第973話
自分に向かってくる赤いサイクロプスを眺めながら、レイはどうするべきかと考えていた。
レイとしては、赤いサイクロプスの使っているマジックアイテムの鎚には非常に興味がある。
いや、今の状況から考えれば赤いサイクロプスの方が鎚に使われていると表現した方がいいだろう。
能力的には鎚を叩き付けた場所に雷を走らせるというものと、異常とも言える再生能力を使用者に与えるというもの。
ただし、今レイの目の前には鎚から伸びている何らかの根のようなものが赤いサイクロプスの体内に張り巡らされている光景がある。
それを見れば、とてもではないがレイとしても鎚を自分で使おうとは思わなかった。
(もっとも、デスサイズみたいに重量を感じさせない能力とかがなければ、俺もあの鎚を使うのは厳しいだろうけど)
身長五m程の体躯を持つ赤いサイクロプスが手に持ち、それでも小さく感じさせないような大きさの鎚だ。
レイも普通の人間と比べれば遙かに発達した身体能力を持っているが、あれ程の物を自由自在に使いこなせるかと言われれば、否と答えるしかない。
また、鎚にデスサイズと同じような重さを感じさせない能力が備わっているとしても、鎚の大きさが問題になる。
今の様に炎帝の紅鎧を発動している状態であれば使えるかもしれないが、そもそもレイが得意としているのは大鎌であって鎚ではない。
だが、それでもレイがそのマジックアイテムを欲しているのは、自分で使わなくても錬金術師や鍛冶師の下に持ち込めば何らかの利益になるのでは? という思いがあった為だ。
色々とあってまだ取りに行ってはいないが、グラシアールへと向かう前にノイズから奪った魔剣の残骸を槍に仕立て直して貰うという依頼をしている。
それも気になってはいるのだが、もしかしたらそれに何らかの材料として使えるのではないか。そんな思いがレイの中にあった。
「ま、それもこれも……全て、お前を倒してからのことだけど、な!」
その言葉と共に横へと跳び、自分へと向かって振るわれた鎚の一撃を回避する。
クレーター状に地面を破壊した鎚から地を走る電撃が放たれるが、レイが既に何度か見た攻撃を食らうような真似をする筈もない。
先程同様にスレイプニルの靴を使い、三角跳びの要領で赤いサイクロプスの右側へと……鎚を握っている方の半身へと向かってデスサイズを振るう。
炎帝の紅鎧を身に纏っているだけあり、三角跳びという行為自体は先程と殆ど変わらないにも関わらず、速度に関しては比べものにならない程の速さだ。
赤いサイクロプスの右腕へと向かって振るわれたデスサイズの刃は、何の抵抗もなくその腕を切断し……次の瞬間には切断された筈の腕は既に繋がっていた。
それを見たレイは、再びスレイプニルの靴を発動して空を蹴り、距離を置く。
轟っ、と。一瞬前までレイの身体があった場所を鎚が通り過ぎていく。
「再生速度も上がってるのか。厄介な」
エクリルを助けようとして最初に攻撃した時も、赤いサイクロプスの右肩から先を切断した。
その右肩から先もすぐにくっついたが、それでも少しの時間は切断されたままだった。
少なくても、切断された瞬間にくっつくといった非常識な真似はされなかったのだが。
当然、炎帝の紅鎧を発動している状態でデスサイズの間合いまで近づいた時に負っていた火傷の傷痕も数秒と経たずに消滅している。
「となると、どうする? 殺すか壊すだけなら何とでも出来そうだが……」
それこそ最悪の場合はマジックアイテムである鎚の方を破壊してしまうという方法があるが、出来ればそれは避けて損傷がないままに確保したかった。
悩んでいるレイだったが、相手は悠長にそれを待ってくれはしない。
鎚を手にレイの方へと向かって走ってくる。
「ちっ、少しは考える時間を寄越せっての!」
その言葉と共に、炎帝の紅鎧の一部を自分に向かってくる赤いサイクロプスへと向かって飛ばす。
深炎と名付けられたスキルにより、赤い魔力は空中を斬り裂くかのような速度で真っ直ぐに飛んでいき、赤いサイクロプスへと触れ……次の瞬間、サイクロプスの身体全体を炎で包む。
当然そんな真似をされれば、赤いサイクロプス……正確にはその身体を操っているのだろう鎚も身体を覆っている炎を消そうとして暴れる。
だが普通なら地面を転がれば消える炎も、今は全く消える様子がない。
当然だろう。深炎は物理的な炎ではなく、レイの魔力により生み出された炎。
