第966話

「これは、ヴィヘラ様。よくぞこのような辺境までおいで下さりましたな。昨年の秋以来となりますが」

「ええ、大体半年ぶりくらいかしら。お互い去年は色々と忙しいことになったけど、そちらも元気そうで何よりね」


 メイドに案内されたヴィヘラとビューネが応接室の中に入ると、ソファに座っていたダスカーが笑みを浮かべて二人を出迎える。

 レイがこの屋敷に来た時は大概執務室でのやり取りになるのだが、相手が出奔したとはいえ、ベスティア帝国の皇女ともなれば当然迎え入れる方にも相応の格式や礼儀といったものが求められた。

 ダスカーの言葉使いがいつものようなぶっきらぼうな口調でないのも、それに合わせたものだろう。 

 ヴィヘラとビューネにソファへと座るように促し、メイドが持ってきた紅茶とクッキーを置いて応接室から出て行くと、ようやくといった感じでダスカーは口を開く。


「本来ならヴィヘラ様のような方がこの辺境に来たのですから、盛大に式典の類をやって出迎えるべきなのでしょうが……」


 その言葉を遮るように、ヴィヘラは首を横に振る。


「いえ、気にしないで頂戴。知っての通り、私はもうベスティア帝国を出奔した身。一介の冒険者と同じように扱って貰えれば、それでいいわ。……当然この子もね」

「ん」


 ヴィヘラに軽く押されて前に出されたビューネが、ダスカーに向かって深々と頭を下げる。

 ビューネもエグジルでは歴史あるフラウト家という名門の出ではあるが、自治都市の名門と現役の辺境伯……それもミレアーナ王国唯一の辺境を治めるダスカーとでは、格が違う。

 それ以前にフラウト家は既に没落しており、ビューネはどちらかと言えば一般人寄りの認識だ。


「この子はちょっと事情があって話すのが得意じゃないんだけど、ビューネ・フラウトというの」

「ほう? この子供が、ですか」

「ええ。私の大事な妹のような存在よ。当然ある程度……いえ、この年齢を考えればかなり腕が立つと言ってもいいでしょうね」

「なるほど、興味深いですな。こちらとしては辺境にあるギルムへ腕の立つ冒険者がやって来てくれるのは嬉しい限りですから。……ただ、ヴィヘラ様」

「様ってのは止めてちょうだい。それと、口調も無理に丁寧な言葉使いにしなくても構わないわ。いつも通りのもので構わないわよ。私が出奔したのは、そういう堅苦しいのが嫌いだという理由もあるんだから」


 小さく肩を竦めながら告げるヴィヘラ。

 当然その際には豊かな双丘が揺れてダスカーの目を奪おうとするのだが、ダスカーは強く自分を律してそちらに視線を向けないようにする。

 ……もしダスカーがこういった色気に対して何の耐性もなければ、嫌でもヴィヘラの肢体に目を奪われていただろう。

 だが、ダスカーは強烈な色気というものに対して抵抗力があった。

 女の艶というものを極限にまで高めたような、ダークエルフのマリーナと長年の付き合いがあるのが幸いした形となる。

 幼少の頃ではあるが、そのマリーナに対して求婚したことも色気に対する耐性に関係しているのだろう。

 ともあれ、普段通りの言葉使いで構わないと言われたダスカーは、少し考えてから口を開く。


「では、普段通りの言葉使いにさせて貰うが、構わないな?」

「ええ、そうしてちょうだい。そもそも、私がベスティア帝国にいた頃だって、私の派閥には丁寧な言葉使いをしない人は結構いたんだから」


 ヴィヘラの脳裏を笑みを浮かべながら両手に持ったバトルアックスを振るう男の姿が過ぎる。

 それを察した訳ではないだろうが、ダスカーは苦笑を浮かべて口を開く。


「一国の皇女に……それもベスティア帝国のような大国の皇女へ普段通りに話すってのは、凄い度胸だな」

「そう? 貴方も私を相手にして普段通りに話しているけど?」


 紅茶を口に運びながら告げるヴィヘラだったが、ダスカーは小さく首を横に振る。


「俺が話しているのは今のヴィヘラ殿だからだよ。ベスティア帝国にいた時に何かの間違いで遭遇して、砕けた言葉使いにしろと言われても……さて、どうだっただろうな」


 呟きながら、ダスカーはテーブルの上にあったクッキーをビューネの方へと差し出す。

 まるでリスか何かのように一生懸命にクッキーを食べているビューネは小動物を連想させ、ふとダスカーの脳裏にセトの姿が思い浮かんだ。


(大きさとかはどう考えても小動物なんて言える存在じゃないが、食べ物を食べてる時とかは小動物っぽいんだよな。……人気があるのも頷ける)


