第969話
ギルムから出たレイ達は、まずディーツの先導に従って森の方へと移動しながらこれからどう行動するかを話し合う。
ヴィヘラの乗馬技術は非常に高く、自分の前にビューネを乗せているというのに全く不安定なところがない。
ディーツはヴィヘラ程に乗馬の技術は高くないが、それでも走っている馬から落ちるということはなかった。
内乱の時、遊撃隊としてのメンバーを選ぶ際、素早く移動する必要がある為に一定以上の乗馬技術の持ち主という条件があり、そうして集められた中にディーツも入っていたのだから当然だろう。
そしてヴィヘラとディーツはいざという時の為にそれぞれ代え馬を引き連れ、そんな馬の横をレイを乗せたセトが走っている。
しっかりと訓練されている馬なので、セトを見ても怯えて動きに支障が出ることはない。
「それで、これからどうするんだ? 場所を教えてくれれば、俺がセトに乗って先行するけど」
空を飛べるセトだからこそ出来ることであり、セトとレイという戦力をピンポイントで投入出来るというのは、サイクロプスというランクCモンスター五匹を相手にする場合には非常に有効な作戦の筈だった。
だが、馬を急がせながらディーツは首を横に振る。
「レイ隊長の力を考えれば、出来ればそうしたいんすけど……場所がちょっと分かりにくいところにあるんすよ。昨日から泊まりがけで森の中を移動してましたし」
「分かりにくい? 俺やセトは結構あの森に行ってるから、余程のことがなければ問題ないぞ」
レイの脳裏を過ぎったのは、いつぞやのベスティア帝国の工作員が使った転移石で、セトだけが転移してしまった時のことだ。
セトが森の奥にある洞窟に転移してしまい、レイはそれを追ってここにやって来た。
その時は幸い灼熱の風と合流したおかげで、セトは寂しい思いをしなくて済んだのだが……と。
当時のことを思い出したレイは、そっと自分の目の前にあるセトの首を撫でる。
目の前でセトが消えてしまった時のことは、今思い出しても背筋が凍るような思いがしてしまう。
「グルゥ?」
どうしたの? と走りながら後ろを見てくるセトに、レイは何でもないと首を横に振ってからディーツに向かって口を開く。
「それに、一緒にいて慣れたのかもしれないが、セトはグリフォンだ。その五感はその辺の動物とは比べものにならないくらいに鋭い。魔力を感知する能力もあるから、灼熱の風のスルニンが魔法を使えば分かるだろうしな」
「そう言えばセトってグリフォンだったっすよね。すっかり……」
その言葉の先は言わぬが花なのだろう。
少し機嫌を損ねたように喉を鳴らすセトに、ディーツは慌てて頭を下げる。
「ああ、ごめん。……で、セトの能力でヨハンナ達を見つけることが出来るんなら、先行お願い出来ますか? サイクロプス五匹とか、本当に洒落になんないっすから。そこにレイ隊……レイさんとセトがいけば、もしサイクロプスが襲ってきても安心出来るし」
「レイ、分かってると思うけど炎の魔法は禁止よ? 冬なら雪のおかげで多少は山火事になるのを防げたかもしれないけど、今の季節を考えると……」
馬を走らせながら告げてくるヴィヘラに、レイは納得して頷く。
春になり、雪が消えて火が燃え広がりやすくなっているのは事実だ。
そんな中、森でレイが得意としている炎の魔法を使えばどうなるかというのは明白だった。
「分かってる。魔法を使うにしても広範囲に効果のある奴は使うつもりはない。効果範囲の狭い奴ならともかくな」
「……出来れば、効果範囲が狭いのも止めておいたほうがいいと思うけど。サイクロプスが動き回って炎が燃え広がるって可能性は十分にあるし」
「その辺は気にしておくよ。とにかく、俺とセトは先行させて貰うから、ヴィヘラとビューネはディーツの案内に従ってきてくれ」
そう告げ、レイは返事も聞かずにセトの背を軽く叩く。
今は一刻を争う事態だと知っているからこその行動だった。
それを知っているディーツとヴィヘラは何も言わずに見送り、ビューネはヴィヘラに抱きかかえられながら小さく手を振ってセトとレイを見送る。
「……大丈夫っすかね?」
セトの姿が空高く舞い上がっていったのを見て、ディーツが呟く。
その言葉だけを聞けばレイの実力がサイクロプスと戦えるのかどうかといった不安を抱いているように思えるかもしれないが、その点に関しての不安をディーツは感じていない。