レイの想像した通りの炎を生み出すスキルだ。
今回レイが放ったのは、粘着質な炎。
ガムや接着剤のように触れた場所へくっつき燃え続ける炎。
大量の水の中に飛び込むなり、何らかの魔力を使った消火方法を取るなりしない限りは炎が消えることはない。
「ついでだ、食らえ」
深炎が効果を発揮していると見るや、再度同様の性質を与えた深炎を放つ。
そして深炎が着弾すると、赤いサイクロプスの身体を覆う粘着質な炎はよりその大きさを増す。
周囲に木々の存在しない、森の中の広場になっている場所だから良かったが、もし最初に赤いサイクロプスと戦いになった場所でこの深炎を使っていれば、周囲に燃え広がっていたのは間違いないだろう。
(この炎を食らって暴れるってことは、意識はないものの、赤いサイクロプスの身体はまだ生きてるのか? 死んでしまうと身体の動きが鈍るから、慌てて炎を消してるってこと……だと思うんだけど。いや、どのみち赤いサイクロプスの身体その物を破壊してしまえば問題はないか)
粘着質な炎を消そうと何とか頑張っている赤いサイクロプスを眺め、レイはそのまま一歩前に踏み出す。
炎帝の紅鎧により爆発的に向上したその踏み込みは、自らの身体を焼き続けている炎を消すことに躍起になっている赤いサイクロプスには一切見えない。
皮膚が焼かれた先から再生していってはいるが、それでも赤いサイクロプスは生き物であることに変わりはない。
生き物である以上は当然呼吸をする必要があるのだが、その呼吸すら全く出来ない状況で苦しんでいた。
意識はないものの、身体が呼吸出来ないという苦しみに……それどころか、息をしようとすれば粘着質な炎が口の中へと入り込んでくるという今の状況は、意識がないのは寧ろ幸運だったと言ってもいい。
「はぁぁあっ!」
その声と共に振るわれたデスサイズの一撃は、一瞬にして地面を暴れ回っている赤いサイクロプスの身体を真っ二つにする。
……いや、真っ二つどころではない。
一瞬の間に振るわれた刃の数は、十を超える。
それが連続して暴れ回っている巨体へと叩き込まれ、右手右足左手左足頭胸腹脇腹といった場所を次々に斬り刻んでいく。
「再生するなら、それ以上の速度で斬り刻み続けてやればいいんだろうが!」
叫びながらも常時振るわれるその連続攻撃は、もはや攻撃というよりも処理と評する方が正しいだろう連撃。
鎚も赤いサイクロプスの身体が切断される端から再生させていっているのだが、その速度は拮抗している。
回復したと思った瞬間には再び切断された身体。
そこに再び振るわれるデスサイズの刃。
デスサイズの連続攻撃以外にも、身体を覆っている粘着質の炎の方にも再生能力を回さなければならないというのが余計に鎚の負担を増す。
斬っては再生し、再生しては斬る。……そんなやり取りが続くこと、十数分。
次第に再生と破壊の間で揺れていた天秤は、破壊の方へと傾きつつあった。
そもそも、鎚の持つ再生能力や雷を出す能力といったものも、何の消耗もなく行われている訳ではない。
赤いサイクロプスの強靱な生命力を強引に魔力へと変えて起こしているのだ。
それを行っているのが、サイクロプスの身体に張り巡らされた、鎚から伸びている根。
使用者の意識を奪い、傀儡としているからこそ可能なことだった。
だが……幾らサイクロプスが生命力が非常に高いモンスターではあっても、その生命力は無限ではない。
有限という意味ではレイの魔力も同様だが、同じ有限ではあっても容量が違いすぎた。
片や通常のサイクロプスではないといっても、所詮はサイクロプスの一個体。
片や、この世界でも最高峰の魔力を持つ者。
そして赤いサイクロプスは怪我をする度に生命力を強制的に消費させられ、レイの方は炎帝の紅鎧により魔力を消耗してはいるが、魔力残量はまだまだ余裕だ。
そんな状態で消耗戦のような戦いを行い、赤いサイクロプスに……いや、鎚に勝ち目がある訳がなかった。
振るわれるデスサイズにより生み出される無数の傷痕。
その傷も今はまだ再生しているが、それでも時間が経つにつれて再生速度は急速に落ちていく。
そんな風に時間が過ぎ……やがて気が付けば、レイの振るうデスサイズによってサイクロプスは完全に息の根を止められていた。
それどころか、未だに身体に付着して燃えている粘着質な炎により、斬り刻まれた身体が炭と化して燃え尽きていく。
「……しまったな」
