第955話

「では、レイ殿が無事士官学校での依頼を果たしたことを記念し、同時にレイ殿との再会を祈って……乾杯!」

『乾杯!』


 エリンデの言葉に、送別会に参加した者達が大きくコップを掲げて乾杯の言葉を漏らす。

 勿論この送別会の主役のレイも、コップを大きく持ち上げて声を揃えていた。

 ……アルコールに弱いレイなので、コップの中身はワインやエールといったものではなくお茶だったのだが。

 そのお茶を口へと運んで周囲を見回したレイは、予想外に多くの者が送別会という名の宴会に参加しているのを見てとる。

 宴会が行われているのは、職員寮のすぐ裏手にある広場。……そう、毎朝のようにレイが訓練をしていた場所だった。

 元々多目的広場のような扱いをされている場所だったらしく、送別会をやるということになった時、特に異論もなくこの場所に決まったのだ。

 今日も士官学校で授業があった為、既に時間は夕方を過ぎている。

 既に春になってはいても、当然日が沈むのはまだ早い。

 送別会の会場には明かりのマジックアイテムが多く用意されており、また春になっても夜はまだ寒い。

 その為、幾つもの篝火が明かりと兼用されて存在しており、どこか幻想的な雰囲気をもたらしているようにレイの目には見えていた。


「グルゥ?」


 そんなレイの隣で、どうしたの? と首を傾げて視線を向けるのは、早速地面に置かれた皿の上の料理へとクチバシを突っ込んでいたセトだった。

 この地で暮らし始めてから約二ヶ月。セトの存在もそれなりに周知され、自分達から妙な手を出さなければ決して危険な存在ではないとそれなりに知られてきた為か、セトの姿がレイの側にあっても騒ぎになることはない。

 それでもやはりセトが怖いと言う者もいるが、レイの側で大人しく料理を食べているセトを見てしまえば取りあえず暴れ出すことはないだろうと判断する。


「いや、何でもない。こうして大勢が俺とお前の為に集まってくれたのが嬉しいだけだ。……まぁ、正確には送別会という理由で宴会をやりたかったってのが大きいんだろうけど」


 それでもこの宴会を開くための費用……料理やアルコールといったものの料金は、送別会の参加者達が出してくれたものだ。

 レイがやったのは、せめてこれだけでもと篝火に使う薪を提供したくらいだった。

 ミスティリングの中には薪の類も当然大量に入っているので、特に何か苦労をしたという訳ではなかったのだが。

 ただ、それはそれで助かったというのが参加者達の正直な思いだろう。

 春になっても、朝や夜はまだまだ寒い。

 薪は幾らあっても困らないのだから。


「レイさん。本当にギルムに戻ってしまうんですか? 出来ればもう少し魔法の研究をしましょうよ」


 送別会が始まってからまだそれ程時間が経っている訳ではないのだが、サマルーンが酔いで頬を赤くしながらレイへとそう告げてくる。

 レイ程ではないにしろ、サマルーンもアルコールにはあまり強くないのだろう。


「そう言ってもな。元々俺がここにいるのは春になるまでって約束だったし。国王派の件も大分片付いたらしいしな」


 そもそも、レイがここで士官学校の教官をやるようになった理由でもある、国王派の綱紀粛正。

 それは、この二ヶ月程の間にかなり進行していた。

 それで処罰を受けたのは見過ごせないような真似をしていた者達だけであり、多くの者達が大なり小なり罪を犯してはいるが見逃されている状況だ。

 だが、今まで好き勝手に振る舞ってきた者達が軒並み処分されたのをその目で見ている以上、これからも同じような行為を繰り返すのは自殺行為に他ならないと考え、大人しくなるのは確実だろう。


(もっとも、貴族の中には馬鹿が多い。……貴い一族と書いて貴族と読む筈なんだけどな。多分、大人しくしているのは一時的なもので、時間が経てばまた騒ぐ奴が出てくると思うけど)


