第934話
「くそっ、坊ちゃんは逃がすことが出来たけど、こいつら人数多すぎだろ! 何だってグラシアールでこんなに人数を用意出来るんだ!?」
男が苛立たしげに叫びながら長剣を振るい、自分に向かって斬り掛かってきた相手の長剣を弾き、即座に刃を返して刺客を斬り捨てる。
同じ長剣という武器を使っていても、使い手が違えばこうも違うのかと、見ている者がいればそう思ってしまう技量。
もっとも護衛の男の技量が並外れて高いという訳ではなく、刺客の技量が低いのだが。
「人数優先だったからでしょうよ! 質より量ってね!」
弓を構えて矢を射っている男が、こちらもまた不愉快そうに叫ぶ。
それでいながら矢を射る速度に淀みがないのは、この男がそれなり以上の実力を持っている証だろう。
「エーランド様を逃がしたのはいいけど、後を追っていったのが何人かいる。何とかこいつらを片付けて後を追わないと」
槍を手にした男の言葉に、全員が頷く。
エーランドも貴族としてある程度の力は持っているが、それでもある程度でしかない。
複数の刺客を相手にして十分に戦えるのかと言われれば、安心して頷くことは出来なかった。
そもそも、自分達を襲っている刺客は人数を頼りにしている者達だ。
エーランドのように実戦経験が少ない者……それも人間を相手にした実戦経験が少ない者であれば、思わぬ不覚を取ってしまうというのは十分に有り得る。
だからこそ、なるべく早く刺客達を倒してエーランドに追いつきたいのだが、自分達の人数は五人、それに対して向こうはまだ二十人近い。
レイを連れたエーランド……いや、レイに連れられたエーランドがこの場所へと姿を現したのは、そんな時だった。
「エーランド、これから俺は奴等に向かって斬り込む。お前は俺のすぐ後を追ってきてくれ。可能であればお前の護衛と合流して、お前を向こうに預ける」
「私は足手纏い、か」
「そうだ」
これがこの場にいるエーランド本来の護衛達であれば、言葉を濁し、足手纏いだということは伝えなかっただろう。
だが、レイはそんなのは関係ないとばかりに足手纏いだと断言し、ミスティリングからデスサイズを取り出す。
そんなレイとエーランドの話し声が聞こえた訳でもなかったのだろうが、刺客の中の数人が不意に後ろを向く。
その視線の先にいたのは、身の丈以上の大鎌を手にした小柄な人物と、標的である筈のエーランドの姿。
レイとエーランドを見た男達は、一瞬自分の見ているものが幻か何かではないかと考える。
当然だろう。このままここにいれば死ぬことになると、自分達から逃げた標的がこうして戻ってきているのだから。
本来であれば標的を仕留めるのが最優先であるにも関わらず、この場にいた殆どの者は護衛を放っておけないと考えてここに残っていた。
……もっとも、護衛が刺客達を挑発したというのも大きいのだが。
一流の本物と呼ばれる刺客であれば、そんな安い挑発に乗るようなことはなかっただろう。だが、ここにいるのはとても一流とは呼べない……それこそ二流とすら呼べない三流の者達だ。
結局は安い挑発に乗ってこうして路地裏で大立ち回りを演じていたのだが、そんな者達であっても自分達の前に標的が姿を現せば本来の目的を思い出す。
「や、奴がぺぇっ!」
だが不幸なことに、今のエーランドにはレイという護衛が存在していた。
エーランドが姿を現したと真っ先に叫ぼうとした刺客は、レイの振るったデスサイズの一撃で吹き飛び、エーランドの護衛達と戦っている他の刺客の背中へとぶつかっていく。
「デスサイズの一撃だが、峰打ちだから安心しろ。骨の五本や六本は折れてるだろうけどな」
「いや、峰打ちというより柄の部分で殴ってるのだが」
レイの言葉にエーランドが小さく呟く。
だが、それは刺客達にとってはどうでもいいことだった。
刺客達にとって大事なのは、いきなり姿を現したレイが脅威の存在であるということのみ。
「何? 標的が現れた!? おい、後ろの奴等! この護衛達は俺達が引き受けるから、さっさと標的をぶっ殺せ! そうすればこいつらだって諦める筈だ!」
「ふっざけんなぁっ! あんな化け物相手にどうしろってんだよ!」
レイの近くにいる者の何人かが、反射的に叫ぶ。
自分と同じくらいの背の高さをしている者が、大鎌の一撃で数mも吹き飛んだのだ。それも、真横へと一直線に空を飛んで。
