第940話

 三年Sクラスの授業を終えて昼食を済ませ、昼休みが終わり、午後の授業となる。

 本来であれば午後は授業のないレイだったが、その姿はグリンクと共に体育館の中にあった。

 そんなレイの視線の先では、三年Bクラスの生徒達が冒険者を相手に模擬戦を行っている。

 ただ、その実力は三年Sクラスの生徒達に比べても高いとは言えなかった。


(まぁ、精鋭を集めたのがSクラスなんだから、当然だろうけど)


 内心で呟くレイに、冒険者の一人が近寄ってきて話し掛ける。


「ああ、あんたが深紅か。話は聞いてる。この授業を見学したいなんて、物好きもいたものだな」


 レイよりも年上の、十代後半くらいの男の言葉にレイは若干驚く。

 深紅という自分の異名を知っているにも関わらず、普通の態度だった為だ。

 他にも冒険者は多くいるが、その殆どが触らぬ神に祟りなしと言いたげにレイと関わり合いになるのを避けている状況で、だ。


「で、どうだ授業を見て」

「そうだな、まず冒険者の人数が多いのに驚いた。俺が受け持っているSクラスの授業だと、俺だけでクラス全員とやり合ってるからな。それに比べると……」


 一旦言葉を止めて、改めて体育館の中を一瞥する。

 そこでは、一対一で生徒と戦っている冒険者、多対多で生徒と戦っている冒険者、他にも一対多、多対一といった風に色々な組み合わせで模擬戦が行われていた。


「色んな種類の模擬戦が同時に行われているってのは新鮮だな」

「あー、まあな。もっとも、これは生徒側だけじゃなくて俺達の事情も関係してるんだけどよ」

「うん?」


 男の言葉の意味が分からずにレイが視線を向けると、男は苦笑を浮かべつつ口を開く。


「お前さんみたいに異名持ちで有名な冒険者ならともかく、俺達の場合は金が欲しくてこの依頼を受けてるんだよ」

「……ああ」


 その短い説明で、レイはこれだけ多くの冒険者が模擬戦の教官をしていることに納得する。


(つまり、冬越えの金を貯められなかった冒険者を出来るだけ救うって意味もあるのか。それで生徒の方は待ち時間とかなしでずっと模擬戦をしていられる、と)


 休みなしで模擬戦を続けるのは、生徒達にとってもかなり辛いものがあるだろう。だが純粋に訓練の効率として考えれば、悪くない選択肢のようにも思えた。


(もっとも身体を動かし続けるだけだと、怪我をしやすくなると思うから適度な休憩は必要だろうけど)


 体育館の隅にいる、床に膝を突いて荒い息を吐いている数人の生徒を見ながらそう考える。


「ま、とにかくそういう訳で模擬戦は行われてるんだよ。……で、授業のことはともかく、結局何しに来たんだ?」

「そうだな、こう言っては何だけどちょっと揉めごとが起きそうでな。士官学校の中でどうにかなるとは限らないけど、もしかしたらという可能性がある。その際に巻き込んでしまうかもしれないから、声を掛けておこうと思ったんだよ」


