第975話
ヴィヘラとビューネ、ディーツがその場所へと到着したのは偶然……という訳ではない。
元々森の中へと馬を進めており、ディーツがどの方向へとミレイヌやヨハンナが移動したのかを予想し、そちらの方へと向かっていたのだ。
幸いと言うべきか、ディーツの予想は特に間違っていなかったのは、馬で森の木々を避けながら走っている時に聞こえてきた音で証明された。
「どうやら既に戦闘中みたいね。サイクロプスに見つかったのか、それとも好機とみて襲い掛かったのかは分からないけど……いえ、もしかしたらレイとセトかしら?」
「ん!」
呟くヴィヘラに、ビューネは抗議するように小さく声を発する。
馬に乗ることが出来ないビューネは、ヴィヘラに抱えられるかのようにして前に乗っていた。
そんなビューネの可愛らしい声で行われた抗議の声に、ヴィヘラは小さく笑みを浮かべて口を開く。
「安心しなさい。別に、このまま放っておく訳じゃないから。それに……何度か戦ったことがあるけど、サイクロプスはそれなりに戦い甲斐のある相手よ。何と言っても、あの巨体で高い回復力を持っているのがいいわね。こっちが思う存分攻撃出来るし」
とても元皇女とは思えない、戦いを渇望するかの如き笑みを浮かべながら告げるヴィヘラ。
その背後を馬で走っているディーツは、ヴィヘラがどんな表情を浮かべているのか、見てみたいような、怖いような、そんな不思議な感覚に襲われていた。
だがそんな感覚が表情に出る前に、ヴィヘラは口を開く。
「じゃあ、悪いけど私は先に行くから馬をよろしく」
そう告げ、走っている馬からビューネを抱いたまま飛び降りる。
予備の馬として連れてきた方の馬からも手綱を放したヴィヘラは、特に危なげもなく地面に着地する。
そうして慌ててヴィヘラの乗ってきた馬を回収しようとしているディーツを尻目に、ビューネの頭を撫でながら口を開く。
「じゃあ、ビューネ。私は戦いの場所に行ってるから、貴方は援護お願いね」
「ん」
ビューネが頷いたのを見ると、ヴィヘラはそのまま生えている木々を縫うようにして先へと進んでいく。
そうして出たのは、広場のようになっている場所。
そこにはサイクロプス二匹が存在していた。
だが、それを見たヴィヘラは微かに眉を顰める。
ディーツから聞いた話ではサイクロプスの数は五匹だった筈なのに、目の前にいるのは二匹だけだったからだ。
しかもその内の一匹は長剣か槍かは分からないが単眼を斬り裂かれ、視界を封じられて手当たり次第に暴れている。
一瞬残り三匹は既に倒されたのかとも思ったが、死体が地面に転がっている訳ではない。
地面に転がっているのは馬の死体だけであり、サイクロプスの死体は肉片すらも存在していない。
これが、もしレイが戦っているのであれば、炎の魔法や炎帝の紅鎧により全身を灰となるまで燃やされたという可能性もあったが、視線の先にいる人物にそんなことが出来ようには思えなかった。
(魔法使いがいるけど、レイと同じ技量を期待するのは間違いでしょうし)
自分よりも大分年上の魔法使いを見て、内心で呟く。
そもそも、レイと同じ実力を発揮出来るような魔法使いという時点でかなり……いや、極端に条件は厳しくなる。
(だとすれば、普通に考えるとサイクロプスを分散させたってところかしら。元々サイクロプスは単独で動くのが基本なんだから、その辺を考えればおかしくないわね。なら、手負いの二匹はさっさと片付けて残りの三匹に……)
そう考えていたヴィヘラの前で、事態は進行していく。
魔法使いの後ろから雄叫びが聞こえてきたのだ。
どうやら残りのサイクロプスも来たのだろうと判断すると、ヴィヘラは地を蹴ってミレイヌとヨハンナが戦っているサイクロプスの背後へと近づき、右足の膝の裏へと向かって手甲の嵌まった拳を振るう。
もっとも、その一撃はそこまで強い一撃ではない。
膝を後ろから押された程度の威力しかない一撃であり……サイクロプスのバランスを崩すには、そんな一撃で十分だった。
突然自分の意思に反して右足が曲がり、そのまま地面へと腰を落としたサイクロプスの背中に触れると、ヴィヘラは魔力を込めた一撃を放つ。
「ふっ!」
短い気合いの声と共にヴィヘラの手から浸魔掌が放たれ、魔力によって生み出された衝撃は直接体内へと叩き込まれ、心臓を含めた重要器官を破壊していく。
