第970話
ミレイヌ達の視線の先で新たに姿を現したサイクロプスは、明らかに他のサイクロプスとは存在感が違っていた。
普通のサイクロプスは身長四mを超えるかどうかといった大きさなのに対し、そのサイクロプスは五m近い。
また、普通のサイクロプスの皮膚が緑なのに対して、皮膚の色は赤。頭部から生えている角も他のサイクロプスよりも大きく、鋭い。
そして最大の違いは、そのサイクロプスが持っている武器だろう。
他のサイクロプスが持っているのは、その辺に生えている木を折って作ったような、棍棒と呼ぶよりは木材とでも称すべき代物。
だが赤いサイクロプスが持っているのは、金属で作られた鎚。
しかもその鎚は最初から五m近い身長の赤いサイクロプスが使うのを前提としているかのように、人間ではとてもではないが持てないだろう大きさの鎚だった。
「ガアアアアアアアアッ!」
そのサイクロプスが苛立たしげに叫び、その鎚を地面へと叩きつける。
瞬間、鎚の叩きつけられた地面はクレーター状に大きく陥没し、同時に陥没した場所を中心にして稲妻が地面を走った。
「ギャアアアアアア!」
地面を走る稲妻に触れてしまったサイクロプスの一匹が痛みに悲鳴を上げる。
その悲鳴が面白かったのだろう。赤いサイクロプスは鎚を持ち上げ、再び地面へと叩きつけた。
同時に再度地面を雷が走り、それに触れたサイクロプス達が悲鳴を上げる。
雷の威力自体はそれ程強くないのだろうが、それでも痛くないという訳ではないのだろう。
「うわっ、最悪。あのサイクロプスが持ってるのって……」
心底嫌そうな表情を浮かべたミレイヌが、スルニンの方へと視線を向ける。
その視線を向けられたスルニンは深刻そうな表情で頷き、小さな声で口を開く。
「ええ。間違いなくマジックアイテムでしょう。それもサイクロプスでも使えるということは、発動させるのに必要な魔力消費量も少ないということになります」
「……そもそも、何でサイクロプスがマジックアイテムを使えるのよ」
二人の話を聞いていたヨハンナの苦々しげな口調は、その場にいる殆どの者が頷かざるを得ないものだった。
基本的にサイクロプスというのは、巨体とそれを生かした膂力による攻撃を得意とする生粋の肉体派とでも呼ぶべきモンスターなのだが、何故か今ヨハンナ達の視線の先にいるサイクロプスは魔力を必要とするマジックアイテムを使っている。
「上位種か希少種のどちらかでしょうね。残念ながらどちらかは分かりませんが」
何度となく鎚を地面へと叩きつけては、他のサイクロプスに対して悲鳴を上げさせるという行為を楽しむ赤いサイクロプス。
それを眺めながら、呟くスルニンはどうするべきか迷っていた。
通常のサイクロプスでも、五匹が相手では自分達だけで戦った場合に勝ち目がなかった。
だからこそディーツに援軍を呼びに行かせたのだが、その援軍というのも通常のサイクロプス五匹を相手にすると想定してのものだ。
それも、すぐに援軍を連れてくることが出来るかどうかと言われれば、難しいだろう。
ここは一度引くべきなのでは?
