第1023話
レイはマリーナの口から出た言葉に驚きの表情を浮かべる。
ダークエルフのマリーナがいるのだから、当然その故郷があるというのは分かっていた。
だが、その故郷に招待されるとは思ってもいなかったし、また同時にその故郷に世界樹と呼ばれる木があるというのもレイの意表を突く。
「少数の例外を除いて基本的にエルフ族以外は森に入れない……って以前読んだ本に書いてあったんだけどな」
マリーナの言葉に驚きつつ、肉の挟まれたサンドイッチへと手を伸ばす。
焼いた後でソースを塗った肉が具にされているサンドイッチは、お茶請けとしては明らかに重すぎる料理だろう。
葉野菜を肉とパンの間に挟んでおり、口の中ではパンの柔らかな食感に、肉から溢れ出る肉汁、ソースの濃厚な旨味に、瑞々しい野菜の歯応えが渾然一体となってレイを楽しませる。
他にも野菜を中心にしたサンドイッチや、珍しいところでは魚の干物を解してソースと共に挟んだサンドイッチもあるのだが、そのどれもが非常に美味だ。
そんなサンドイッチを味わいつつ、レイはマリーナへと視線を向ける。
サンドイッチを食べながら向けられるレイの視線に、マリーナは紅茶を一口飲んでから頷く。
「ええ、それは間違ってないわ。エルフにしろダークエルフにしろ、個々の能力は普通の人間よりも高いけど、その数で圧倒的に劣る。そうなれば……分かるでしょ?」
その辺の事情も本を読んだレイは当然知っていた。
エルフ、ダークエルフは基本的に人間よりも高い能力を持つ。そして何より顔立ちが整っている者が圧倒的に多い。
現にマリーナは絶世のと表現される美人だし、オードバンも女の艶を象徴するかのようなマリーナとは方向性が違うが、間違いなく顔立ちは整っている。
数が少ないエルフやダークエルフ故に、希少性も高い。
そうなればどうなるか。
奴隷として高く売れるのだから、奴隷商人がそれを見逃す筈がない。
きちんと認可を受けている奴隷商人ではなく、闇の、あるいは裏の奴隷商人と呼ばれている者達だ。
歴史の中には、エルフの美しさに目が眩んだ貴族が自分の領地から兵を出して森を攻めた者も決して皆無ではない。
大抵そのような者達はエルフによって大きな被害を受けて撤退しているが、そんな中でもエルフが捕らえられるということは少なくない。
その結果、エルフやダークエルフは人間に対して隔意を持つ者も多くなるという弊害ももたらされた。
もっともマリーナや以前レイがランクアップ試験で一緒になったフィールマのように、人間に敵意を持たない者もそれなりに多くいるのだが。
ともあれ、奴隷商や領主といった貴族達に襲われたエルフやダークエルフが数の多い相手に対抗出来た理由が、個人としての能力の高さと、そして何よりエルフが住んでいる森を覆う結界だった。
その結界を作りだしているのが、エルフやダークエルフの生命線とも呼ぶべき世界樹。
「世界樹の治療って……別に俺は医者って訳じゃないぞ?」
マリーナへとそう告げながら、ふとレイは日本にいた時にTVで見た樹医という職業を思い出していた。
樹医というのは、その名の通り植物の……主に樹木の治療をしている者達だ。
だが、当然レイに樹医をやるだけの植物の知識がある訳がない。
日本の田舎で暮らしていた為に山菜の見分けのようなものは出来るが、それで世界樹の治療を出来る訳がないだろう。
両親が農家で、その手伝いをしてはいたが、それだって言われたことをやっていただけで、何か明確な知識がある訳もない。
(世界樹が山菜だったりしたら……いや、そもそもエルジィンの山菜を理解してる訳じゃないから無理か)
レイの口から出た、当然とも呼べる言葉にマリーナとオードバンは揃って頷き、マリーナが口を開く。
「勿論私達が依頼しているのは、レイが考えているようなことじゃないわ。そうね、簡単に言えば世界樹に魔力を注いで欲しいのよ。世界樹が弱っている原因は魔力不足にあるらしいから、一先ずレイの魔力を与えれば暫くは大丈夫の筈よ。その間に病気の原因を何とかして欲しいの」
「魔力を注ぐ? それで世界樹が治るのか? 世界樹ってくらい大袈裟な名前なんだから、当然色々と特殊な木なんだろ?」
日本にいる時にゲームや漫画、小説といったもので出て来た世界樹というのは、大抵が神木とも呼べるような巨大な木が殆どだった。
