第937話
学園長室の中、レイは改めて目の前にいるエルフの男へと視線を向けて口を開く。
「色々とグダグダになったけど、さっきは助けてくれてありがとうと言えばいいのか? それとも、戦いを邪魔するなんて余計なことをしてくれたなと怒ればいいのか?」
「はははは、元気だね君は。……ま、それよりもだ。今はそんな話よりも自己紹介から行こうか。お互いがお互いのことを大体理解してはいると思うけど、きちんとした自己紹介はまだだっただろう?」
レイを女と見間違え、口説き掛けたのを既に忘れたかのように笑みを浮かべたサルダートはレイへとそう声を掛ける。
その軽い反応に、ノイズとのやり取りの違いに頭を抱えつつ、レイは口を開く。
「そうだな、助けて貰った……ってことにしておくけど、感謝はしてる。あの場所で大規模な戦いを起こしたりしていれば、下手をするとあの付近一画が消滅していた可能性もあるしな。……レイだ。ギルム所属のランクB冒険者。一応深紅って異名を貰ってる」
レイの言葉にサルダートも笑みを浮かべ、髪を掻き上げながら口を開く。
「私はサルダート。こう見えてもランクS冒険者なんだ。天弓の異名を持ってる。よろしく」
自分自身でこう見えてもと口にするということは、やはり自分の性格が傍から見ても軽いというのを理解しているのだろう。
「それにしても、君をあの場で助けることが出来て良かったと思ってるよ。……いや、正確には君の周辺にいた人達をってところかな。もし君があそこで本格的に戦い始めていたら、君の周辺にいた人達は間違いなく被害を受けていただろうからね。下手をすれば死んでいた者すらいたかもしれない」
「……それだけ相手が強かった、と?」
確認の意味を込めて尋ねるレイだったが、サルダートはそんなレイに対して小さな笑みを浮かべて口を開く。
「それは私に聞かなくても、君自身が一番良く分かってるんじゃないのかい? そもそもスティグマ三人を纏めて相手にするというのが無茶なんだよ。私でも出来れば遠慮はしたいね」
「へぇ? 天弓のサルダートでもスティグマとやらを相手にしては勝てないのかな?」
レイとサルダートの話に、エリンデは既に冷えた紅茶を口に運びながら尋ねる。
「まさか。やり合おうと思えばやり合えるよ。ただ、面倒臭いじゃないか。スティグマはスティグマでも、女が相手ならまだやる気が出てくるんだけど」
さらり、と。
先程の三人を相手にやり合えると、何の躊躇もなく自然に言ってのけるその様子は、強烈な己の力への自負をレイに感じさせた。
(軽いだけの男じゃない……か。ランクS冒険者なんだし、その辺は当然だろうな)
改めて目の前にいる相手がランクS冒険者だというのを理解しながら、それでもレイは身体が固まったりはしなかった。
これは、やはりノイズという人物を前にした経験があるからだろう。
ただ向かい合っているだけで緊張してしまう程の実力の持ち主であるノイズ。
レイはそんなノイズと曲がりなりにも互角にやり合ったのだ。
それがレイの中に確固とした自信として存在しており、だからこそこうしてサルダートと向かい合っても緊張で身体が動かなくなるということはない。
(へぇ、さすがに……)
サルダートもレイの様子に内心で感心する。
自分の性格が軽いというのは分かっているし、自覚もしている。だが、そんな自分の性格を気に入っている為、それを直そうと思ったことはない。それ故にランクS冒険者としての重みに欠けると言われたことが幾度もある。
それでも一定以上の力の持ち主であれば、自分と向き合うと何らかの反応を示すというのは理解してた。
だが、今サルダートの目の前にいる少女……ではなく少年は、それを理解しているにも関わらず自然体なのだ。
それこそ、もしこの場でサルダートと戦いになっても、すぐに反応出来るくらいには。
「その、スティグマってのがあの時の三人組なのか?」
お互いがお互いを評価しつつ、それを表に出さない状況でレイが尋ねる。
先程サルダートの口から出て来たスティグマという言葉は決して忘れられるようなものではなかった。
自分に気が付かれないような位置まで近づき、その上で一撃を放つだけの力を持つ者……それも、自分に攻撃した二十代の男と同程度、下手をすればそれ以上の力を持つだろう者が他に二人もいたのだ。
