第933話

 自分のスープを地面にご馳走させた相手を追いかけたレイが辿り着いたのは、人気の少ない路地裏だった。

 行き止まりの場所に一人の男が追い詰められ、四人の武器を持った男達がいたぶるような態度をとっているところに、丁度レイが到着した形だ。

 さて、スープのお礼をしっかりとしてやろう。そう思ったレイだったが、その場にいる五人の人間の中の一人……追い詰められていた人物が顔見知りだったことに驚く。

 グラシアールへと向かっている時、街道で馬車の車輪が穴に嵌まっているところでレイが話し掛けた人物。

 その人物も、レイのことは覚えていたのだろう。

 先程までスープを飲んでいたので、フードを下ろしていたというのも影響しているのかもしれない。

 傍から見れば、ローブを着ただけの魔法使いに成り立てとしか思えないような人物。

 それでも男にしてみればレイの姿を一度見ているだけに、自分の視線の先にいるのがレイであるというのは……グリフォンを従えていた人物であるというのは明白だった。


「お前……何故ここに?」


 信じられない、という雰囲気を滲ませながら呟く男に、レイは小さく肩を竦めて口を開く。


「何故も何も、俺はグラシアールに向かっているって言った筈だけど? 俺も、スープをぶちまけさせるような真似をした相手を追って、まさか顔見知りに出会うとは思わなかったが。それより、随分と面白い状況になっているな。護衛はどうしたんだ?」


 男へと話し掛けるレイだったが、四人の男達がそれを黙って聞いていなければならないということはなく、寧ろ自分達がこれからなぶり殺しにする予定だった男の協力者が現れたと判断し、お互いに目配せをし合う。

 そうして男のうちの一人がレイの方へと近づいてくる。

 身長は二m程で、身体にもそれなりに筋肉が付いている男。

 手に棍棒を持ったその男は、レイへと向かって苛立たしげに口を開く。


「お、お、おい。お前、邪魔なんだな。折角お楽しみの時間なのに……だから、死ね、死ね、死ねぇっ!」


 喋っているうちに感情が昂ぶってきたのだろう。握っていた棍棒を振り上げ、何の躊躇もなくレイの頭部へと振り下ろす。

 もしレイが普通の人間であれば、その頭部が砕かれていたのは間違いない。

 だが……レイはとてもではないが、普通の人間と言えるような存在ではなかった。

 自分の頭部へと目掛けて振り下ろされた棍棒を、後ろに……ではなく、前に歩を進めることで回避する。

 棍棒を握っていた男は、いきなり自分の懐の中に現れたレイに驚き、棍棒が地面へとぶつかる直前に腹に重い衝撃を感じて意識が闇へと落ちる。


「げぼっ!」


 聞き苦しい悲鳴を発しながら吹き飛んだ男を一瞥し、レイは残り三人の男へと視線を向け、口を開く。


「で、結局この状況はお前達が原因のようだけど……何がどうなってるんだ?」

『……』


 静かに問い掛けるレイだったが、残り三人の男は誰もそれに答えることはない。

 ただ、今自分達の目の前で起きたことが全く理解出来なかった。

 自分達の視線の先にいるのは、魔法使いと思われる人物。

 普通であれば警戒すべき存在なのだろうが、魔法発動体の杖の類を持っていない魔法使いなど恐るるに足らない。……そう思い、自分達の中で最も力の強い仲間が殺そうとしたのだが……気が付けば、吹き飛んでいるのは男達の仲間の方だった。