そんな思いがスルニンの脳裏を過ぎる。
(あの赤いサイクロプス、明らかに他のサイクロプスとは比べものにならない強さを持っているように見えます。そして何より厄介なのが、あのマジックアイテム。どうやって手に入れたのかは分かりませんが、あの鎚が赤いサイクロプスの力を数倍、下手をしたら数十倍にまで高めている。せめて、他のサイクロプスのように棍棒なら何とかなったものを)
内心で呟きながら、改めて視線を赤いサイクロプスの方へと向けるスルニン。
瞬間、スルニンの背に冷たい何かが走る。
目が、合ったのだ。
つい数秒前までは、他のサイクロプスを痛めつけて喜んでいた赤いサイクロプスと、スルニンの目が。
スルニン達が潜んでいる場所から赤いサイクロプスがいる場所までは五十m程離れており、その上でスルニン達は木々に身を隠している。
更に、赤いサイクロプスはマジックアイテムだろう鎚を使って雷を発生させ、他のサイクロプスが痛がる様子を楽しんでいたのだ。
だというのに、何故か今、赤いサイクロプスとスルニンの目はしっかりと合っている。
赤いサイクロプスの周囲にいる通常のサイクロプスも、突然自分達を襲った雷が止まったのを疑問に思ったのか、困惑しながらも赤いサイクロプスが見ている方へと揃って視線を向けていた。
周囲に広がるのは、奇妙な沈黙。
動けば間違いなく向こうに自分達の存在が知られてしまうし、かといってこのまま逃げずにいてもいずれは見つかってしまう。
(……いや、あの赤いサイクロプスの様子を見る限り、既に見つかっている可能性が高い)
それでも動けないのは、あの赤いサイクロプスが通常のサイクロプスと比べて桁違いに強いというのを本能的に悟ってしまっているからだろう。
本来であれば、希少種というのは基になったモンスターの一つ上のランクとして扱われる。
いい例が、セトだろう。
通常のグリフォンがランクAモンスターとして扱われているのに対し、セトは希少種ということでランクSモンスター相当の力を持っていると周囲には認知されているのだから。
だが、スルニンの視線の先にいる赤いサイクロプスは例外のように思えた。
「逃げるわよっ!」
どうやっても絶望しか思い浮かべることが出来ない中、最初に行動を起こしたのはミレイヌ。
その口から出た声に、スルニンも反射的に身体を動かして即座に後ろへと下がる。
既に敵に見つかるかどうかといったことを考えていられるような余裕は存在しない。
ただ、逃げる。それだけを頭の中に浮かべながら、馬車を置いてある方へと向かって走り出す。
当然そうなれば相手に見つからないよう、音を立てないで移動するといった真似は到底不可能であり、離れた場所にいる赤いサイクロプスにもその音は聞こえる。
「グアアアァァ?」
だが……気が付いたのは、あくまでも赤いサイクロプスだけであり、普通のサイクロプスはそんな音にまでは気が付いた様子がなかった。
元々サイクロプスというのは高い筋力や体力といったものが突出して高いのだが、感覚的には決して鋭い訳ではない。
いや、もしサイクロプスがその高い筋力や体力に加えて鋭い五感を持っていれば、ランクCモンスターではなく、もっと高ランクのモンスターとして登録されていただろう。
だからこそ、木々を折る音を立てながら移動していくミレイヌ達の存在には気が付くことはなかった。
……赤いサイクロプス以外は、だが。
「ガアアアアァァァァァアアァァッ」
周囲へと響く巨大な雄叫び。
それを聞いたサイクロプスは、慌てたようにそれぞれ自分の武器でもある棍棒を手にしてミレイヌ達がいる方へと向かって駆け出す。
もっとも、サイクロプスの走る速度は決して俊敏ではない。
これもまた、強力な一撃を放つサイクロプスがランクCモンスターに位置している理由だろう。
ただし巨体であるということは一歩の歩幅も大きいということであり、鈍重ではあっても決して楽に逃げ延びることが出来るということではない。
特に人間であれば茂みや伸びている木々が邪魔になるだろうが、サイクロプス程の巨体があれば、その程度の障害物はあってないようなものだ。
鈍い音を立てながら、五匹のサイクロプスはミレイヌ達の後を追う。
最初は何故自分達が茂みに向かって走っているのか分からなかったサイクロプス達だったが、不意に一匹がその視線にスルニンの姿を捉える。
ミレイヌやヨハンナ達の中で年齢が最も高く、同時に魔法使いという身体を動かすのが苦手な職業であり、魔法使いとしてマントや杖といった動きにくい装備を身につけていたというのが大きい。
そして人間の姿を見つければ、当然サイクロプス達も自分達が何を追っているのかを理解し、先程の全員で貪った鹿では満足出来なかった腹を満たす為に走る速度が上がる。
「ガアアァァァ!」
サイクロプスの一匹が大きな叫び声を上げて手に持っていた棍棒をスルニン目掛けて投げつける。
普通の人間ではとてもではないが持ち上げることが出来ないだろう大きさを持つ棍棒は、回転しながらスルニンへと向かい……だが、その途中に生えていた木へとぶつかり、周囲に轟音が鳴り響く。