レイの中には、それこそ見上げても木の先端が見えないようなイメージが、世界樹という言葉にはあった。
そんな思いを込めたレイの言葉に、マリーナは艶然と微笑んで口を開く。
「そうね。エルフ、ダークエルフ、ハイエルフといったエルフ族の森に必ず一本はある世界樹……いえ、正確には世界樹のある場所にエルフが住み着いたというのが正しいでしょうね。エルフ族が森の管理をしているのも、世界樹の為というのもあるし。それに……」
「マリーナ様」
マリーナの言葉を遮るようにオードバンが呟く。
その言葉は鋭く、先程までふざけた態度を取っていた人物だとはとても思えない。
オードバンにとって、マリーナの言葉はそれ程に聞き逃せないものがあったのだろう。
マリーナはそんなオードバンに、レイ達なら大丈夫だと言おうとするが、オードバンがレイ達と会ったのは今日……それもつい先程だ。
であれば、オードバンがレイ達をマリーナ程に信用出来ないのも当然だという思いがあった。
「そうね。少し言いすぎたわ。……とにかく、私達からのレイに……具体的には冒険者のレイとヴィヘラ、ビューネに対する指名依頼は先程言った通りよ」
「え? ちょっと待ってよマリーナ様。世界樹に魔力を注ぐのは、そこのエレーナさんよね? なのに指名依頼をするのは他の人達なの?」
「……あのね。私の話をきちんと聞いてた? それとエレーナさんじゃなくて、エレーナ様よ。少なくてもここにいる間はそう呼びなさい。とにかく、エレーナ様は冒険者じゃないの。だから、私達が依頼をしようとしても意味はないわ」
「じゃあ、もしかして無駄足?」
「まさか。レイがいれば、エレーナ様がいるよりも魔力に関しては質も量も問題ないわ」
「え? え?」
話の流れに全くついていけないオードバンだったが、マリーナはそれを責めるつもりはない。
魔力を感知する能力を持っているマリーナですら、新月の指輪を身につけているレイを前にすれば、その強大な魔力を全く感じることが出来ないのだから。
「レイ、お願い出来る?」
論より証拠とレイに濡れた瞳を向けるマリーナ。
マリーナからの視線に、レイも特に断る必要を感じなかった為に頷きを返す。
「オードバン。レイを良く見ておきなさい。いい? 驚くなとは言わないわ。けど、腰を抜かしたりはしないでよ」
「……はい?」
何を言われているのか、理解出来ない。
オードバンは、そんな視線をレイとマリーナの二人へと向ける。
レイから感じられる魔力は、少ないという訳ではないが決して多くもない。
エレーナと比べると明らかに少ない。それこそ、比ぶべくもない程の魔力の小ささだ。
そんな状況で一体何を? と疑問に思いつつ、それでもマリーナが何の意味もないことを言うとは思えず、じっとレイへと視線を向ける。
オードバンからの視線を向けられたレイは、マリーナが頷いたのを見てそっと指に嵌まっていた新月の指輪を外す。
瞬間……
「ひっ!」
先程エレーナの魔力を感じた時、これ以上の驚きはないだろうと判断したオードバンだったが、今レイから感じられる魔力はそんなエレーナの魔力を遙かに上回っていた。
それこそ、先程とは逆の意味で比ぶべくもないと思える程に。
我知らず、数歩後退ったオードバンは執務机の椅子に座っていたマリーナに手を捕まれてようやく我に返る。
そして、改めてレイの魔力を感じ取る。
それはまるで一面に広がり、どこまでも続く青い空のような印象。または、話でしか聞いたことはないが、一面に広がる大海原というのもレイの持つ魔力に相応しい言葉だろう。
「マ、マリーナ様……これは一体?」
恐る恐る尋ねてきたオードバンだったが、マリーナはもういいだろうと判断してレイへと頷く。
その頷きに、レイは再び自分の指へと新月の指輪を嵌めた。
瞬間、オードバンは今まで自分を襲っていた圧倒的なまでの魔力が消え、安堵をすると同時に畏怖の視線をレイへと向ける。
「貴方は……一体何者? 人の身で、それだけの魔力を身に宿すなんて、信じられない。こんな、こんな魔力……」
「落ち着きなさい。別にレイはオードバンを襲ったりはしないから。ほら、深呼吸でもして」
マリーナの言葉に、オードバンは深く息を吸って吐き、吐いては吸う。
そのまま何度か深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いたのだろう。改めてレイの方へと視線を向ける。