元遊撃隊として、その実力を間近で見てきたからこそ一切の不安はない。
だが、今ディーツが抱えている不安はレイの実力に対するものではなく、純粋に自分の仲間達が五匹のサイクロプスに見つからないかどうかという不安だ。
幾らレイが強くても、そもそも戦いの場にいなければ意味はないのだから。
「安心しなさい」
セトとレイの姿が消え、目的地へと向かって全速力で馬を走らせているディーツの背に対して不意に声が掛けられる。
誰の声なのかというのは、考えるまでもない。
今この場にいるのは、馬を抜かせば自分とビューネ、そしてヴィヘラだけなのだから。
「セトの飛行速度を考えれば、全く問題なく間に合う筈よ。それに灼熱の風という人達のことは知らないけど、それ以外は内乱の時に遊撃隊として戦った人達でしょう? 戦友を信じなさい」
「……そうっすね。そもそも、俺がここでこうして焦ってもしょうがないですし」
本音を言えば、すぐに安心出来る訳ではない。
だが、今自分が焦ってもどうにもならないというのは間違いのない事実なのだ。
そして焦りというのは容易にミスを生み、結果的に無駄な時間を費やすことになる。
それを思えば、今自分が焦っても何の意味もないどころか、仲間の危機に直結することにもなりかねない。
「じゃあ、もう少しだけ速度を上げます。……悪いけど、もう少しだから頑張ってくれ」
言葉の後半を自分の乗っている馬へと掛け、そっと首を撫でてやる。
それに気を良くしたのか、ディーツが乗っている馬は嘶きと共に一段と速度を上げるのだった。
「何だってサイクロプスが集団でギルムの近くにまでやって来たのかしら」
森の中、五十m程先の場所に集まっているサイクロプスを眺めながら、ミレイヌは小さく呟く。
視線の先にいるサイクロプスは、棍棒を使って一撃で頭部を砕いて殺した鹿を力ずくで引き裂きながら、毛を抜くといった下処理もしていない太股へと齧りつく。
口の周りには血や毛、肉片といったものがついているが、生肉を貪っているサイクロプスはそれを気にした様子はない。
いや、寧ろそれこそが最上のスパイスだとでも言いたげに、舌で口の回りを舐め取る。
鹿もある程度の大きさはあったのだが、それでも五匹のサイクロプスに掛かれば、あっという間に食い尽くされてしまう。
足を一本食べたサイクロプスは気が付けば殆ど食う場所が残っていないことに気が付いたのか、唯一残っている鹿の頭へと手を伸ばし、無造作に口の中に放り込み、頑丈な牙で噛み砕く。
ものの数分も掛からずに消えた鹿の様子に、ミレイヌは微かに眉を顰める。
勿論ミレイヌだって鹿肉は食べるし、寧ろ好物だと言ってもいい。
だが、それもきちんと下処理をされて調理された鹿肉だ。
生肉で食べたいとは……それも、サイクロプス達がやったように、強引に手で死体を引き千切って食べたいとは到底思えない。
「さて、何ででしょうね。今の季節を考えると、冬で食べ物がなかったから空腹のあまりこの付近に迷い込んできたのが今になって見つかった……という可能性が高いのでは?」
ミレイヌの側で同じくサイクロプスの様子を窺っていたスルニンが、杖を手にしながら呟く。
サイクロプスのいる場所から五十m程離れてはいても、いつ見つかるか分からない為に緊張しているのだろう。声に柔らかさがない。
「それにしても、鹿は生のまま食べるのに、自分達がいる場所を過ごしやすくするために木を引き抜いたりってことには頭が回るんですね」
茂みに身体を隠しながら呟くエクリルに、ミレイヌは頷きを返す。
「食べるのはともかく、自分達が過ごす場所をきちんと整備するくらいの頭はあるんでしょ。……厄介なことに」
「しかも私達は昨日から火を使わないように干し肉とかで食事を済ませてるのに……」
「……エクリルは鹿の生肉を食べたいの? それも下処理もしてない奴を」
「えっと……そうそう、出来るだけ早くディーツには戻ってきて欲しいところですけど、どう思います?」
誤魔化すように視線を逸らして言葉を交わしながらも、自分達が隠れている茂みを揺すって不用意に音を立てたりしないのは、ランクCパーティの面目躍如といったところか。
エクリルの言葉に、ミレイヌは首を横に振る。
「ギルムに到着して、ギルドで援軍を探してから戻ってくる。……すぐに、とはとてもいかないでしょ」
