第1022話

 執務室にはマリーナの他にもう一人のダークエルフの姿があった。

 褐色の肌に銀髪というのはマリーナと変わらないのだが、髪の長さは肩の辺りで切り揃えられており、マリーナに比べると大分短い。

 また、身体つきもマリーナ程には起伏が豊かではなく、どちらかと言えばスレンダーと表現するのが相応しい体型だ。

 女の艶や色気を無意識に発散しているマリーナとは違い、どちらかといえばさっぱりとした雰囲気を放つ。

 総じて、ダークエルフという意味ではマリーナとの共通点は多いが、全体的に見れば何故か全く似ていないという奇妙な現象を生み出していた。

 それは着ている服も関係しているのだろう。

 マリーナはいつものように胸元や背中を大きく露出しているパーティドレスを着ているのに対し、もう一人のダークエルフは普通の冒険者が着ているようなレザーアーマーを身につけているのだから。


「レイ、来てくれたのね。他の人達も」


 普段であれば濃厚なまでの女の艶を感じさせるマリーナなのだが、今日はどこか疲れた様子でレイへと笑みを向ける。

 そんな何気ない仕草であっても女というものを見せつけてくるのだから、その辺は既に本能に近いものがあるのだろう。


(まあ、今日はエレーナやヴィヘラがいるんだし、下手な真似をするとは思えないけど)


