第971話
セトに乗って空を飛び、森の上空を飛んでいたレイとセト。
森は大きな木々が何本となく生えており、草原とはまた違う緑の絨毯を作り出している。
その緑の絨毯を眺めつつ、どこからともなく聞こえてくる鳥の鳴き声を聞き流しつつミレイヌやヨハンナといった顔見知りの姿を探す。
だが眼下に広がる緑の絨毯が地上の多くを覆い尽くしており、少し見ただけで目的の者達を見つけることは出来ない。
「セト、やっぱりお前に頼むしかなさそうだけど、頼めるか?」
「グルゥ!」
任せてと喉を鳴らしたセトは、そのまま鋭い視線を地上へと向ける。
鋭い視覚だけではなく、聴覚や嗅覚、魔力を感じることの出来る能力までをも使い、ミレイヌやヨハンナ、それ以外にも顔見知りの大勢の姿を探す。
スルニンやエクリルは、ミレイヌ程ではないにしてもいつも良くしてくれる相手だ。
元遊撃隊の面々も、昨年の秋に行動を共にして全員の顔を覚えている。
そんな仲のいい相手が命の危機に陥っている以上、絶対に助けてみせるとセトは決意する。
そうして地上を見下ろすこと、数秒……
「グルルルゥ!」
視線の先で、木々の隙間からミレイヌやヨハンナの姿を見つけたセトが鋭く鳴く。
「見つけたか! ……って、おいおいおいおい!」
セトの視線を追ったレイが見たのは、森の中を逃げるミレイヌ達。
最後尾をスルニンが走っており、そこからある程度の距離をおいてサイクロプスの集団が追いかけている。
「戦って負けて、逃げてる最中か?」
その姿を見てレイがそう呟いたのは、サイクロプスの身体に何本も矢が刺さっていたからだ。
だが、すぐに首を横に振る。
矢が突き刺さってはいるが、傷らしい傷はそれだけしかない。
もしミレイヌ達がサイクロプスと戦ったのであれば、矢が突き刺さっている以外にも多くの傷を受けていなければおかしかった。
ミレイヌやヨハンナ達がそれだけの技量を持っているというのは、レイも十分に理解していたのだから。
「となると……」
「グルゥッ!」
呟いたレイが何かを言うよりも先に、セトがその答えを見つける。
レイの注意を引くように鳴き声を漏らしたセトの視線を追うと、そこには木の枝の上に立って必死にサイクロプスへと向けて矢を放っているエクリルの姿があった。
「殿を一人でやるのか。……いや、木の枝に隠れての援護射撃だし、この場合は殿って言わないのか?」
レイの言葉に焦燥感の類がないのは、ディーツが言っていた五匹のサイクロプスが全て逃げているミレイヌ達を追っており、その妨害をエクリルの矢が見事に果たしていた為だ。
このままなら、レイが何をせずともサイクロプスから逃げ切れると確信出来た。
しかし、そんなレイの予想を嘲笑うかのように事態は急変する。
「グルルルゥッ!」
鋭い鳴き声を上げながら、急に地上へと向かって翼を羽ばたかせるセト。
「セト!?」
一瞬何故自分に何も言わずにこんな行為をしたのか分からなかったレイだったが、木の枝の上で矢を射っているエクリルのすぐ側に赤い何かがいて、今にもエクリルの立っている木へと手に持っている巨大な何かを叩きつけようとしているのが見えた。
その赤い何かがサイクロプスであると見て取った瞬間、レイはミスティリングからデスサイズを取り出す。
「セト!」
一瞬前に呼び掛けたのと同じ声。
だが、そこに込められているのは全く違う感情だった。
セトもそれを理解したのだろう。翼を羽ばたかせて真っ直ぐに地上へと向かって行くが……その行動は数秒遅い。
急速に地上に生えている木の緑が近づいてきたのだが、レイとセトがエクリルのいる場所へと到着するよりも前に、赤いサイクロプスが手に持っている何かを目の前の木へと叩きつけたのだ。
その木の幹は大人数人が手を繋いでようやく届くくらいの太さだったのだが、赤いサイクロプスの振るう何か――レイはここでようやくそれが金属で出来た鎚だというのを理解した――により、容易くへし折れる。
同時に、周囲へと眩い光が生み出され、強烈な音が響き渡った。
(何だ!?)