 セトのことを考えるも、目の前に座っているヴィヘラが目に入ると慌てて意識をそちらへと戻す。


「さて、それでだ。ランガが呼んだのに素直に応じて来てくれたってことは、ギルムに対して何か妙なことを考えている訳じゃないのは分かるんだが、何を目的としてきたんだ? 去年の内乱の件で何かあったのか?」


 そう尋ねながらも、ダスカーが知っているヴィヘラの性格でそんなことをするとも思えなかった。

 仕事をしている時にランガに至急の報告があると聞かされた時には何があるのかと思ったが、こうして話をしている限りでは何かを企んでいるようには見えない。


(だとすれば、辺境に興味があったのか? ……それは普通に有り得るか)


 ベスティア帝国にも辺境は存在しただろうが、皇女という立場にあったヴィヘラがそう簡単に足を運べる場所ではないのも事実。

 であれば、一度辺境を体験してみたいと思ってギルムにやって来てもおかしくはない。

 また、辺境という言葉で一括りにされてはいるが、その辺境によっても出てくるモンスターは違う。

 戦闘を好むヴィヘラの性格を考えれば、各国の辺境を巡るという行為をしてもおかしくはなかった。

 だが、ダスカーの言葉にヴィヘラは首を横に振る。


「元々レイと合流する為に春になったらギルムに来る予定ではいたのよ。ただ、ビューネを連れてくることになるかどうかは分からなかったんだけど、ちょっとした事情があってね」

「……その、事情というのを聞かせて貰っても?」

「ええ。聖光教……という宗教を知ってるかしら?」

「名前くらいなら。幸か不幸か、ギルムは辺境という位置にあって聖光教が入ってくる様子はないが、中立派に所属している貴族の領地ではそれなりに有名な存在だ。……もっとも、去年の件があってから、警戒する者も増えてきているという話だが」


 中立派の中心人物でもあるダスカーの立場としては、聖光教という存在は非常に厄介なものに思える。

 ギルムでは特に気にする必要もないが、だからといって立場上派閥に属する貴族達にも注意を促したりしなければならないのだから。


「でしょうね。色々な意味で厄介な存在だもの。私とビューネもエグジルで聖光教の者と思われる刺客に襲われたわ。それでこのままエグジルにビューネを置いておけば危険だと判断して、こうして一緒にギルムにやってきたの」

「……また、厄介な」


 ヴィヘラの言葉を信じるのであれば、聖光教がヴィヘラやビューネといった存在を狙ってくると言っているように感じられる。

 口では文句を言いながらも、ダスカーの視線はヴィヘラの隣で小動物のようにクッキーを頬張っているビューネへと向けられた。

 この少女が聖光教に狙われるようになるというのは忍びないが、それでもダスカーの立場としてはギルムで面倒な事態になるのは出来るだけ避けたい。

 しかし……ダスカーが何かを口にする前に、ヴィヘラが口を開く。


「ちなみにだけど、レイもグラシアールで聖光教の刺客に襲撃されたそうよ?」

「……」

 

 その言葉を聞けば、ダスカーも安易に出て行って欲しいと口にする訳にもいかなくなる。

 レイという人物の力を、それだけ信用しているということなのだろう。

 実際、レイの実力というのはダスカーにとっても非常に頼れるものであるし、グリフォンのセトを従魔にしているということで移動速度も普通の騎兵とは比べものにならない程に速い。