 マリーナにオードバンと呼ばれたダークエルフの女は、執務室に入ってきたレイ達を見て大きく目を輝かせる。


「うわ、凄い。何でこんなに美人で可愛い人が揃ってるの? ねえ、マリーナ様。もしかしてこの人達が? ……うん? そっちの顔を隠してる子はどんな子?」


 ドラゴンローブのフードを被っているレイを見て、オードバンは不思議そうに尋ねる。

 そんなオードバンに、マリーナは溜息を吐いてから口を開く。


「その子、ね。知らないってのは凄いわ」


 マリーナの言葉が理解出来なかったのだろう。オードバンは不思議そうな表情を浮かべてレイへと近づいていく。


「ね、ちょーっと顔を見せてくれないかな? 私もこれから世話になるかもしれない人のことは知っておきたいし」


 その身長からだろう。オードバンは完全にレイを女だと勘違いしているようだった。

 自分に言い寄ってきているオードバンの様子に、レイもまたマリーナと同じく溜息を吐いてから口を開く。


「マリーナ、俺のことは言ってなかったのか?」

「俺!? え? まさか、これって男の子なの!? 冒険者よね!?」


 レイの口から出た声は、大人の男と言える程に低いものではない。

 女でもハスキーな声の持ち主だと言われれば納得する者もいるだろう。

 だが、その口調だけはどうやっても誤魔化しようがなく男のものだった。

 驚愕に目を見開くオードバンに対し、レイはフードを下ろしながら口を開く。


「残念ながら男だよ」

「ええええっ!? いや、だってこの顔と体格で男って……ちょっと、その……」

「はぁ、落ち着きなさいオードバン。貴方が取り乱してどうするの。ああ、レノラはもういいわ。ここからは重要な話になるから、下に戻ってちょうだい」


 オードバンを呆れた様子で眺めていたマリーナだったが、やがてレイ達の後ろで戸惑った様子のレノラへと告げる。

 先程飛びだしていったケニーの様子も気になっていたレノラは、マリーナの言葉に頷いて口を開く。


「では、私は失礼させて貰いますギルドマスター。もし何か用事がありましたら、遠慮なく呼んで下さい」

「ええ。……ああ、別にレノラじゃなくてもいいから、お茶と何か適当に食べる物を持ってきてくれる?」


 マリーナの言葉に再びレノラは頷いて一礼し、階段を下りていく。

 こうして執務室に残ったのは、呼び出されたレイ達と呼び出したマリーナ。それとマリーナの知り合いのオードバンの合計七人となる。


「急に呼び出して悪かったわね。取りあえず座って。理由を説明するから」


 そう言いながら、マリーナはソファではなく執務机の椅子へと腰を下ろす。


「貴方もこっちよ」


 エレーナやヴィヘラの側に座ろうとしたオードバンにそう告げると、唖然とした表情を浮かべつつもマリーナの側へと向かう。

 それでも口の中で愚痴を呟くのは止めなかったが。

 来客用のソファではあるが、そんなに大勢が座れるものではない。

 三人から四人が並んで座るだけの大きさのソファが二つだけだ。

 無理をすればマリーナやオードバンも座れたのだろうが、そもそもマリーナはレイ以外の人物と直接会うのはこれが始めてだ。

 ギルドマスターとして、ここ最近レイ達が色々と依頼を受けているのは知っていたのだが。

 これからする話は、この話を持ってきたオードバンにも、そしてマリーナにも決して軽く扱えるものではない。

 だからこそ、こうしてお互いにきちんと距離を取って話をすることを選んだのだ。

 ……もっとも、いつものようにソファに座ってレイと向かい合い、意識的に、もしくは無意識にレイを誘惑するような真似をすればエレーナとヴィヘラの心証が悪くなるというのがあったのも事実だが。

 今回の件に関しては、出来るだけ万全の態勢で挑みたいというのがマリーナの正直な気持ちだった。

 話し合う準備が整うと、当然のようにマリーナが最初に口を開く。


「さて、回りくどい話をすればオードバンが余計な騒動を起こしそうだから単刀直入に言わせて貰うわね。レイや貴方達に来て貰ったのは、指名依頼があったからよ。正直、指名依頼という関係上エレーナ様にはあまり関わりがないのだけど……」


 そう言いつも、マリーナの視線には可能であればエレーナにも手を貸して欲しいという思いがあった。

 それをきちんと口にしないのは、やはりお互いの立場があるからだろう。

 そもそも、エレーナは冒険者ではないのだから。


「どのような内容なのかは知らぬが、私もずっとギルムにいる訳にはいかんのだ。夏には領地に戻らねばならん」

「夏……何とか間に合う、かしら?」


 隣のオードバンに尋ねるマリーナだったが、そのオードバンは即座に首を横に振る。


「いやいや、マリーナ様も何を言ってるのよ。今回の件、普通に考えれば無事終わらせるのに年単位で時間が掛かってもおかしくないのよ? それを、夏までって……」


 年単位という言葉に、レイを含めて話を聞いていた殆どが微かに眉を顰める。

 特に露骨だったのはアーラで、エレーナが年単位で貴族派で活動出来ないだろうことを考えれば、その被害は見過ごせるものではない。

 逆にビューネは相変わらず特に表情を変える様子もなく、マリーナの話を聞いている。


「落ち着きなさい。……そう言えば貴方は魔力を感知するのが苦手だったわね。それでもエレーナ様の魔力は感知出来るでしょ。ちょっと頑張ってみなさい」


 溜息を吐きながら告げるマリーナに、オードバンは訝しげな表情を浮かべてエレーナへと……まだそれぞれ自己紹介をしていなかったが、それでもマリーナの口調からエレーナだと思われる人物へと視線を向ける。

 これまで三百年以上を生きてきたダークエルフのオードバンにとって、一番美しい女というのはマリーナだった。

 だが、エレーナと呼ばれた女はそのマリーナに勝るとも劣らずといった美人であり、何より驚くべきはエレーナやマリーナと同レベルの美人が他にもう一人いるということだ。


(他の二人も平均以上に顔立ちは整っているし……そう考えると、このレイって子は何だか物凄い感じなのね。それにしても、マリーナ様が様付けで呼ぶなんて、偉い人なのかしら)


 ダークエルフの一族だけの森で暮らしてきた為、オードバンを含めてダークエルフ達は世界の情報には驚く程に疎い。

 細々と取引を行っている商人もいるのだが、そもそもダークエルフがあまり外の世界に興味を持たないというのもあり、商人から外の様子を聞いたりといったこともあまりしない。

