世界樹

第1021話

 周囲にレイを呼ぶ声が響くが、レイを始めとしてエレーナやヴィヘラが特に行動を起こすようなことはなかった。

 何故なら、その声は切羽詰まっているようには聞こえたが、特に何か危険を孕んでいるようには思えなかったからだ。

 日常の中の切羽詰まった感じ……と表現するのが正しいだろう。

 レイは自分の名前を叫び、大通りを歩いている者達の注目を集めている人物へと視線を向ける。

 そこにいたのは、レイにとっても馴染み深い人物……ギルドの受付嬢のレノラだった。


「グルゥ?」


 レイの近くを歩いていたセトが、レノラの姿を見て首を傾げる。

 同時にその背に乗っているイエロもセトの真似をして首を傾げていた。

 周囲でレイ達の様子を見ていた者のうち、何人かはそんな二匹の愛らしい姿に内心悶える。

 セト愛好家の何人かは、セトの背に乗っているイエロという新しい従魔に目を見開く。

 グリフォンの次はドラゴンを従魔にしている!? と。

 ……正確にはイエロはレイの従魔という訳ではなくエレーナの使い魔なのだが、周囲の人々にそれを理解しろという方が無理だろう。


「はぁ、はぁ、はぁ。……さ、探しましたよレイさん。ギルドにも来てないし、夕暮れの小麦亭の方にもいないし……」

「ちょっと用事があって出てたんだけど……何だってわざわざレノラが俺達を捜しに?」


 そう尋ねつつ、レイは脳裏で以前にも同じようなことがあったなと思い出す。

 あの時は宿にやってきたレノラにギルドへと連れて行かれて魔熱病の感染している街へと行くことになったのだ。

 だが、レノラが自分を呼ぶ声の響きにはあの時のような切羽詰まった感じはない。

 それでも一応は、と口を開く。


「もしかして、また魔熱病とか?」

「あー……」


 レイの言葉に納得するような、苦労を思い出すような微妙な声を上げたのはアーラだ。

 アーラもまた、魔熱病の時のことを思い出しているのだろう。


「魔熱病ではありません。ですが、至急ギルドに来て貰いたいとギルドマスターが」

「マリーナが? ……嫌な予感しかしないんだけど」


 レイの口から出た新たな女の名前に、エレーナとヴィヘラはそれぞれ反応を見せる。

 だがその反応はほんの僅かな反応だった為か、レイを含めて殆どの者が気が付いた様子はない。

 ……唯一、エレーナに長年仕えているアーラのみが気が付いていたが。


「呼んでいる理由は私にも分かりません。ですが、ギルドマスターのことですから、きっと何か理由があるんだと思います」


 その言葉には、レイも納得せざるを得ない。

 事実、今までマリーナと何度も話したことがあるが、決して意味もなく自分を呼び出すようなことをするとは思えなかった為だ。


「まあ、理由があるのは当然だろうけど。……悪い、俺はちょっと行ってくるよ」

「分かったわ。何でギルドマスターに呼ばれたのかは分からないけど、気をつけてね」

「私達は宿に……」


 戻っている、と。エレーナがそう言おうとした時、レノラが申し訳なさそうに、それでいながら断固とした態度で口を開く。


「申し訳ありませんが、レイさんと一緒にいる皆さんも可能であれば連れてくるようにと言われているのですが……ご一緒して貰えませんか?」


 その言葉はエレーナやヴィヘラ達にとっても意表を突いたものだったのだろう。驚きの表情を浮かべてレノラへと視線を向ける。


「レイ殿だけであればともかく、エレーナ様やヴィヘラ殿も? ギルドマスターが一体何の用件でしょう?」

「さて、どうだろうな。生憎私にもその理由は分からんよ。だが、こうして受付嬢を派遣してまで呼び出すということは、恐らく何らかの大きな理由があるのだろう」


 アーラの言葉にエレーナはそう言葉を返し、その唇は微かにではあるが弧を描く。


「ん?」

「そうね。ここにいる全員って言ってたし、ビューネも入るんじゃない?」


 自分も行くの? と短く尋ねるビューネに、ヴィヘラもエレーナ同様に笑みを浮かべてそう答える。


(本当に何があったんだ? 俺だけならともかく、ここにいる全員を呼び出すなんて)


