第941話

 全身を黒装束に身を包んだその集団は、夜の闇の中を走って目的の場所へと向かう。

 本来であれば柔らかな月光で地上を照らしている月だが、今は雲によりその姿を隠されている。

 冬ということもあり、気温は低い。それでも雪が降っていないのはこの時間帯に行動する集団にとって幸運だったのだろう。


「雪が降ってないのはいいが、こうも寒いとどうしようもないな」

「はっ、それならエーランドとかいう奴を殺して燃やしてやれよ。ついでに士官学校とやらも燃やしてやれ。そうすれば少しは暖まるだろうよ」

「士官学校か。本当に大丈夫なのか? あの妙な連中が助けるとか言ってるらしいが、とてもじゃないけど信用出来ないぞ?」

「それは向こうも同じだろうよ。結局俺達は自分の目的の為にお互いにお互いを利用するだけなんだから」

「そもそも、最初に仕掛けた奴等が仕留めていれば楽だったのによ。あの時に仕留め損なったから、奴が士官学校に閉じ籠もってしまったんだよな。くそっ、面倒くせえ。士官学校だぞ、士官学校。腕の立つ奴が多いに決まってる」

「そうか? 士官学校ってのは、結局まだ騎士にも冒険者にもなれないような未熟者の集まりだろ? ま、戦闘訓練とかをしている分、それなりに強いかもしれないけど」


 言葉を交わしながら夜の闇を進む男達だが、その言葉は非常に小さい。

 もし男達の側を誰かが通りかかったとしても、会話の内容を聞き取ることは出来ないだろう。

 ……もっとも、会話の内容を聞き取る以前に、男達は自分達の姿を見た目撃者を生かしておくつもりはないのだが。

 そのまま走り続けていると、やがて目的地の士官学校の姿が見えてくる。

 だがその入り口へと視線を向けると、そこには槍を持った兵士が二人。それを見て先頭を走っている男が舌打ちして止まるように合図を出す。

 すると、殆ど一瞬のうちに全員が足を止め、近くにある建物の陰へと身を隠した。


「ん?」


 そんな動きに気が付いた訳ではないだろうが、兵士のうちの一人が暗闇の方へと視線を向ける。


「どうした?」

「いや、今何かが動いたような気がしたんだけど……」

「気のせいだろ、気のせい。……にしても、交代の時間はまだかよ。いくら火があるからって、こんなのだとちっとも暖かくならねえぞ。こんな時は、強い酒を飲んでさっさと寝るに限るってのに」


 相棒の声に、闇の中へと視線を向けていた兵士も自分が感じたのは気のせいだったと判断したのだろう。見ていた方向から視線を外し、その声に同意する。


「そうだな、出来ればホットワインとか飲んでさっさと寝たいな」

「お前、欲望がないぞ。せめて娼館には行こうぜ。最近いい娘を見つけたんだよ。顔はそこそこだけど、胸がデカくてな」

「えー、俺はどちらかと言えば胸は小さくてもいいから、美人の方がいいぞ」

「ばっか、お前はあの圧倒的な柔らかさで包み込まれる幸せを知らないからそんなことを言えるんだよ。いいか……」


 緊張感がないままに見張りを……より正確には雑談を始める二人。

 そんな二人の兵士の様子を、黒ずくめの男達はじっと見つめていた。


「こっちを油断させる罠かとも思ったんだが……どうやらそういう訳でもないらしい」

「そうだな。俺達が来るとは思っていなかったのか?」

「どっちだっていいだろ。さっさと始末して標的を処理しちまおう。あの兵士達も、馬鹿だがいいことを言ってたな。こういう寒い時はホットワインに限る」

「お前まで馬鹿話をしてどうする。いいな? 俺が右の奴を片付ける」

「なら、僕が左を」


 素早く兵士二人の処分方法を決めると、黒づくめの男達はすぐに行動へと移る。

 タイミングを合わせ、二人が一気に黒く塗られた短剣を投擲。

 月が出ていれば、もしかしたら光の反射で少しでも短剣の存在に気が付いたかもしれない。もしくは篝火がもっと明るければ。

 だが結局兵士二人は自分達に向かって短剣が投擲されたというのにも気が付かず、綺麗に額へと短剣の刃が埋まって二人の兵士の命を奪う。

 兵士二人が自分達が死んだという自覚のないままに意識を絶たれたことがせめてもの救いか。

 迫る死の恐怖に怯えることなく、何も知らないまま、気が付いたら死んでいたというのは、死に方としては幸せな方だろう。


「隠せ」


 短く指示を出し、男達は士官学校の中へと突入していく。

 地面に倒れている門番の兵士を建物の陰へと引っ張り込む。

 誰かが来た時、地面に死体があれば騒ぎになるだろうが、そこに誰もいなければ仕事をさぼっていると思われる可能性もある。

 勿論明日になれば騒ぎになるのは確実だろうが、男達にとっては士官学校の中で標的のエーランドを仕留めるまでの間騒ぎが起きなければそれでよかった。

 血だまりが地面にあれば完全に隠すのは難しいだろうが、だからこそ投擲した短剣の狙いが額であり、血は殆ど流れていない。 また、血の臭いを少しでも出さないようにする為、額に突き刺さった短剣を抜くこともしない。