 森を出てからギルムに到着するまでにも、色々と多くの騒ぎを引き起こしてきたのだ。

 ……それを本人が意識しているのかどうかは別としても。

 それだけに、ミレアーナ王国が誇る異名持ちの一人、姫将軍のエレーナという人物のことは当然知らない。

 知っている人物を上げろと言われれば、世界に三人しかいないランクS冒険者のサルダートを上げるだろう。

 もっとも、これはサルダートがエルフ族だからこそというのが大きいのだが。

 ともあれ魔力を感じるのが苦手なオードバンは、エレーナへと意識を集中させる。

 可愛い、または美人な女を見るのが好きなオードバンだったが、今はその意識は横に置いておく。

 普段はふざけているオードバンでも、自分の背負っているのが大きな……それこそ、自分達の一族の未来が懸かっているというのは知っている。

 だからこそ一族の中でも腕利きで、足の速い自分がマリーナに助けを求めに来たのだから、と。

 そうして意識を集中し、視線の先にいるエレーナの魔力を感じ取り……


「ひぇっ!?」


 その口から素っ頓狂な声が漏れ出る。

 当然だろう。オードバンが今感じ取った魔力は、とてもではないが人が持てるものではない。

 人よりも魔力が多いと言われているエルフやダークエルフ……もしくはその上位種たるハイエルフですら、今のエレーナの魔力量には匹敵しないだろう。

 レイ達の中で最大の魔力を持つのがエレーナだとオードバンは納得する。

 同時に、これ程の魔力があればマリーナが言っていたように短時間で今回の件が終わるかもしれないと。

 ……レイの指に嵌まっている、魔力を隠蔽する効果のある新月の指輪を知らないオードバンにとって、その考えは当然だった。

 一応とばかりにエレーナ以外の者達の魔力も確認してみるが、残念なことにエレーナ以外は人として普通か、もしくは魔力を殆ど持たない者達ばかりで多少残念な気持ちを抱く。


「どうかしら。私が言いたいことは分かってくれた?」


 執務机の椅子に座っているマリーナの言葉に、オードバンは慌てて首を縦に振る。


「マリーナ様の言ってることを疑う気はなかったけど、こうして直接それを確認出来たことで確信出来たわ。こちらの美人がいれば、今回の件は決して解決するのは難しくないでしょうね」

「そう、ね」


 オードバンの言葉に曖昧な笑みを浮かべたマリーナは、一瞬レイの方へと視線を向ける。

 ……その行為が、濡れた瞳で流し目を送っているように見えてエレーナやヴィヘラを幾分か刺激したのだが、そんな女の葛藤には気が付かないままにレイは二人のダークエルフのやり取りを見守っていた。


「じゃあ、私は準備の方を済ませるから、なるべく早く出発しましょう。ある程度余裕があるとは言っても、少しでも早く森に到着する方がいいでしょうし」


 今にも執務室を飛び出ようとするオードバンに、マリーナは呆れたように溜息を吐く。


「落ち着きなさい。私も出発の準備をするのに一日か二日は掛かるし、何よりレイ達にもまだきちんと事情を説明してないでしょう?」


 マリーナの言葉に、ようやくそのことに気が付いたのだろう。オードバンは、慌ててマリーナの側まで戻っていく。

 一連のやり取りで、レイ達もオードバンの性格は大体掴めていた。

 自分に与えられた使命をこなすのに熱心なのはともかく、熱心さが空回りする時があると。

 また、エレーナやヴィヘラを見る目を考えると、恐らくはそういう趣味なのだろうと予想するのも難しくはない。

 もっとも、その予想は当たっているようで微妙に外れていた。

 オードバンは美人や可愛い相手が好きだというのは間違いないが、それは男女関係なくであると。

 ……つまり、オードバンにとってはレイもまたそういう対象の一人なのだ。


「ごめんなさい、マリーナ様。つい……」

「貴方の気持ちも分かるけど、急いで失敗したら意味はないでしょう?」

「……ええ。じゃあ、出発は具体的にいつになるのかしら?」

「だから、落ち着きなさい。そもそも、レイ達にこの指名依頼がどんなものなのかをまだ説明していないでしょう?」


 そう告げた時、執務室の扉がノックされる。


「失礼します、ギルドマスター。お茶をお持ちしました」

「入りなさい」


 マリーナの言葉に、お盆に人数分のお茶や干した果実やサンドイッチといった軽食を載せたギルド職員が入ってくる。

 レノラやケニーといったレイと親しい相手ではなく、レイが何度か顔を見たことがあるといったような受付嬢。

 部屋の中にいるメンバー……特にエレーナ、ヴィヘラ、マリーナといった桁外れの美人が揃っている様子に、大きく目を見開く。

 受付嬢である以上、レイ達がマリーナの執務室に向かうのを見てはいたのだが、こうやって実際に三人が揃っているのを直接間近で見ると、物凄い違和感があった。

 それでもギルムで受付嬢をやっているだけあって、あまり動揺を表に出さずに執務室から去って行く。

 受付嬢を見送った後で、改めてレイがマリーナの方へと視線を向け、尋ねる。


「それで、そっちだけで話が進んでるようだけど、俺達に一体何をさせたいんだ?」

「……私やオードバンの故郷のダークエルフの森。そこにある世界樹の病気の治療と、それに伴って起きている各種問題の解決をお願いしたいのよ」


 そう、告げるのだった。

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