第946話

 レイを助ける為に振るわれた、透明になったままのセトの前足はビセンテへと襲い掛かる。

 その一撃を本能的に察知したのか、ビセンテは咄嗟に地面を蹴り……次の瞬間には激しい金属音を響かせながら空中に吹き飛ばされる。

 聖域の効果により力が半減していても、セトの振るう前足の一撃は容易に人を吹き飛ばすだけの威力を持っていた。


「ぐぶっ!」


 痛みに呻きながらも、ビセンテは何とか空中で体勢を整え、地面へと着地する。


 スティグマ専用の装備として与えられている金属鎧……魔法金属でもある光鉱石を大量に使って作られたその鎧は、金属の鎧であるにも関わらずレザーアーマーと同程度の重さであり、それでいながら強い魔法防御と物理防御力を持っている。……そんな光の鎧、聖域の効果、そして何よりビセンテ自身の実力もあって、今の一撃が致命傷とならずに済んだ。

 だが、セトの攻撃はその一撃では終わらない。


「グルルルルルルルゥッ!」


 再びの雄叫びが周囲へと響き渡り、同時に透明のままのセトは地面を蹴ってビセンテへと追撃を仕掛ける。

 セトとビセンテの戦いにおける相性は、セトにとっては最善であり、ビセンテにとっては最悪でもあった。

 もしビセンテが何らかの武器を持っていれば、まだ何とかなっただろう。 

 だがビセンテの武器は拳であり、武器といえるのは光鉱石を使って作られた手甲や足甲といったものだ。

 同じ魔法金属で出来ている鎧が容易に破壊されるのだから、手甲や足甲による格闘攻撃をセトに仕掛けても自分の被害の方が大きいのは確実。

 もしこれが普通の武器であれば、壊されてもその武器だけが破壊されるだけで済む。

 だが手甲や足甲というのは、文字通り手や足に身につけている代物だ。

 それを破壊されてしまえば、当然手足へとダメージが残る。

 いや、相手が大敵であるレイであれば、自分が多少の怪我をしても構わない。

 だが、今はそのレイとの戦闘が行われている真っ最中。

 この時点で戦闘に支障が出る程の怪我をしてしまえば、それはこの後で神罰を執行するのが難しくなってしまうのは確実だった。

 つまり今のビセンテが出来るのは、何とか被害を少ないままにセトをやり過ごし、老人と共に現状を打破するということ。

 セトが迫ってくる気配を感じながら、振るわれるだろう一撃がどの程度の威力なのかを予想しつつ、再び後退し……不意に、その時視線を向けた先にいるレイが大鎌を手に意識を集中させていることに気が付く。

 それが何の前準備であるのか……更にはレイがこの聖域の中でも普通に強大な攻撃を行えるということを理解しているビセンテは、レイが行おうとしていることをすぐに理解する。

 レイが最も得意としているのが何かというのは、前もって情報を入手してある。

 それと今の状況……聖域によりレイの身体能力は大きく減っているが、それでいながら何故か魔力だけは今でも普通に運用出来るという奇妙な状況。

 それらを合わせれば、今レイが行おうとしているのが誰を狙った何なのかを理解するのは難しい話ではない。


『炎よ、紅き炎を示しつつ燃え広がれ。我が意志の赴くままに焔の絨毯と化せ』


 その言葉と共にデスサイズの石突きへと炎の塊が作り出され……次の瞬間、呪文の完成と共に石突きに生み出された炎が地面へと突き刺される。


『薄き焔!』


 魔法の発動と共に、レイを中心として炎が円状に広がっていく。

 不思議なのは、その炎が全く熱を感じさせないことだろう。

 少なくても、レイが身に纏っている炎帝の紅鎧から発せられる熱と比べれば熱さというのは全く感じられない。

 何故ならその炎は攻撃の為の炎ではなく、探索のための炎。

 レイを中心に生み出された炎は、すぐに周辺一帯へと広がり……やがてレイからそう離れていない場所、それもレイの後ろに何者かの存在を感知する。

 勿論炎はその存在を探知しただけでは終わらず、更に広がって炎の面積を広げていく。

 その炎の存在に驚くビセンテ。

 炎が探索を目的としたものであり、触れても火傷を負うようなことがない炎であるというのを知らないのだから、炎が自分の方へと向かってくるのを見て驚くのは当然だった。

 なまじレイの炎帝の紅鎧を間近で見たからこそ、その警戒心は非常に高い。

 一瞬自分を襲撃しているだろうセトにも攻撃の被害が出るのではないかとも思ったのだが、レイの従魔である以上は炎に対する耐性を与えるマジックアイテムの類を持っていてもおかしくないと考え、このまま透明のセトと炎、両方の攻撃をくらうのは不味いと判断して何とかその場から逃れるべく、再び後方へと跳躍する。


