三年目の春

第957話

 ビューネ・フラウト。迷宮都市エグジルの中でも名家とされたフラウト家の血を継ぐ十歳前後の少女だが、フラウト家自体は三百年程前に既に没落しており、エグジルの中で持つ影響力の類は小さい。

 それでも去年レイとエレーナがエグジルへと行った時の騒動には色々と関わり、最終的にはフラウト家と同じくエグジルの中でも名家として有名なシルワ家の当主でもあるボスク・シルワの庇護を得るという形に落ち着いたのだが……

 何故か今、そのビューネはヴィヘラと共に盗賊に襲われていた。


「ビューネ、あまり無理をしないようにね」


 その言葉と共に振るわれた拳は、手甲に包まれているということもあって容易に盗賊の顎を砕く。

 この先暫くの間は流動食の類しか食べられなくなったのは間違いない。……もっとも、ヴィヘラにはそれすら許すつもりはなかったが。

 地面へと倒れ込む直前に追撃として放たれた一撃は容易く盗賊の首の骨を叩き折った。


「ん」


 ビューネは短剣で盗賊の男が放つ長剣の攻撃を捌きながらヴィヘラへと短く答える。


「余裕を見せてるんじゃねえぞ、このクソガキがぁっ!」


 そんなビューネの態度が気にくわなかったのだろう。あるいはヴィヘラの手によって何人もの仲間の命が奪われているというのも影響しているのかもしれない。

 盗賊の男は怒声を上げながら大きく長剣を振り上げ……


「ん」


 その短い一言と共に、ビューネは背後へと跳び退りながら素早く手を振る。


「ぎゃっ!」


 瞬間、鋭い激痛が身体を走った盗賊の悲鳴が周囲に響く。

 ヴィヘラを囲んでいた盗賊の何人かが悲鳴を上げた盗賊の方へと視線を向けると、そこにあったのは長剣を握っている掌を貫通している細長い針。


「は……針!?」


 予想外の光景に盗賊の男が思わずといった様子で口に出すが、それが致命的な隙となり、気が付けばいつの間にか囲んでいた筈の女の姿が自分の前にあった。

 そして感じる衝撃。

 最後に男が見たのは、肉感的な太股だった。

 それを見て、自分が蹴られて首の骨を折ったというのにも気が付かないまま、男の命はあっさりと消え去る。


「あら、この程度の強さで私をどうにかしようとしてたの? サブルスタとかいう街の近くには盗賊が多いという話を聞いていたから、少し戦うのを楽しみにしてたのに……これなら、まだ聖光教の方が歯応えがあったわね」

「ん!」


 ヴィヘラの言葉に、ビューネが抗議するように短く叫ぶ。

 戦いを楽しむ性癖を持っているヴィヘラとは違い、ビューネは戦いにそこまでの価値を見出してはいない。

 以前と違って必死に金を稼ぐ必要もなくなったので、自分の前に立ち塞がる敵を排除出来ればそれでいいという考えの方が強かった。

 元々ビューネは盗賊で、戦闘を得意としていないというのも関係しているのだろうが。

 そんなビューネにとって、幾ら親しく、世話になっている相手であっても、ヴィヘラの戦闘に対する拘りは少し理解しにくいものがあった。

 純粋に金を目当てにダンジョンへ潜っていたビューネにとって、敵というのは楽に倒すことが出来ればそれに越したことはないのだから。


「くそがぁっ! こいつら、何だってこんなに強えんだ! 誰だよこいつらを襲おうなんて言った奴は!」

「うるせぇっ! 今は責任を押しつけてる場合じゃねえだろ! とにかくこいつらを何とかするのが先決だ!」


 盗賊の一人が苛立たしげに叫び、それにヴィヘラを囲んでいる盗賊が言い返す。

 春になって商人や旅人といった者達で街道の行き来も活発になってきており、そうなれば当然盗賊団としても稼ぎ時となる。

 特に盗賊団は冬の間獲物がいないということで、大人しくアジトに引き籠もっている生活を続けている者達が多い。

 冒険者の場合は冬越えの金がなくても最悪ギルドで依頼を受けるということも出来、金を稼ぐ手段がある。

 だが、盗賊団は少数の例外を除いて街で金を稼ぐという真似は出来ない。

 その辺を考えると、冒険者よりも余程厳しい冬越えをすることになる。

 そうして厳しい冬を越え、ようやく春になり獲物を襲おうとしたこの盗賊団が真っ先に狙ったのが商人の馬車だった。

 馬車の護衛をしていた女がこれまで見た事もないような美人だったということもあり、意気揚々と馬車へと襲撃を仕掛けたのだが……その結果が今盗賊達の前に広がっている、とても信じられない、信じたくない光景だった。

