第932話

 レイが夜に炎帝の紅鎧を使った件から二日。今日は士官学校も週に一度の休日ということで、レイはグリンクと共にグラシアールの街中を歩いていた。

 本来であればレイが一人で観光を兼ねて街中に出ようとしたのだが、狙われているレイが一人で士官学校の外に向かうのは以ての外とエリンデに言われ、そこで交渉の結果グリンクと一緒に行動をするというのがお互いの妥協となる。

 本来グリンクの仕事は授業でのフォローであり、日常生活に関してはサマルーンの領分ではあったのだが……残念ながらサマルーンは魔法使いではあっても、身体能力自体はそれ程高くはない。

 純粋な護衛として考えれば、やはりここは魔法よりも戦士として身体を鍛えているグリンクの方が上だということで、サマルーンではなくグリンクが選ばれたのだが……


(ま、何かあった時にグラシアール独特のルールとかあったらすぐに聞けるからいいんだけど。……けど、出来ればセトを連れて来たかったな)


 本来、純粋な護衛という意味であれば、グリンクよりもセトの方が上だろう。

 だがこのグラシアールでセトを連れ歩くと色々な問題や騒動が起きる可能性が高いということで、セトは今日厩舎で待機となった。

 セトはレイと一緒に遊べないと知って寂しそうであったが、夕方前には戻ってくるということを言われて何とか納得させることに成功する。

 もっとも、その代わりにお土産として美味しい料理を買ってくると約束させられたのだが。


「取りあえず腹ごしらえしたいんだけど、どこかいい場所はないか?」


 レイに尋ねられ、グリンクは首を傾げて何かを考える。

 尚、今日のグリンクは自分が護衛だと認識している為だろう。レザーアーマーに身を包み、腰には長剣の収まった鞘といった風な、一見すると冒険者に見える姿をしていた。

 身長自体はレイよりも大きいとは言っても、平均と比べると小さいグリンクだが、絡んでくる者はいない。

 それは、やはりグリンクの身体が見て分かる程の筋肉に覆われているからだろう。

 何となくそんなグリンクを見たレイは、小型戦車……といった印象を受けていた。

 そんな小型戦車のグリンクが、いつものように見かけとは似合わぬ丁寧な口調で言葉を発する。


「そうですね。この大通りを真っ直ぐ行くと、道端に幾つも屋台が出ている一画があります。幸い今日は天気に恵まれているので、屋台の数も多いのではないでしょうか?」


 頭上には雲が存在せず、太陽が煌めいている。そんな冬晴れの天気を見ながら告げるグリンクに、レイもまた空へと視線を向ける。

 太陽が眩く輝く空は、まるでレイが誰かに狙われているのかといったことは関係ないと言いたげなようにも見えた。


「ま、いいや。じゃあ行くか。出来れば温かい料理を食いたいな」

「この時期、冷たい料理を出すような屋台はないのでは? 寒いですし」

「そうか? 寒いからこそ部屋の中を暑くして、その暑い中で冷たい料理を食べるというのは結構いいぞ?」

「……普通、そんな贅沢なことをするなんて真似は出来ませんよ。もしそんな真似を出来る人がいたとしたら、恐らく貴族や王族といった方々じゃないでしょうか」


 グリンクの言葉に、レイはそう言われればそうか……と内心で呟く。

 日本にいた時は、冬になれば居間では薪ストーブ、自分の部屋では電気ストーブといったものを使って暖をとり、部屋の気温が三十度近い中で冷たいアイスを食べるといったことを良くやっていたレイだったが、このエルジィンではそんな贅沢を出来るのは極一握り。

 ただし……


「そうか? 俺の場合は炎の魔法が得意なおかげで、似たような真似が出来るけどな。冷たい料理とかもアイテムボックスに入れておけば大丈夫だし」


 そう、レイの場合は例外的に冬にも関わらず、暑い中で冷たい果実水を飲んだり、よく冷えた果物を食べたりといった真似が出来る。

 一般人から見れば、非常に羨ましい……いや、想像の遙か先にある為か、羨ましいのかどうかすら分からない行為。


「それは羨ましいですね。それなら、レイさんがお金に困ったらそれで商売が出来るのでは?」

「出来るかどうかと言われれば、多分出来ると思うけど……俺に商売ってのは、向いてないしな」


 小さく肩を竦めながら道を進んでいくと、やがてグリンクが言っていた屋台が多く並んでいる通りへと到着する。


「へぇ……これは凄い」


 目の前に見える無数の……それこそ五十軒を越えるだろう屋台の数々に、レイは感嘆の声を漏らす。

 ギルムにも屋台が多く並んでいる通りというのはあったが、それと比べても明らかに屋台の数が上だったからだ。


(ただ、屋台の問題はやっぱり味だよな。幾ら数が多くても、味が悪ければ話にならないし)


