第931話

 士官学校の敷地内を進む、レイとサマルーン、そしてセト。

 冬の夜ということで、雪は降っていないが冷たい風が吹きすさぶ。

 空の月は雲に隠され、月明かりはそれ程明るい訳ではない。

 そんな、普通であれば誰も外に出たいとは思わないだろう中を進む一行だったが、冬の寒さに震えているのはサマルーンのみだった。

 レイはドラゴンローブがあり、セトはグリフォンでこの程度の寒さなど全く気にしない。

 だがそんな中で普通の人間でもあるサマルーンは、どうしてもこの寒さに震えざるをえなかった。


「ううっ、さっきのレイさんのスキルで暖かかった分、余計に寒く感じますね」

「結構着ているように見えるけど、それでも寒いのか?」


 寒そうに呟くサマルーンに、レイが尋ねる。

 レイの目から見れば、ローブの膨れ具合から考えてローブの下にも何枚か着ているのは間違いない。 

 その状況でも寒いと言うのか? と疑問に思ったレイだったが、元々痩せぎすの体格をしているサマルーンだけに、寒さには弱いのだろう。


「僕からしてみれば、レイさんはよくそんなローブ一枚で全く寒くないですよね」

「これもマジックアイテムだからな」

「羨ましい……物凄く羨ましいです」


 寒さを誤魔化すかのように話し掛けてくるサマルーンを哀れに思ったのか、レイはそっとセトの背を撫でる。

 それだけでレイが何を自分に希望しているのか分かったのだろう。セトは喉を鳴らしてレイの隣からサマルーンの近くへと移動する。


「え? これは一体……? レイさん?」

「学園長室のある校舎に行くまで寒いだろ。セトに触っていれば少しは暖かい筈だ。乗る……というのはセトが許さないと駄目だろうけど」

「えっと、その……いいんですか? 本当に?」


 恐る恐るレイとセトへと尋ねるサマルーンだったが、セトは喉を鳴らして構わないと態度で示す。

 その喉を鳴らすというのが威圧的なものではないというのを理解し、ようやくサマルーンは嬉しそうに笑みを浮かべる。

 魔法について高い興味を持つサマルーンにとって、セトというのは……より正確にはグリフォンというのは非常に興味深い存在だった。

 高ランクモンスターともなれば、魔力を操るということは平気でやってのける。

 それだけに魔法を研究する上で非常に参考になる存在でもあり、前々から高ランクモンスターが気になっていたのは事実だ。

 だが、ランクAモンスターや……それより更に上のランクSモンスターにそうそう触れる機会がある筈もなく、そういう意味ではグリフォンのセトはサマルーンにとって福音にも等しい存在だと言えただろう。


「グルルゥ」


 触ってもいいよ、とセトはサマルーンに自分へと触れるように促す。

 そんなセトの様子に、サマルーンは恐る恐る手を伸ばし……やがてセトの背へと触れる。

 滑らかな手触りがする毛の感触に目を見開き、やがてそのまま何度となくセトの背を撫でる。

 そのまま一分程が経ち、やがてこのままでは学園長室に到着するのが遅れる……と思う以前に、自分達の上空を飛んでいる小鳥の姿を気配や音、視覚でも確認出来るレイは、サマルーンに申し訳なく思いながらも口を開く。


「サマルーン、その辺にしておけ。そろそろ学園長室に向かわないと、ただでさえ受ける小言が、更に多くなるぞ」


 レイも、セトの手触りがどれ程に気持ちのいいものかは知っている。

 これまでに数えるのも馬鹿らしくなるくらいにセトを撫でてきたレイでも、その手触りに飽きるということを知らないのだ。

 そんな不思議な魅力を持っているセトなのだから、こうして初めて撫でたサマルーンにとっては極上の時間と言ってもいいだろう。


「ああ……今までにも何度かセトの様子を見に厩舎まで行ってましたけど、あくまでも離れて見ていただけでした。今にして思えば、何故撫でてこの感触を楽しまなかったんでしょう。自分で自分が馬鹿に思えます」

「そこまで言うか? ……いや、おかしくないけど」


 某セト愛好家の女冒険者二人も、その感触は至上の快楽とすら言ってのけた程だ。

 普通に考えればサマルーンの言葉は当然のことなのだろう。

 セトと常に一緒に行動をしている自分だからこそ、寧ろセトのありがたみというのを分かっていないのかもしれない。 

 ふとそんな思いを抱いたレイだったが、頭上で小鳥の鳴き声が聞こえ、慌てて我に返る。


「ほら、さっさと行くぞ。このままだと、朝まで小言を言われかねない」


 レイは再びセトの毛を撫でることに集中しているサマルーンへと声を掛ける。

 エリンデのことをそれ程知っているという訳でもないレイだったが、それでも今回の件でかなり怒っているというのは小鳥を見れば理解出来た。

 いや、正確には小鳥とサマルーンのやり取りを、と言うべきか。

 それだけに、これ以上怒らせるような真似はしない方がいいだろうと判断し、セトの毛の感触に陶酔しているサマルーンを半ば強引に引っ張って学園長室のある校舎へと向かうのだった。






