第974話

「どう、まだ追ってきてる!?」


 森の中を走るミレイヌが叫ぶと、ヨハンナが後ろを向いて忌々しげに叫び返す。


「まだ追ってきてるわよ! 全く、随分としつこい連中ね。そんなに私が魅力的なのかしら!」


 冗談を交えながら叫ぶヨハンナに、元遊撃隊の男が笑みを交えながら口を開く。


「魅力的は魅力的でも、餌として魅力的ってのはどうかと思うけどな。柔らかい肉的な意味で」

「それなら俺達は筋肉で固いから、向こうにとってはあまり嬉しくないだろうな」

「馬鹿ね、サイクロプスが美味い不味いってのをそこまで気にすると思うの! あいつらは腹が膨れれば何でもいいのよ!」


 そんな話し声が聞こえた訳ではないだろうが、背後からは苛立ち混じりの雄叫びが放たれる。


(エクリル、何で戻ってこないの? まさかやられた? ……いえ、もしそうならサイクロプスが五匹全部こっちを追っては……もしかして、あの赤いサイクロプスに? お願い、無事でいてね)


 ミレイヌの脳裏を、自分だけが残ってサイクロプスの妨害をしていたパーティメンバーの顔が過ぎる。

 現在、走りながらではあるが話をする余裕があるのは、エクリルがサイクロプスへと矢を射って追うのを邪魔したからこそだ。

 だがその為にエクリルは背後に残らざるを得ず、未だに自分達に合流していない。

 そんなパーティメンバーを心配しながら走り続けていると、やがて馬や馬車を置いてある場所が見えてくる。……だがそこで見たのは、馬や馬車を守る為に残っていた者達が二匹のサイクロプスと戦っているという光景だった。

 いや、正確には戦っているというよりは防御に専念することで何とか持ち堪えているというのが正しい。


「なっ!?」


 サイクロプスは五匹だけではなかった。

 そう理解すると共に、ミレイヌは強い焦燥感に襲われる。

 ランクCモンスターのサイクロプス二匹。

 これは、この場にいる面子であれば容易にとまではいかないが、それでも戦えば負けるとは思えない相手だ。

 だがそれはあくまでも普通に戦えばであり、背後にいる五匹のサイクロプスに追いつかれる前に二匹を倒せるかと言われれば否と答えるしかない。


「ミレイヌ、どうしますか!?」


 追ってきたスルニンが杖を構えながら叫ぶ。

 その声で我に返ったのか、ミレイヌは慌てて周囲を見回す。

 暴れているサイクロプスがやったのだろう。馬車は既に破壊されており、馬も全てが死体となっている。

 馬の機動力があればサイクロプスから逃げるのは難しくなかったのだろうが、馬は自由の身だった訳ではない。

 勝手にどこかにいかないように、近くの木に繋がれていた。

 そんな状況でサイクロプスから逃げ切れる筈もなく、棍棒の一撃により全ての馬が命を絶たれてしまったのだ。


(ここで戦っていては全滅するのは確実。だとすれば、全員で別々の方向に逃げる? それが一番生存率が高いけど……)


 いつもであれば即座に決定を下すのだが、今回迷った理由は自分達が逃げ出す原因となった赤いサイクロプス。

 普段は集団で生活せず、単独で行動しているサイクロプスを統率する能力を持っているだろう存在。

 最初の目撃例は一匹だけであり、ミレイヌ達がギルドで受けた討伐依頼も一匹のサイクロプスだった。

 だがこうして森までやって来てみれば、見つかったのは五匹のサイクロプス。

 更に赤いサイクロプスがおり、そこから逃げ出した先では追加で二匹のサイクロプス。

 つまり、この近辺には他にもサイクロプスがいる可能性が高いということになる。

 そこまで考えるのに数秒。結局ミレイヌが選んだ選択肢は……


「皆、それぞれ別方向に逃げなさい! そして、誰でもいいからギルムに……もっと強い戦闘力を持っている冒険者にこのことを知らせて!」


 ミレイヌの決断が下れば、行動するのは早かった。

 その場にいたそれぞれが森のなかへと一斉に散らばっていく。


「ガアアァァァアアアァッ!」


 逃げるな、そんな意味を込めた叫びと共に、二匹のサイクロプスのうちの片方が森の中に突っ込もうとして……


「私に後ろを見せるとか、甘く見て貰っては困るわね! ショック・ウェーブ!」


 その言葉と共に振るわれたミレイヌの長剣は、背中を見せたサイクロプスへと叩きつけられる。

 頑丈な皮膚を持つサイクロプスだったが、そんなのはものともせずに衝撃が体内を走る。

 魔力によって生み出された衝撃を、長剣を通して相手へと叩きつけるというミレイヌが得意としているスキルだ。

 効果はヴィヘラの浸魔掌に似てはいるが、その威力は数段落ちる。

 衝撃を与える深度がより浅い、と表現するのが正しいのかもしれない。

 また、衝撃が体内を走るということは身体が大きく、地面に接している部分が大きい程に衝撃も逃げやすくなってしまい、そういう意味でも四m近い身長を持つサイクロプスを相手にして一撃必殺とはいかなかった。

