第1016話

 周辺に漂うのは、焦げた臭い。

 その臭いがどこから漂ってきているのかというのは、考えるまでもない。

 レイから少し離れた場所にある、元ズボズとでも呼ぶべき存在からだ。


「……終わったか。何だかんだと結構大変だったな」


 炎帝の紅鎧を解除してしみじみと呟くレイの目は、既に八割程沈んでいる夕日の方へと向けられる。

 夕暮れも終わりを告げ、これからは夜となるだろう時間。

 スラム街にとっては、これからがもっとも危険な時間となるだろう。

 もっとも、今のレイ達を相手に何かするような真似はしないだろうが。

 スラム街は広いようで狭い。

 特に生き残るのに必死な者が多い為、情報が広まるのはかなりの速度だ。

 当然そんな者達にとって、レイの……そしてレイと共にいる者達は、手を出せば間違いなく自分が大きな被害を受けるだろう存在だった。

 そんな者達を相手に、自分の力量も弁えずに攻撃を仕掛けるような者は……それでも皆無だと言えないのが、スラム街がスラム街たる由縁なのだろう。

 それでもそんな者達は少数だろうが。


「それで、レイ。これからどうするの? この三人もこのままって訳にはいかないだろうし」


 ヴィヘラが手甲の爪や足甲の刃を解除しながらレイへと尋ねる。

 その視線の先にいるのは、右腕をレザーアーマー諸共に食い千切られたダイアスに、未だにエレーナに背中を踏みつけられて動けないアドリア、そして、茨の槍によって身体のほぼ全てを覆われ、既に茨に浸食されていないのは顔だけとなっているポールの三人。

 アドリア以外は怪我をしている状態だったが、致命傷という訳ではない。


(いや、あっちのダイアスって奴は、このままだと死ぬか。ま、これも必要経費だろ)


 ここ最近ギルムで起こっていたマジックアイテムを持ったモンスターの件を引き起こしていた首謀者は死んでしまったが、その共犯者なのだから死んでしまってはダスカーとしても色々と困るだろうと判断し、ミスティリングからポーションを取り出す。

 もっとも、取り出したのはレイが持っているポーションの中でもそれ程高価ではないポーションだ。

 取りあえず警備兵にダイアスを引き渡す時まで生きていれば、後は向こうで何とかしてくれるだろうという判断から選んだ代物だった。


「ヴィヘラ」

「何? ……いいの?」


 渡されたポーションに、ヴィヘラはレイが何を促しているのかを理解したのだろう。本当に治療してもいいのかと尋ねてくる。


「ああ、事情を聞くにしても人数は多い方が警備兵も楽だろうし。……それに、腕の立つ奴は嫌いじゃない」

「ふーん。まぁ、レイがそう言うのなら私は構わないけど」


 そう言いながらもヴィヘラの口元に笑みが浮かんでいるのは、やはり腕の立つ人物を嫌いではないというのはヴィヘラも同様だからだろう。……いや、寧ろ戦闘を好む分ヴィヘラの方がよりその気持ちは大きいかもしれない。

 ポーションをダイアスに使用するヴィヘラの様子を眺めながら、レイは視線を少し離れた場所……地面に風の鱗が転がっている場所へと向ける。

 腕の立つ相手を嫌いではないというのは事実だ。だが、ダイアスを助けた大きな理由の一つに、風の鱗があるというのも事実だった。


(マジックアイテムは貰ってもいいって話だったけど、恐らく調べるくらいはするのは間違いない筈だ。……一応俺が確保しておくか)


 錬金術師が起こした騒動という今回の件を考えると、間違いなく今回の戦いで使われていたマジックアイテムは警備隊なり騎士団なりが調べる為に一時的にせよ預かる筈だ。

 人の身体を乗っ取るようなマジックアイテムなのだから、それは仕方ないと思うレイだったが、同時に鎚を手に入れた時に自分の身体を乗っ取ろうとしたのを防いだという実績があるだけに、自分ならその類のマジックアイテムであっても問題ないという思いも強い。

 風の鱗に対する興味があるのはアジモフも同様だったのだろう。既に戦うべき敵がいないと判断すると、レイが動く前に地面に転がっている風の鱗の方へと向かって走り出す。

 そんなアジモフの後ろを、一応の護衛ということなのかビューネが追う。

 アジモフを止めるかどうか一瞬迷ったレイだったが、一応声を掛ける。


「アジモフ、ズボズの作ったマジックアイテムは使用者を乗っ取る能力を持つ物が多い。そのクレイモアは使用者を乗っ取るといった様子は見せなかったけど、迂闊に触らないようにな」


