今話し掛けても余計に距離を置かれるだけだろうと判断し、ソファの前にあるテーブルへと手を伸ばして紅茶を口元へと運ぶ。

 エレーナが淹れてくれた紅茶だったが、アーラ程ではないにしろ十分に美味く感じられる。

 ……エレーナが淹れてくれたから、かもしれないが。


「その、どうだ? アーラに色々と習ってはいるのだが、まだあそこまで美味くは淹れられないんだ」


 普段の自信に満ちた表情はどこに行ったのかと言いたくなるくらい、怖ず怖ずと尋ねてくるエレーナ。

 そんなエレーナに、レイは笑みを浮かべて口を開く。

 馬車の中ということでフードを下ろしている為に、浮かべている笑みはエレーナにもしっかりと見えていた。


「十分美味いと思うけどな。素人が淹れたと考えれば、最高級の味じゃないか? 前に淹れてくれたのと比べても美味くなってると思う」

「そうか!」


 怖ず怖ずとした表情から一変、エレーナの顔には満面の笑みが浮かぶ。

 元々公爵令嬢という地位にいるエレーナだ。紅茶を淹れるという経験は殆どしたことがない。

 以前にもレイに紅茶をご馳走したことがあったが、その時は今よりもまだ紅茶の淹れ方が拙かった。

 そう考えれば、今この時にレイにきちんとした紅茶を淹れることが出来たのは、エレーナに取って幸いだったと言える。


「公爵令嬢が紅茶を淹れるというのは、色々と不味そうだけど……美味しいわよ」

「ええ、エレーナ様の淹れて下さった紅茶は美味しいわ。うちの職員にも見習わせたいくらいには」

「ん」


 ヴィヘラ、マリーナ、ビューネとそれぞれがエレーナの紅茶を褒め、オードバンも控えめながらそれに同意する。

 本来であれば、この時を待ってましたとばかりにエレーナを褒めてもおかしくはないのだが、近くにレイがいるというだけでいつもの調子が出ない。

 美人、美少女好きなオードバンではあったが、自分の命を賭してまでそれを貫きたいかと言われれば、答えは否だった。


「それにしても、暫くはこうしたゆっくりとした時間を過ごすことが出来るのね。ねぇ、レイ。この機会にゆっくりと話をしない?」


 ソファに座ったままレイへと流し目を向けるマリーナに、数秒前まで笑みを浮かべていたエレーナとヴィヘラがそれぞれに反応する。

 エレーナは少し不満そうな表情を浮かべつつも、すぐにそれを消し、ヴィヘラはそんなエレーナとは裏腹に面白そうな笑みを浮かべてマリーナへと視線を向ける。

 そんな二人の様子に気が付いていないレイは、少し考えてから口を開く。


「ゆっくりと話と言ってもな。どんな話をするんだ?」


 密かに行われている女同士の戦いにレイが気が付くのはいつになるのか……それは、誰も知らない。

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