 マリーナの意図が分からず、レイは疑問に思う。

 自分とヴィヘラ、ビューネの三人はまだ冒険者だから呼び出す理由はあるのかもしれないが、エレーナとアーラは冒険者ですらない。

 そんなレイの疑問に気が付いたのか、エレーナは黄金の髪を掻き上げながら口を開く。


「心配するな。私としてもギルムのギルドマスターには会ってみたかったからな。そういう意味では、今回の件は歓迎してる」

「そうか? ……悪いな」

「いや、レイが謝る必要はないだろう。ともあれ、このままここでじっとしていても意味はない。早速ギルドに向かおう」


 大通りでレイ達が動きをを止めて会話をしているのだから、当然それは非常に目立つ。

 特に日頃からセトと遊んでいる者達は、出来ればセトと遊びたいと思っている者もいる。

 それでもセトに向かわなかったのは、レイ達が真面目な話をしていると理解していたからだろう。


「そうね、このままここにいても注目を集めるだけだし……じゃあ、行きましょう」


 ヴィヘラもエレーナの言葉に賛成し、レイもそれに反対する意味はなかった為に一行はそのままギルドへと向かうのだった。






 いつものように、ギルドの入り口前でセトと別れたレイ達は、ギルドの中に入り……その瞬間、悲鳴がギルドの中に響く。


「……レイ、何かやったのか?」


 悲鳴が消えると、お前が原因なのだろうとエレーナがレイへと尋ねてくるが、当然身に覚えのないレイはそれを否定する。


「いや、何でも俺のせいにするなよ」

「じゃあ、あの叫びは一体何なんだ?」

「それを俺に聞かれてもな」


 エレーナに言葉を返し、レイはギルドの中へと視線を向ける。

 日中ということもあり、ギルドにも酒場にも冒険者の数は少ない。

 だが少ないからこそ先程の悲鳴を聞き逃しはせず、悲鳴の聞こえてきた方向……二階へと視線を向けている者が多かった。


「……はっ、レイさん、皆さんも。こちらへどうぞ」


 今の悲鳴は、レイ達と共にギルドへとやってきたレノラも意表を突かれたのだろう。一瞬動きを止めたレノラだったが、すぐに我に返ってレイ達をカウンターの内部へと案内する。

 いつもであればレイを見ればすぐにでも声を掛けてくるケニーがいるのだが、カウンターにケニーの姿はない。


「ケニーは?」

「えーと……その……」


 レイの問い掛けに、レノラは言葉を濁しながら視線を上へと、ギルドマスターの執務室がある二階へと向ける。

 その行為の意味するところを理解したレイは、それ以上は特に何も言わずにレノラに案内されてカウンターの内部へと向かう。

 一人や二人ならまだしも、五人もの人間がカウンターの内部へと入っていけば当然目立つ訳で……何よりその五人の中には人目を惹き付けて止まない美貌を持ったエレーナとヴィヘラの姿があり、そして何よりレイの姿もあった。

 アーラやビューネの姿もあったのだが、この三人の存在感を考えればどうしても意識をそちらに奪われてしまうらしい。

 もっとも、アーラにしろビューネにしろ、人の注目を集めるのが好きな訳ではないので、自分が注目されないことに文句はないのだが。

 いや、アーラはエレーナに不躾な視線を向けられるのに若干苛立ちを見せている。


「お、おい。何だあの美人の集団。しかもレイも一緒にいるってことは、もしかして全部がレイの女だったりするのか?」

「馬鹿、そんな訳がないだろ。お前、知らないのか? あっちの金髪美人は姫将軍だぞ?」

「は? え? 姫将軍!? いや、何だってそんな大物がギルムにいるんだよ。大体姫将軍っつったら、貴族派の象徴だろ?」

「そうだな。……お前、最近ギルムにいなかったのか?」

「いやまぁ、昨日護衛の仕事でギルムに帰ってきたばかりだけど。それがどうした?」

「ああ、だからか。少し前にギルムが大騒ぎになったことがあったんだよ。それが……」

「姫将軍がギルムに来たのが理由ってことか?」

「多分な。まぁ、何だかんだと姫将軍とレイってのは色々と関係あるんだろうけど」

「……じゃあ、あっちの女は娼婦か何かかと思ったけど、違うのか? そもそも娼婦が手甲や足甲なんて付けないだろ?」


 男の視線は、エレーナに負けない美しさを持つヴィヘラへと向けられていた。

 だが、そんな男の言葉に話を聞いていた男の方はどこか哀れみの混ざった視線を向ける。


「言っておくけど、ちょっかいを出すのは止めておいた方がいいぞ」

「うん? やっぱりレイの関係者だからか?」

「それもある。けど、それよりも大きいのはあの女の性格だ。あの女がギルムに来てから暫く経つけど、その間にあの美しさに惹かれてちょっかいをだした奴は多い。……けど、今もあの女はレイの側にいる。その理由が分かるか?」