 結局は止めず、注意を促すだけにする。

 本来であれば止めた方がいいのだろう。

 だが、アジモフが腕利きの錬金術師である以上、その辺を理解した上での行動だろうという思いがあった。

 同時にズボズの作成したマジックアイテムを見ることにより、現在アジモフに頼んでいる槍の件で何らかの参考になるのではないかという思いがあったのも否定出来ない。


「分かってる、これでも俺は一応錬金術師なんだ。その辺の心配はしなくてもいい」

「……だといいんだけどな。それで、問題はこれからどうするかだけど」


 風の鱗を観察しているアジモフをそのままに、レイはこれからどうするべきかと考える。


「普通ならこんな騒ぎを起こせば、警備兵とかがすぐに駆け付けるんでしょうけど……ね」


 ここがスラム街でなければそれも可能だっただろうが、ここがスラム街である以上警備兵達がやって来ることには期待出来ない。


「となると……私達が連れていく必要があるということか?」


 ヴィヘラの言葉に、エレーナは視線を周囲へと見回す。

 ダイアスは右腕からの血は取りあえず止まっており、動かすのに支障はない。

 ポールは未だに茨にその身を縛られており、茨の槍を解除すれば棘の刺さった場所の治療は必要だろうが、こちらも動かすのに支障はない。

 そして最後の一人は……と、エレーナの視線が足下にいるアドリアへと向けられる。

 エレーナの顔を見ることは出来ずともその視線を感じることは出来たのか、身動き出来ないにも関わらず、何とかこの場を脱しようとしていたアドリアが口を開く。


「あたしもこれ以上は何もするつもりもないんだし、そろそろ足を退かせて欲しいんだけど……駄目かな?」

「駄目だな」


 アドリアの要求に対し、エレーナは即座に却下する。

 まさかそんなにすぐに却下されるとは思わなかったのか、アドリアは一瞬だけ驚いた表情を浮かべるも、すぐに再び口を開く。


「何故だい? あたしの実力はあたしが一番理解している。もし君達と敵対しようものなら、現状では絶対に勝ち目はない。逃げ出すことすら出来ないだろうしね。だとすれば、こうして踏みつけている必要はないと思うけど?」

「そうか? 今のままだと逃げ出せないというのは事実だろう。だが、自由に動けるようになれば逃げることも出来るようになるのではないか? ……そうだな、今のうちに調べておくか。ビューネ」

「ん」


 アジモフの側で周囲に敵がいないかどうかを確認していたビューネだったが、エレーナに呼ばれると短く呟き、視線を向ける。


「悪いが、この者がマジックアイテムを持っていないかどうかを調べてくれないか?」

「ん」


 エレーナの言葉に頷き、そのままアドリアの下へと向かう。

 現状、アドリアの持っている物を調べるのに一番適しているのはビューネだった。

 盗賊だけあってビューネはそれなりに目利きであるというのが大きい。

 それ以外にもビューネに頼んだのは、レイやアジモフのような男にアドリアの身体検査をさせる訳にはいかないという理由があったが。

 ともあれ、ビューネがアドリアの身体をまさぐって色々な場所に隠してあったマジックアイテムや、それ以外にも普通の道具を取り出しているのを見ながら、エレーナは視線を少し離れた場所にある小屋へと向ける。

