第956話

「じゃあ、またなー!」

「またギルムまで遊びに行くのじゃー!」

「次こそ魔法についての話をしましょうねー!」

「セトー! 今度こそお前に俺の料理を食わせてやるからなぁ!」


 そんな風に地上から別れの挨拶の声を聞き、手を振りながらレイはセトと共に空を飛ぶ。

 ドラゴンローブを身に纏っているが、フードを下ろしている為に春の暖かい空気が顔へと触れていく。

 それでも地上百mまで来れば風は冷たくなるのだが、レイはそれもまた春の空気と小さく笑みを漏らす。


「グルゥ?」


 どうしたの? とセトが翼を羽ばたかせながら後ろを向く。

 そんなセトに、レイは何でもないと笑みを浮かべて頭を撫でる。


「ギルムまで数日。ここに来た時とは違って旅はしやすいから、この陽気を楽しみながら行くとするか」

「グルルゥッ!」


 レイの言葉に嬉しそうに喉を鳴らすセト。

 やはりセトにとっては、レイと一緒にいるというのが一番嬉しいことなのだろう。

 そんなセトを撫で、夏になれば緑の絨毯と化すだろう草原を眺めてから、レイは視線を青い空へと向ける。

 まさに旅立ちの日としてはこれ以上ない程に恵まれている、五月晴れとでも呼ぶべき天気。

 ……もっとも、まだ春になったばかりで五月とはとても言えない時期なのだが。


(日本にいた時の認識だと、十分五月と言っても通じるだろう天気なんだけどな)


 東北の山奥に住んでいたレイにとって、三月や四月の上旬というのはまだ雪が降ることもあり、最高気温も十度に届かない冬と春の間の季節といった認識だった。

 だからこそこの時期にこれだけ暖かいというのは、去年も経験したが少しの驚きを感じられる。


「人も随分と行き来している……けど、それは普通か。ギルムのような辺境ならまだしも、ここは立地もいいし」


 街道を歩いている多くの商人や旅人、冒険者といった者達を眺めながら呟いたレイは、不意にミスティリングから小さな容器を取り出す。 

 人差し指程の大きさのその容器には、真っ赤な液体が入っている。


「全く……慣れないことをするな」


 呟くレイの脳裏を過ぎったのは、前日に行われた送別会のこと。

 送別会に突然現れたインスラが、三年、四年Sクラスからということでレイへと渡した代物。

 それが今レイの手に握られている容器であり、中身は濃縮されたポーションだった。

 濃縮されたポーションは、当然その量も少なくなって持ち運びも便利になる。

 技術自体は数十年前に開発されていたのだが、それでもこの技術が一般的にならなかったのは取り扱いの難しさにあった。

 ただの水で薄めても効果は発揮するものの、その効果は極端に下がる。

 きちんとした効果を発揮させるためには、錬金術を使って濃縮されたポーションに合った魔力の込められた水を使用しなければならない。

 その効果の差は、同じ濃縮されたポーションを使っても、きちんと処理された水を使えば重傷と呼ばれる傷すら治るものの、その辺にある水を使った場合は包丁で指の先を軽く切った傷が治せるかどうかといったくらいに差がある。

 そこまで使い勝手の悪いポーションなのだから、濃縮という技術が広がらなかったのは当然だろう。

 そもそも濃縮されたポーションと魔力的な処理をされた水を別々に持ち歩くのであれば、普通のポーションを持ち歩いた方がいいのだから。

 そんな使い勝手の悪い、絶滅寸前の技術で作られた濃縮ポーションをレイへのプレゼントに選んだのは、レイがマジックアイテムを集めるのを趣味としているという話をどこかから聞いた為だろう。

