第967話
ヴィヘラとビューネがギルムにやって来た日の翌日、レイはその二人とセトを連れてギルムの中を歩いていた。
昨日ギルムに来たばかりの二人は、当然ギルムのどこにどんな店があったりするのかも分からず、それをレイが案内する形だ。
辺境特有の強力なモンスターと戦うべくギルドで討伐依頼を受けてみたいという思いが強かったヴィヘラだったが、ギルムの案内は必要だろうということでレイがセトと共に案内をしている。
当然だろう。もしヴィヘラとビューネの二人だけで街中を歩き回っていれば、必ずヴィヘラを口説こうとした男が騒動を巻き起こすのは確実だったのだから。
それならギルムの中で殆どの者が知っている自分とセトが一緒に行動した方がいいということで、半ば買い食いを目当てにレイとセトはヴィヘラ達と行動を共にしている。
その案内の途中で今日も昨日と同様に多くの人間がセトに構いたがっていたが、それでも一段落して落ち着いたのだろう。昨日よりは人数が少なかった。
レイはてっきり昨日のうちに夕暮れの小麦亭に……正確には厩舎にミレイヌとヨハンナが突撃するのだろうと思っていたのだが、その二人が来る様子は全くなかった。
それを不思議に思ったレイがちょっと情報を集める……正確には今やっているように屋台で食べ物を買いながら話を聞いてみると、何人かの店主から情報を貰うことに成功する。
「まさか、ヨハンナ達が灼熱の風と合同で依頼を受けるとは思わなかった」
完全に予想外のことを聞かされ、信じられないという思いを込めて呟く。
だが、考えてみればそれ程おかしくないのか? という考えがレイの脳裏を過ぎる。
ミレイヌとヨハンナがセトを巡って犬猿の仲なのは事実だが、ミレイヌ以外の灼熱の風のメンバーとヨハンナ以外の元遊撃隊の面々の相性は悪くないのではないか、と。
そう考えれば、その二つの集団が共に行動するのは決しておかしな話ではない。
(それにランクCモンスターのサイクロプスの討伐任務だ。灼熱の風はランクCパーティで問題ないだろうけど、何かイレギュラーがあった時のことを考えれば、元遊撃隊の面々が一緒にいるってのはそれ程悪くはないだろうし)
灼熱の風と元遊撃隊の合計十人程の戦力で昨日出発していったのを見ていたという店主の話を聞く限りでは、サイクロプスを相手にしても問題はないだろうと思い、レイの中では討伐依頼云々という話より、ミレイヌとヨハンナが戻ってきて二ヶ月ぶりにセトと会う時のテンションが気になった。
これまでの経験から考えると、かなり暴走してしまう可能性が高い為だ。
特にミレイヌはマルカがやってきた現場にいたが、ヨハンナはその場にすらおらず、完全に不意を突かれた形でレイとセトがいなくなったのだから。
「グルゥ?」
大変だなという思いと共にセトの頭を撫でると、撫でられた方はどうしたの? とレイへと円らな瞳を向けてくる。
セトとしては、ミレイヌもヨハンナも自分を可愛がってくれる相手であり、決して嫌いな訳ではない。
それどころか美味しい料理をいつもくれるというのもあって、レイには劣るもののかなり懐いている相手でもあった。
「どうかしたの?」
店主と会話をした後で唐突にセトを撫でたレイの様子に疑問を感じたのだろう。ヴィヘラが不思議そうな視線を送ってくる。
「いや、セトを可愛がって……ああ、そう言えばヴィヘラは知ってるか? 元遊撃隊のヨハンナって奴。家が大きな商会をやってるって話だったけど」
気になって尋ねるレイだったが、戻ってきたのは首を振るという否定の行為。
「向こうに商会が幾つあると思ってるの? かなり有名なところなら知ってるかもしれないけど……」
「そうか。まぁ、向こうはヴィヘラのことを知ってると思うけどな」
「それは……そうでしょうね」
元遊撃隊はベスティア帝国出身であり、去年の内乱においても第三皇子派として戦っている。
当然第三皇子派の中で重要な戦力として戦っていたヴィヘラのことは知っているだろうし、そもそも内乱中にレイに会いに来たヴィヘラを何度となく見ている筈だ。
そうである以上、当然ギルムにいるヴィヘラを見れば驚愕することになるのは間違いなかった。
「ん?」
ヴィヘラに買って貰ったリザードマンの串焼きを食べながら、ビューネは不思議そうに二人の方へと視線を向けてくる。
それにレイとヴィヘラの二人は何でもないと首を横に振りながら、街中を歩いて行く。