「くっ!」


 ビセンテが後方へと跳躍したのと燃え広がる炎が近づいてきたのは殆ど同じタイミングであり、セトが使用していた光学迷彩の効果である二十秒が過ぎ、グリフォンの姿がビセンテの目に入ってきたのは殆ど同時だった。

 そのセトが炎へと触れても全く痛みを覚えていない姿に、やはり炎の耐性を上げる為の装備が……と考え、だが次の瞬間には燃え広がる炎がビセンテの下へも達する。

 本来であれば鎧の魔法防御力に期待出来たかもしれないのだが、セトの一撃で鎧はひしゃげ、破壊されている場所も多い。

 だが、大敵であるレイの放った炎に痛みの声など上げてたまるかと痛みを我慢する用意をして、少しでも被害を小さくしようとするも、いつまで経っても思ったような火傷の痛みが来ない。

 慌てて周囲を見回すと既に周囲には炎が広まっており、自分もその炎の中に存在していた。

 それにも関わらず、炎に触れても全く熱を感じない。

 意表を突かれた、ほんの一瞬の隙。

 一秒にも満たない隙ではあるが、炎に耐える為の防御態勢を取っていたこともあってセトにとっては十分過ぎる隙だった。


「グルルルルルルゥッ!」


 雄叫びを上げながら振るわれる前足の一撃。

 その一撃は、聖域の効果によって本来の一撃よりも大分威力が落ちている。

 だが、セトもこの聖域という奇妙な空間の中では、自分の攻撃の威力がことごとく落ちているというのは理解していた。

 それを理解しているからこそ、セトが今の攻撃の際に選んだスキルは直接的な攻撃の威力を持つものではない。


「うおおおおおおぉ!」


 顔面へと振るわれたセトの前足の一撃を、隙を突かれた状態ではあっても間一髪回避に成功したのは、ランクA冒険者相当の力があると言われているスティグマに名を連ねている者だからこそだろう。

また、スティグマが存在する右頬ではなく左頬を攻撃されたというのも、ビセンテにとっては死に物狂いで攻撃を回避する羽目になった理由である。

 それでも完全に回避することは出来ず、左頬にセトの前足から伸びた鋭い爪の一撃により出来た数本の傷が存在していた。

 ……そう、爪の一撃の傷が存在していたのだ。


「モンスター風情が、この私……に……?」


 最後まで言葉を発することはせず、自分の身体の調子がおかしいことに気が付く。

 本来であれば聖域の中で自分の身体能力は上昇している筈。

 それなのに、何故か今はこうして立っているのすら辛くなっている。

 普通であれば絶対に考えられないことではあったが、先程の一撃が原因だというのは容易に想像出来た。


「貴様、私に、何を……」

「グルルルゥ!」


 自分を睨んでくるビセンテへと向かい、セトは威嚇の声を発する。

 そんな声を発されながら、ビセンテは手で頬から流れてくる血を拭い、目の前へと持ってくる。

 そこにあったのは本来の血の色ではない。どす黒いとすら表現したくなるような、そんな血の色。

 それを見て、ようやくビセンテは理解する。先程の一撃により身体の中に毒を入れられたのだと。


(小癪な真似を。……いや、このグリフォンが希少種だという話は情報として知っていた。それを忘れていた私の自業自得か。幸いここは聖域の中。幾ら毒を食らっても、そう簡単に死にはしない)