「その指輪は、もしかして……」
「ああ、多分予想通りだと思うけど、古代魔法文明の遺産だ」
「アーティファクト……」
呆然と呟くオードバンに、マリーナは悪戯っぽい笑みを浮かべて口を開く。
「分かった? レイがいれば世界樹の魔力供給に関しては心配いらないのは間違いないわ。いえ、エレーナ様がいる時点で心配はいらないんだろうけど……どうです? 私達と一緒に来て貰えますか?」
マリーナにとって、エレーナというのはここで見逃すには非常に惜しい人材だった。
魔力は非常に高く、個人としての技量も間違いなく超の付く一流。それでいて大抵の高ランク冒険者とは違い、常識的な一面もある。
また、マリーナの故郷の森では何の意味もないが、そこに到着するまでには姫将軍という異名を持つ貴族派の象徴というのは何かあった時には間違いなく効果を発揮してくれる筈だ。
そんな下心も含まれていたが、同時にマリーナは女としての経験により、エレーナがレイと一緒にいられないとなると悲しむだろうというのも理解していた。
「いや、そっちに聞く前に俺はまだその指名依頼を受けると決めた訳じゃないんだけどな」
いつの間にか依頼を受けるという前提で話が進んでいるのに気が付き、レイが口を挟む。
そんなレイに対して、マリーナは艶のある視線を向けて口を開く。
「あら、受けてくれないの? この依頼の報酬は、多分レイなら凄く喜ぶだろうものよ?」
「……俺が喜ぶ?」
正直に言えば、レイはマリーナの依頼を受ける気ではいた。
レイにとってマリーナは親しい相手であり、余程無茶な依頼でなければ断るつもりはない。
それでも意地悪いことを口にしたのは、レイの意思がないままで依頼を受けるという風に話が進んでいた為だ。
だが、そんなレイに対してマリーナは自分の話を聞けば絶対にレイは依頼を受けると、そう確信してるかのように話を続ける。
「ええ。さっきも言ったと思うけど、レイに頼みたいのは世界樹に魔力を注いで治療をして貰うこと。その報酬として、私は世界樹の枝と葉、樹液、そして琥珀の中から何個かを支払おうと思うのだけど」
それがどれだけ貴重な物なのかというのは、レイには理解出来ない。
それでも世界樹と呼ばれる木の一部なのだから、どれもこれも錬金術的には非常に稀少なものなのだろうという程度であれば理解出来た。
(琥珀ってのは、確か樹液が化石になったものだったか? ……世界樹ってのはまだそこにあるのに、琥珀になるのか? いやまぁ、魔法とかが普通にある世界なんだし、そのくらいはあっても当然って気がするけど)
宝石について詳しい訳ではないが、それでも日本にいる時にTVで琥珀の中に蚊が入っている物を見た記憶がある。
(世界樹の琥珀ともなれば、多分希少価値は高いんだろうし、素材としても一級品の筈。木の枝とかだって、魔法使いが杖にするって意味では垂涎の素材だ。葉とか樹液は、多分より効果の高いポーションとかか?)
色々と考えるが、結局のところは非常に稀少な素材であるというくらいしか分からない。
「どう? レイにとっては色々と得るものが多いと思うけど。それに、世界樹の病気の関係で森には色々なモンスターが集まってきているらしいわ。魔石を集める趣味があるレイなら、放っておけないんじゃない?」
魔石と聞き、ただでさえ世界樹の素材に引かれていたレイは、決断を下す。
「分かった、その依頼引き受けさせて貰う。……エレーナやヴィヘラ達はどうする? この依頼を受けたのはあくまでも俺だから、無理に付き合えとは……」
言わないが、とそう言おうとしたレイだったが、その前にエレーナが口を開く。
「元々私はレイに会いに来たのだ。そのレイが行くというのであれば、当然私も共に行こう。幸い、私の魔力も世界樹の件には役に立てるらしいしな」
「レイが行って、エレーナが行くんでしょ? なら、当然私も行くわよ」
「エレーナ様が行くというのであれば、当然私もお供させて貰います」
「ん」
全員が頷き……こうして、レイはエレーナ、ヴィヘラ、アーラ、ビューネと共にマリーナの依頼を受けることになるのだった。
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