ぶつかった木は折れたが、幸いにもそれで棍棒の勢いは落ち、地面へと落ちる。
「このまま距離を取って、馬で移動するわよ!」
「ギルムに戻るの!?」
ミレイヌの指示にヨハンナが叫ぶ。
だが、その叫び声の中には納得の色が強い。
自分達だけでは赤いサイクロプスには勝てない。そんな確信があった為だ。
実際に戦った訳ではなく、遠くからその姿を見ただけ。
にも関わらず、あの赤いサイクロプスは自分達より強いと本能的に理解してしまった。
そして赤いサイクロプス以外に通常のサイクロプスが五匹存在している。
もし戦いになってしまえば、どう考えても自分達では勝ち目がない。
「当然でしょ、このまま戦って全滅なんてことになったら、ギルムにこいつらが行くかもしれないわ! ディーツにギルムへ行って貰ってるけど、それでどうにかなるかどうかも分からないし。……痛っ!」
茂みの中を走っていると、伸びてきた木により頬に薄らと傷がつく。
それでも今はそんな微かな痛みに構っているような余裕はないので、ただひたすらに馬の置いてある方へと向かって走る。
後ろから聞こえてくるのは、五匹のサイクロプス達の獰猛な声。
自分達の腹を満たす為の餌を決して逃がしてなるものかと、木々を押し退けながらミレイヌ達の後を追う。
「はぁ、はぁ、はぁ、一応鍛えてはいるんですけどね。足りなかったということですか」
杖を手にしたスルニンが、走りながら呟く。
特に魔法発動体の杖が走る上で非常に邪魔になっているのだが、魔法使いとしてそれを捨てる訳にもいかない。
魔法使い、魔法を使えなければ一般人と言われることも多いように、魔法使いは魔法が使えるからこその存在なのだ。
そして魔法というのは、自分達が危機に陥った時に一発逆転の可能性を秘めている代物だ。
「っ!? ちょっと離れます!」
スルニンの様子を見ていたエクリルが、そう声を掛けて一行から離れる。
木々に紛れての行動だった為、サイクロプスに見つからずに一行から離れることに成功し、そのまま素早く近くの木へと上る。
元々が身軽な為、その素早さは盗賊顔負けでもあった。
そして木の枝に足を掛け、背中の矢筒から矢を引き抜くと手に持っていた弓を引く。
真っ直ぐに飛んでいく矢は、ミレイヌ達を追っている中でも先頭を走っているサイクロプスへと向かう。
「ガアアァアァッ!」
右腕に突き刺さった矢による鋭い痛みに、サイクロプスが苦痛の咆吼を上げる。
だが、四m程の巨体を持つサイクロプスにとって、矢というのは刺されば痛いが致命的と呼べる程の威力がある訳ではない。
右腕に矢が突き刺さったまま苛立たしげに拳を振るい、近くに生えていた太さ五十cm程の木を簡単に叩き折ると、もう矢が突き刺さっているのを忘れたかのようにミレイヌ達の追撃を再開する。
苛立ち紛れに木を折っている間に、後ろから追いかけていた他のサイクロプスが追い抜いていったので最後尾となってしまったが、それを気にしている様子もない。
それでも先頭にいたサイクロプスが最後尾に脱落したということは、多少なりともミレイヌ達を追いかけているサイクロプスに対する時間稼ぎが出来たということでもある。
(こんなことなら、毒を買っておけばよかった)
次の獲物として、再び先頭を走っているサイクロプスへと矢を放ちながら、エクリルは後悔する。
本来であれば討伐対象は通常のサイクロプスが一匹であり、その程度の相手であれば灼熱の風だけでも十分に勝つ算段はあった。
更に、そこへミレイヌと悪友兼ライバル的な関係を築いているヨハンナやその仲間達がどういう訳か一緒に討伐に参加することになり、サイクロプス一匹を相手にするには申し分ない戦力が揃う。
それを見たエクリルは、毒を買うかどうか迷ったが結局は止めにした。
極端な肉体派で脳筋と表現するのが正しいサイクロプスは、治癒能力も高い。
そんな相手に効果のある毒ともなれば、それこそ非常に高価だった為だ。
(大体、サイクロプスの希少種か上位種か分からないけど、何だってあんなのがいるのよ。普通サイクロプスは単独で行動するのに。……絶対あの赤いののせいだわ!)
内心の苛立ちを胸に、そこから更に数本の矢を放つ。
その度に先頭を走っているサイクロプスの身体に矢が突き刺さり、痛みと苛立ちの混じった咆吼が上げられる。
そうして数分、そろそろ自分のいる場所を見つけられるだろう頃合いだと判断したエクリルは、このまま置いていかれるのもごめんだと足場にしていた枝から飛び降り……次の瞬間、身体に強烈な衝撃を受け、そのまま地面へと落ちていく。
同時に周囲に響く破壊音。
もしエクリルが意識を失う前に自分の立っていた木の枝の方を見ることが出来れば、赤いサイクロプスの一撃で自分が立っていた枝の生えている木が半ばで折れ、更に鎚がぶつかった場所から生じた雷により焦げている光景を見ることが出来ただろう。
……そして、上空から自分の方へと向かってくるグリフォンと、その背に乗って大鎌を手にしている顔見知りの人物の姿も。
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