第947話

 レイが探索用の魔法を使い、周囲一帯に炎を広めた時……即座に反応が返ってきた。

 その反応があったのは、自分の後方二十m程の位置。

 そこには当然ビセンテの姿もセトの姿も存在せず、そして老人の姿は炎に触れた瞬間に消え去っている。

 そこまで来れば、自分の探索用の炎に誰が引っ掛かったのかを悟るのはそう難しい話ではない。

 即座に後方の反応があった方へと向かってデスサイズを振るう。


「飛斬っ!」


 その言葉と共に放たれたのは、飛ぶ斬撃。

 ……だが、その斬撃の威力はいつもレイが使っているものと比べると明らかに劣っていた。


(ちっ、これも聖域とかいうのの仕業か!)


 苦々しい思いを押し殺し、探索用の魔法を発動させたまま地面を蹴って飛斬の飛んでいった方へと向かう。

 自分を憎む……という表現ですら足りない程に憎悪しているビセンテを放っておくのは多少心配だったが、セトに任せておけば安心だという思いもあった。

 事実、背後へと向かう寸前にビセンテとセトの様子を見たレイは、そこで聖域の効果に苦戦しながらもビセンテと互角に渡り合っているセトの姿を確認したのだから。


「マジックシールド!」


 相手は老人であっても、スティグマの一員だ。

 それも非常に精巧な幻影を自由に操るという厄介な能力を持っている。

 それ以外にもどんな能力を持っているのかが分からない以上、いざという時に備えるのは当然だろう。

 レイが知る限り、どのような強力な攻撃であっても防ぐことが出来るマジックシールドは向こうの手札が分からない時には非常に便利なスキルだった。

 だが、そんな便利なスキルであっても問題はある。

 光の盾であるだけに、夜であれば非常に目立つのだ。

 ……もっとも、炎帝の紅鎧を展開しているのだから、マジックシールドの光程度では目立つという意味では大差ないのだろうが。


(やっぱり動きが鈍い!)


 炎帝の紅鎧を使用しての移動だというのに、レイの周囲を流れていく景色は明らかに聖域が展開される前に比べると遅くなっていた。

 勿論それでも普通の冒険者にとっては移動する影を追えるかどうかといった速度なのは間違いない。

 だが、動いている本人にとってその差は非常に大きいものだった。

 それは、レイが自分の方へと真っ直ぐに向かってくるのに気が付いている老人にとっても同じだ。


「ひょひょ。儂を見つけた手腕には驚かされたが……その状態で儂に挑むつもりかね?」


 とん、と。

 軽く地面を蹴ったかと思うと、次の瞬間には老人はレイから逃げるどころか、自分からレイの方へと向かって距離を詰めてくる。

 その手に握られているのは、相変わらずの杖。

 一見すれば、老人が使う杖のようにしか見えないが、スティグマの一員である人物が使っている以上、ただの杖である筈がない。

 そんな予想通り、老人は杖を持ち上げるとその先端をレイの方へと向けてくる。

 杖の先端は鋭利に尖っており、貫通力を重視した武器という意味ではエストックに近い。

 更に杖の先端に光が集まり、微かにではあるが白く輝く。

 夜だからこそ白い光の存在に気が付くことが出来たが、もしここが太陽の下であればその光に気が付いたかどうかは怪しい。


(どうする? また聖域とかいう奴みたいに得体の知れない能力なら……いや、構わない。セトに一人任せている以上、ここで時間を掛ける訳にはいかない。一気に仕留める!)


 セトを信頼していない訳ではない。

 だがこの聖域という場所へ入ったばかりのセトでは、どうしても戸惑うことがあるだろう。

 ビセンテにその隙を突かれれば、セトであっても危険かもしれない。

 そう考えると、レイはなるべく早く目の前にいる老人を仕留め、セトの援軍に向かう必要があった。

 同時に幻影を使う老人の位置を把握する為、今も探索用の魔法を発動し続けているという事情がある。

 この聖域の中で炎帝の紅鎧を発動し、更には魔法も同時に使用するというのは、普通の魔法使いであれば耐えられない程の魔力を消耗し続けているのだ。

 それこそ、普通に炎帝の紅鎧や魔法を使う時と比べて二乗倍と言える程の速度でレイの魔力は消耗し続けている。

 ビセンテを相手にするのに炎帝の紅鎧を解除することは出来ないが、目の前にいる老人を倒してしまえば魔法の方は解除出来る。それ故、なるべく早く倒してしまう必要があった。

