第972話

「さて、取りあえずこれで他の心配をしなくてもいい訳だけど……どうするべきだろうな」

「ガアアァァァアアァッ!」


 レイの言葉を挑発と受け取ったのか、赤いサイクロプスは牙を剥き出しにしてレイを睨み付ける。

 左手はいつでもレイへと拳を振るえるように握り締めていた。

 ただ拳を握り締めているだけなのだが、そこは身長五m程もあるサイクロプスの化け物だけあって、人の身体は容易く撲殺……いや、砕きそうな程の迫力を見せている。

 事実、地面に落ちている鎚を楽に振り回せるだけの力があるのを考えれば、人間の命を奪うのは難しくないとレイには思えた。


(ん? 待て……何だって……)


 そんな赤いサイクロプスと対峙しながら、レイの中に疑問が生じる。

 先程までは、それこそ胴体を切断してもすぐに再生し、右肩から飛斬で切断してもすぐにくっつくという、どう見ても出鱈目としか思えないような治癒能力を見せつけていたというのに、何故か今レイの前に立っている赤いサイクロプスは右手を庇っているように見えた。

 いや、ようにではなく実際に庇っているのだろう。

 それが、余計にレイの疑問を深くする。

 あそこまで異常な再生能力を見せていながら、何故右肘の回復は行われないのかと。

 右肘を砕かれたというのは、確かに重傷だろう。

 だが、胴体を切断されたことに比べればどうということはない程度の怪我でしかない筈だ。


(つまり、やっぱり何か種があるのは間違いない、か)


 そんなレイの疑問を理解した訳ではないだろうが、赤いサイクロプスは自由になる左手で地面に落ちている鎚の柄を握る。

 瞬間、デスサイズの一撃で砕かれていた赤いサイクロプスの右肘から流れている血が止まり、皮膚を突き破っていた骨もまた体内へと引っ込んでいく。


「なるほど、それがお前の不死身の種か」


 まるでレイの疑問に答えるかのように異常とも呼べる再生能力の種を明かした赤いサイクロプス。

 高い再生能力の秘密と同様、その行為にも疑問を抱くレイだったが、サイクロプスという存在の知能が決して高くないというのを理解してしまえば、寧ろ納得する。

 つまり、自分の力の秘密を見せつけてレイに恐怖を抱かせようとしてるのだろうと。


「能力は高くても、頭脳までは賢くなれなかったらしいな。……自分から手品の種を教えるような真似をするってのは、マジシャンとして三流だぞ? まぁ、お前はマジシャンみたいに器用な真似は出来ないだろうが」

「ガアアァッ!? ガアアアアァァァァアァァァアァッ!」


 レイの言葉が理解出来なくても自分を挑発してるというのを理解したのか、赤いサイクロプスは怒りの咆吼を放つ。

 怒りの赴くままに赤いサイクロプスは左手で持っていた鎚を右手へと持ち替え、振りかぶりながらレイとの距離を縮める。

 だが、その怒りが強すぎたのか、力一杯レイへと向けて振るわれようとしたその一撃は、大ぶりの一撃となっていた。


「そんな一撃を食らう程に鈍くはないんだよ!」


 叫ぶと同時に、デスサイズを手にしたレイは斜め右の方へと……赤いサイクロプスから見て左側へ向かって跳躍する。

 大ぶりの鎚の一撃はレイを捉えることなく地面へと叩きつけられ、クレーターを生み出しながら雷が地面を這う。

 赤いサイクロプスは、この一撃により多少素早い動きを持つ者を相手にしても雷でその素早さを殺してきた。

 多少小癪な真似をしても結局雷でダメージを負わせることが出来ると、これまでの経験からそう思っていたのだろうが、レイの姿が地上ではなく空中にあるとなれば話は別だった。