 サマルーンの相手をしつつ、皿の上に乗っている串焼きへと手を伸ばしながらレイは考える。

 国王派はミレアーナ王国の中でも最も人数が多く、最大勢力なのは間違いない。

 だが逆に考えれば、有象無象が集まっている集団でもあり、その手綱を完全に握るのはまず不可能だということでもある。


「レイ、お前本当に帰っちまうのかよ。このままお前と一緒に士官学校で教官をやるのも面白いと思ってたのによ」


 次にレイへと声を掛けてきたのは、食堂でよく一緒になる男の教官だった。

 食事をしている時に話す機会が多く、自分のことを外見で判断するような真似をしない辺り、レイは好感を持っている。


「サマルーンにも言ったけど、俺の本拠地はあくまでもギルムだ。ここにはあくまでも仕事で来ただけだからな」

「えー……セトも帰るんでしょ? それはちょっと残念よね」

「うんうん」


 女の教官二人が、セトへとサンドイッチを食べさせながら残念そうな表情を浮かべて言葉を交わす。

 それを見ながら、レイは何故かセトを可愛がるのは女が多いという感想を抱いていた。

 某灼熱の風のリーダーや元遊撃隊の誰かさんといった具合に。


「そうなるな。ただ、どうしてもセトに会いたかったら、手段が一つあるぞ」


 レイの口からその言葉が漏れた瞬間、話していた二人だけではなく、周囲にいた他の数人もレイの方へと意識を向ける。

 だが、レイの口から出たのは無情なまでの一言。


「この士官学校を辞めて、ギルムに来ればいい」

『……』


 あまりの一言に、期待していた者達は沈黙する。

 レイの言葉に期待していた者達は、士官学校の教官を辞めるにしてもここで冒険者を続けるといった言葉を望んでいたのだろう。

 だが、レイの口から出たのは完全にそんな予想とは違うものだった。


「グルルルゥ?」


 そんな周囲の様子が気になったのか、セトがシチューの入った皿から顔を上げて周囲へと視線を向ける。


「悪いな、俺はギルムから本拠地を移すつもりはないんだ。……少なくても今は」


 最後に一言添えたのは、やはり聖光教の問題があるからだろう。

 どのような手段を使ったのかは分からなかったが、現在ミレアーナ王国には聖光教の根が張り巡らされようとしている。

 それがギルムへと届き、どうしようもなくなった時……そうなって、初めてレイは本拠地をギルムから他の場所に移すかどうか検討をするつもりだった。

 勿論聖光教の手がギルムに伸びてきた瞬間に本拠地を移すような真似は考えていないが。

 可能であれば、聖光教に対して反撃をするという可能性も存在している。


「そう、残念ね」

「ええ。出来ればもう少しセトと遊びたかったのに……」


 レイの言葉に沈黙していた教官達も、それ以上は突っ込んでこない。

 確かにセトは可愛らしく、出来れば時々でいいので一緒に遊びたいと思うが、それでも引っ越してまで……とは思わなかった。

 その辺は元遊撃隊の某女冒険者とは違うのだろう。

 セト愛好家としてギルムでも有名なその人物であれば、引っ越し程度なら寧ろ喜んでついてくる……いや、来たのだから。国すらも越えて。


(ま、誰もが同じ行動を起こせる筈がない、か)


 ひとまずセトについては納得して貰ったとして、再びレイは料理へと舌鼓を打つ。

 この送別会で出されている料理は、職員寮の食堂で出ている料理とは違う。

 材料からしてロナルドが用意してくれたものなのだから。

 春になったとはいっても、まだ食材が大量にある訳でもない。

 それでもこれだけの食材を集められるのは、クエント公爵家の力があってこそのものだろう。


「この串焼き美味いな!?」

「こっちのパンも……何だろ。普通のパンなんだけど、妙に美味い」

「あ、パンってんなら、あっちに木の実を練り込んだパンがあったぞ。焼きたてで幾らでも食べられそうなくらいに美味かった」

「本当か!? 木の実入りのパンってのはそんなに珍しくないけど」

「材料が違うし、料理している人の腕も違うからな。早く取ってこないとなくなるぜ?」

「くそっ、負けて堪るか!」


 普段は教官として生徒達に教える立場に立っている者達が、今は思い切りはしゃいでいた。

 パーティだからというのもあるだろうが、やはりレイが明日には去ってしまうのが寂しいのだろう。


「はい、レイ。これも食べてみて。私達が作ったんだけど」

「ま、作ったって言ってもサンドイッチだけどね」

「ちょっと、そのサンドイッチも作らないで、切るしかやってない人が何を言ってるのよ」

「はぁ? 冗談は止めてよね。サンドイッチは切り方一つで味や口当たり、食感なんかが全然違ってくるのよ? 寧ろ、材料を挟むだけしかやってないあんたの方が楽してるんだからね」