そんな者達の情報である以上、とても聞き流せるものではない。
強い視線で答えを促すレイに、サルダートは特に気にした様子もなく頷きを返す。
「そうだよ。彼等の部隊名……というのとはちょっと違うけど、存在を示す名前がスティグマ。聖光教が有する最高戦力」
「聖光教っ!?」
サルダートの口から出て来た予想外の言葉に、レイは驚く。
神罰という言葉が自分を襲ってきた男達……スティグマの一人から漏れたのを聞き、もしかしてという考えが頭を過ぎらなかったのかと言えば、嘘になる。
エグジルであれだけ自分と敵対し、向こうの企みを防ぎ、更には聖光教そのものに対して疑問の目を向けさせる原因を作ったのがレイである以上、聖光教の手の者に狙われてもおかしなことはなかった。
「……待て」
呟き、レイの視線が興味深そうに自分の方を見ていたエリンデの方へと向けられる。
その視線にどんな意味が込められているのかというのを、エリンデもすぐに理解したのだろう。小さく頷きを返して口を開く。
「そうだね、恐らくあの天の涙の件も向こうの手の者だと考えれば、納得がいく。聖光教の人間にとって、エグジルの件は致命傷……とまではならずとも、大きな被害を受けたのは事実。そうであれば当然レイ殿に対して憎悪を募らせていてもおかしくはない」
「知ってたのか」
そう尋ねたのは、天の涙の件についてではなく、エグジルでの出来事。
迷宮都市であるエグジルでの出来事がエリンデの耳に入っているとは思わなかった為だ。
だが、すぐに小さく首を横に振る。
聖光教が危険な存在だと知られた事件は、当然ミレアーナ王国の中でも大きな驚きを持って迎えられた。
特に自分の領地で聖光教が活動している者にとっては、青天の霹靂と言ってもいい。
そうである以上、エグジルで具体的にどのような件が起きたのかを調べるのは当然だし、その件を調べればレイの名前が出てくるのは避けようのない事実でもある。
「グラシアールでは、元々聖光教は活発に動いていたのか?」
「活発という程ではないけど、そこそこの人数がいる……といったところだね」
エリンデの言葉に、レイは微かに眉を顰める。
それはつまり、元々聖光教のいる場所に自分が来た影響で騒動が起きたのではなく、自分がいるからこそ聖光教が騒動を起こしたということに他ならない。
「俺が原因か」
「そうだろうけど、別に君がそこまで気にする必要はないんじゃないかな? 寧ろ私としてはグラシアールにいる間に騒動を引き起こしてくれてありがとうと言いたいし」
「……何でだ? わざわざ騒動を巻き起こして、それを喜ぶのか?」
笑みすら浮かべているエリンデに、レイは理解出来ないといった風な視線を向ける。
そんなレイの疑問に答えたのは、エリンデ……ではなく、サルダートだった。
「騒動が起こるのは面白くないだろうね。けど、国王派が今やってる動きを考えてみなよ。膿を出すという行為の中には、明確な証拠はないけど聖光教と関わっている……と思う相手もいるだろうね。そういう相手を処分するには、丁度いいと思わないかい?」
「いるのか? わざわざ今更聖光教と好き好んで関わるような奴が」
レイの呟きも、そうおかしなものではない。
そもそもエグジルの一件で聖光教を見る目が厳しくなったのは事実だが、聖光教を禁止すると明確に布告された訳ではない。
表向き、エグジルの件は一部の者の暴走ということになっている。
だが、それでも一度騒動を引き起こし、しかもその騒動が起きてからまだ一年と経っていないのを考えれば、現状で聖光教に近づく貴族がいるとも思えない。
そんなレイの様子に、サルダートは髪を掻き上げながら歯を光らせて笑みを浮かべる。
「宗教というのはそう簡単に離れることが出来るものではない。特にその宗教が聖光教のように裏に何かがあるとすれば当然だね。そして貴族は聖光教から何らかの利益を受け取っている者も多い。後は……」
分かるね? と告げてくるサルダートの言葉に、レイも頷くしか出来ない。
「それにしても、スティグマか。……随分と大仰な名前だけど、強いのか?」
「そうだね。少なくても私とある程度やり合えるだけの実力はあると見てもいいよ。君に分かりやすい例で言えばランクA前後の実力者……といったところだね」
「……なるほど。やっぱりそのくらいはあるか」