 また、去年の春に行われたベスティア帝国との戦争の時のように、アイテムボックスを使った物資輸送に関しても大きな力を発揮する。

 純粋な戦力以外にも、レイは頼りになる人物だった。

 長年……という程に付き合いがある訳ではないが、それでも既に二年近い付き合いである以上、信用も信頼もしている相手だ。

 聖光教と関わるのは厄介だから出て行けと目の前にいる人物へと言えば、それはレイもまたギルムから出て行って欲しいと言わなければならなくなる。

 勿論付き合いの長さからレイとヴィヘラ、ビューネを必ずしも一緒にすることが出来ない。

 だが、もし聖光教と揉めるのが避けられないのなら、ヴィヘラという戦力はギルムにとって大きな利益となるだろう。

 暫くの間ヴィヘラがギルムにいることのメリット、デメリットの両方を考え……


「分かった。ヴィヘラ殿にはこのギルムでゆっくりとして貰いたい」


 最終的にはヴィヘラを受け入れる方を選ぶのだった。


「そう? まぁ、私もレイと一緒にいられるのであれば、そっちの方が嬉しいしね。この子の件もあるから、出来ればギルムに滞在したかったのよ」

「……ん?」


 頬一杯にクッキーを詰めたビューネが、呼んだ? とヴィヘラの方へと視線を向ける。

 その様子は、先程ダスカーが考えたように、小動物という印象をより強めるものだった。


「くくっ、そうか。そうだな。こんな子供を追い立てるような真似をする訳にもいかないか。分かった。ヴィヘラ殿がギルムで活動するのを、俺の名を以て許可しよう。……ただし、あまり男を挑発するような真似は控えて貰いたい」


 視線が向けられたのは、魅惑的な肢体を覆っている薄衣。


「あら、私は誰の挑戦でも受けるわよ? 女としての私はレイのものだけど、戦いを求める私はまた別なのだし」

「……ヴィヘラ殿がそう思うのはいいが、それによってギルムの治安が乱れるのは困るんだよ。元々このギルムは多くの冒険者が集まってくる地だ。そして往々にして冒険者は血の気が多い。短絡的にヴィヘラ殿に襲い掛かってくる者も決して少なくない筈だ」

「そういう人はきっと自分の軽はずみな行動を後悔することになるでしょうね」

「その服装を止めてくれれば、血迷う者がでないんだけどな」


 溜息を吐きながら告げてくるダスカーに、ヴィヘラは挑発的な笑みを浮かべる。

 その笑みを見れば、ヴィヘラが今の服装を止めるようなことがないというのを、嫌でも理解してしまう。

 結局ダスカーが口に出来たのは、普通の冒険者として扱うので度が過ぎれば処罰せざるを得ないと釘を刺すだけだった。



 



「あら、いらっしゃいレイさん。随分と久しぶりだけど……」


 夕暮れの小麦亭の女将のラナが、宿に入ってきたレイを見つけてそう呟く。

 レイもこの宿を利用して長い為か、その言葉使いは客というよりは身内に対するものになっていた。

 それも当然だろう。この夕暮れの小麦亭は、ギルムにある宿の中でも高級な方に入る。

 当然そんな宿を利用するのは短期間の者が多く、レイのように長期間に渡って泊まり続けるという者はあまりいない。

 ……あまり、というところにレイのように稼ぎの多い冒険者が入るのだが。

 それだけに長期間宿に泊まり続けていれば、ラナにとっても身内のように思えてしまうのだろう。

 今は日中で宿の仕事も一段落したところなのか、カウンターに座って休憩しつつ店番をしていたらしく、その手元には何らかの飲み物が入ったコップがあった。


「ま、冬に出て行って以来だったからな。それで、また部屋を取りたいんだけど。それとセトの方も頼む」


 これまでにやってきたように部屋を取ろうとして話し掛けたレイだったが、戻ってきたのはラナの怪訝そうな表情だった。


「部屋を取るって……あのお嬢ちゃんが半年分の金額を前払いとして支払っていったわよ?」

「……は?」


 一瞬何を言われたのか分からなかったレイは、数秒の沈黙の後に間の抜けた声を出す。


「だから、半年分……いえ、もうあれから二ヶ月だから残り四ヶ月分くらいだけど、その分の宿泊料金は前もって渡されているよ」

「……マルカめ、味な真似をしてくれる」


 火炎鉱石以外にも宿の料金の前払いという報酬を用意していたマルカのことを思って小さく笑みを浮かべながら告げるレイだったが、やがてヴィヘラとビューネもこの宿に泊まるという話を思い出す。

 さすがにマルカでも、まさかヴィヘラやビューネの分の宿泊料金まで支払っていることはないだろうと思いながら。


「女が二人、もう少ししたら来ると思うから、その二人の部屋を用意して欲しい」

「あら、もしかして……」


 意味ありげな視線を向けてくるラナを受け流しつつ、レイは言葉を続ける。


「二人部屋になるか、一人部屋を二つになるかはその二人がやってきてから聞いて欲しい。ヴィヘラとビューネって名前だし、色々と目立つから見間違えることはないと思う」

「つまらないわね。分かったわよ」


 レイが話に乗ってこないのをつまらなさそうにしながらも、宿の女将としての顔になるラナ。

 そんなラナに、レイはセトのことを改めて頼んで自分の部屋へと向かう。

 ……尚、宿にヴィヘラとビューネが入って来たのを見たラナは、レイが目立つと言っていた意味をこれ以上ない程に理解するのだった。

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