 もっとも、冬の夜ということもあって風は冷たく、強い。

 多少の血の臭いであればすぐに散らされてしまうだろうが。

 ともあれ、素早く襲撃の跡を片付けた男達は士官学校の中へと入り、周囲を見回す。

 男達の情報網は当然標的がどこの寮にいるのかというのもしっかりと調べており、そのまま敷地内を走り抜け五分程が経ち、ようやく標的のいる寮が見えてきたところで……


「がっ!」

「ぎゃっ!」

「げぼっ!」


 唐突に悲鳴が上がる。

 徹底的に刺客としての訓練を受けてきた男達が、だ。

 何か想定外のことが起こったのだろうと、男達は瞬時にその場で別々の方へと散らばる。

 その際に背後へと視線を向ける者が何人かいたが、その向けられた視線の先にあったのは地面に倒れている三つの人影。

 何が原因で倒されたのかは、額に突き刺さっている矢を見れば明らかだった。

 だが……


(馬鹿なっ! 矢の飛ぶ音は全く聞こえなかったぞ!?)


 黒装束の男の一人が内心で叫ぶ。

 それは他の者達にしても同様だった。

 男達は刺客として厳しい訓練を積んでいる。

 それこそ、この風の中で矢が飛んできた音を聞き取るのは難しくないくらいに、だ。

 だが、今の攻撃で矢が飛ぶ風切り音を聞くことは一切出来なかった。

 飛んできた矢が一本であれば、偶然聞き取れなかったということも考えられた。しかし、今飛んできた矢は三本。

 その全てを聞き逃すということは絶対に有り得なかった。……そう、本来ならだ。

 この矢を放ったのが普通の弓術士であれば、男達もその風切り音を聞き逃すような真似はしなかっただろう。

 だが、今の攻撃は一切風切り音を感じ取ることが出来なかった。

 何が起きたのか理解出来なかった黒装束の男達だが、それでもここで足を止めるような真似はせず、各自目標を仕留める為に闇へと紛れていく。

 しかし……そんな男達の行動は関係ないと、夜の闇を斬り裂き、それでいながら風切り音を出さずに飛んでくる矢は次々と男達を仕留めていった。

 誰か一人が敵の攻撃を受けて死んでも、他の者達が標的のエーランドを仕留める。

 決死の覚悟でそう判断した男達だったが……飛んでくる矢はそんな男達の頭部へと吸い込まれるように突き刺さるのだった。






「さて、これで忍び込んできた奴は大方片付いたかな。……警備の兵達には可哀相なことをしてしまったね」


 目に悲しみの光を宿して呟くのは、士官学校の敷地内にある建物の屋上に立っているサルダート。

 士官学校の警備兵が死んだのは悲しい出来事だった。

 本来であればそれを防げただろうサルダートだったが、今の状況ではそれを出来ない理由がある。


「この学校の敷地内に入ってからの攻撃だったら、防げたんだけどね」


 呟き、既に空になった矢筒へと手を伸ばす。

 もしこの場にサルダート以外の者がいれば、空になった矢筒を外すのか? と思っただろう。

 だがサルダートが取った行動は、矢筒に魔力を流すというもの。

 すると矢筒が淡く光り始め……だが、次の瞬間サルダートは矢筒へと魔力を流すのを止めて、その場を跳躍する。

 同時に周囲に響くのは破砕音。


「……外したか」


 一瞬前までサルダートがいた場所には、一人の男が存在していた。

 その手に持った長剣は屋上の床へと叩きつけられており、この石造りの建物の屋上部分をクレーター状に大きく抉っている。

 石造りの……それも士官学校の建物に使われるような頑丈な石を容易く抉るような攻撃だ。もし今の攻撃を食らっていればどうなったかというのは、想像するのも難しくはないだろう。

 だが、サルダートはそんな攻撃を見ても、特に恐怖を感じた様子もない。

 ランクS冒険者としてこれまで幾多もの戦いを潜り抜けてきたサルダートにとって、このような攻撃力を持つ敵と間近で向かい合うというのは決して経験がないことではない為だ。