 この馬車を襲撃した盗賊の人数は二十人程。

 だが、現在立っているのは既に十人を切っており、立っている中でも無傷の者は殆どいない。

 完全に盗賊達は崩壊しつつある。

 襲撃した最初の数分で薄衣を身に纏い、男を誘っているようにしか見えない女……ヴィヘラがただ者ではないというのは理解出来ていた。

 それでも所詮は女であり、大勢で纏まって攻撃を仕掛ければどうとでもなると、ヴィヘラの美貌に目が眩んで判断を誤ってしまったのが致命的だった。

 その後、ほんの僅かな時間で地面に倒れる盗賊の数は増えていき、今の状況となっている。


「もう少し頑張りなさいな。そうすれば、私を手に入れることが出来るかもしれないわよ?」


 時々ヴィヘラの口から出る挑発の言葉。

 盗賊達が逃げようとすると繰り出され、男達の劣情を誘うように身をくねらせる。

 それこそ服装と同様踊り子の如く。

 もう少し……もう少しだけ頑張ればあの女を自分達の物に出来るかもしれない。

 盗賊達はそう思い込んでしまい、結果的にここまで数が減ることになってしまっていた。


「ん!」


 しかも護衛にはヴィヘラだけではなく、ビューネの姿もある。

 一撃で死ぬようなことはなかったが、その代わりに長い針が飛んできたり、手足を短剣で刺され、斬られてしまう。

 今もまたビューネの放った針は男達の手に突き刺さり、痛みの悲鳴が上がる。

 そして何より……


「くそっ、こうなったらもう逃げぐべっ!」


 いよいよ逃げ出すという決断を口にしようとした盗賊は、不意に飛んできた槍により胴体を貫通され、地面へと縫い付けられた。

 安物ではあってもレザーアーマーを身につけていた盗賊だったが、飛んできた槍はそんなのは関係ないと言わんばかりに盗賊の身体をレザーアーマー諸共に貫いたのだ。


『なっ!』


 生き残りの盗賊達が、いきなり目の前で串刺しにされた仲間の姿に驚愕の声を上げる。

 だが、驚愕の声を上げたのは盗賊達や商人の馬車にいた者達だけ。

 ビューネは元々口数が多い方ではなく、この程度で感情を露わにするようなことはなかったし、ヴィヘラにいたっては上空からの槍の投擲という攻撃で誰が来たのかをすぐに理解していた。


「レイ!」


 満面の笑みを浮かべてヴィヘラが叫ぶ。

 その顔は先程まで盗賊達を挑発していた時のような妖艶さではなく、純粋に嬉しいという感情を露わにしていた。

 無邪気とすら表現してもいいような、そんな笑み。

 今のヴィヘラの笑顔を見て、先程まで浮かべていた妖艶な姿を思い浮かべるのは難しいだろう。

 もっともそれはあくまでも表情だけであり、身体は踊り子や娼婦といった職業を連想させる挑発的なものであるのは変わらないのだが。

 そして、ヴィヘラの様子に……正確にはヴィヘラの口から出た名前に過敏なまでに反応したのは盗賊達。


「レイ! 盗賊喰いのレイか!?」


 生き残っていた盗賊の一人が叫ぶと、他の盗賊達もレイというのがどのような人物か理解したのだろう。 

 つい先程まで何とかヴィヘラを捕らえようとしていたとは思えない速度で一目散にヴィヘラへと背中を向け、その場を逃げ出す。

 ここはギルムから程近いサブルスタの近く。

 当然ギルムにいるレイという人物の話はこれ以上ない程に知っていた。

 特に盗賊の一人が口にした『盗賊喰い』という言葉は、盗賊達にとっては不幸な結末しか予想させない。

 盗賊達にとって不幸なのは、レイに見つかってしまったというのもあるが、何より馬がなかったことだろう。

 襲撃して来た当初は馬もいたのだが、その馬に乗っていた盗賊はヴィヘラとビューネの活躍により真っ先に命を絶たれている。

 その時に馬もこの場を逃げ出しており、盗賊達が逃げる方法は自分の足で走るしかない。

 武器を持っていても走る邪魔になるので、手にした武器を放り投げて一気にこの場から逃げ出そうとした、その瞬間……

 斬っ!