 空中を踏むことが出来るマジックアイテム、スレイプニルの靴。

 速度を重視する戦いを得意とするレイにとっては、これまでの戦いで幾度となく助けられてきたマジックアイテム。

 今回もそのマジックアイテムに頼り、空気の壁を蹴って三角跳びの要領で魔力を流したデスサイズを振るう。


「パワースラッシュ!」


 先程同様の一撃。

 違うのは今回はデスサイズの刃ではなく、柄の部分で赤いサイクロプスの胴体を狙ったことだ。

 刃であれば、先程同様に斬られた端から回復していくだろう。

 それなら、打撃の一撃を使って吹き飛ばす方が最終的に効率がいいと判断したのだ。

 ……そう。この森の中ではなく、ここから少し離れた場所にある木々の全てがサイクロプスによって引き抜かれ、空き地の如き存在になっていた場所へと。


「うおおおっ!」


 デスサイズの重量は百kg程。

 そこにレイの膂力とパワースラッシュの威力が加われば、身長五m程の赤いサイクロプスであっても持ち堪えることは出来なかった。

 デスサイズの柄を通して伝わってくる圧倒的な質量。

 筋肉の塊と、何よりその右手が握り締めている鎚の重量が合わさり、レイであっても全力で振るった一撃でなければ相手を吹き飛ばすことは出来なかった。


「ガアァッ!?」


 信じられないといった叫びと共に、赤いサイクロプスが空中を吹き飛んでいく。

 まさか自分がこんな小さな生き物に吹き飛ばされるとは、と。

 その事実に納得出来ないかのような、そんな叫び。

 それでも吹き飛ばされた事実は変えられず、赤いサイクロプスが地面を数度バウンドしながらも態勢を立て直した時には、既に周囲には木々は生えていなかった。

 五匹のサイクロプスに命じて動きやすいように木を根こそぎ引き抜いた場所へと戻される。


「……さて、周囲に木が生えてないのなら、俺も思う存分戦うことが出来るな。正直、腐食を使えば時間が掛かるけど、その武器を破壊するのは難しくないんだが……」


 折角の強力なマジックアイテムであっても、使いこなせないのであれば意味はない。

 赤いサイクロプスの筋力は高く、それこそ鎚を片手で振るうことが出来ている。

 だが、それでも大雑把に振り回しているだけでしかない。

 技も何もなく、ただ腕力任せに振るわれる鎚は当たれば致命的な一撃となるだろう。

 しかし、技も何もなく、ただ力尽くで振り回すだけのような攻撃がレイに当たる筈もない。


(ま、使いこなしているようなら、こっちも腐食を使わざるを得なかったんだろうけどな。さっきみたいに力任せの攻撃しか出来ないから、俺だってあの鎚を奪おうって気になったんだし)


 巨大な金属の塊である以上、純粋に鎚としての攻撃力が高いのは当然だ。だが何よりもレイの意識を引いたのは、やはりマジックアイテムとしての効果。

 叩きつけた場所に雷を発生させるというものと、異常とも言える再生能力を使用者に与えるというもの。

 実戦でレイが使えるかと言われれば、その巨大さから扱いにくく、日常的に使うというのは無理だろう。

 それにレイの目から見て持ち主に異常な程の再生能力を与えるという力は、少し不気味にすら見える。


(穿って考えれば、希少種か上位種だろうこいつの知能が低いのも、この鎚の副作用と考えることも出来る。……まぁ、サイクロプスである以上、実は元々頭が悪い可能性もかなり高いんだが)


 赤いサイクロプスは、目の前にいる小さな相手が自分をここまで吹き飛ばしたという事実から、油断出来ない相手だと判断したのだろう。

 鎚を手にし、唸りながら牙を剥き出しにして雄叫びを上げる。


「ガアアアァァァアァアッ!」


 冒険者ではない人間なら……いや、冒険者であってもなったばかりの者であれば、その雄叫びによって足が震え、心は恐怖に囚われ、動きが鈍くなるだろう。

 人によっては、衝撃のあまりショック死することすらあるかもしれない。

 それ程凶暴さを感じさせる雄叫びだったが、レイは柳に風とばかりに雄叫びを受け流し、周囲の様子へと視線を向けて戦場を確認する余裕すらある。

 そして一通り雄叫びを発するのを聞き終わったレイは、デスサイズを手に笑みすら浮かべながら口を開く。


「さて、パフォーマンスはもう終わりか? もう少し面白い芸を見せてくれるのなら、こっちとしてももう少し付き合ってもいいんだが……」

「ガアアァアァッ!」


 今まで聞いた者は怯え、戦意を喪失していた筈の自分の雄叫び。

 それを聞いても平然としている相手に対し、赤いサイクロプスはようやく目の前の存在が自分の理解を超えた存在なのだと、薄らとではあるが感じ取る。

 だがそれでも、他のサイクロプスを従えているという自分の立場故にそれを認めることは出来なかった。

 目の前にいるのは、単なる自分の獲物でしかない。

 無理矢理自分に言い聞かせ、その証拠に一撃でその身体を砕くと鎚を振り上げ……


「甘いんだよ」


 その呟きと共に、赤いサイクロプスは本能的な恐怖に支配されて数歩後退る。

 気が付けば、自分より圧倒的に小さい存在の周囲には何かがあった。

 見えないが、確実にある何か。

 本来サイクロプスには魔力を感じ取るという能力はないのだが、マジックアイテムの鎚を使っている影響なのか、それとも希少種や上位種といった存在だからなのか、赤いサイクロプスはレイの周囲に圧縮し、濃縮していく魔力を感じ取ることが出来た。……出来てしまった。