 それでも何らかの魔法で吹き飛ばされたのであれば、まだ理解も出来ただろう。

 だが視線の先の小柄な魔法使いと思われる人物は、呪文を詠唱している様子はなく、それ以前に魔法発動体すら持っていない。

 更に棍棒の一撃を掻い潜って男達の仲間との距離を縮めたのだ。

 本来の魔法使いであれば、もし万が一にも攻撃を回避出来れば絶対に距離を取るだろう場面で。

 そうして気が付けば、鈍い音と共に棍棒を持った男は吹き飛ばされていた。

 それも、五m程の距離をだ。

 そして吹き飛ばされた男の身体を覆っているレザーアーマーの胴体の部分には、しっかりと拳の跡が残っている。

 つまり、棍棒を持った男は視線の先にいる小柄な魔法使いに殴られた……いや、殴り飛ばされたのだ。

 十数秒が経ち、レイの視線が向けれたままだった男達はようやく何が起きたのか理解する。……せざるを得ない。

 絶対に信じたくない、理解したくない、納得したくない出来事ではあったが、今目の前で起きたのは覆しようもない事実だった。


「くっ、くそっ! 何者だお前!」


 男達のリーダー格の人物が、手にした短剣をレイの方へと向けながら、叫ぶ。

 既にその視線には、少し前に自分がいたぶりながら殺してやろうと思っていた人物への注意は全く向けられていない。

 ただ目の前にいるレイを脅威に感じ、どうにかこの場を切り抜けようと、それだけを考えていた。

 リーダー格の男の考えは他の二人にも理解出来たのだろう。すぐに残り二人もレイへと短剣を向けてくる。


「人の話を聞かない奴だな。……この原因はお前等かって聞いたんだけどな。まぁ、いい。で、どうなんだ?」


 自分に短剣の切っ先を向けている男達から視線を逸らし、次にレイの視線が向けられたのは貴族の男の方。

 貴族の男の方は、グラシアールへと来るまでの道のりでグリフォンを連れているレイの姿を見ている。

 このミレアーナ王国で……下手をすればエルジィンの中でも、グリフォンを従魔にするような存在は男が知る限り、一人しか存在していなかったのだから。


(助かった、そう思ってもいいのか?)


 深紅のレイという人物の噂はそれなりに聞くが、現在の状況の自分をどうにかするような相手には思えなかった。

 だが、ほんの少しではあるが言葉を交わした者として、何となく信用出来るような雰囲気を持っている。


「この者達は、私を殺す為に雇われた刺客だ」

「……またか」


 この状況を見た時に予想は出来ていたが、再びこの手の輩に関わることになったのはレイにとっても面倒なことだった。

 元々はスープをぶちまけた件で追ってきたのだが、まさかこのような状況になるというのは完全に予想外でしかない。


(そもそも、俺がどこぞの刺客に狙われ……うん?)


 内心で愚痴を呟きながら、ふと気が付く。

 餅は餅屋と言うように、同じ業界の者であれば自分を狙っている相手についての情報も持っているのではないかと。


「そう考えると、寧ろこの状況は好都合。飛んで火に入る夏の虫って奴だな」


 レイから放たれる、得体の知れない緊張感。

 その緊張感に身動き出来なくなっていた男達だったが、今レイの口から呟かれた言葉が自分達に対して決定的なまでに不都合なものだと察知したのだろう。殆ど反射的に動き出す。


「くそっ、やるぞ! こいつをぶっ殺す!」

「うおおおおおおおっ!」

「し、ねぇえぇぇっ!」


 短剣を持ってそれぞれ突っ込んで来る三人に対し、レイが取った行動は酷く単純なもの。

 つまり、ただ真っ直ぐに自分へと向かって来ている三人組へと突っ込むだけ。

 ただし、その突っ込む速度が普通の人間とは比べものにならない程に速い。

 炎帝の紅鎧を身に纏っている時程ではないが、それでも男達にとっては一瞬視界から消えたようにすら思えた速度。

 更に、レイが身につけているのは竜の革や鱗を使ったドラゴンローブであり、その防御力は並大抵の武器の一撃を無傷で防ぐことが出来る。

 そんなドラゴンローブを身に纏ったレイが、男達にとっては目にも留まらぬ速度で正面から突っ込んで来ればどうなるのか。

 その答えは、裏路地に響いたグシャリという肉の潰れた音が表していた。

 それも肉の潰れる音は一度ではなく、二度、三度と連続して周囲に響き、同時に正面からレイにぶつかられた三人はそのまま吹き飛び、壁へとぶつかって地面に倒れ伏す。

 レイにぶつかった時点で、既にその衝撃により意識を失っていたのだろう。地面に倒れた男達は一切動く気配がない。


「ま、こんなもんだろうな」


 呟き、地面に落ちている短剣を拾い上げ、そのままミスティリングへと収納していく。

 何の躊躇もなく気絶した相手から武器を奪うという行為に、貴族の男は何と声を掛けるべきか迷うも、今はそれどころではなかったことを思い出す。


「済まない、助かった。グラシアールで会えるかもと言ってはいたが、これ程早く再会することになるとは思わなかった」

「だろうな。……で、こいつらどうする? お前の命を狙ってきたんだろ? 警備兵に差し出すか、それともいっそ命を絶つか、はたまたこのままここに放り出して行くか」


 レイの言葉に、男は何の躊躇いもなく首を横に振る。


「この者達に時間を掛けている理由はない。……レイ。お前は深紅の異名を持つ冒険者ということに間違いないな?」

「うん? ああ、そうだけど。……お前がこいつ等をどうこうするつもりがないのなら、悪いけど俺が貰ってもいいか? こっちもこっちで、ちょっと面倒に巻き込まれていてな。裏社会にいる奴ならその辺の事情を知ってるかもしれない」