一撃を貰っただけに、その実力は大体理解していた。
エルクよりは弱いだろうけど、それでも侮っていいような相手ではない。
それがレイの印象だった。
「そんな相手が三人……厄介なんて代物じゃないな」
「だろう? そんな訳で……私が護衛に付くというのはどうかな? もっとも、元々君の護衛はしていたんだけどね」
サルダートの言葉に、レイの視線はエリンデの方へと向けられる。
だがその視線を受けたエリンデは、特に悪びれた様子もなく小さく頷き、口を開く。
「当然だろう? 君は教官ではあるが、より正確には客人だ。そうである以上、こちらとしても狙われていると知って何の手も打たない訳にはいかない。勿論この件は私の独断という訳ではなく、クエント公爵からの指示だから安心して欲しい」
「いや、何を安心しろってんだよ? ……そもそも、俺があの三人に狙われた状態で都合良く介入してきたんだ。そのくらいは予想していたさ。……それにしても、ランクS冒険者を俺の護衛にするとか、随分と豪勢なもてなしだな」
「今言ったように、君はクエント公爵の客人だ。当然だと思うけどね」
「うんうん。私も可憐な美少女の生活を見守れる……と、喜んでたんだけどね。まさか、レイが男だったとは……正直、あまりに予想外の展開だったよ」
エリンデの言葉に同調するように告げるサルダートだったが、その顔に浮かんでいるのは決して言葉程につまらないと思っている様子ではない。
寧ろ、自分の予定外のことが起きて、それが楽しい、大歓迎だと言いたげな様子だった。
そんなサルダートの様子を認識しながらも、レイはそれを意図的に無視してエリンデに話し掛ける。
「まさか聖光教が出てくるとは思わなかったな。あ、俺を狙っている奴の情報を引き出そうとして、刺客をグリンクに頼んで警備兵に引き渡したんだが……それってどうなる?」
「刺客?」
「ああ、そう言えばいたね」
話の流れが理解出来ないエリンデと、レイを見守っていたからこそ大体の話を理解出来ている二人。
そんな二人に、レイは自分の口から説明しておいた方がいいだろうと判断し、エーランドという二年Sクラスの生徒が刺客に襲われているのを助けたことを話す。
……勿論その切っ掛けがスープを地面にぶちまけられたことだというのは言わなかったが。
「そうか、彼は戻ってきてたのか。実家のゴタゴタで戻るのが遅くなるという話は上がってきていたのだが、ね」
どうやらエーランドの件は大体理解していたらしい。
(Sクラスはその学年の優秀な生徒を集めたって話だし、将来有望なんだから、顔と名前を覚えていてもおかしくはないのか)
一度に色々な問題が連続して起き、その解決方法にエリンデは頭を悩ませる。
「ま、頑張ってくれ。私が頼まれたのは彼の護衛だけだから、そっちの方は万全だと思ってくれていいけど」
笑みを浮かべて告げるサルダートの姿に、エリンデは小さく溜息を吐く。
文句を言いたいところだが、レイの護衛にランクS冒険者がついてくれるというだけで大きな利益になっているのだ。
今のレイがクエント公爵領内で怪我をしたり……ましてや死んでしまったりすれば。それはクエント公爵の面子を真っ向から潰される程度では済まないのだから。
「俺としては、あまり付きまとわれたくないんだけど……」
出来れば護衛は遠慮して欲しい。そんな意味を込めて呟かれたレイの言葉に、サルダートは笑みを浮かべて口を開く。
「そうかい? なら、今までみたいに少し離れた場所で護衛をさせて貰おうかな」
「いや、離れて護衛をして欲しい訳じゃなくて……いや、いい。これ以上言っても無駄な気がする」
かなりのマイペースな性格をしているのを、この短い時間で理解したのだろう。
何を言っても、結局は向こうの言いようにされると。
思わず溜息を吐きたくなったレイだったが……不意に学園長室へと誰が近づいてくる気配を感じ取る。
一瞬スティグマの連中か!? と思ったレイだったが、すぐに覚えのある気配であることに気が付く。
「レイ、襲われたと聞いたのじゃが、無事じゃな!」
そう言いながら学園長室へと突入してきたのは、マルカ・クエントその人だった。
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