もっともレイが案内をするといっても、レイ自身ギルムの中を完全に把握してる訳ではない。
基本的にレイのギルムでの行動範囲というのは、ギルド周辺や食べ物屋周辺、後は武器や道具といった物を取り扱っている店といった場所が殆どだ。
……その行動範囲の中に領主の館が入っている辺り、レイの異常さを物語っているのだろうが。
「あの武器屋は俺が時々寄って槍を買ってる店だな。穂先が欠けたり柄の部分が折れ掛かっていたりと、もう使えない武器を銅貨数枚とかの捨て値に近い値段で売ってるから、俺としては助かっている」
「もう使えない武器を売ってるって、それはちょっとどうなのよ?」
レイの言葉にヴィヘラが少し嫌そうな表情を浮かべて告げたが、レイはそんなヴィヘラの言葉に首を横に振って否定する。
「当然壊れている武器は本格的に使う訳にはいかないけど、訓練とかで自分にその武器が合ってるのかを確かめる為にとか、そういう風に使うんだよ。勿論値段相応の品質だからすぐに壊れるけど」
実戦で使う訳ではないと聞き、ヴィヘラはようやく納得の表情を浮かべた。
ただ、訓練で使うにしても壊れそうな武器を使うのはどうかという疑問はあるのだが。
「ああ、それと中には依頼が失敗続きでどうしても金欠になっている冒険者ってのもいるだろ? そういう冒険者が時々程度のいい武器を探しているのを見ることがあるな」
「……本気? 自分の命が懸かってるのよ?」
理解出来ないといった表情で呟くヴィヘラだったが、その薄衣をビューネが軽く引っ張って首を横に振る。
金がないという意味では、ビューネはエグジルで長い間経験していた。
だからこそ、少ない金で武器を入手しようとする冒険者がいるのにも理解を示したのだろう。
「ビューネ……」
「ま、ビューネの言いたいことも分かってやれよ。それにもう使えない武器って言っても、それは本来の用途としては使えない武器って意味だ。中にはある程度状態のいい武器もあって、折れた槍を短槍として使ったり、刃が欠けたクレイモアを打撃武器として使ったりって方法もある」
それらの武器は、本来であれば鋳潰せば多少なりとも金になる。
だが、店主は金を殆ど持っていない冒険者への救済策として、多少の損を被った上で提供していた。
本当に冒険者のことを思うのであれば、安物ではあっても普通に使える武器を提供すればいいと言う者もいないではないのだが、元々がそれ程大きくない店だ。そこまで利益を切り詰めることは出来ない。
そういう意味では、壊れかけた槍ではあっても多少の色を付けて買っていくレイという客は、店にとって上客と言ってもよかった。
……もっともレイが槍を多く買っていく為、槍を武器とする冒険者に武器が行き渡りにくくなるという問題もあるのだが。
「ま、利用するのはここで育って冒険者になったばかりの奴とか、強い冒険者と一緒にギルムに来た奴とかだけどな。中には冒険者になったばかりにも関わらず、真っ直ぐにここに来るって命知らずもいるらしいけど」
ミレアーナ王国の冒険者にとって、辺境のギルムというのは冒険者の本場だ。
王都や迷宮都市のように一度は行ってみたい、そこで一旗揚げてみたいと思う者は決して少なくない。
それは当然冒険者になったばかりの者が強く感じることだった。
だが普通であれば、自分の力量が足りないと地道に実力やランクを上げるという道を選ぶ中で、時々無謀にもギルムへと向かう者もいる。
当然そのような者達は途中でモンスターや盗賊、もしくは何らかの事件に巻き込まれて命を落とすのが大半だが、中には偶然か天運か、ギルムへと辿り着く者もいる。
そのような者達は当然ながらギルムに辿り着くことで運を使い果たしたかの如く、実力不足により多くの依頼を受けることが出来ない。
ギルムの中で行われているような簡単な依頼であれば受けることも出来るのだが、その報酬は暮らしていくのがやっとというのが殆どだ。
そんな者達が武器を求めて今レイ達が見ている武器屋へとやって来ることになる。
「ほら、ああいう奴とかな」
その辺の説明をしたレイの視線が向けられたのは、レイより数歳上に見える年齢の男。
恐らくこの春にギルムへとやってきたのだろうその男は、レザーアーマーの残骸としか見えない装備を身につけており、手には武器の類を持っていない。
そんな男が武器屋に入っていくのを見送ったレイは、改めて口を開く。
「ま、それでも本当にやる気があったり才能があれば、ああいう状況からでも成り上がってくるんだろうけどな。……さて、次に行くぞ」