 その言葉に男は複雑な表情を浮かべる。

 それは自分だけではなく、レイも面倒に巻き込まれているということもそうだが、何より自分がこれから口にする言葉を言い出しにくくなったというのがあった。

 だが、それで躊躇は出来ないというのも事実だ。今、自分はこうして無事でいるが、それはあくまでも自分一人のみ。

 実家から護衛として共に来た者達は、今この瞬間も刺客と戦っているのだから。


「済まないが、率直に言わせて貰う。現在私の護衛が刺客と戦っている最中だ。私は護衛達が機転を利かせてその場から逃がしてくれたのだが……」


 そこまで言われれば、レイも男が何を言いたいのかを理解する。

 つまり……


「助けて欲しいのか」

「そうだ。急なことで報酬として支払えるものは殆どないが、取りあえず今の手持ちを全て渡す。これで足りないようなら、後日改めて支払いたい。……頼めるか?」


 言葉としては上から物を言っているように聞こえるが、不思議とレイは目の前に男に対して嫌悪感を抱かなかった。

 それは、言葉遣いはともかく、自分の護衛を真摯に心配しているというのが分かったからだろう。

 護衛を護衛としてではなく、自分の仲間として判断しているのだ。

 男の様子を眺め、少し考えたレイはどうせなら自分を狙っている存在のことを知っているだろう情報源を多く確保した方がいいと判断したのか、男が差し出してきた袋を受け取る。

 そこにどれ程の金額が入っているのかを確認すらしないまま、レイは頷く。


「引き受けよう。それで、どこに行けばいい? ……ああ、その前に。俺の名前は知ってるようだけど、そっちの名前を聞いてもいいか? 依頼人の名前くらいは知っておいた方がいいだろ」

「そうか、自己紹介がまだだったな。私はエーランド・ヴィーデン。ヴィーデン子爵家の者だ」

「エーランドか。短い間だが、よろしく頼む。それで場所は? 案内してくれ」


 レイの言葉にエーランドは即座に頷き、路地裏から走り出し……


「っ!? ……レイさん!? それに、君は……」


 丁度路地裏へと入ってこようとしたグリンクとぶつかりそうになる。

 スープを零した相手を追っていった筈が、何故か貴族らしき男と行動を共にしているレイ。

 グリンクから見れば、何がどうなっているのか全く意味不明だっただろう。

 だが、レイはそんなグリンクに対し、説明をせずに端的に要求を口にする。


「そこで倒れている男達四人、ここにいる貴族のエーランドを殺そうとしてきた奴等だ。悪いけど、確保しておいて欲しい。もしかしたら俺を襲った奴の情報も持ってるかもしれないからな」

「お願いします、グリンク教官!」


 それだけを告げ、返事を聞かずにレイはエーランドと共にその場を去って行く。

 レイはエーランドがグリンクの名前を口にしたことで、その素性……というより立場が想像出来た。

 一瞬二人の後を追うべきかどうか迷ったグリンクだったが、それでもグラシアールで騒ぎを起こした者達を放って置くわけにもいかず、そしてレイを襲撃した件についての情報も持ってるかもしれないと言われれば、そのままに出来る筈もない。

 四人が気絶しているのを確認し、警備兵を呼ぶべくグリンクは動き出す。






「そこの道を曲がった場所だ!」


 エーランドの指示に従って大通りを走るレイ。

 人の数はかなり多いが、その隙間を通り抜けて移動するのはレイにとって難しい話ではない。

 道を曲がり、そこから若干遅れ気味のエーランドと共に道を進み続けると、やがて微かにだが金属音が聞こえてくるようになる。

 そう、武器同士が打ち合っているような、そんな金属音が。

 エーランドをここに置いて行った方がいいのでは? と一瞬思ったレイだったが、ここで一人残しても別の刺客に襲われればどうしようもない。

 それよりも自分の側にいた方が守ってやれるだろうと判断し、また護衛と一緒にいる方がエーランドも安心するだろうと、二人揃って戦場になっている場所へと突っ込んで行く。

 そこは、先程レイが四人の刺客を倒したのと同じような路地裏。

 ただし、その広さは先程の数倍程度あり、ちょっとした広場のようになっている。

 そんな場所で、レイにも見覚えのある数人の男達がそれぞれ武器を持って二十人程の相手と戦いを繰り広げていた。

 人数ではエーランドの護衛の方が少ないが、純粋に個人の技量では護衛達の方が勝っている。

 そんな戦いの中へと、レイはエーランドを連れて乱入するのだった。

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