 その言葉に、今までレイと話していた男の冒険者を含め、声が聞こえていた周囲の冒険者達も嫌そうな表情を浮かべる。

 当然だろう。誰だって人のトラブルに進んで巻き込まれたいとは、決して思わないのだから。

 それでも文句を言わないのは、深紅という異名が色々と有名になっているということが大きい。

 本人としては多少不満だが、レイは気に入らない相手を容赦なく叩き潰すという噂が広がっている。

 その噂を本気にした冒険者達が、ここでレイに文句を言ったりすれば酷い目に遭うかもしれないと思っているのだろう。

 そんな中、やがてレイと話していた男の冒険者が口を開く。


「あー……つまり、俺達はあんたの揉めごとに巻き込まれるってことだよな?」

「かもしれない、だけどな」

「可能性の話って言ったって、あんたが出てくるってことはほぼ確実ってことなんじゃないか?」


 確認の意味を込めて視線を向けてくる男に、レイは頷きを返す。


「そうだな。多分……いや、きっと、恐らく……確実にってところか。勿論実際には何もないってこともあるかもしれないけど」

「ふーん……じゃあさ、こっちが巻き込まれるんだから、少しくらい俺のお願いを聞いてくれないか?」

「……金か?」


 多少の金くらいで動いてくれるのであれば、レイとしては願ったり叶ったりだ。

 そんな思いで尋ねたのだが、男は黙って首を横に振る。

 その視線が向けられているのは、模擬戦をやっている冒険者と生徒。

 男が何を言いたいのか。それは改めて尋ねるまでもなかった。


「随分と物好きだな」

「そうか? 異名持ちの冒険者と命の危険がない模擬戦を出来るってんなら、こっちとしては寧ろ金を払ってもいいくらいだぜ? なぁ?」


 近くにいた他の冒険者に尋ねる男だったが、その尋ねられた方も同意見なのか、若干戸惑った様子ではあったが無言で頷きを返す。


「って訳で、どうだ? もしよければ俺達とも模擬戦をやってくれないか? 深紅と模擬戦をやったとなれば、仲間に自慢出来るし」

「そうそう。俺も模擬戦には賛成かな。まさか異名持ちの冒険者と模擬戦出来るとは思いもしなかった。きっとこれを知ったら、この依頼を蹴ったあいつら、悔しがるぜ?」


 近くにいた別の冒険者の男がそう告げ、少なくない冒険者がそれに同意する。

 その言葉通り、冒険者達にとってレイと模擬戦をするというのは非常に魅力的なことだった。

 普通であれば、異名持ちの冒険者との模擬戦はそうそう出来ないのだから当然だろう。

 また、中にはレイの姿を見て本当に異名持ちの実力者なのか? と思うような者も何人かいる。

 そんな侮りや疑惑の視線を向けてくる者の数は少ないのだが、それだけに目立っていた。

 もっともこの手の視線を向けられるのはそう珍しくないレイだ。特に気にせず、グリンクの方へと視線を向ける。

 模擬戦をやってもいいかと尋ねるその視線に、グリンクは少し迷うがやがて頷く。

 三年と四年のSクラス以外の生徒達から、異名持ちの冒険者がどれ程の力を持っているのか見てみたいという意見が出ていたのを知っていたのもあるし、何よりグリンクもレイが生徒ではなく冒険者と模擬戦をやる光景を見てみたいという思いがあった。


「分かりました。レイさんの模擬戦は見るだけでも勉強になるでしょうから。構いませんか?」


 グリンクが視線を向けた先にいたのは、三年Bクラスの模擬戦を監督している教官。

 その教官も、異名持ちであるレイの戦いを見るという誘惑に逆らうことは出来ず、実際その模擬戦は確実に生徒達の為になるという思いもあって笑みを浮かべて頷く。


「ああ、構わねえよ。俺もレイの実力をこの目で見ることが出来るしな」


 こうして、些か成り行きに流されてだが、レイは冒険者との模擬戦をすることになる。

 勿論模擬戦である以上、レイ本来の武器であるデスサイズは使えない。

 その手に持っているのは、ここ暫くの模擬戦で幾度となく使ってきた槍だ。

 そして男が手にしているのはクレイモア。


「……って、おい。その武器の重量を考えると模擬戦用に刃が付いてないとか意味がないんじゃないか?」

「はっ、それを言うならあんたの武器だって同じようなもんだろ。重さはこのクレイモアより軽いかもしれないが、異名持ちが振るう模擬戦用の槍だぞ? とてもじゃないが、普通なら受け止められないだろうよ」


 男の口から出た言葉に、模擬戦を見学する為に周囲へと集まってきた冒険者が頷く。

 生徒達の方が少し戸惑った表情を浮かべているのは、やはりレイの外見が問題なのだろう。


「なぁ、本当に大丈夫かな? あのレイっての、異名持ちだって話だけど……」

「うーん、多分。だって冒険者の人達が皆真面目な表情をしてるし。ほら、あの人とか」

「あ、本当だ。普段は不真面目なのに……」

「それに深紅って言ったらミレアーナ王国で二人目のランクSになるかもしれないって話でしょ? そんな実力を持っているのなら間違いなく大丈夫だと思うけど」



 生徒達の視線が向けられたのは、狐の獣人の女冒険者。

 頭頂部から生えている耳を忙しく動かしているその様子は、レイがどんな戦いをするのかという興味が強く出ている。

 生徒達の目から見ても、レイという人物はとても強そうには思えなかった。

 背も小さく、見て分かる程に筋肉が付いている訳でもない。

 それこそ、今向かい合っているような冒険者と戦えば一方的に負けるようにすら思えた。

 ……もっとも、生徒達の中には三年Sクラスの生徒と関係のある者もおり、レイは見た目詐欺と言ってもいいと聞かされている者もいる。

 そんな話を聞いたことのある者達は、模擬戦用の槍を構えているレイの姿を見て、見た目詐欺という言葉に納得してしまっていた。

 そんな風に思っているのは生徒達だけであり、レイと向かい合っている冒険者の男や、その戦いを周囲で見守っている他の冒険者はレイがとてもではないが見た目通りの存在ではないというのを実感している。