「ガァッ!? ガアアアァァァアカァッ!?」


 何か自分の理解出来ない現象が起きている。

 そう判断した赤いサイクロプスは、とにかく目の前にいる小さな存在を何とかしなければと鎚を振りかぶって距離を縮め……瞬間、強烈な熱気に再び足を止めて後退る。

 ふと気が付けば、何故か目の前にいる小さな存在は赤い何かを身に纏い、自分へと超然とした視線を向けていた。

 変わったところといえば、赤い何かを身に纏っているだけにも関わらず、存在感そのものが増しているところか。

 更に近づけばそれだけで熱気に当てられ、恐らく直接触れれば火傷程度では済まないだろうと、赤いサイクロプスは本能的に感じ取ってしまった。

 これが普通のサイクロプスであれば、恐らくその場から逃げ出すという手段もあっただろう。

 だが、赤いサイクロプスは自分の力に自信がある故に、そして他のサイクロプスを力により支配してきた自負がある故に、そんなみっともない真似は出来なかった。


「ガァッ、ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 己を鼓舞するかのような、そんな雄叫び。

 同時に、赤いサイクロプスが持っていた槌がドクンッと脈動する。

 そして、鎚を持っている手の表面に見て分かる程の血管が浮き出て……


(違う!?)


 一瞬血管かと思ったそれは、赤いサイクロプスの身体を浸食するかのように……いや、どちらかと言えば身体の中に根を生やすかのように広がっていく。


「ガッ、ガァッ!? ガァアァァアァァァァアッ!」


 赤いサイクロプスもそれに気が付いたのだろう。悲鳴か、恐怖か、それとも身体の中に根を張られるというのが激痛をもたらすのか、周囲に響き渡るような声を上げる。

 だがその悲鳴は先程まで上げていたような雄叫びではなく、悲鳴としか思えない代物だった。


「何だ?」


 目の前の赤いサイクロプスは、倒そうと思えばすぐにでも倒せるだけの自信がレイにはあった。

 レイの目の前で悲鳴を上げているのは、サイクロプスの希少種、または上位種なのだろう。

 だが、上位種はともかく希少種というのは、基になった種族の一つ上のランク相当の実力を持つ。

 つまり、この赤いサイクロプスはランクB相当のモンスターということになる。

 ……レイは確かにランクB冒険者だが、ただのランクB冒険者ではない。ランクS冒険者と渡り合うだけの実力を持つ。

 だからこそ、例えランクB相当のモンスターであっても油断さえしなければ負けることはないと考え、赤いサイクロプスの苦しむ様子を観察する。

 見るからにその手に握られている鎚が今の現象の原因ではあるのだが、レイの目から見ても初めて見る光景だった。

 このまま放っておけば、間違いなく赤いサイクロプスは今より強くなるのだろう。

 だが、ことはマジックアイテムが関係しているというのもあって、レイとしては多少の危険を冒してでもこの光景を見逃す気はない。


「マジックアイテムの効果で変身でもするのか? ゲームのラスボスでもあるまいし」


 日本にいる時に遊んだゲームを思い出しながら呟くレイだったが、赤いサイクロプスはそんなのは関係ないと言いたげに変容を続けて行く。

 鎚を握った右手の筋肉はより肥大化し、元々巨大だったその身体と比較しても異常に見える。

 鎚から身体中に張られた根が脈動し、その度に皮膚の下にあるのだろう根が赤黒く、鈍い光を明滅する。


「ガアアァァアァ……ガアアァァァアアッァァァァア!」


 断末魔のように叫んだ赤いサイクロプスの巨大な単眼から意思の光が消え……そのまま、まるで遠隔操作されているかのような歩みでレイの方へと一歩を踏み出す。


「これが結果か。そう考えると、さっきあの鎚に触れなくて良かったんだろうな」


 自らの幸運に感謝しながら、レイはデスサイズを手に自分の方へとぎこちなく歩み寄ってくる赤いサイクロプスを待ち受けるのだった。

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