幾ら回復力が高いサイクロプスといえども、心臓や体内の内臓を破壊し尽くされてただで済む筈もなく……目、耳、鼻、口といった場所から血を流しながら瞬時に絶命する。
「ヴィヘラ様!?」
突然顔中から血を流しながら地面へと倒れたサイクロプスに驚きつつも、その後ろに存在していた人物の顔を見てヨハンナが叫ぶ。
「確か貴方がヨハンナだったわよね? 久しぶり……と言いたいところだけど、話している時間はないみたいよ」
視線をスルニンの……正確にはその背後へと向けながら呟くヴィヘラ。
慌ててミレイヌとスルニンもそちらへと視線を向けると、そこでは丁度五匹のサイクロプスが姿を現したところだった。
エクリルの放った矢によって若干の傷はあるものの、その傷も殆ど回復し掛かっている、無傷に近い五匹のサイクロプスを目にして、ミレイヌ、スルニンの顔が強張る。
だが、ヨハンナはそんな二人とは違い、そこまで強い不安は顔に表れていない。
ヴィヘラがどれだけの実力を持っているのか、その目で見て知っている為だ。
そんなヨハンナの期待の視線を向けられたヴィヘラは、男であれば……いや、下手をすれば女であっても虜にするような蕩けるような笑みを浮かべて、口を開く。
「サイクロプスの数は五匹と聞いてたんだけど……まぁ、いいわ。こっちにやってくる五匹は私が相手をするから、貴方達は向こうの手負いをお願い」
それだけを告げ、とうとう森の中から姿を現した五匹のサイクロプスへと向かって地を蹴る。
後ろ姿を見送ったミレイヌは、今の女を知っている様子を示したヨハンナへと疑問の視線を向ける。
本当にいきなり現れた女に五匹のサイクロプスを相手に出来るだけの実力があるのか、と。
その視線を向けられたヨハンナは絶対の信頼を抱いて頷き、既に背後から迫ってきていたサイクロプスは問題ではないと、単眼を傷つけられて未だに手当たり次第に暴れ回っているサイクロプスの方へと視線を向ける。
自分達が倒すべき敵は、あの手負いのサイクロプスだと。
もっとも、手負いだからといって楽に倒せるという訳ではない。
ランクCモンスターの手負いを相手にするのだから当然だろう。
ここにエクリルがいればどうとでもなったのだろうが、遠距離からの援護射撃がスルニンの魔法しかない状況というのは、決して安堵出来ることではない。
(エクリル、無事でいるならそろそろ戻ってきなさいよね)
ミレイヌは内心でエクリルを心配しながらも、手にした長剣の柄をしっかりと握り締める。
向こうは目が見えない以上、幾ら膂力があっても攻撃の精度は格段に落ちるのは明白だ。
気をつけるのは、偶然の一撃のみ。
そう判断したのは、ヨハンナも同様だったのだろう。お互いに視線を合わせると、二人揃って暴れ回っているサイクロプスへと駆け出していく。
(どうやら向こうの方は何とかなりそうね)
そんな二人の後ろ姿へと視線を向けるヴィヘラ。
ただ視線を向けたのではなく、サイクロプス五匹による集中攻撃を回避しながらの一瞥だ。
……もっとも、五匹の集中攻撃といっても、一度に攻撃出来るのは二匹、よくて三匹程度でしかない。
時々後ろに残っているサイクロプスの単眼から魔力の衝撃波が放たれるが、その攻撃の全てをヴィヘラは回避し、それどころか自分に攻撃をしようとしているサイクロプスを盾代わりにすらする。
元々巨体のサイクロプスだけに、攻撃するにもある程度の空間を必要とするのがヴィヘラにとっては幸い、サイクロプス達にとっては災いした形だ。
「ガアアァァアアァァアッ!」
雄叫びを上げながら振るわれる棍棒は、近くにいた別のサイクロプスの腕に当たりつつヴィヘラに振るわれる。
「ギャッ!」
棍棒が当てられたサイクロプスが悲鳴を上げるが、当然そんなのは誰も聞いたりはしない。
ふわり、と後方へと跳ぶヴィヘラ。
その際に薄衣がひらめき、それが余計にサイクロプス達の意識を奪う。
……これが、五匹のサイクロプスがミレイヌ達の存在を無視してヴィヘラだけに攻撃を集中している最大の理由だった。
本来であれば、わざわざ五匹全てがヴィヘラに攻撃を集中する必要はない。
一斉に攻撃出来るのが三匹程度なのだから、他の二匹は当然攻撃出来ず、手持ちぶさたになってミレイヌ達の方へと意識を移してもよかった。
だが、ヴィヘラの着ている薄衣の如き服が挑発的に空中を舞い、サイクロプス達を挑発する。
挑発以外にも、なまじその薄衣の下に柔らかな肢体が見える為、空腹に苛まれたサイクロプス達にとってヴィヘラは目の前にぶら下げられたご馳走以外のなにものでもなかった。
