第965話

 その日、ケニーは嬉しさと悲しさの両方を味わっていた。

 嬉しさは、当然レイが約二ヶ月ぶりにギルムへと戻ってきたからで、レイの強さを考えれば心配はいらないだろうと思いつつ、やはりグラシアールという遠くの都市へと向かっていたこともあって、自分の目で直接レイが無事な姿を見れば安堵する。

 だが、同時にレイが連れてきた他の面子を見た瞬間、ケニーはその動きを止めてしまった。

 まず、レイよりも年上に見える男。こちらは別に問題はない。

 ソロでの活動を好むレイだったが、それでも時々他の冒険者と行動を共にするというのは、何度かその目で見て知っている為だ。

 多くの冒険者を見てきたケニーにとって、その狼の獣人はそれ程強いとは思えなかったが、牽制するような視線を周囲に送っているのはギルムに来たばかりの腕自慢の冒険者によくある行動と言える。

 次に、十歳程の少女。

 見るからに愛らしいのだが、本来ならこの年代の少女は表情がすぐに変わるのに、その少女は表情が殆ど動いていない無表情なのが特徴だろう。

 身軽さを重視した、見るからに動きやすそうな装備を身につけている様子から、恐らく盗賊なのだろうと判断出来た。

 まだ少女であるにも関わらず、身のこなしには熟練のものを感じさせる。

 そのことにケニーは心の中で可哀相だと思うが、それを表に出すような真似はしない。

 冒険者というのは自己責任であり、自分でやると決めて冒険者になったのだろうと。

 それでも何か困ったことがあったらすぐに助け船を出したいと思うくらいには、ケニーの気に掛かっている。

 ……レノラやケニー以外の受付嬢達もその少女が気になるのか、自分の仕事をこなしながらそれとなく視線を向けていた。

 そして……最後に、レイの隣にさも当然ですと言いたげに存在している女。 

 ケニーも自分の美貌にはそれなりに自信がある。

 そもそも、ギルドの受付嬢になるには標準以上の容姿が求められるのだから当然だろう。

 また、いつもレノラをからかっているように、胸の大きさを含めた身体つきについても自信はあった。

 だがケニーの視線の先にいる女は、そんな自信を木っ端微塵に砕く程の美貌を持ち、ボディラインを誇示するかのように踊り子や娼婦が身につけるような薄衣を身につけている。

 ケニーにとって今まで会ってきた中で最高の女と言えば、まず真っ先に頭に浮かぶのはギルドマスターでもあるマリーナだろう。

 女として完璧と言ってもいい程の容姿を持ち、本人がその気になればどんな男でも引っ掛けられるだろう美貌を持つ。

 若干退廃的な雰囲気を持っており、そこが気に掛かる者もいるかもしれないが、それは限りなく少ない筈だ。

 また、ダークエルフという種族も関係しているのだろうが凄腕の元冒険者でもあり、知的でもある。

 それでいて下の者に対しては気軽に言葉を掛けるという気安さも持っていた。

 正に完璧な女だとケニーには思える。

 また、直接会ったことはないが、レイが定宿にしている夕暮れの小麦亭でレイが使っていた対のオーブでその姿を見て、会話をしたエレーナ。

 ミレアーナ王国に住んでいる者であれば、姫将軍という異名は誰もが一度は聞いたことがあるだろう人物。

 マリーナの銀髪と対を為すかのような、太陽光そのものを物質化したとしか思えない黄金の髪。

 マリーナにも決して引けを取らないだろう大輪の薔薇のような美貌。

 直接会った訳ではなく対のオーブ越しに話しただけだが、それでもエレーナの凜とした雰囲気は伝わってきた。

 マリーナを夜とするのであれば、昼を象徴するかのようなそんな人物。

 その二人が今までケニーの会ってきた中で最高の女と呼べる人物だったが、今レイの隣にいる女もその二人に勝るとも劣らぬ存在だった。

 多くの冒険者を見てきたケニーの目から見ても、正確にどのくらいかは分からないが、それでもかなりの強さを……それこそランクA冒険者相当の力を持っていると言われても決して驚きはしないだろう。

 それ程の人物だけに、当然ケニーにとっては新たなライバルという認識になる。

 去年、最大のライバルだろうエレーナと遭遇した時と同様の……もしくはそれ以上の危機感。

 そんな危機感に突き動かされるように、ケニーはレイの隣にいる人物が誰なのかを尋ねる。


「ん? ああ、こいつはヴィヘラ。あー……ちょっとした知り合いでな」

「あら、ちょっとしたなの? 私はもっと深い知り合いになってもいいのに」

「……へ、へぇ。相変わらずレイ君は女の人にモテるのね」


 まさかこの場でベスティア帝国の元第二皇女で、国を出奔して自由気ままに暮らしています……などと言う訳にもいかないレイが何と説明するのか迷っている間に、ヴィヘラがそう口にする。