「だから、レイの関係者だからだろ」

「正確には、あの女自身もかなり強いからだ。それこそ、ランクC冒険者なら片手でどうにかするくらいにはな」

「……嘘だろ……」


 呟くのは、男がランクC冒険者だからこそか。

 だが、話していた男の方は無情にも首を横に振る。


「ま、俺達に出来るのは、こうして遠くから眺めているだけだってことだ。……それに、眺めているだけでも十分目の保養になるだろ?」


 その言葉に、ショックを受けていた男は改めてヴィヘラへと視線を向ける。

 大きく張り出した胸に、肉付きのいい下半身。それでいて腰は驚く程くびれており、抱きしめれば折れてしまいそうな程だ。

 そんな肢体を向こう側が透けて見えるような薄衣で包んでおり、非常に露出度が高く魅惑的で、その姿は眼福と表現してもいい。


「……そうだな……」


 見ているだけで目の保養になるという言葉に、男はそう言葉を返すしかなかった。

 そんな風な視線を向けられているヴィヘラだったが、本人は既に慣れたものとして、特に気にしていない。

 男を……そして中には女までも惹き付ける服装をしているのだから、そんな視線が向けられるのは当然だと思っている為だ。

 勿論あまりに露骨な目を向けてきたり、実際に手を出してくるような真似をするのであれば話は別なのだが。


「さて、ギルドマスターが用事ということだけど……レイ、予想は?」


 カウンターの中を進みながら尋ねてくるヴィヘラに、レイは首を横に振る。


「残念だけど、ちょっと思いつかないな。向こうにとっても俺を呼ぶ以上は何かあると思うんだけど」


 そんなレイの言葉に、エレーナも頷いて口を開く。


「それは当然だろう。そもそも、何の問題もなければギルドマスターが一冒険者を呼ぶという真似はしない筈だ」


 その言葉に、聞いていた全員が納得しながらカウンターの中を進み、やがて奥にある階段へと到着する。

 そうして階段を上り、やがてギルドマスターの執務室の前へと到着してレノラがノックをしようとした直後、乱暴に扉が開けられる。


「私にそんな趣味はないんだってばぁっ!」


 叫びながら扉から姿を現したのは、レイにとっても馴染みの顔である猫の獣人のケニー。

 レイ一行の中でケニーのことを知らなかったのはアーラだけだったのだが、そのアーラもここ暫く何度かギルドに来るうちにケニーとは何度か会っている。

 もっとも、軽い性格のケニーと生真面目な性格のアーラだ。お互いの相性は必ずしも良くはなく、寧ろ悪いと断言してしまえるような関係だった。

 アーラがケニーを嫌っているのは、相性の問題以外にもケニーがレイに色目を使っているという問題もある。

 今も扉から出て来たのがケニーだと知ったアーラは、もしかしてレイに何かちょっかいを出そうとするのではないかと警戒をしていたのだが……


「うわーん。レイ君、こんな私を見ないで。私にそんな趣味はないのよぉっ!」


 レイを見た瞬間、ケニーはそう叫びながら猫の獣人らしく素早くレイ達の間をすり抜け、階段を下りていく。


「……何があったんだ?」


 いつもは年上の余裕を見せていることの多いケニーが、何故あんなに取り乱していたのか。

 レイが疑問に思っていると、呆然とケニーを見送ったレノラが我に返り、開いた扉をノックする。


「ギルドマスター、レイさんや他の皆様をお連れしました」

「あら、そう。入って貰ってちょうだい。……いい、オードバン。くれぐれも変なことをしないようにね」

「わ、分かってるわよ。ちょっとした冗談じゃない。……八割本気だけど」

「どこが冗談半分なのよ」


 呆れたように呟くのがマリーナの声だと気が付き、ケニーではないがいつも余裕たっぷりのマリーナにしては珍しく呆れた声を上げているのに驚きながらも、レイ達は執務室へと入る。

 すると執務室の中にいる者の姿が見えてくる。

 一人は相変わらず女の艶をこれでもかと放っている、ダークエルフにしてギルドマスターのマリーナ。

 そして、もう一人は……


「ダークエルフ?」


 そう、執務室の中にいたのは、マリーナとは違うダークエルフの女だった。

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