そのご馳走を何とかして自分が食おうと集中し、周囲の様子は完全に忘れ去られる。
いや、それどころか先程棍棒を横薙ぎに振るった時に当てられたサイクロプスが、棍棒の一撃を回避されてバランスを崩したサイクロプスへと自分の棍棒を振り下ろす。
「ギャガアァッ!」
頭部へと当たった一撃は、それだけでサイクロプスを殺すまではいかなかったが、それでも大きなダメージを与える。
仲間が上げた悲鳴に、一瞬だけサイクロプス達の視線がその声の主へと集まり……
「馬鹿ね、私から目を離すなんて」
その一言は、頭部を棍棒で殴られて踞っていたサイクロプスのすぐ近くから発せられる。
ほんの一瞬前までは離れた場所にいた筈のヴィヘラが、いつの間にかサイクロプスのすぐ近くへと立ち、手を痛みで踞っているサイクロプスの胸へと触れさせていた。
「死になさい!」
短い叫びと共に浸魔掌による一撃が放たれ、次の瞬間にはサイクロプスは顔中から血を流しながらその命の炎はあっさりと消し去られる。
「ガァッ!?」
何が起きたのか、他のサイクロプス達には全く理解出来なかったのだろう。
自分達よりも圧倒的に小さく、それこそ極上ではあっても餌としか見てなかったヴィヘラが手を触れただけで、仲間が死んだのだから。
もっと知能が高ければヴィヘラの危険性に気が付けたかもしれないが、残念ながらサイクロプスというモンスターは決して頭がいい訳ではない。
「残り四匹ね。……あら?」
呟いた瞬間に聞こえてきた風切り音。
同時にサイクロプスの一匹が悲鳴を上げながら棍棒を投げ捨て、目を押さえる。
「全く、手伝うなら向こうの方を手伝えばいいのに」
突然悲鳴を上げたサイクロプスに、他のサイクロプス達は何が起きたのか理解出来ないと、ただ呆然とそちらを見ていた。
「馬鹿ね」
「ギャガアァッ!」
呆然としているサイクロプスの一匹に対して、背後に回り込んだヴィヘラが膝裏へと攻撃してバランスを崩させ、背後から浸魔掌で心臓を含む内臓を破壊する。
普通にヴィヘラが攻撃しただけでは、浸魔掌で心臓を狙うことが出来ない。
だからこそ、最初に倒したサイクロプスと同様に、こうして地面に片膝でいいから付かせる必要があった。
二匹目のサイクロプスを倒したヴィヘラは、そのまま残り三匹から距離を取る。
自分達の仲間が瞬く間に二匹殺された為、サイクロプスの方もヴィヘラに対して強い警戒心を抱いたのだろう。
今までのように食料を狙う目ではなく、敵を見る視線をヴィヘラの方へと向ける。
「ビューネ、私の援護はいらないわ。どうせなら正面から戦ってみたいし」
サイクロプス達から視線を外さずに告げるヴィヘラ。
その言葉に対する反応はなかったが、サイクロプスへと攻撃が行われなくなるというのは想像出来た。
細長い針というのは、盗賊でもあるビューネにとって格好の攻撃手段でもある。
特にこのような森の中での戦いとなれば、背が小さく色々な場所に隠れられるビューネの独壇場と言ってもいいだろう。
それこそサイクロプス五匹を相手にしても、倒すことは出来ずとも足止めくらいなら可能。
奇しくもレイの口から出た言葉が真実だったと証明していた。
「さぁ、来なさい。私を食べたいのでしょう? なら、その力を発揮しなさい!」
ヴィヘラの口から出た言葉が切っ掛けとなり、単眼をビューネの針によって傷つけられた以外のサイクロプス二匹は一斉にヴィヘラへと襲い掛かる。
奇しくも二匹のサイクロプスが死に、一匹が視力を失い、残りの二匹が一斉にヴィヘラへと攻撃しても仲間に命中することがなかったというのもあるのだろう。
「ガアアアアアアアアアアァァァッ!」
「ガアァァアァァァッ!」
「ギャァァアァッ!」
二匹が雄叫びを上げながらヴィヘラへと向かってそれぞれ手に持った棍棒を振り下ろす。
その際に単眼を押さえたサイクロプスの悲鳴も響き渡るが、聞いている者はいない。
右斜め前、左斜め前。
そんな二方向から同時に襲い掛かってくる相手を前に、ヴィヘラの表情に浮かんでいるのは喜び。
今、そこにある濡れた瞳を見た者がいれば、男であれ女であれ、魂を奪われるかのように見惚れてしまうのは間違いないだろう。
そんな表情を浮かべながら、ヴィヘラは地を蹴ってサイクロプスとの距離を縮めていく。
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