どれだけの力があればそんなことが出来るのかというのは、全く理解出来ない。
戦えば死ぬ。……そこまでいかなくても、先程の男のように吹き飛ばされれば骨の一本や二本では済まないだろう。
それが分かってるだけに必死の思いで叫ぶのだが、直接レイの戦いぶりを見た訳ではない者達は、何を怯えているのかと、もどかしさから苛立ちすら覚える。
「いいから、さっさとどうにかしろ! ここで戦いが始まってからもう随分と経つ。いつ警備兵が……くそっ!」
叫んでいる男の隙を突き、エーランドの護衛の一人がその男へと向かって矢を放つ。
それでも他の者達へと指示を出しているだけあって、この中ではリーダー格であり、ある程度腕は立つのだろう。自分目掛けて飛んできた矢を長剣で斬り落とす。
「皆、無事だな!」
その混乱に付け込むようにエーランドが叫び、護衛達の士気が上がる。
普通であれば護衛対象が戻ってきたのだから、何故戻ってきたという思いの方が強いだろう。
だが、今はエーランドの側にレイがいる。
深紅の異名を持つレイは、この場における戦力として考えれば十分すぎる力を持っていた。
また、自分達が守るべき相手を、幾ら腕が立っても部外者のレイに任せておけるかという思いもある。
その結果、護衛の者達は奮起して刺客達へと斬り掛かっていく。
前と後ろ。その両方から挟み撃ちにされた格好になった刺客達は、容易に混乱する。
きちんと判断出来ていれば、挟み撃ちにされたとしても数の差ですぐに致命的な被害を受けることにはならないと気が付いただろう。
また、後ろから襲ってきたレイへと攻撃を仕掛ければ、所詮レイは一人だ。ある程度の人数はこの場から逃げ出すことが出来た筈だ。
レイも路地裏ではあっても……いや、寧ろ路地裏だからこそ得意としている広範囲殲滅魔法を簡単に使う訳にはいかないのだから。
だがそんな判断が出来る程に冷静さを保っている者は殆どおらず、いても周囲にいる混乱している者達を落ち着かせることが出来ない。
結果的に、二十人近い人数の刺客達が全滅するのに、そう時間は掛からなかった。
「ご無事で、坊ちゃん!」
「ああ、逃げている途中でレイと出会えてな。幸いなことに手を貸して貰えた。そのおかげで、こうして無事でいられる」
言葉通り、本当にどこにも傷がないのに気が付いたのだろう。エーランドと話していた護衛――以前に馬車の車輪が嵌まっていた際にレイと話していた人物――が、エーランドに本当に怪我がないのかどうかを確認し、安堵の息を吐く。
「良かった、どうやら本当に無事だったみたいですね」
その言葉に、他の護衛達もようやく安心する。
「それで、こいつらはどうするんだ? 警備兵に引き渡すか? 俺としては、出来ればそうしてくれると助かるんだけど」
「うん? 何故だ?」
エーランドと話していた護衛の男が、レイへと不思議そうな視線を向ける。
男達が聞いているレイの噂というのは、敵に対しては容赦という言葉を知らないというのがあった為だ。
そんな噂のあるレイが、何故こうして刺客を殺さずに警備兵へと引き渡すと言うのか、と。
(それとも、噂は所詮噂で、実際は命を大事にする奴なのか? ……博愛主義って風には見えないけど)
そんなことすら思われているのを知らないレイは、デスサイズの石突きを地面へと突きながら口を開く。
「実は俺もこのグラシアールに来てから誰かに狙われていてな。同じ裏の世界の住人なら、多少はその手の情報も持ってるんじゃないかと思ったんだよ。実際、エーランドを追ってきた奴は倒した後で警備兵に突き出してくれるように知り合いに言っておいたし」
「知り合い?」
護衛の男が尋ね返すと、それに答えたのはレイではなくエーランドだった。
「グリンク教官だ」
「……そう言えば、さっきも思ったけど、グリンクを教官って呼ぶってことは……もしかして士官学校の生徒だったのか?」
「うむ。色々と事情があって暫く休んでいたが、明日から復帰予定だ。……待て。グリンク教官でそのように尋ねるということはもしかして?」
レイの言葉から何かを悟ったのだろう。エーランドが確認するように尋ねてくる。
それが何を聞いているのかを理解出来ないレイではない。頷いて口を開く。
「春までだが、模擬戦の教官をやっている。……まぁ、三年と四年のSクラスのみだがな」