 それを聞き、生徒達がそれぞれ金を出しあって珍しいマジックアイテムということで濃縮ポーションを見つけ、レイへのプレゼントとしたのだ。


「俺がマジックアイテムを集めてるのは間違いないけど、集めてるのは実戦で使えるマジックアイテムなんだけどな」


 そう口にしながらも、レイは手に持った濃縮ポーションを大事そうにミスティリングの中へと収納する。

 口では色々と言っているが、少しレイと付き合うことに慣れた人物であれば照れているのが分かるだろう。


「……ま、取りあえず貰っておくけど。ポーションの類はあっても困ることはないし、どこで役に立つかも分からないから」

「グルルルゥ」


 呟くレイに、どこかからかうような鳴き声を口にするセト。

 そんなセトの首の後ろを、レイは軽く撫でてやる。


「こら、俺をからかうのは十年早いぞ。……ま、俺達にとっては十年なんてあっという間だろうけど」

「グルゥ!」


 そんなやり取りをしながら、レイとセトはギルムへと向かって空を飛ぶ。

 街道を歩いている者の何人かが空を見上げるが、今は上空百m程の位置を飛んでいる為、それが鳥なのかモンスターなのかの判断もつかない。

 もっとも街道を歩いているのが歴戦の冒険者であれば、それが鳥ではないと判断出来たのだろうが。

 勿論それが鳥ではなくモンスターだとしても、普通の冒険者にどうにか出来る筈もなかっだろう。……そう、普通の冒険者であれば、だ。


「うおっ!」


 不意に自分の方へと向かって風切り音が飛んできたのを知り、咄嗟にデスサイズを取り出してその風切り音を迎え撃とうとする。

 だがその風切り音は決して速くはなく、寧ろ意図的に音が鳴るようになっている為か、見て分かる程に遅い速度だった。

 デスサイズを振るう前に、自分へと向かってきたその風切り音の正体が鏃の丸まっている矢であると知り、更にはその矢には紙が結ばれているのを見て取ったレイは、矢が自分の真横に来たところで手掴みにする。


「何だ?」

「グルゥ?」


 レイだけではなくセトもその矢には興味があるのか、振り向きながら不思議そうに喉を鳴らす。

 何だ? と口にしたレイではあったが、そもそも矢という時点で誰の仕業なのかは明らかだった。


「サルダートも、わざわざこんな風に手間の掛かる真似をしなくても直接会いに来れば良かったのにな」

「グルルルゥ」


 レイの言葉に同意するように喉を鳴らすセト。

 出会いこそ決して友好的なものではなかったが、それでもサルダートはレイやセトに対して敵対的だった訳でもないので、すぐにセトは気を許した。

 今では、サルダートに撫でられるのも決して嫌ってはいない。

 一度敵対したが故に、今でも嫌っているロドスと比べるとその差は大きかった。


「……手紙。つまりこれって矢文か? もしかしてこっちにもそういうのがあるのかもしれないけど……いや、弓矢を使ってれば普通に考えつくか」


 そんな風に考えながら、手紙を開く。

 そこには短く別れの言葉が書かれており、次に会った時には女の子を紹介して欲しいといった内容だけがシンプルに書かれている。


「別れの言葉より、女を紹介して欲しいって方が長い文章なのは正直どうかと思う」


 溜息を吐きつつ、それでも手紙は捨てるでもなくデスサイズと共にミスティリングへと収納する。


(女を紹介……ランクS冒険者なら、女には困ったりしないと思うんだけどな。それとも悪い噂がそんなに広まっているのか? ……有り得るな。士官学校でも何回かサルダートの噂を聞いた覚えがあるし)


 ノイズとの扱いの差に微妙な思いを抱きつつ、レイはセトと共に春の空気を楽しみながら飛ぶ。

 時折地上では冒険者とモンスターが戦っている光景を目にすることもあったが、特に手を出すでもなく通り過ぎていく。

 冒険者がピンチであれば手を出したかもしれないが、そんな風には見えなかった為だ。

 特に今の時期は春になったばかりで、冒険者によっては既に冬を越えて蓄えが底をついたという者も決して少なくはない。

 そんな冒険者達の獲物を横取りするような真似をすれば、寧ろ恨まれるだけだろう。

 そうであれば、レイとしては冒険者が命の危機に陥っていない限り……


「あ」


 助ける必要はない。

 そう考えていたレイだったが、まさに今地上にある林でオークによって襲われようとしている冒険者の姿を見つけてしまう。

 手にした長剣は弾かれて近くにある木の幹へと突き刺さっており、その冒険者は何とかオークから距離を取ろうとしていた。

 何より不幸なことは、その冒険者がソロの……しかも女の冒険者だったことだろう。

 オークによって倒された女冒険者。それが何を意味しているかというのは、レイにも既に分かっていた。

 だが冒険者というのは自己責任であり、その結果訪れた結末もまた自分だけのものだ。 

 冒険者をやっている以上、それは明確な事実であり、レイがわざわざ女冒険者を助ける必要もない。

 何も知らない振りをしてオークや女冒険者の上空を通りすぎても、誰も文句は言わないだろう。

 だからこそ……


「セト」

「グルゥ!」


 セトの名前を呼ぶという短いやり取りだけでレイの言いたいことは分かったのか、セトは短く鳴くと真っ直ぐ地上へと降下していく。


(そう、このまま上空を通り過ぎても誰も文句は言わないだろう。けど、だからってそれを見過ごすような真似をすれば、俺が俺自身を許せなくなる)