デスサイズを構えながら急速に近づいてくる地上の光景に、レイは疑問を持つ。
だがその考えを纏めるよりも前に、赤いサイクロプスの次の行動に目を奪われる。
地面に倒れて痙攣しているエクリルへと向かって鎚を叩きつけようとしている、その光景に。
「飛斬っ!」
「グルルルルルゥッ!」
エクリルが木の枝に乗っている時は迂闊に遠距離攻撃をすればその集中を妨げ、地上に落下する危険があったから使えなかった遠距離攻撃。
皮肉にもエクリルが地上へと落ちたからこそ使えるようになったその攻撃により、レイのデスサイズからは飛ぶ斬撃が、セトからは風で出来た矢が複数飛ばされる。
ウィンドアローの威力自体はそれ程強くないのだが、風で出来た矢の速度は水球などとは比べものにならない。
本来であれば衝撃の魔眼が最も速い攻撃なのだが、衝撃の魔眼はその攻撃速度に反比例するように威力が低い。
サイクロプス……それも赤い肌であるということは稀少種か上位種であろうそのサイクロプスには衝撃の魔眼では効果が殆どないとセトは判断したのだろう。
レイの放った飛斬より先に飛んでいったウィンドアローは、次々と赤いサイクロプスの身体へと命中する。
だが、ウィンドアローが当たっても身体に傷は付くのだが、見て分かる程急激に回復していく。
それでも身体を傷つけられるというのは、赤いサイクロプスにとっても煩わしいのだろう。エクリルへと振り下ろそうとした鎚の動きを止め、ウィンドアローが飛んできた方へとその単眼を向ける。
そして、丁度そのタイミングでレイの放った飛斬が赤いサイクロプスへと届き、飛ぶ斬撃は鎚を握っている右腕を肩から切断した。
離れていた場所にいたレイであっても、その右腕が……正確には握られている鎚が地面に落ちる音が聞こえたような気がする。
そんな音を聞きながらも、セトと赤いサイクロプスの距離は急速に縮まっていき……
「グルルルルルルゥッ!」
雄叫びを上げながら振るわれたセトの前足の一撃は、パワークラッシュのスキルと剛力の腕輪の効果により、五m近い身長を持つ赤いサイクロプスの身体を吹き飛ばす。
「ついでだ、これも食らえ!」
何本もの木を折りながら吹き飛ばされた赤いサイクロプスに向かい、セトの背から跳んだレイが追撃の一撃を放つ。
その一撃は、先にセトが放った一撃と似ているようで違っていた。
「パワースラッシュ!」
デスサイズから放たれたのは、斬れ味よりも一撃の重さや衝撃の強さを重視した一撃。
「ガアアァァァアアァッ!」
二mの巨大な鎌は、赤いサイクロプスの肋骨をへし折りながら胴体を斬り裂いていく。
魔力を通して放たれたデスサイズの一撃は、五m近い大きさを持つ赤いサイクロプスの胴体をそのまま切断していく。
斬れ味ではなく威力を重視した一撃であっても、サイクロプスの胴体を切断するのに相応しいだけの威力を持った攻撃ではあったのだが、もう少しで胴体を切断出来るといったところでレイは信じられない光景を目にする。
デスサイズによって胴体を上下真っ二つにされそうになった筈の赤いサイクロプスだったのだが、その切断面が既に小さな泡を生み出しながら癒着しつつあったのだ。
「ばっ!」
それを目にしたレイは、目の前にいる存在がただのサイクロプスではないと納得してしまう。
いや、普通は緑の皮膚のサイクロプスが赤い皮膚を持ち、大きさも通常より一m程大きい。
それだけでも通常のサイクロプスと違うというのは分かっていたのだが、まさか胴体を切断され掛かっているにも関わらず、それを異常な速度で再生するというのは、レイの目から見ても完全に予想外だった。
デスサイズを振り抜き、本来なら切断されただろう胴体が見る間に回復していっているサイクロプスの身体を蹴って一旦距離を取ろうとし……
「痛っ!」
瞬間、全身に刺すような痛みを感じる。
それでも赤いサイクロプスの身体を蹴って空中で身を捻りながら相手の様子を確認すると、その左手には右手が握られていた。
正確には、先程レイが飛斬で切断した右肩から先端を左手で握っていたというのが正しいだろう。
吹き飛ばされた時、どうやってか右手と鎚の両方を抱え込んでいたらしい。
同時に、一瞬感じた刺すような痛みの正体も理解する。
何故なら、赤いサイクロプスの身体の所々に紫電が走っていた為だ。
その出所は、当然のように切断された右腕が握っていた鎚。
「……色んな意味で厄介だな」
デスサイズを構えながら呟くレイ。
これまで自分の攻撃を回避したり、受け止めたり、受け流したりする奴はそれなりの数を見てきた。