 それは、イエロが上空から見つけた小屋。

 スラム街が迷路のようになっていた為に結局道案内を雇うことになってしまったが。


「レイ、あの小屋は調べぬのか?」


 エレーナの言葉に、レイもまた視線を小屋へと向ける。

 そこにある小屋を調べる必要があるかないかと言われれば、調べた方がいい筈だ。

 そう判断すると、レイは風の鱗に集中しているアジモフへと声を掛ける。


「アジモフ、ちょっといいか?」

「何だ、悪いけど今はこっちに集中したいんだ。用件があるのなら、これを調べ終わってから……」


 即座にアジモフはそう返し、改めて風の鱗へと向かって視線を戻して調べ始めた。

 それを見ていたレイは、少し考えた後でこれ見よがしに溜息を吐く。


「そうか、残念だな。あのズボズとかいう錬金術師の隠れ家を調べに行こうと思ったんだけど。アジモフがそう言うのなら、俺一人で……」

「待て」

「おわぁっ!」


 調べに行く。

 そう言おうとしたレイだったが、ふと気が付けば先程まで風の鱗を調べていた筈のアジモフがいつの間にか……本当にいつの間にか、音も出さずにレイの側に立っていた。

 気配を全く感じさせずに自分の近くに姿を現したアジモフに、レイは驚愕の視線を向ける。

 まさかアジモフにそんな真似が出来るとは思ってなかったレイは一瞬言葉に詰まるも、すぐにアジモフの言葉によって我に返る。


「ほら、レイ。あの小屋に行くんだろ。俺も行くからさっさと行くぞ」

「……あー、うん」


 好奇心に目を光らせているアジモフの言葉に、レイは何となく理解した。


(自分の興味がある件には、実力以上の力を発揮するタイプな訳か。……錬金術師で良かったのかもしれないな)


 もしアジモフが盗賊に興味があり、そして盗賊行為にのめり込んだとしたら……恐らく大規模な盗賊団が誕生していただろう。

 そんな風に思ったレイだったが、それでもアジモフが盗賊をやっている光景というのは想像出来なかった。


「レイ、ほら、行くんだろ!」

「分かった。分かったから、そう急かすなよ」


 外見は立派に大人なアジモフだったが、今の様子を見ていると、お菓子を我慢しきれない子供の姿が連想される。

 ともあれ、レイもズボズの隠れ家にどんなマジックアイテムがあるのかというのは興味があったので、アジモフの後を追う。

 そんなレイの様子を見たアドリアの口元が微かに……ほんの微かにだが弧を描いたのだが、うつ伏せだった為か、それに気が付いた者はいなかった。

 戦闘が行われていた場所から移動して小屋の前へと到着すると、何だかんだとレイも自分の中に小屋に対する強い興味があることを自覚する。

 扉へと手を伸ばして開けようとした瞬間、小屋が内部から膨れあがったのを見て取ったレイは、殆ど反射的にレイは近くにいるアジモフの服を強引に掴んでその場から後ろへと跳び退っていた。


「ぐぇっ!」


 急に服を引っ張られたアジモフの響きがレイの耳に入ってきたが、それは次の瞬間にはより大きな轟音により掻き消される。

 レイが地面に着地したのと同時に、小屋が爆発したのだ。

 そう。それは火が出たのではなく、爆発というのが正しい表現だった。


「ちぃっ!」


 舌打ちをしながら、自分の方へと向かってきた無数の小屋の破片をドラゴンローブを使うことで防御に徹する。

 幸いアジモフはレイの後ろにいるので、庇うという行為をするのに苦労することはない。

 小屋の破片が次々にドラゴンローブへと当たるのだが、ドラゴンローブは数百年を生きたドラゴンの鱗をドラゴンの革で挟んで作り出されたマジックアイテムだ。

 非常に高い物理防御力と魔法防御力を持っているのだから、小屋の破片を受けたくらいではその防御力を抜くことは出来ない。

 ただし、ドラゴンローブに破片がぶつかった衝撃は別だった。

 ドラゴンローブで軽減されていても、衝撃そのものはレイの身体へと次々に通る。

 ミスティリングからデスサイズ辺りを出していれば、その長さを活かして手の中で回転させて盾のように防ぐことや、マジックシールドを使って防御することも難しくはなかっただろう。

 だが、今は小屋の中を調べるということもあって、デスサイズはミスティリングの中に収納したままだった。

 油断……というのは酷だろう。

 ともあれ、近距離で破壊された小屋の破片を次々とその身で受け止めたレイは、衝撃によって与えられる痛みに耐えながら後ろにいるだろうアジモフへと意識を向ける。

 元々研究一筋の錬金術師でもあるアジモフだけに、咄嗟に身体を動かすことは得意ではない。

 ある程度の魔法を使えもするが、それも詠唱が必要だった。

 つまり、現在の状況ではアジモフに出来ることは何もない……とレイが思った瞬間、不意に身体に感じる衝撃が少なくなる。

 何が起きたのかをレイは理解出来なかったが、もし後ろを向いていればアジモフの手首に嵌まっている腕輪が青い光を発しているのに気が付いただろう。

 アジモフは咄嗟に魔法を使ったり、攻撃を回避したりといったことは出来ない。

 だが、身につけているマジックアイテムに魔力を流して発動させることは可能だった。

 レイを含めて数m程の場所に生じた青い円形の結界は、吹き飛んでくる小屋の破片の勢いを多少ではあるが落とす効果があった。

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