 また、老人の方はすぐにレイとの決着を付けようとするのではなく、少しでも戦いを長引かせようという思いを抱いている。

 自分だけでレイを相手にして勝てるとは限らず、出来ればビセンテが援軍としてやってくるのを待ちたいという思いがあった為だ。


(本来であれば、この聖域の中で儂等のようなスティグマを相手にしてやり合えるというだけでも信じられないのじゃが……深紅の異名を持つだけはある、ということじゃの)


 お互いがぶつかるまでに掛かった時間は三秒も掛かってはいない。

 それでもお互いの頭の中ではそれだけ考える時間的な余裕があり、やがてレイのデスサイズと老人の杖がぶつかる。


「パワースラッシュ!」


 先手を打ったのは、レイ。

 相手を斬り裂くのではなく、叩き砕くとでも表現するのが相応しい一撃が老人へと向かって放たれる。

 自分の相対している人物の外見が老人であるというのは理解している。

 だがスティグマと呼ばれる者である以上、ただの老人であるとは到底思えなかった。

 それでもレイとほぼ同じ大きさの体躯であることを考えれば、純粋な身体能力がビセンテと同様とは思えない。

 勿論その状態でもスティグマの一員である以上、身体能力以外に何か突出しているものがあるというのは理解出来る。

 ならば、その突出しているものを使わせず、一気に身体能力の差で押し切る。

 そんなつもりで放たれたパワースラッシュだった。


「ひょ!」


 自分の身体を砕くのではないかと思える程の、豪快な……それでいて高速の一撃。

 それを見た老人の表情に浮かんだのは、笑み。

 そのことに疑問を持ったレイだったが、今は探索用の魔法を発動して炎を維持したままということもあって、少しでも早く目の前の老人を倒す必要がある。

 そんな思いで振るわれたデスサイズは、真っ直ぐに老人へと向かい……何故か老人はその攻撃を防ぎも、回避もせずにその身へと受け入れた。

 自分の居場所は炎によって知られている筈なのに、何故? そんな疑問を抱くレイ。

 もしかして逃げようがない為に自分の最後を大人しく受け入れる気になったのかとも思ったレイだったが、すぐにその考えを否定する。

 幾ら人当たりの良さそうな老人であっても、スティグマの……聖光教の一員なのだ。

 そうである以上、大敵と呼んでいる自分の攻撃を大人しく受け入れる筈がない、と。

 事実、レイが放ったパワースラッシュの刃は、老人の身体へと触れた瞬間に何の抵抗も存在しないままに斬り裂き、次の瞬間にはそこにいた筈の老人の姿は消え去っていたのだから。


「っ!?」


 消えた瞬間、自分が再度老人の幻影に踊らされたのを悟ったレイだったが、反射的に探索用の炎へと意識を移す。

 いる。間違いなく老人の姿は、自分の目の前にあった。

 幻影にして幻影にあらずといった様子に迷ったのは一瞬。魔法が自分を裏切ることはないと本能的に理解しているレイは、炎帝の紅鎧を操作し、鞭状にして目の前へと叩きつける。


「ぎゃっ!」


 そうして悲鳴が上がったのは、先程老人がいたのと同じ場所。……ただし、かなり地面に近い場所だった。

 自分が立った姿の幻影を作り、本人はしゃがんでレイへと一撃入れるチャンスを待つ。

 そのような目論見だったのだろうが、色々な意味でレイの存在は老人にとっても規格外な代物だった。

 魔法でもなく、デスサイズの刃でも……ましてやレイの振るう拳といった攻撃ではなく、炎帝の紅鎧としてレイの周囲に存在していた赤い魔力その物が攻撃をしてくるというのは、老人にとっても完全に予想外だったのだろう。