 それでも、サイクロプスもそんなスキルを使われて無傷で済む筈がない。

 ショック・ウェーブを食らったサイクロプスだけではなく、もう一匹のサイクロプスもミレイヌを危険だと判断して追撃の手を止める。

 このままミレイヌを放っておけば、背後から今の攻撃を連発されてしまうかもしれない。

 サイクロプスの頭でも、そのくらいのことは理解出来たのだろう。


「ガアアアアァァァアァァッ!」

「ガアァアァァッ!」


 手に持った棍棒を手に、ミレイヌの方へと向かって二匹のサイクロプスが距離を詰める。


『ウィンドアロー!』


 片方のサイクロプスへと向かい、放たれる風の矢。

 それを誰がやったのかというのは、ミレイヌにとって考えるまでもなかった。


「スルニン!? 何で残ってる……のよ!」


 自分に向かって振るわれた棍棒を横に跳んで回避しながら叫ぶ。

 地面に足を着き、サイクロプスを睨み付けながらも一瞬だけ視線を向けると、そこではミレイヌの予想通り杖を持ったスルニンの姿があった。

 いや、それだけではない。ウィンドアローを食らって一瞬怯んだサイクロプスに向かい、槍を突き出しているヨハンナの姿もある。

 突き出された槍の穂先はサイクロプスの身体へと突き刺さるも……ヨハンナの筋力ではそこまで深く突き刺すことが出来ず、穂先の半分までしかサイクロプスの身体には埋まっていない。

 予想外に固いサイクロプスの皮膚と筋肉に一瞬眉を顰めたヨハンナは、そのまま強引に槍の穂先を横に薙ぐ。

 サイクロプスの胴体を浅くではあるが斬り裂きながら抜き取った穂先を手元に戻しながら、ヨハンナは口を開く。


「皆の為に自分だけが犠牲になるなんて、似合わない真似をしてるからでしょ」

「うるさいわね! あんたこそ、レントとの約束があったんじゃないの? このままだと約束の時間に遅れるわよ!」


 再び振るわれた棍棒を回避しながら叫ぶミレイヌに、こちらも槍でサイクロプスを牽制しながらヨハンナは叫び返す。


「約束? ああ、何か奢ってくれるって話だったわね。けど、レントも私が遅刻すれば別の人を見つけるでしょうよ! それに、ここでミレイヌを見捨てていったら、セトちゃんに合わせる顔がないじゃない!」


 振るわれる棍棒を、槍の柄を使って受け流しつつカウンターでの一撃を放つ。

 その鋭い一撃は先程同様にサイクロプスの身体に突き刺さるが、突き刺さったのが穂先の半分だというのも先程同様だった。


「スルニン! 貴方はさっさと逃げなさい! ただでさえ魔法使いで足が遅くて鈍いんだから!」

「残念ながらそうもいきませんよ。エクリルが戻ってくるのを待つ必要がありますし、サイクロプスは元々魔法にそれ程強くありません。それに……私がいなくなったら、後ろからやって来る五匹の方はどうするつもりです? 魔法があればまだ何とか対抗は出来るかもしれませんよ?」


 杖を手に、背後を気にしながら告げるスルニン。

 戦いの最中でも、そちらから五匹のサイクロプスが近づいてくる足音は聞こえ続けている。

 可能であれば、追いつかれる前に目の前の二匹のサイクロプスを倒して背後の五匹のサイクロプスを迎え撃つというのが最善なのだろうが、そもそもサイクロプスはランクCパーティが総出で掛かって互角というランクのモンスターだ。

 ヨハンナがいるとはいっても、後方から援護射撃を行うエクリルを欠き、更に敵はサイクロプスが二匹。

 どう考えてもまともに戦うというのは無理だった。


(なら、まともではない手段で戦うしかないでしょう。エクリルが戻ってくるまで、そして皆が逃げ切るまでの時間を稼ぐ為に! そんな中、最年長の私が逃げる訳にもいきませんからね)