 セトが地上へと降下していく間もオークは女冒険者へと近づいて行き、その身に纏っているレザーアーマーを剥ぎとろうと手を伸ばし……


「ふっ!」


 ミスティリングから取り出した槍が、レイの手から飛ぶ。

 いつもであればレイの腕力と身体の捻りを使って槍を投げているのだが、今いるのはセトの背の上。

 そうなると腕力はともかく、身体の捻りによる力の伝達には殆ど効果がない。

 ……ただし、セトの背に乗って地上へと向かって降下しているということは、その速度を槍に伝えることが出来るということ。

 勿論そんな真似をするにはお互いの息が合ってないと無理だが、レイとセトに限ってそんな心配は全くなかった。

 レイの腕力とセトの降下速度。その二つの力によって放たれた槍は、真っ直ぐに地上へと向かって飛び……


「ブヒィッ、ブヒヒヒ……ブ……」


 弱い相手をいたぶるということに集中していたオークの頭部へと突き刺さり、そのまま粉砕しながら貫き、地面へと突き刺さって柄が折れる。

 元々レイが投擲に使っている槍は使い捨てが前提なので、破棄される寸前の物が多い。

 全てがそんな槍という訳ではないが、割合では圧倒的に破棄寸前の槍の方が多いのは事実だった。

 そんな槍だけにオークの頭部を粉砕する程の一撃を出せば、柄が折れるようなことになるのは当然だろう。


「きゃあっ! ……え? あれ? 一体何が?」


 冒険者の女にしてみれば、自分がオークに襲われていたのが、気が付いたらそのオークの頭部がなくなって死んでいたという光景だけに、戸惑いの声が上がる。

 周囲を見回す女冒険者だが、周囲にはオークの頭部が砕け散った血肉や骨、脳髄といったものしか存在せず、自分を助けてくれた相手を見つけることは出来ない。

 もしこの時、女冒険者が空を見上げていればセトの姿を確認出来たかもしれないが、セトとレイはオークに槍を投擲した後はすぐに体勢を立て直してその場から立ち去ってしまっていた。

 元々何か見返りを求めて助けた訳ではないし、最後まで面倒を見るつもりもない。

 ただ、自分の見える範囲で死なれては寝覚めが悪いという理由で助けたに過ぎず、だからこそ女冒険者に声を掛けるような真似をせずにその場を立ち去るという選択をした。


「た、助かった……の?」


 改めて周囲を見回す女冒険者だったが、命と貞操の危機を何とか乗り越えたかと思うと、次に再び周囲を見回す。


「……討伐証明部位、どうしよう……」


 オークとの討伐証明部位は右耳で、銀貨三枚。

 だが女冒険者の前にあるのは、頭部を破壊されたオークの死体。

 とてもではないが右耳を探せるとは思えないし、探したいとも思わなかった。

 数秒、周囲の様子を窺うように視線を巡らせ、本当に自分を助けてくれた相手がいないと悟ると、小さく溜息を吐いてから頭部をなくしたオークの死体の方へと向かって歩み寄る。


「右耳は無理でも、魔石と素材とかなら大丈夫よね。……出来れば他のモンスターが姿を現す前に剥ぎ取りを終えたいんだけど……あー、もう。何で誰か連れてこなかったかな」


 自分の無謀な行動を反省しつつ、オークの剥ぎ取りへと取り掛かる。

 ……勿論、他のモンスターが姿を現したらすぐにでも逃げる準備をしながら。

 この女冒険者は無事にオークの素材を剥ぎ取り、肉の類も持てる限り手にしてグラシアールへと戻ることに成功し、後日オーク殺しの女と呼ばれることになる。






「さて、今日も移動するか」

「グルルルルルゥッ!」


 レイの声にセトが同意するように鳴く。

 グラシアールを発ってから数日。そろそろギルムにも近くなってきたこの日、いつものようにレイはセトの背に乗って移動を始める。

 だが、その日の移動はそれ程長く続くことはなかった。

 何故なら、出発してから一時間も経たないうちに地上で盗賊と戦っている人影を見つけた為だ。

 それだけであれば、レイもそこまで驚かなかっただろう。

 ……ただ、その女が踊り子や娼婦が着ているような薄衣で出来た服を身に纏い、手足にはそれぞれ手甲や足甲を身につけているとなれば話は別だった。

 そして、その女の側には小柄な少女の姿が一人。

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