「……セトが関わってなければ、有能なのに……」
「何か言った?」
「いえ、何でもありません」
口の中だけで呟いたつもりだった言葉が、ミレイヌにはしっかりと聞こえていたらしい。
視線を向けて尋ねられ、慌てて首を横に振るエクリル。
「落ち着きなさい、二人とも。……それより、そろそろ交代の時間ですよ。ほら」
スルニンの言葉に背後へと視線を向けると、そこではミレイヌの天敵――勝てない相手という意味ではなく、天に与えられた敵という意味――のヨハンナが、他に三人の男を率いるように自分達の方へとやって来ているところだった。
四人で移動しているというのに殆ど音を立てていないというのは、ヨハンナ達の技量を現している。
ミレイヌ達三人に、今来ているヨハンナ達四人、それと後方で馬や馬車の番をしながら他のモンスターがこちらに近づいてこないかを警戒している二人とディーツの、合計十人で今回のサイクロプスの討伐任務へとやって来たのだ。
本来であれば目撃されたサイクロプスの数は一匹であり、これだけの人数を揃えるどころか、ミレイヌ達灼熱の風だけでも十分に倒せる筈だった。
だが森の中に入ってサイクロプスを探したところ、熊を始めとする野生動物の死骸や、オークの死骸といったものを発見する。
それ自体は問題なかったのだが、食い残しとなっているその死体を調べた結果、歯形が一つだけではなく何種類もあった。
そしてサイクロプスが一匹ではないと判断したミレイヌは、その時点でディーツをギルムへと向かわせて援軍を求めることを決める。
本来であれば事前に聞かされていた情報と大きく違うこともあり、そのまま全員でギルムへと戻っても構わなかっただろう。
だがこの森はギルムからそう離れていない位置にあり、そんな場所にサイクロプスが五匹もいるというのを知ってしまっては、このまま見過ごすことも出来ない。
また、春になったばかりで資金的な余裕があまりなかったということや、一晩を使って森の中を移動したというのも関係してるだろう。
サイクロプス程のモンスターであれば、一匹倒しただけでもそれなりの金額になる。
もし五匹のサイクロプスを倒すことが出来れば、援軍を要請した件を考えてもかなりの収入になる筈だった。
義理と欲に動かされたミレイヌやヨハンナといった面々は、援軍が来た時に素早く攻撃に移れるようにとサイクロプスを見張りながら、その観察を行っていた。
「で、どう? 向こうの様子は」
小声で尋ねてくるヨハンナに、ミレイヌはサイクロプスのうちの一匹へと視線を向ける。
先程棍棒を振るって一撃で鹿を殺した個体だ。
「あの棍棒を持っているサイクロプスは、攻撃する前に肩が一瞬動くわね。予備動作があるから、向こうの攻撃を回避するのは難しくないわ」
普段はセトを巡って争うことも多いミレイヌとヨハンナだったが、今はそんな馬鹿な真似はしていない。
きちんと仕事とプライベートを使い分けているというのもあるし、何より相手がサイクロプス五匹なのだから、ここで仲違いしようものなら、その代償は自分達の命で払わなければならなくなる。
ミレイヌもヨハンナも、そんなのは絶対にごめんだった。
「へぇ。そういう分かりやすい相手は戦いやすくていいわね。……それより、見張りを代わるから少し休んできなさい。ミレイヌはともかく、そっちのスルニンさんは貴重な魔法使いなんだから、いざという時にはこっちの主力になって貰わないと困るんだから」
「分かってるわよ。大体……ちょっと待って」
ヨハンナに対して何かを言い返そうとしたミレイヌだったが、ふと視線の先にいる五匹のサイクロプスの様子がおかしいことに気が付く。
つい先程までは鹿を腕力で強引に解体しながら食べた余韻に浸っていたというのに、その動きを止めていた。
あらぬ方、丁度ミレイヌやヨハンナ達が潜んでいるのとは逆の方へと視線を向け……
ふと、ミレイヌの脳裏を嫌な予感が通り過ぎ、五十m程も離れているのに今までよりも厳重に息を殺す。
そんなミレイヌの姿に、他の者も何か感じたのだろう。ミレイヌに続いてより慎重に周囲の木々へと紛れる。
そして……次の瞬間、森の中から姿を現したのは、他のサイクロプスの緑の肌とは違い、赤い肌をした通常よりも巨大なサイクロプスだった。
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