 杖を手にしたスルニンは、一瞬だけ背後を見てまだサイクロプスが追いついてくるまで多少の猶予はあるのを確認し、魔力を集中して呪文を唱え始める。


『風よ、風よ、汝は鋭き、全てを斬り裂く刃なり。我が前に立ち塞がりし敵の喉笛を斬り裂き、手足を斬り裂く不可視の刃となれ』


 呪文を唱えると同時に、スルニンの周囲に四つの風の刃が形成されていく。


『ウィンド・ソード!』


 そして呪文が完成すると同時に放たれた風の刃は、それぞれ二つずつサイクロプスの目と喉へと向かう。


「ガアァァァァアッ!」

「ギャアアアアァァァッ!」


 ミレイヌと戦っていた方のサイクロプスは、手に持った棍棒でその風の刃を受ける。

 サイクロプスが使っているのはきちんと武器として作られた棍棒ではなく、その辺に生えている木を引き抜いたり、太い枝を折ったりして使っているものだ。

 当然その程度の武器で風の刃を防げる筈はなく、棍棒はあっさりと切断される。

 だが、棍棒を切断したことにより風の刃は軌道を逸らしてあらぬ方向へと飛んでいき、サイクロプスの背後に生えていた木や枝を数本ずつ切断しながら飛んでいく。

 サイクロプス自身にはかすり傷程度の傷を頬に付ける程度で。

 そしてヨハンナと戦っていたサイクロプスは、ヨハンナの武器が槍で間合いが広く、そちらに集中していた分反応が遅れる。

 スルニンの放った風の刃はサイクロプスの喉は斬り裂くことは出来なかったものの、その巨大な単眼に大きな斬り傷を生み出すことに成功した。


「はぁっ、はぁっ、はぁ……」


 今の魔法は、スルニンにとってもかなり魔力を消耗し、激しく息を吐かせる。

 それでも無茶をしたおかげで、サイクロプスの片方からは視界を奪うことに成功した。

 眼球というのはサイクロプスの中でも高価な素材なのだが、自分の命と引き替えに出来る筈もない。

 ともあれ、スルニンの魔法でサイクロプスの一匹が視力を失い無力化した。

 勿論失ったのは視力だけであり、棍棒を振り回して暴れているのだから完全に無力化した訳ではない。

 だが、今の状況で一匹のサイクロプスが中途半端であっても無力化出来たというのは、非常に大きい出来事だった。


「ミレイヌ、そっちの方を急いで倒すわよ! 後ろからも来てるから、時間が!」

「分かってるわよ!」


 お互いが叫ぶと同時に、ミレイヌとヨハンナはまだ無事な方のサイクロプスへと協力して攻撃を仕掛ける。

 その行動は非常に息が合っており、普段仲違いしている二人だとはとても思えない。

 もし何も知らない人物が今の二人の様子を見れば、普段から息が合っている親友同士という風に見てもおかしくなかった。

 勿論本人達は絶対にそれを認めようとはせず、お互いの悪い場所を声高にあげつらうだろうが。

 ミレイヌの長剣とヨハンナの槍がサイクロプスを仕留めようと振るわれる。

 だがサイクロプスもランクCモンスターであり、非常にしぶとい。

 スルニンによって付けられた傷も、赤いサイクロプスのように瞬時に再生という訳にはいかないが、傷口から流れる血は見て分かる程に少なくなっていた。

 徐々にではあるが、回復してきているのだ。

 出血をしている今のうちに何とか仕留めたいと、ミレイヌとヨハンナは必死で猛攻を仕掛ける。

 ミレイヌの長剣がサイクロプスの肌を裂き、肉を斬る。

 ヨハンナが繰り出した槍の穂先がサイクロプスの皮膚を貫き、肉を抉る。

 しかし……それでも一撃でサイクロプスを殺すことは出来なかった。

 時間を掛ければ何とか倒すことは出来たかもしれないが、今必要なのは一刻も早くサイクロプスを倒すことであり……そして、時間は無慈悲にも流れていく。


「ガアアアアァァァァァァアァッ!」


 背後から聞こえてきたその雄叫びに、スルニンは厳しい表情を浮かべて振り向く。

 何とか整った呼吸で杖を手に、詠唱を終えた風の矢がスルニンの周囲に浮かぶ。

 その数は十本以上。

 基本的に攻撃力自体はそれ程高くないが、その代わり風の矢の飛翔速度は速い。

 それを使ってサイクロプスの巨大な単眼を射貫こうとし……だが、次の瞬間には自分目掛けて飛んできた棍棒を目にする。

 このままでは直撃、回避は不可能。

 そう判断して、棍棒へと向けてウィンドアローを放ち、軌道を逸らす。

 ほぼ全てのウィンドアローを使用して逸らされた棍棒は、スルニンのすぐ横を飛んでいき、単眼を斬り裂かれて暴れていたサイクロプスの頭部へと命中する。


「ガアァッ!?」


 悲鳴を上げながら地面へと倒れるサイクロプス。

 そして、ミレイヌとヨハンナが戦っていたサイクロプスが不意にバランスを崩して地面に腰を落としたかと思えば、次の瞬間には単眼や鼻、口といった場所から血を噴きだしながら地面へと倒れ込む。

 そうして倒れ伏したサイクロプスの後ろには、片手を前に出している人物の姿があった。

 踊り子や娼婦が着るような薄衣を身につけ、手足にはそれぞれ手甲、足甲を身につけている人物。

 闘争の予感に浮かべている表情は、いっそ淫らと表現してもいい。

 その人物が誰なのか……この場で知っているのは、唯一ヨハンナだけだった。


「ヴィヘラ様!?」


 そんなヨハンナの声が周囲に響き渡る。

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