 まともに攻撃を食らって、レイと同じくらいの身体の大きさの老人は吹き飛んでいく。

 聖域の効果により、炎帝の紅鎧の効果は落ちている。また、老人もスティグマというだけあってビセンテ同様の鎧を身につけていた。

 それでも間接的な熱であればともかく、炎帝の紅鎧そのものを直接くらって無傷で済む筈がない。

 それは、吹き飛ばされた時に老人の口から漏れ出た苦痛の悲鳴が物語っている。

 本来であれば、老人もスティグマの一員として多少の苦痛は笑って受け止めることが出来た。

 だが、レイが咄嗟に放った炎帝の紅鎧による一撃は、老人の限界を超えている。

 レイの魔力が圧縮され、濃縮された炎帝の紅鎧にはそれだけの威力があった。


「ぐぎゃっ、や……やるのお。まさか儂とビセンテの二人掛かりでこれ程手こずるとは……」


 口を開いた老人だったが、レイはそんな老人の言葉を無視して再びデスサイズを手に斬り掛かる。

 向こうの意図が時間稼ぎにあるのは明白だった為だ。

 そんな行為に付き合うような暇はないと、距離を取った老人目掛けて真っ直ぐに突き進む。


「飛斬っ!」


 迂闊に動かれないように牽制の一撃を放ちながら。

 これまで、老人に幾度となく無効化されてきたスキルだったが、今回は違う。

 先程のようにしゃがみ込んで回避されないように、縦の斬撃を飛ばしたのだ。

 左右に移動すれば地面に広がっている炎でレイにその位置を察知され、かといって後ろに下がっても、前に進んでも真っ直ぐ迫ってくる飛斬を回避することは出来ない。

 今いる場所から少しでも動けば、それはレイにすぐにでも察知されてしまう。

 現状でレイに自分の動きを見つけられない為に老人が取れる手段はたった一つ。


「上だろ!」


 その言葉と共に、老人のいた場所へと向かって進むレイの速度は増す。

 そんなレイの耳に微かに聞こえたのは、空気を斬り裂くような音。

 飛斬が触れた瞬間、老人の姿はこれまでのように消え失せる。

 それでも、レイは老人が跳躍して飛斬を逃れたと信じて突き進み……次の瞬間、レイが展開していたマジックシールドが光の粒へと姿を変えて消えていく。

 何故そうなったのかというのは、容易に想像が出来た。

 一瞬前に聞こえた風切り音。跳躍した老人が自分に向かって近づいてくるレイに対して何らかの攻撃をしたのだろうと。

 だが、全ての攻撃を一度だけではあっても無効化出来るマジックシールドだ。牽制程度の攻撃でどうにかなる筈もなかった。

 もっとも、一度だけの絶対防御である以上、二度、三度と攻撃をすれば話は別だったのかもしれないが、聖域の中であるにも関わらずレイの近づいてくる速度は炎帝の紅鎧の効果もあって非常に素早く、老人が二度目の攻撃を出来る程の時間的猶予は存在しない。


「飛斬っ!」


 再度放たれる飛斬。

 飛ぶ斬撃は、真っ直ぐに空中へと向かって飛んでいき……


「ぐおぉっ!」


 何もない場所へと命中するや否や、苦悶の声が周囲へと響き渡る。

 そして、次の瞬間にはまるで滲み出るかのように空中を吹き飛んでいく老人が姿を現す。

 飛斬をまともに受けながら、それでも胴体を切断されていないのは、やはり鎧のおかげだろう。

 光鉱石を用いて生み出されたその鎧は、高い防御力を持つ。

 ……それでも吹き飛ぶ老人を追撃すべく追うレイの目には、鎧がひしゃげているのが見えていたのだが。

 そのままデスサイズへと魔力を流しながら突っ込んで来るレイの姿に、老人もただ黙って待ってはいない。

 何とか幻影を生み出し、自分の姿を見失わせて杖の先端でレイの身体を貫く。

 そうするつもりだったのが……ことここにいたり、レイの走る速度は今までよりも更に上がる。

 吹き飛ぶ老人に追いつき……いや、追い越すかのような勢いで近づくレイは、老人が最後の悪あがきをしようとしているのを悟り、そこから更に速度を上げる。

 聖域の中にいるとは、とても思えない速度に老人は大きく目を見開き……

 斬っ!

 そんな音と共に、レイの魔力を流されたデスサイズが、炎帝の紅鎧によって上げられた身体能力で振り下ろされ、空中を吹き飛んでいた老人の身体を袈裟切りにする。

 肩から入り、脇腹からぬけていくその一撃は容易に老人の命を奪い、地面へと内臓や肉片、血、骨といったものを撒き散らかしながらその身体は地面へと落ち、十m以上を転がっていく。

 その後には、レイの炎帝の紅鎧の発動により高くなった気温で、周囲に強い血や内臓の臭いが広がった。

 だが、レイはそれを無視して視線をセトの方へと向ける。

 そこではセトのクリスタルブレスにより動きを一瞬止められたビセンテの姿。

 向こうの意識が完全にセトへと向けられているのを見て取ったレイは、炎帝の紅鎧を身に纏ったまま一気に地面を蹴って衝撃の魔眼により再び動きを止められたビセンテの胴体を魔力を込めたデスサイズにより一閃し、胴体を切断するのだった。

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