既に残っているのは胴体と右手だけ。
一般的なサイクロプスの場合には討伐証明部位となる右耳や、素材として高値で取引されている角や単眼も炎によって焼き尽くされ、再生不可能な状態になっている。
胴体と右手だけが無事である以上はそれ以外の手足も炭と化しており、こちらも素材として使える骨や筋といったもの、美味い肉も当然のように存在していない。
「最後に一気に来たからな」
溜息を吐き、レイの視線は赤いサイクロプスの右腕へと向けられる。
その右手には未だに鎚が握られており、まるでレイを牽制するかのように微かな雷を周囲に発していた。
押されつつ、それでも何とか均衡を保っていたレイと赤いサイクロプスの消耗戦。
だがその天秤が完全にレイに傾いてしまうと、崩れるのは早かった。
それこそ、レイが素材として欲していた場所を粘着質の炎が燃やしつくすのを止められなかった程に。
「希少種か上位種かは結局分からなかったけど、まぁ、それはいい。……目的の物は手に入ったんだから、それで良しとしておくとするか」
呟き、鎚の方へと視線を向けるレイだったが、それに対する返事はこれだとでも言いたげに、鎚は周囲に紫電を発する。
迂闊に触れればレイも感電するのは間違いない。……普通ならそう思い、触れるのに躊躇するだろう。
「どうせなら黙って擬態して、そのまま俺が握ったところで赤いサイクロプスに使った根を出せば良かったのにな」
紫電を発している鎚へと手を伸ばし……それに反発するように、より強い紫電を発する鎚。
だが、普通の時のレイであればともかく、今のレイは炎帝の紅鎧を展開している状態だ。
その状況のレイに対し、今の鎚が放てる程度の紫電では全く効果がなかった。
このまま触っても大丈夫かと一瞬レイの脳裏を過ぎったが、そもそも触れなければミスティリングに収納することは……と考え、生き物を収納することが出来ないというミスティリングの特徴を思い出す。
(この鎚は赤いサイクロプスを操った。つまり、言葉の類は発せないようだけど、意思のようなものがあるのは間違いない……と思う。だとすれば、収納出来ないのか? けど、マジックアイテムはマジックアイテムだ。意思があってもその辺はどうなるのか)
疑問に思いつつも、結局試すしかないだろうと結論づける。
ミスティリングに収納するのであれば、鎚に触れるのは一瞬でいい。
だが、このまま持って帰るとなれば、ギルムに到着するまで触り続けていなければならない。
どちらを選ぶのかと言われれば、前者を選ぶのは当然だった。
「ふぅ……よし」
相手を乗っ取って操るようなマジックアイテムは、レイも初めて見る。
だからこそ、それに触れる時は何があってもすぐに対応出来るように身体に纏っている炎帝の紅鎧を意識し、それでも熱量は極力排した状態で鎚へと触れる。
どくんっ、と。
触れた瞬間に柄を握った右手から何かが自分の中へと入ってきたのを感じ取る。
そう、それはまるで浸透とでも呼ぶような感覚でレイの右手から始まり、身体を支配しようとしていく。
そして握られている柄の部分からは赤いサイクロプスの時と同じく根をレイの体内へと侵入させようとする。
鎚の方も、レイはそう簡単に支配出来る相手ではないというのは理解しているのだろう。
だが、その根は炎帝の紅鎧に覆われているレイの体内へと侵入することは出来ず、触れる先から燃やしつくされていく。
また握られているレイの手から発せられている意思のようなものも、最初はレイの右手を乗っ取ろうとしていたのだが、レイの体内に宿る莫大な魔力を前にしては海を蝋燭の炎で蒸発させるような行為に近い。
一向にレイの身体を支配する事が出来ず……寧ろレイの魔力とともに流されてきた意思により、鎚の意思とでも呼ぶべきものを蹂躙し、蝋燭の炎は海の水にあっさりと消し去られる。
ここまで、時間にして数秒。
傍から見れば、レイの圧勝……いや、蹂躙とでも呼ぶべきやり取りだったが、精神戦とでも呼ぶべき戦いを初めて経験したレイは、大きく息を吐いて青く晴れている空を見上げる。
……尚、右手と胴体だけしか存在しなくなっていた赤いサイクロプスの体内から魔石だけでも取り出そうとしたレイが、心臓そのものが綺麗さっぱりとなくなっていることに気が付くのは数分後のこと。
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