だが、今回のように攻撃を受けた瞬間に再生していくという出鱈目な存在を見たのは始めてだ。
目の前の赤いサイクロプスの治癒能力……否、再生能力は、サイクロプスだからという理由で納得出来るものではない。
(何か種があるのは間違いないな)
レイの視線は、その種の原因と思われる鎚の方へと向けられる。
そこでは、切断された右腕を右肩へとくっつけている赤いサイクロプスの姿。
「胴体を切断されても再生出来るんだから、切断された右肩をくっつける程度は楽なものって訳だ。厄介な」
見ている前であっさりとくっついた右肩で、軽く鎚を振るう赤いサイクロプス。
その姿からは、数秒前まで右腕が切断されていたというのは想像も出来ない。
相手を警戒しながら、一瞬だけ周囲の様子を確認したレイは、微かに眉を顰める。
自分達のボスが襲われているのだから五匹のサイクロプスが戻ってくるのかと思っていたのだが、その気配が全くない為だ。
いや、それどころか五匹のサイクロプスの気配はより遠くへと移動を続けていた。
この赤いサイクロプスの力を信じ切っているのか、それとも単純にミレイヌ達を追っていくのに頭の中が一杯になっており、既に赤いサイクロプスのことは頭の中に残っていないのか。
どちらかといえば恐らく後者なのだろうと、レイは先程エクリルに矢で牽制されていたサイクロプスの様子を思い出して判断する。
一瞬炎帝の紅鎧を発動しようかとも思ったが、この森の中で使うのは危険だと考え、生身の状態で相手と向き合う。
「ガアアアアァァァアアァッ!」
怒りを込めた咆吼を上げながら赤いサイクロプスは鎚を振り上げながらレイへと向かって襲い掛かる。
その一撃をデスサイズで迎え撃とうとしたレイの脳裏を過ぎったのは、先程エクリルが陣取っていた木へと向かって鎚が振るわれた時の光景。
鎚が振り下ろされた場所から雷が走ったのだ。
それが先程の鋭い痛みの正体なのだろうと咄嗟に判断する。
「ちっ!」
嫌な予感に動かされるように、デスサイズで鎚を受け止めるのではなく咄嗟にその場を跳躍しようとし……視界の隅に意識を失って地面に倒れているエクリルの姿が映る。
このまま自分が回避し、先程同様に雷が地面を通って流れた場合にエクリルはその直撃を受ける。
そう判断すると跳躍の方向性を無理矢理に変え、回避するのではなく赤いサイクロプスの方へと向かって突っ込んで行く。
手の中でデスサイズを半回転させ、石突きの方を相手へと向け……
「ペネトレイト!」
スキルが発動した瞬間、石突きに風が纏わり付く。
地面を蹴った勢いのままに赤いサイクロプスの鎚を振り上げた右腕へと向かって鋭く突き出されるデスサイズ。
風を纏って貫通力を増した一撃は、真っ直ぐに赤いサイクロプスの右肘へと突き刺さる。
「ガアアアアアアアアァァァアッ!」
赤いサイクロプスの悲鳴と共に、レイの手には右肘を砕いた感触が伝わってきた。
幾ら身体の傷が再生しても、痛みというのは無視出来ない。
また、斬られるという痛みには慣れているのだろうが、身体の骨を砕かれるという経験も恐らく少なかったのだろう。
基本的に冒険者が好むのは長剣が一般的であり、この赤いサイクロプスがこれまで戦ってきた中には、相手の身体を斬るのではなく砕くといった攻撃方法を持った者はいなかった。
それ故の悲鳴。
そして肘を砕かれれば、鎚をそのまま持っている訳にもいかずに地面へと落とす。
(その鎚が邪魔だ!)
雷を発する能力を持つ鎚が目の前の赤いサイクロプスの力をより強大にしている以上、まずはその鎚を何とかする。
そんな思いで、レイは鎚との距離を縮める。
レイが普通の冒険者であれば、そのような真似は意味がなかっただろう。
だが、レイはアイテムボックス持ちであり、生き物ではない限りミスティリングの中へと収納出来る。
そんなレイの手が、地面に落ちた鎚へと触れようとした瞬間、赤いサイクロプスの単眼が光ったのを見たレイは、鎚に触れるのを諦めて後方へと跳躍する。
同時に赤いサイクロプスの単眼から放たれたのは、熱線。
一瞬前までレイの姿があった場所を薙いだその熱線は、触れた場所を瞬時に焦げ付かせる。
「厄介な。……セト、エクリルを!」
「グルルルゥ!」
レイの言葉に、攻撃する機会を窺っていたセトは地上へと降下して二本の前足をエクリルの身につけているレザーアーマーに引っ掛け、そのまま翼を羽ばたかせて距離を取る。
こうして、レイは一対一で赤いサイクロプスと向かい合うことになるのだった。
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