 当然一種の告白と言ってもいいような好意を伝える言葉を聞いたケニーは面白い筈もない。

 また、ケニーの隣で話を聞いていたレノラも、悪い虫だという内心の評価を強くする。


「ふふっ、ちょっとからかいすぎたかしら。安心して頂戴。今のところはまだ私とレイはそういう関係になっていないから」


 目の前の二人を落ち着かせるように告げるヴィヘラだったが、その言葉の裏にはいずれレイとそのような関係になるということを臭わせていた。


「それより、はいこれ。依頼完了のサインよ」


 差し出されたのは、護衛の依頼を完了したという証拠のサイン。

 商人達から受け取った代物だった。


「……少々お待ち下さい」


 その紙を出された以上は、レノラも仕事を優先せざるを得ない。

 私情を優先して仕事を後回しにするような行為は、レノラの受付嬢としてのプライドに掛けてする訳にはいかなかった。

 もっとも、書類の整理等も終わって特に急ぎの仕事のないケニーは別だったが。

 単刀直入にレイをどう思っているのか聞きたいのだが、レイの前でそんなことは聞けず、何と口を開けばいいのか迷う。

 そうしてようやく口を開こうとしたところで……


「おう、姉ちゃん。この依頼を受けさせてくれ」


 レイと共にやって来た狼の獣人の男が、依頼書をカウンターの上に置く。


「……ギルドカードを見せて頂戴」

「ん? ああ、ほら」


 そう言い、差し出されたのは目の前の男がランクD冒険者であることを示していた。

 男のランクを確認すると、ケニーは問答無用で依頼書を突き返す。


「残念だけど、貴方のランクではランクBの依頼を受けることは出来ないわ」

「ああ!?」

「脅しても無駄よ。そもそも、ギルドに登録する時にその辺の説明はされてるでしょう? まさか聞いてなかったってことはないわよね?」

「ぐっ、そ、それは……」


 今までであれば自分が凄めばその言い分が通ることは多かった。

 だが、ケニーはそんなマギタに一切怯えた様子もなくあっさりとその言葉を却下する。

 ギルムの冒険者と長年やりあっていれば、並大抵のことには驚かなくなってもおかしくはない。

 少なくても、自分を実力以上に見せようとする相手に怯えるようなことはなかった。


「っ!?」


 それが、自分に恥を掻かせたと思ったのだろう。マギタがケニーへと怒鳴りつけようとするのを……


「落ち着け」


 マギタの肩に手を置いたレイが、その怒りを抑える。


「……ちっ、分かったよ。師匠にそう言われたんじゃしょうがねえ」


 ざわり、と。マギタの言葉を聞いた冒険者達がざわめく。

 それだけマギタの口から出た師匠という言葉は驚きをもって迎えられたのだろう。

 この場にいる者達は多少なりともレイがどのような人物なのかを知っている為、まさかレイが弟子を取るとは予想外でしかなかった。

 今までにもレイは訓練を付けて欲しいといった依頼を受けたことはある。

 だが、それはあくまでも期間限定の話だ。

 それが正式な弟子ともなれば、四六時中レイと共にいて訓練を付けて貰えることになる訳で……


「ちょっと、レイ君。本当にこんなのを弟子にしたの!?」


 周囲のざわめきを蹴散らすかのように、ケニーの声が周囲に響く。

 ケニーにとって、目の前にいる狼の獣人はどう見てもレイに悪影響を与えるような相手にしか見えない。

 今抱いているのは、悪い友達と遊んではいけませんといった感情が近いだろう。


「だから師匠じゃないって言ってるだろ。妙な誤解を周囲の奴等に与えるのは止めろ」


 マギタの頭……には手が届かないので、その背中を軽く叩く。

 ただし、その軽くというのはあくまでもレイの基準の軽くであり、マギタにとっては普通に殴られたに等しい。


「げほっ!」


 咽せた声を上げるマギタを一瞥すると、レイは再び口を開く。


「お前が俺を師匠と呼ぼうが何をしようが、俺はお前を鍛えるつもりはない。大体、ギルムで依頼を受けて活動していれば、嫌でも技量は上がるんだ。……そうだな、今の俺と同じランクB冒険者になったら時々は鍛えてやってもいいかもな」