 特に強く思っているのは、やはりレイと向かい合っている男だろう。

 模擬戦用ではあっても、普段から使い慣れている己の得意武器のクレイモアが非常に重く感じていた。

 いや、実際にはそこまで重い訳ではないのだろうが、こうしてレイと向かい合っているだけで急速に体力や精神力が消耗していっているのだ。

 レイが殺気や闘気といったものを出しておらず、ただ槍を構えて向かい合っているだけだというのに。


「どうした? これは模擬戦だろ? こうして向かい合っていても話は始まらない。そっちが来ないのなら、こっちから行くぞ?」


 挑発……とまでは言えないだろうが、誘いを促す言葉。

 それを聞いた男は、ここで出なければ自分が何も出来ずに負けるだけだと判断し、一気に前へと出る。


「うおおおおぉぉぉっ!」


 自らを鼓舞し、男は己の中にある怯えを押し殺すように雄叫びを上げながらクレイモアを手に、レイとの距離を縮めて行く。

 レイとの身長差を活かし、単純に力一杯クレイモアを振り下ろすだけの一撃。

 それを見たレイは、最近練習しているカウンター技を試すいい機会だと判断し、槍を手に床を蹴る。

 その速度は、クレイモアを振り下ろそうしていた男にとっても完全に予想外の代物だったのだろう。

 気が付けばレイの姿は既に懐の内にあり、それどころか自分の真横を通り過ぎて後ろへと向かい……レイの動きが止まった瞬間、ふと気が付けばレイが駆け抜けていった自分の左側ではなく、右側の後ろから槍の穂先が伸ばされ、突きつけられている。

 もし槍の穂先が模擬戦用の物ではなく本物の槍であれば、レイが少しでもその気になればたちまち頸動脈を断ち斬られていただろう。

 ましてや、レイの持つデスサイズであれば首に刃が掛かった状態でそのまま移動すれば、首が空を飛ぶ。


「……参った。こうも完全にやられちまえば、素直に降参するしかないな。深紅って異名が噂だけじゃなくて、その実力も本物だったって身に染みて実感した」

「疑っていたのか?」


 心外だと言いたげなレイの言葉に、槍が顔の近くから外れて内心で安堵しながら男は言葉を続ける。


「そりゃそうだろ。言っちゃ悪いが、お前を見て異名持ちだって認識出来る方がおかしい」

「……この国のランクS冒険者があんなんでもか?」


 小さく呟かれたレイの言葉に、男は思わず息を呑む。

 そう、このミレアーナ王国のランクS冒険者、天弓のサルダートは、普通にランクS冒険者と言われて思い浮かべるような人物とは真逆と言ってもいい。


(まぁ、俺の場合は最初に会ったランクS冒険者がノイズだったから、余計にそう思うのかもしれないけど)


 もしかしたら、ミレアーナ王国ではランクS冒険者とい言えばサルダートのような軽い性格のエルフを思い浮かべるのかもしれない。

 一瞬そう思ったレイだったが、そう言われた男の方は心外だと言いたげに首を横に振る。


「ま、あの人が強いってのは理解しているし、女に限ってだが面倒見がいいのも事実だ。尊敬されているかいないかと言えば、されてるって言えるだろうな」

「うん? サルダートは王都を拠点にしてるって話だったけど、ここにも良く来るのか?」

「ああ? 知らなかったのか? ここの学園長と友人らしくてな。時々遊びに来てるよ」

「そう言えば……」


 レイの脳裏を、学園長室でのやり取りが過ぎる。

 確かに親しげな様子をしていたのは事実だし、そもそもある程度親しくなければ自分の護衛を気軽に頼むような真似も出来ないだろうと。


「お、お話は終わりましたか!? 次は私と……私と模擬戦をお願いします!」


 男との話が終わるのを待っていたかのように、女の冒険者がレイに向かってそう告げる。

 いや、女だけではない。他にも大勢の冒険者や、生徒までもがレイとの模擬戦を期待した視線を向けていた。

 一連の動きを見て、レイが異名を持つに相応しいだけの実力があるというのを理解した為だろう。

 どうする? とグリンクに視線を向けたレイだったが、そこで返ってきたのはどうしようもないといった風に首を横に振るという行為。

 結局レイは溜息を吐き、授業が終わるまで模擬戦に付き合うことになるのだった。

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