 悔し紛れに内心でそう呟くのは、やはりレイにとってもギルムが半ば故郷のような、自分の帰るべき場所と本能的に理解しているからこそだろう。


「何か美味い、お勧めのものがあったら教えてくれないか?」

「そうですね。やっぱり温かい料理となるとスープがいいかと。特に具がたっぷりと入っているスープは身体も暖まりますし、お腹も一杯になりますから」

「じゃあ、それで」


 グリンクの意見に従い、レイは何杯かのスープを注文していく。

 職員寮を出る前にきちんと朝食を食べてきたのだが、それでもレイは次々にスープを頼んでは飲み干し、食べつくし、次の屋台へと向かう。

 当然そんな真似をしていれば目立つのだが、レイ本人は全く気にしている様子はない。

 何かがあっても自分なら必ず切り抜けられるという思いがあるし、何かあった時にはグリンクがいるというのもある。

 ……もっともグリンクは自分が護衛をする人物が目立っているのに困っていたのだが。

 当然だろう。現在最善なのは、レイを狙っている者達に自分達が発見されないことだ。

 だが、その護衛対象がその辺を全く気にしていないというのは、相手に見つけて下さいと言っているようなものだろう。

 そんなグリンクの心配を余所に、レイは次の屋台へと向かう。

 最初の数杯はグリンクもレイと一緒にスープを飲んでいたのだが、今はもう腹八分の状態になっており、ただレイの後を追うだけだ。


「お、俺の店まで来たか。あんたすげえな。……兄ちゃん? 姉ちゃん?」

「そのどっちかと言われれば兄ちゃんだな。……一杯頼む」

「あいよ」


 軽く言葉を交わし、出て来たスープは今までレイが飲んできたものとは随分と違っていた。

 スープから漂ってくる匂いも、今までのものとは違う。


「これは……初めて見るスープだな」

「ああ、うちの地元の名物料理だ。ちょっと面白い味だから、最初は少しずつ飲んでみるといい」


 面白い味という言葉に興味を持ち、渡されたスプーンでスープだけを飲んでみる。

 瞬間、スープを飲むのに邪魔だということでフードを下ろしていたレイの目が大きく見開かれた。


「これは……酸っぱい? いや、辛い? 酸っぱ辛い? 今までに飲んだことのない味だ」

「だろ? 結構好き嫌いが分かれるんだよな。ただ、好きな人は物凄く好きだ。ま、だからこそ俺の屋台もこうしてやってられるんだけどな」


 もしレイにタイ料理の知識があれば、トムヤムクンという料理名を出していたかもしれない。

 だが日本の山奥に住んでいたレイがトムヤムクンという料理を食べたことがある筈もなく、今出来るのはただ驚くだけだった。

 もっとも、一般的にトムヤムクンというのはエビが入っている料理なのだが、今レイが飲んでいるのは干し肉を使ったスープなので、正確にはトムヤムクンとは違うのだが。

 似ているとすれば、鶏肉を使ったトムヤムガイか。

 その類の料理を食べたことがないだけに、レイは器に入っているスープをじっくりと見つめる。

 乳白色のスープだけに、具にどんなものが入っているのは分からない。

 それでも、妙に後を引く味なのは事実だった。


(パンの類には……うーん、どうだろうな。合うような、合わないような……どちらかと言えば、麺の方が合いそうな気がする)


 酸味と辛味の二つが激しく自己主張しているが、ベースとなっているスープの味自体も決して悪いものではない。

 いや、寧ろ基本がしっかりとしているからこそ、このような酸っぱ辛いスープでもしっかり美味いと感じることが出来るのだろう。


「うん、美味い。俺は結構好きだな」

「驚きましたね」


 レイの言葉にそう告げたのは、店主……ではなく、レイの後ろにいたグリンクだった。

 その言葉通り、心底驚いたといった表情を浮かべている。

 普段は丁寧な口調ながらも、あまり表情を変えないグリンクにしては珍しいと言えるだろう。


「そうか? ……その様子だとグリンクは?」

「申し訳ないのですが、私はあまり……」


 そこで言葉を止め、屋台の店主へと小さく頭を下げる。

 故郷の味を、言葉を濁しながらだが不味いと言われてしまったのだから気を悪くしたのではないかと思ったのだろうが、店主は笑って首を横に振る。


「気にするなって。さっきそいつに言ったように、この味は癖が強いってのは十分に分かっているしな。……まぁ、俺の故郷だと普通に皆が飲んでたから、グラシアールに出て来て驚いたけどよ」