 その言葉を聞いた冒険者の多くは、レイがマギタと呼ばれた狼の獣人を鍛えるつもりはないのだろうと判断する。

 ランクB冒険者というのは間違いなく高ランク冒険者であり、ギルムにもそこまでランクの高い冒険者というのは決して多くはない。

 いや、正確には他の村や街、都市といった場所に比べればランクB冒険者の数は多いのだが、それでもギルムにいる冒険者の割合で考えれば決して多いとは言えなかった。

 当然だろう。ランクBの上はAとSの二つしか存在しておらず、ランクSというのは世界でも三人だけの存在だ。

 つまり実質的に冒険者の最高ランクというのはAであり、Bというのはその一つ下になる。

 そんな強さの者がその辺に転がっていたりする筈がなかった。

 だが……そんなレイの言葉を聞いたマギタは、真剣な表情で口を開く。


「本当だな? 本当にランクB冒険者になれば俺の師匠になってくれるんだな?」

「意図的に勘違いするな。短期間教えるのならともかく、俺は誰の師匠になるつもりもない。お前がランクB冒険者になったら、時々手合わせをしてやるって言ってるんだよ。今のお前だと、俺と戦う以前の問題だからな。暫くギルムで鍛えてみろ」

「……分かった」


 そう告げると、マギタは依頼書を持って戻っていく。

 それを見送っていた周囲の冒険者は、何人かがマギタに羨ましそうな視線を向けていた。

 基本的にギルムでのレイの扱いは、色々と極端なものがある。

 後ろ暗いことがある者は出来るだけ関わり合いたくないと思っている一方、料理関係のことでレイに相談をしに来る者もいる。

 また、意外なことに子供からの評判も決して悪くはない。……もっとも、その理由の大部分はセトにあるのだが。

 そして中には、レイと話してみたいと思っている者も、決して多くはないが皆無という訳でもない。

 マギタに羨ましそうな視線を向けていた冒険者達も、その少数派だった。


「……さて、話がちょっと横に逸れたみたいですが、依頼の達成を確認しました。これが報酬となります」

「ええ、ありがとう」


 報酬の入った袋を受け取ったヴィヘラを見て、レイは今更ながらに気になったことを尋ねる。


「そう言えばヴィヘラってランクは?」

「Cよ」

「思ったより高くないんだな」


 ヴィヘラの戦闘力を思えば、それこそ先程レイが口にしたランクB以上でもおかしくないと臭わせるが、それにヴィヘラは小さく笑みを浮かべて肩を竦ませる。

 その際、豊かな双丘が揺れたのを見たレノラの視線に一瞬だけ鋭い光が宿ったのだが、ヴィヘラは特に気にした様子もなく口を開く。


「エグジルだとダンジョンに潜ってばかりだったしね。依頼を受けたりとか、そういうのは例外を除いてやってなかったから、どうしてもランクは上がりにくかったのよ」

「例外、か」


 恐らくその例外というのは討伐依頼なのだろうと判断しながらも、レイはヴィヘラの言葉に納得の表情を浮かべる。

 ヴィヘラの性格を考えれば、考えるまでもなく理解出来た為だ。


「ええ。……さて、これで護衛の依頼も無事終わったことだし……どうしようかしら。私はこれからちょっと行く場所があるんだけど、ビューネも来る?」

「ん!」


 行く、と頷くビューネに、ヴィヘラは小さく笑みを浮かべてビューネの頭を撫でる。


「退屈な話になるかもしれないけど、ビューネがいてくれると私も楽だわ」

「いや、退屈な話ってな……」


 ランガとの話でヴィヘラがどこに向かおうとしているのかは何となく察しのついたレイは、仮にも領主と会うのにと言外に告げるが、ヴィヘラは元ではあってもベスティア帝国の皇族だ。

 そうである以上、辺境伯という立場にある貴族に会う程度は特に緊張するべきことでもないだろうと、納得する。


「レイが泊まる宿はどこかしら?」

「夕暮れの小麦亭だな。料理の美味い、いい宿だ」

「じゃあ、私とビューネもそこに泊まろうと思うから、部屋を取っておいて貰える? ……私の方の話は長くなるかもしれないし」

「ああ、分かった。有名な場所だから、誰かに聞けばすぐに……言っておくけど、あまり騒動は起こさないようにな。いっそ俺もついていくか?」


 ヴィヘラの服装を見れば、そこにレイやセトがいないと確実に騒動に巻き込まれるというのが分かりきっていた。

 だが、ヴィヘラはそれに首を振る。


「どうせ騒動とかはいずれ嫌でも起きるでしょうから、早い内に済ませた方がいいでしょう。ああ、もし何なら私はレイと同じ部屋でもいいわよ?」


 そう告げ、ヴィヘラは誘うような視線をレイへと向けた後でその場に残してビューネと共にギルドを出て行く。


「あ」


 そんな二人の後ろ姿を見送ったレイはヴィヘラが領主の館の場所を知ってるのかと、今更ながらに疑問に思うのだった。

 ……自分のすぐ近くに機嫌が悪そうなケニーとレノラの存在にレイが気が付くのは、数秒後の話。

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