 弓を手にし、矢筒へと意識を向ける。


(駄目か。もう数秒あれば、多少粗悪でも数本は矢が出来ていたんだけどね)


 弓という武器を手にする上で、最も注意しなければならないのは当然矢の本数だろう。

 矢がなければ攻撃出来ない以上、弓を使う者にとって矢の本数というのは非常に重要だ。

 だが、サルダートが持つ矢筒は豊穣の軌跡と呼ばれるマジックアイテムで、魔力を流せば矢を無制限に生み出すことが出来る。

 それだけであれば、レイがベスティア帝国で手に入れたネブラの瞳と似たような代物だが、こちらはより多彩な矢を生み出すことが出来た。

 矢、そのものの強度を上げたり、矢に各種属性を付与したりといったことが出来る。

 更にネブラの瞳とは違って時間が経てば矢が消えるということもない。

 それをサルダート特有のスキルや、こちらもまたマジックアイテムである天弓で放つというのが天弓と呼ばれるランクS冒険者の戦闘スタイルだった。

 ……ただし、その戦闘スタイルにも弱点はある。

 豊穣の軌跡に入れておける矢を撃ち尽くせば、再び魔力を流して新たに矢を生み出す必要があるのだ。

 粗末な矢であれば時間にして十秒も掛からず矢を生み出せるのだが、逆に言えば十秒は天弓という異名を持つ男に弓を使わせずに済む。


「奴等も、存外に役に立つ」


 男の口から出た言葉に、サルダートはこの成り行きの真相を悟る。


「なるほど、私の矢を使い果たさせる為の囮だった訳か。そうなると、エーランドとかいう貴族の子供にも聖光教の手の者が関わっているのかな?」


 自分の持つ最大の武器である弓の攻撃を封じられているというのに、サルダートは特に動揺した様子もなく……それどころか、悠然とした態度で髪を掻き上げながら、目の前の男へと問い掛けた。

 男の方も、そんなサルダートを相手にして油断した様子はない。

 目の前にいる相手がランクS冒険者である以上、自分がそう簡単に敵う相手ではないと悟っている為だ。


(最初の一撃でダメージを与えていれば話は違ったのだろうがな)


 内心、目の前に立つサルダートの姿に苦々しい思いを抱きながらも、男はそれを表に出さずに言葉を続ける。


「ことの真相がどうであれ、敵に情報を与えるつもりはない。悪いが、お前には暫くここで俺と……いや、俺達の時間稼ぎに付き合って貰おうか」


 言い終わると同時に、男の後ろから数人の人影が姿を現す。

 全員がローブに身を包んでおり、手にはそれぞれ武器を持っている。

 自分達がこれから立ち向かうのは世界に三人しか存在しないランクS冒険者であるというのに、全く気負った風には見えない。

 それどころか極度にリラックスしているその姿は、間違いなく怯えて実力を出せないなどということはないだろう。

 その姿を見て、サルダートはその美貌を痛ましそうに歪めた。


「君達は本当に洗脳とかが好きだよね。……けど、スティグマが君一人の状態で私に勝てると本当に思っているのかな? 仮にも私はランクS冒険者だよ? その実力を一番良く知っているのは、ここ最近だと君達だと思うんだけどね」

「ああ、勿論勝てるとは思ってはいない。だが俺の役目は足止めだ。その程度なら俺でも……」


 出来る、と。最後まで言わせずにサルダートは鋭い視線を男へと向ける。

 その視線の鋭さに、男は一瞬言葉に詰まり……それを見逃さずにサルダートは笑みを浮かべて口を開く。

 ただ、その口元に浮かんでいる笑みは決していつもサルダートが女を口説く時に浮かべている笑みではなく、獲物を見つけて食らいつく、獰猛な肉食獣の笑みだったが。


「っ!? ……なるほど、確かに天弓と呼ばれるだけのことはある。確かに今の俺ではお前に勝つどころか、時間稼ぎをするのも難しいだろう。けど、忘れているのか? 俺はスティグマ。聖なる痕をこの身に宿す者だ!」


 その言葉と共に、男の左手の甲に存在する刺青のようなものが光を発し、周囲一帯へと何かの力が満ちていく。魔力に似ているようで、決定的な何かが違う力。

 それは、エルフとして長年生きてきたサルダートも知らない力。

 それでいて、今まで何度かスティグマと戦った時に見た力。

 その、奇妙な力を発しながら男はサルダートへと向かって駆け出すのだった。

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