 身体を襲う悪寒と怠さ。まるで病気になったかのような症状を感じつつも、ビセンテはその場に立つ。

 目の前にいるのがグリフォンで、ランクAモンスター……いや、希少種ということもあってランクS相当のモンスターだというのは知っている。

 だがそれでも、ここは聖域の中であり、自分は聖なる光の女神の力を得ているのだ。

 そうである以上どのようなモンスターが相手であってもそう簡単に負ける訳にはいかない。

 それに相手がランクSモンスターであっても、この聖域の中でなら自分にも勝ち目があるというのは理解していた。


「グルルルルゥ?」


 そんなビセンテに不審な視線を向けて喉を鳴らすセト。

 先程使用した毒の爪は、数多くのスキルを持つセトの中でもレベル四と、もっとも高レベルのスキルだ。

 それだけに自信がなかったと言えば嘘になる。

 だというのに、今目の前にいる男が多少調子が悪そうではあるが、結局はその程度でしかない。


「グルルゥ……」


 仕方がないと、セトは目の前の男から距離を取るべく地面を蹴る。

 そんなセトの様子にビセンテは一瞬驚いたものの、すぐセトに距離を取られては不味いと判断して後ろへと下がったセトを追撃する。

 本来であれば一瞬の迷いがあってはセトの身体能力には敵わずに距離を取られていただろう。

 しかし、ここは聖域の中。

 スティグマの持ち主以外にとっては圧倒的に不利になる場所だった。そして聖域を発動したビセンテはその恩恵を受けることが出来る、自分に圧倒的有利な戦場。


「グルルルルルゥッ!」


 セトが大きく鳴きながらクチバシを開き、そこからファイアブレスを吐こうとした、その瞬間。ビセンテの姿は既にセトの懐の内側へと潜り込んでいた。


「モンスター如きが、私の邪魔をするな!」


 振るわれる拳と、間近から放たれるファイアブレス。

 その両者が同時に相手へと放たれ……


「グルルルルルゥッ!」


 吹き飛ばされたのは、セトの方だった。

 左肩を殴られて吹き飛ばされたセトは、痛みに鳴き声を上げながらも四肢を踏ん張って地面に着地する。

 その行動だけでも殴られた左肩に鈍痛が走るが、幸いグリフォンであるセトの身体能力はビセンテの拳に殴られても骨折まではいかずに済んだ。

 また、押し負けたのはセトだったが、ビセンテも無傷という訳ではない。

 非常に端整な顔立ちで、右頬にスティグマが存在しているのも神秘的な魅力となっていたビセンテだったが、今は左頬にセトの爪の痕が色濃く残っている。

 その傷痕はセトの毒の爪により斬り裂かれた場所が青黒く変色しており、その上でつい先程セトの放ったファイアブレスにより顔には大小様々な火傷の跡が存在している。

 ……それでいながら、右頬のスティグマには一切影響を受けていない辺り、レイが一連のやり取りを見ていれば宗教の力というものを見直していたかもしれない。

 ともあれ、現在の状況は聖域という領域の影響もあってビセンテの方が有利なものになっていた。


「グルルルルゥ」

「ふんっ、幾らランクSモンスターだとしても、所詮モンスターでしかない。聖なる女神の加護を得ている私に勝てるものか!」


 セトが唸り、ビセンテが自らの信仰を改めて口にしながら、同時に地面を蹴る。

 どちらも満身創痍……とまではいかないが、それでもお互い多少なりとも怪我をしているのは事実。

 だが、セトは高ランクモンスターとしてその程度の痛みは無視出来たし、ビセンテの方も信仰の力で多少の痛みは無視出来た。

 そんな一人と一匹が真っ直ぐに近づいて行き、その距離が縮まったところでセトはクチバシを開く。


「グルルルルルルゥッ!」


 雄叫びと共にクチバシから放たれたのは、クリスタルブレス。

 そのブレスは、真っ直ぐに自分へと近づいてくるビセンテへと命中すると、見る間にビセンテの身体を水晶で覆っていく。

 だが、ビセンテもその程度の攻撃で動きを止める筈がない。

 身体の動きを阻害しようとする水晶を強引に破壊しながらセトとの距離を縮める。

 元々クリスタルブレスはレベルがまだ一で、対象を薄い水晶で覆うという効果しかない。

 低ランクのモンスターであればともかく、ビセンテを足止めするには威力が足りなかった。

 それでも、一瞬……ほんの一瞬でもビセンテの動きが止まってしまったのは事実。


「グルルルルルルゥッ!」


 次にビセンテへと叩き込まれたのは、衝撃の魔眼。

 威力そのものは酷く弱い攻撃なのだが、それでも衝撃は衝撃だ。

 ビセンテは機先を制する形で身体に衝撃を受け、再度動きを止めてしまう。


「グルルルルルゥッ!」


 既に二m程にまで縮まっていたセトとビセンテの距離だったが、次に……いや、最後にセトが放ったのは、再びファイアブレス。

 轟っ!

 そんな音と共にセトのクチバシから放たれたファイアブレスは、ビセンテの身体を包み込む。

 だが、今のビセンテにそんな攻撃が通用する筈もない。

 ただ真っ直ぐに炎を無視してセトとの距離を縮め、いよいよ拳の届く間合いに捕らえた! そう思った瞬間……

 斬っ!

 胴体に激しい衝撃を受ける。

 何故か次の瞬間にビセンテは空に浮かんでおり、その視線が捕らえたのはデスサイズを横薙ぎに振るった大敵のレイの姿と、腹から下の自分の半身だった。

 鎧諸共に自分が真っ二つにされたのだと悟ったビセンテは、殆ど反射的に叫ぶ。


「貴様ぁっ! 聖なる光の女神の名の下に、神罰をくだされろおおおぉぉぉっ!」


 上半身だけで空中を回転しつつ吹き飛びながら、ビセンテは最期までレイに対する怨嗟の声を口にするのだった。

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