 女の教官達や職員達にとって、セトも可愛いがレイもまたそういう意味では別格と言ってもよかった。

 暑苦しい程に筋肉がついている訳ではなく、寧ろ外見は華奢と表現するのが相応しい。その上、顔は女顔と表現してもいいような顔立ちとなれば、寮にいる女性陣からの人気が高くなるのは当然だろう。

 ……その人気は男というよりも年下の弟に対するものといった方が正確だが。

 そんな状況ではあっても、当然自分が想いを寄せている相手がいれば、男の方としては面白くない訳で……


「ふんっ、ちょっとくらい有名で、強いからってよ」


 レイに群がり、まるで餌付けでもしているかのように食べ物を与えている女性達を見ていた男の一人が、面白くなさそうに鼻を鳴らして並々とエールが注がれたコップへと口を付ける。


「異名持ちで高ランク冒険者。しかも強さも本物となれば、モテるのは当然だろ。そんなに不機嫌になるなよ。女にモテるって言っても、あれはどちらかと言えばペットとか愛玩動物とか、そんな感覚だぞ? 相手を男として見ている訳じゃないんだから、気にするなよ」

「分かってるんだよ、そんなことは。それでも面白くないんだからしょうがねえだろ? ったく、大体あの若さでランクB冒険者とか、どんなだよ。最初はグリフォンの力のおかげかと思ったけど……」


 そこで言葉を止める。

 レイが模擬戦をやっている様子を一度覗いたことがあった為だ。

 そこで行われていた戦いは、とてもではないが男にどうこう出来るものではなかった。


「失礼する!」


 不意にパーティ会場にそんな声が響く。

 何が起きた? とパーティに参加していた者達が声の聞こえてきた方へ視線を向けると、そこには士官学校の制服を着た生徒の姿があった。

 その人物は自分に対する強い自信を持っている男。一目見ただけで、貴族の出身だというのは殆どの教官が理解出来た。

 また、士官学校の中でも非常に有名な人物だっただけに、直接その男を知っている者も多い。


「インスラ?」


 誰が呟いた声なのかは分からなかったが、それでもしっかりとその声は周囲に響く。

 インスラ。四年Sクラスの生徒であり、実力も高いが自負心も非常に高い、教官としては扱いにくい生徒だった。

 ……そう。だった、なのだ。

 過去形で語られるのは、やはりこの二ヶ月でインスラの性格が大きく変わった為だろう。

 四年Sクラスという、この士官学校の中で最精鋭と言ってもいいクラスに所属し、成績もトップクラス。

 それ故に伸びていた鼻は、レイによってあっさりと叩き折られた。

 それだけで性格が完全に変わる訳ではないが、それでも以前に比べると傲慢さはなりを潜めている。


「どうしましたか? 見ての通り、今はレイさんの送別会を開いているので、出来れば用件は明日にして貰えると助かるのですが」


 インスラの近くにいたグリンクが、そう声を掛ける。


「教官……実はレイに用があったので来たのですが」


 グリンクに対しては教官と呼び、レイはそのまま呼び捨てにするのはいつものことなので、グリンクはそれを気にせずに言葉を続ける。


「レイさんならあそこにいますが……何の用です? 見ての通り、今はレイさんの送別会をしています。急な用件でなければ、送別会が終わった後か、明日レイさんがグラシアールを発つ前にでも……」


 視線の先で自分を見て不思議そうな顔をしているレイを見つけると、インスラはそのままグリンクをその場に残して真っ直ぐにレイへと向かって進んでいく。

 周囲にいるパーティの参加者達がざわめく中で、インスラはレイの目の前に立つ。

 緊張している様子のインスラを見た何人かの教官が、もし何かあったらすぐに行動に移れるように体勢を整える。

 二ヶ月前までのインスラの言動を考えると、もしかしたらレイに対して妙な真似をするのではないか。そんな懸念を抱いてしまうのは仕方がなかった。

 最近でこそ以前のように人を見下すような態度はしなくなったのだが、それでもそんなにすぐ性格が変わるとは思えない者も多いのは当然だろう。

 そんな周囲の雰囲気を感じ取ったのだろう。レイの側で蒸したオーク肉を味わっていたセトもインスラの方へと視線を向ける。


「どうしたんだ?」


 周囲が静まり返った中、レイがインスラへと尋ねると……次の瞬間、インスラは懐へと手を伸ばし、何かを取り出すと素早くレイへと突き出すのだった。

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