「……そうか。この場合は助かったと言うべきか、それとも残念だと言うべきか。私は二年Sクラスなのでな」
「そうか、それは残念」
そんな風に短く言葉を交わしていたレイとエーランドだったが、そんな二人に護衛の男が声を掛ける。
「坊ちゃん。とにかくこの者達を警備兵に突き出すのであれば、早いところ呼んできた方がいいのでは? 今は全員が死んでるか意識がないかですが、死んでる方はともかく、意識を失ってる方はいつ起きても不思議じゃないですからね」
「そうだな、では早いところ警備兵を……」
エーランドがそこまで告げた、その時。
レイはゾクリとしたものを背中に感じ、反射的に身を翻す。
同時に強い衝撃。
気が付けばレイの身体は空中を飛んでおり、そのままでは路地裏の壁にぶつかると判断し、何とか身体を回転させる。
足の裏に感じた強い衝撃は、もし吹き飛ばされた時のまま背中を壁へとぶつけた場合、ドラゴンローブを身に纏っていてもかなりの衝撃を受けただろうことを示していた。
そのまま地面へと無事に着地することに成功したレイだったが、今何が起きたのかが全く理解出来ていない。
いや、誰かに攻撃されたというのは理解しているが、あの程度の刺客に自分が攻撃を当てられるとは……それも、これだけ吹き飛ばされるとは思ってもいなかったのだ。
幸いドラゴンローブのおかげで致命傷は避けられたが、それでも衝撃を完全に殺せる訳ではない。
直接的な攻撃は防いでくれるが、その際の衝撃は完全に殺しきれないのだから。
「ぐっ、くそっ、何があった?」
自分を吹き飛ばすだけの一撃を食らっても、握っていたデスサイズを手放さなかったのは、これが自分の生命線だと本能で理解していたからだろう。
このまま踞っていては危険だと判断し、肋に多少の痛みはあれど、それを我慢して立ち上がる。
そして立ち上がったレイの視線に飛び込んできたのは、三つの人影。
二十代が一人に、三十代が一人、そして六十代くらいに見える老人が一人。
三人全員が男で、それぞれが金色に輝く金属鎧を身につけており、二十代の男が顔の右頬、三十代の男が左手の甲、六十代の男が右手の甲といった風に、それぞれ一人一つずつ刺青のような模様が存在していた。
その三人の中の一人、二十代の男が振り抜いた拳へと視線を向け、感心したように呟く。
「ほう、私の拳を受けてすぐに立ち上がれますか。確かに私たちが派遣するように命じられるだけのことはありますね」
グリンクと同じような丁寧な口調。
だが、レイはともかく、その言葉を聞いたエーランドや護衛の者達は微かにすら動くことが出来ない。
本能的に理解しているのだ。目の前に立つのが、自分達では絶対に敵わない相手だと。
絶対的な捕食者と被捕食者の関係と言ってもいい。
しかも、それだけの力を持つ者が三人。
自分達がどう足掻いても意味はない。山崩れに個人で立ち向かってもどうしようもないような、そんな圧倒的な……力の差とすら呼べないような圧倒的な何か。
「誰だ、と聞いてもいいのか?」
レイはデスサイズを手に、鋭い視線を先程声を発した二十代の男へと向ける。
右頬に刺青があるが、それを込みで考えても整った顔立ちと言えるだろう。
三十代の男の方は岩のような頑強な身体をしており、老人は触れれば折れそうな程に小柄な……それこそレイとそう大差のない体躯をしていた。
「ええ、聞くのは構いませんよ。もっとも、それに私が答えるかどうかというのは別の問題ですが」
穏やかな表情で、優しげな口調。それだけを見れば好青年にしか見えない男なのだが、この場にいる者で男をそんな目で見る者はいない。
「……そうか。なら、無理矢理にでもお前達が誰なのかを聞かせて貰おうか。俺に一撃を与えてくれた礼もする必要があるしな。……エーランド、少し護衛と一緒に下がってろ。ここから去れと言いたいけど、向こうはそれを許しそうにないしな。くれぐれも俺の攻撃のとばっちりを受けないようにな」
「レイ?」
エーランドの言葉を聞き流し、炎帝の紅鎧を発動させるべく意識を集中した、その時……不意に天から一本の矢が降ってきて、レイと刺青の男達を分断するかのように突き刺さるのだった。
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