 そんな音を立てながら、盗賊達が逃げ出そうとした先の地面に深い切れ目が入る。

 暴れていたのは街道から多少離れた位置だったので、街道そのものに被害がなかったのは運が良かったのだろう。……盗賊達にとってはとてもではないが運が良いとは言えないが。

 逃走先の地面が数mにも渡って斬り裂かれたのを見て、盗賊達は反射的に足を止める。

 盗賊として過ごしてきた経験や危険を潜り抜けてきた直感により、この警告を無視して逃げ出せば自分の命が確実になくなると理解してしまった為だ。

 そうして足を止め、一時の命を何とか確保した盗賊達だったが……次の瞬間、自分達の目の前にはその死を感じさせる一撃を放った本人が姿を現す。


「グルルルルゥッ!」


 その人物が乗っているのは、グリフォンのセト。

 ランクAモンスターであり、ただの盗賊にどうにか出来るような相手ではない。 

 そのセトが、盗賊達の逃げ場所を遮るようにして天から降ってきたのだ。


「どこに行こうというんだ? 俺から逃げられるとは……思ってないだろ?」


 セトの背に乗り、身の丈を超える程の巨大な鎌を手に告げるレイは、盗賊達にとって死の象徴と呼ぶに相応しい姿をしている。

 盗賊喰い……盗賊の中の一人が、ふと先程仲間が叫んだ言葉を思い出す。

 普通、盗賊というのは商人や旅人、時には冒険者や傭兵といった者達までを襲って日々の糧を手に入れている者達だ。

 だが、その盗賊を逆に襲うという者がいる。

 盗賊を襲い、盗賊が貯め込んだお宝を自分の物にし、盗賊そのものも生きていれば奴隷として売り渡す。

 それでいながら、対象が盗賊である為に付近の街や村の住民からは感謝されるという、自分達にとっては悪夢のような相手。

 勿論多少腕が立つからといって、誰でもそんな真似が出来る筈がない。

 個人として非常に高い戦闘力を持っているからこそ可能な出来事。

 そんなことを出来る相手が現在自分達の前に存在しているというのは、どこか現実感が湧かない。

 いや、自分の本能が目の前の相手に対する恐怖を和らげる為にそうしているのだろうというのは、何となく理解出来た。

 戦えば負ける。それは確実で、逃げるにしても相手がグリフォンに乗っている以上逃げ切ることはまず不可能。


「そうね。さっきまではあんなに必死に私を求めてたのに、少しつれないんじゃないかしら?」


 盗賊達の後ろから聞こえてきたのは、ヴィヘラの声。

 どちらと戦っても絶対に勝てない相手に前後を挟まれてしまっている以上、盗賊達に出来るのは大人しく武器を捨てて降伏という選択肢か……


「うっ、うおおおおおおおおっ!」


 奇跡的な可能性を信じ、空を飛ぶ手段を持っているレイを何とかして戦闘不能にするという選択肢しか残っていなかった。

 そして、最初にレイへと向かって突っ込んで行った盗賊に続き、他の盗賊もこのままでは自分達は死ぬか、良くて奴隷として売り飛ばされることになると判断してレイへと襲い掛かる。


「馬鹿が」


 呟いたレイは、セトの背から降りると地面に立って盗賊達を迎え撃つ。


(殺すよりは生かした方がいいな)


 そう考えるレイだったが、別にそれは命が尊いもので、出来るだけ相手を殺したくない……などという殊勝な気持ちから出て来た思いではない。

 死んでしまえばアジトの場所を聞き出す人員が少なくなるというのもあるし、警備隊に引き渡して奴隷として売るにも人数が多い方がいいという理由からだ。

 真っ先に自分を狙って襲い掛かって来た長剣の男の一撃は身体を少しだけ動かして回避し、デスサイズの石突きで鳩尾を突く。

 レザーアーマーを装備していた盗賊の男だったが、高ランクモンスターの革を使ったレザーアーマーならともかく、盗賊が使えるようなレザーアーマーでは石突きの一撃をどうにかすることは出来ない。


「ぐぼぉっ!」


 それでもレイが放った一撃は十分に手加減されており、血反吐ではなく胃液を吐きながらその場に崩れ落ちる盗賊の男。

 その後も続けて何人かの盗賊が襲い掛かってくるが、その全てがレイの一撃により戦闘不能に追い込まれる。

 最後に残ったのは、曲刀を手にした盗賊。

 自分の仲間が見る間もなくやられたのを見て、驚愕や恐怖によりその動きを止める。


(珍しいな)


 長剣や槍といった武器はよく見るが、曲刀というのはレイもこの世界に来てから殆ど見たことがない。

 自分で使える訳でもないが、壊すよりは入手した方がいいだろうと判断し、デスサイズを横薙ぎに振るって、柄を胴体へと叩き込む。

 そうして吹き飛んだ盗賊は、あっさりと意識を失う。


「これで全部だな」


 周囲を見回すと、既に立っている盗賊の姿はない。

 それを確認したレイは、自分の方へと向かって近づいてくるヴィヘラに手を向けて口を開く。


「久しぶりだな」

「ええ、そうね。元気そうで何よりだわ。……会いたかった……」


 ヴィヘラは笑みを浮かべて呟き、レイの唇を自分の唇で塞ぐのだった。

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