「ああ、そういうのはあるよな」


 屋台の店主の言葉に、レイは頷く。

 レイ自身はずっと田舎に住んでいたが、それでも修学旅行には参加したことがある。

 その際に料理として出て来た茶碗蒸しが甘くなかったり、ポテトサラダも甘くなかったり、逆に玉子焼きが甘かったりと、色々と衝撃を受けた記憶があった。

 ……玉子焼きが甘いというのは漫画や小説の類で良く出てくるので、見ただけではそれ程驚きはしなかったが、実際に食べて見るとかなりの違和感があった。

 寿司の玉子ともまた違った、妙な感じ。

 そして、レイが最も驚いたのはポテトサラダだろう。

 レイの家では、ポテトサラダというのは甘いものというのが一般的だった。

 それだけに、しょっぱいポテトサラダというのは、一種のカルチャーショックすら与えたのだ。

 それらの記憶を思い出して告げるレイに、店主は自分と同じようなものを感じたのだろう。同類を見るような視線をレイへと向ける。


「どうやらお前さんの地元にも他ではあまり受け入れられない料理があるみたいだな」

「そこまで言われる程じゃないと思うんだけど……その辺はやっぱり育ってきた環境とか色々とあるんだと思う。それより、このスープ美味いな。もう一杯貰えるか?」

「あいよ」


 あまり他人に理解されにくい味でも、やはり自分の故郷の味が喜ばれるというのは嬉しいのだろう。店主は笑みを浮かべてスープを盛りつけ、レイへと渡そうとし……


「どいてくれ、頼む、どいてくれ!」


 その言葉と共に屋台が揺れ、その衝撃で店主の持っていた皿が地面へと落ちる。

 そうなれば当然スープも地面へと落ちる訳で……


「あ」


 その言葉を発したのは誰だったのか。

 今の成り行きを背後から見守っていたグリンクか、後ろから誰かに突き飛ばされて屋台へとぶつかった通行人か、その衝撃で地面に皿を落とした店主か、それとも……おかわりを自分の代わりに大地に飲み干されてしまったレイか。

 ともあれ、レイが飲む予定だったスープがなくなってしまったのは事実であり……


「ほう」


 一言。

 レイの口から出たのは、本当に短いその一言だったが、それを聞いた全員が何か不吉なものを感じ取った。

 決して何か感情が込められていた訳ではない。

 ただ呟いただけ。

 それだけだというのに、屋台の店主や、近くで今の一連の行動を見ていた者はおろか、グリンクまでもがその呟きに不吉なものを感じ取ったのだ。


「食い物の恨みは恐ろしい。この格言を身を以て教えてやろう。グリンク、悪いけど先に行く」


 それだけを告げ、少し多目の銅貨を屋台の店主へと渡すと、その場を走り去る。

 一連の流れをただ見ているしか出来ないグリンクだったが、すぐに自分の前からレイの姿が消えたのを見て我に返った。


「っ!? レイさん!」


 そうしてレイの後を追うグリンクが消え去ると、その場に残ったのは色々と話の成り行きについていけない屋台の店主と、その周囲にいた人々。

 それと、今の一連の騒動がなければ恐らくレイが次に向かってたであろう屋台の店主達の残念そうな表情のみだった。






「はぁ、はぁ、はぁ……まさかグラシアールにまで刺客を放つとは。叔父上め、見境がなさすぎるだろう」


 一人の男……少年と青年の間くらいといった年代の人物は、人混みの多い中を走り抜け、少しでも自分の巻き添えを周囲に与えないようにと走り続けていた。

 ……いや、正確には追い詰められつつあった、と表現すべきだろう。

 逃げようとすれば機先を制したかのように短剣が飛んできて、どこか一方向に誘導されているのだから。

 それでも、自分が生き延びる為にはどうしてもその誘いに乗るしかなかった。

 人が多くいる中を走り、やがて気が付けばどこかの路地裏にその人物の姿はあった。

 男の視線の先にあるのは、壁。

 完全に路地裏の行き止まりへ追い詰められた形となり、男は少しでも時間を稼ぎ、離された護衛の者達が来るまで持ち堪えようと腰の鞘から長剣を抜く。


「へっ、坊ちゃんが無茶するんじゃねえよ。観念するんだな」

「そうそう、俺達の金の為にその命をくれ」

「殺す? 殺す? ……殺す!」

「おいおい、落ち着けってお前等。とっとと片付けてここを出るぞ。結構大きな騒ぎになってしまったからな。俺達の顔も見られている筈だ」


 四人の男達がそう告げ、手に武器を持ち標的の男との距離を縮めようとした、その時……


「へぇ。誰かと思ったら見覚えのある顔だな。……それでも食べ物の恨みは恐ろしいんだけど」


 路地裏にそんな声が響くのだった。

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