そう告げ、道を歩いて行く。
時折買い食いをしながら移動を進め、図書館の位置を教えたり、本を売ってる店を教えたり、安くて美味い食堂を教えたり、串焼きの美味い屋台を教えたり、サンドイッチの美味い店や屋台を教えたり、スープの美味い店を教えたりとしていく。
「待った。ちょっと待ってちょうだい。さっきから、妙に食べ物関係の店が多いんだけど。しかもその店とか屋台に寄る度に買ってるから、もうお腹一杯よ」
「そうか? ……どうだ?」
「グルゥ」
まだ食べられるよ! といった風に喉を鳴らすセト。
レイも自分の胃袋にまだかなり余裕があるというのは分かっていたので、自分達はまだ大丈夫だといった視線をヴィヘラへと向ける。
だが、そんなレイへ対してヴィヘラが向けてきたのは呆れたような視線だった。
「あれだけ食べて平気とか、一体どういう身体をしてるのかしら。……私達にとってはそっちの方が驚きよね。ねぇ?」
ヴィヘラは自分の隣を歩いているビューネへと視線を向けて尋ねる。
自分よりも身体の小さいビューネであれば、もう食べられないだろうと思っての問いかけだったのだが……
「ん?」
何故かヴィヘラよりも身体の小さなビューネは、特に苦しそうな様子も見せずに先程串焼きの屋台の店主におまけして貰った野鳥の串焼きへと舌鼓を打っていた。
「……ビューネ?」
「ん?」
尋ねる言葉に戻ってきたのは、数秒前と同じような声。
だが、そこにはヴィヘラが当然あると思っていたような、食べ過ぎて苦しい、これ以上食べられないといった表情は浮かんでいない。
「ビューネってこんなに食べる子だったかしら?」
疑問に思うヴィヘラだったが、レイはそんなヴィヘラに当然のように口を開く。
「子供はよく食べて、よく寝て、よく遊ぶことで大きくなるんだから、食えるだけ食うのはいいんじゃないのか?」
「言ってることは間違ってないけど、何事にも限度ってものがあるのよ。ビューネ、本当に大丈夫? 食べ過ぎて後でお腹が痛くなっても知らないわよ?」
「ん!」
ビューネは基本的に無表情なだけに、もしかしたら表情に出ていないだけなのかもしれない。
そんな思いで尋ねたヴィヘラだったが、戻ってきたのは相変わらずの小さな声だけ。
ビューネとの付き合いはそれなりに長く、一見すると無表情でも、微かな表情の変化を捉えることが出来るヴィヘラの目から見ても無理をしているようには見えなかった。
正真正銘、まだ腹に余裕があるのだろうと判断せざるを得ない。
「前は体格相応の量しか食べなかったと思うんだけど……どうしたのかしら? まさか、病気だったりしないわよね?」
心配そうに呟くヴィヘラだったが、心配されている方のビューネは全く身体の具合が悪そうにも思えない。
それを確認したのだろう。若干納得出来ない様子だったが、それでも病気の類ではないのだろうと判断すると、溜息を吐いてビューネの頭を撫でる。
「食べるのはいいけど、あまり食べすぎて太ったりしたら駄目よ? 女なんだから、常に綺麗じゃなきゃね。それに何より、盗賊の動きが鈍いとかちょっと洒落にならないしね」
「……ん」
ヴィヘラの言葉に、渋々ではあるが頷くビューネ。
それで一応は満足したのか、ヴィヘラは隣を歩くレイへと視線を向けて口を開く。
「それで、次はどこに行くのかしら」
「ここまで来たんだし、昨日に引き続いてだけどギルドに顔を出してみるか?」
「何でまた? 依頼を受けるつもりはないんでしょ?」
「依頼次第だな。ただ、どっちかと言えば顔見せだ。……ヴィヘラは目立つからな」
娼婦や踊り子としか見えない服装をしているのだから、その言葉は当然だった。
事実、今もこっそりとヴィヘラの様子を見ている者達が内心では物凄い勢いで頷いている。
「ふーん。まぁ、レイがそう言うのならいいけど……じゃ、行きましょうか」
そう告げ、レイに案内をして貰うのではなく、自分がレイを案内するかのように先に立って移動する。
昨日行っただけに、既にギルドの場所は覚えているのだろう。
事実、何ら迷う様子すら見せずにヴィヘラはギルドへと到着する。
そこでセトと別れて中に入った瞬間……
「サイクロプスが五匹だ! だから、早く援軍を頼む!」
そんな声が響いてきたのだった。
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