「……え? あれ? レイさん? あれ? セトは? 僕は確かセトを撫でて……」


 学園長室のある校舎の中へと入ってセトと離れたからか、ようやくサマルーンは我に返る。

 本人の記憶では外でセトを撫でていた筈だったのが、いつの間にか……本当にいつの間にか、時間が飛んだように気が付けば校舎の中にいたというのでは、驚くのも当然だろう。

 普段であれば、幾らセトの毛並みが触っていて気持ち良くてもここまで我を忘れるということはない。

 だが、今回の場合はサマルーンがセトに対する強い興味があったこと、夜の冬で外にいるという寒さ、セトの毛の手触りの滑らかさ、セトの体温による暖かさといった様々な要因により、我を忘れるようなことになっていた。

 また、直前に炎帝の紅鎧という、魔法ではないが魔力そのものを大いに利用したスキルを見たことも影響しているのかもしれない。

 ともあれ、サマルーンはその驚きの表情を浮かべたまま周囲を見回し続ける。

 だが、レイはそんなサマルーンを問答無用で引っ張って行く。


「ほら、行くぞ。このままエリンデを待たせると、色々と不味いことになるだろうからな」


 幸いレイとサマルーンが校舎の中に入ったのを確認すると、小鳥はレイ達から離れていった。

 ここまで来れば逃げるような真似はしないと、その程度にはレイのことを信用しているのだろう。


「あ、はい。……そう言えばそんなのがありましたね」

「いや、そんなのって……仮にもこの士官学校のお偉いさんに向かって」

「いえ、学園長は尊敬してますよ? それは間違いのない事実です。ですが、やっぱり、こう……何と言えばいいんでしょうね。出来ればあまり怒られたくないというか」

「それは俺だって同じだ」


 そう告げるレイだったが、今回の件に関して言えばサマルーンは完全なとばっちりと言ってもいい。

 レイが炎帝の紅鎧を使って襲撃を誘ったり、もしくは自分を監視している相手を誘き出したりしようとしていたのだが、サマルーンはそれを知らなかったのだから。 

 ただ、レイが魔力を使ったスキルの訓練をするということで、興味を持って一緒にやってきただけで……

 もっとも、サマルーンは炎帝の紅鎧を見ることが出来た以上、後悔は殆どしていなかったが。


「さ、ついた。……覚悟はいいか?」

「あまり良くないんですけど……そうも言ってられないんですよね?」

「そうだな。俺も出来ればこのまま知らんぷりしたいところだけど、そうもいかないだろ。じゃあ、行くぞ」


 その言葉と共に扉をノックすると、すぐにその向こうから中に入るようにという返事が聞こえてくる。

 そうして学園長室の中に入ったレイとサマルーンを待っていたのは、不機嫌そうな表情を浮かべながら据わった目つきで視線を向けてくるエリンデの姿だった。

 普段は男とも女とも判断がつかないエルフなのだが、今こうしていると余計にその判断をするのは難しい。


(怒ってる、怒ってるとは思ってたけど……まさか、ここまで怒ってるとは思わなかった)


 怒り心頭といった様子のエリンデは、自分の肩で鳴いている小鳥を机の上へと降ろすと、冷えた視線をレイとサマルーンに向けて口を開く。


「さて、レイ殿。当然ながらここに呼んだ理由というのは理解していると思うのだが……まず、真っ先にこれを聞かせて貰おうか。何故こんな真似を?」


 レイへと、言葉を促すような視線を向けて尋ねるエリンデ。

 その視線を受け止めながら、レイは口を開く。


「何故、というのは大体分かっていると思うけどな。それでも無理に言えというのであれば……そうだな、牽制、誘引、威圧、忠告といったところか」

「だろうね。恐らくそうだろうとは思っていたよ。別にそれが悪いとは言わないけど、それでも何かやるのであれば、前もってこちらに一言あっても良かったんじゃないのかな?」

「その点については悪かったと思ってる。ただ、思いついたのがついさっきだったから」

「思いついたからといって、気軽にあんな真似をしないで欲しいんだけど。特にあのスキルの件はともかく、君の魔力が爆発的に増えたのは何なんだい? 思わず飲んでいたホットワインを噴き出してしまったよ」


 はぁ、と溜息を吐きながら愚痴るエリンデ。

 そんなエリンデを見て、思った程に怒っていないのか? と疑問に思うレイだったが、現状で一番事情を理解出来ていなかったのはサマルーンだった。


「すいませんが、僕にはお二人が何を言っているのか意味が良く理解出来ないんですけど。詳しい話を聞かせて貰っても構いませんか?」

「……レイ殿。君は全く事情を話さずにサマルーンを連れ出したのか?」


 エリンデから咎める視線が向けられ、レイはそっと視線を逸らしながら口を開く。


「どの程度まで情報を教えてもいいのか分からなかったからな。それに、詳しい話はここで済ませた方が手っ取り早いだろ?」

「はぁ、もういい。分かった。私が説明しよう。……いいかい、サマルーン。レイ殿はね、何者かに狙われているんだ。それも、授業中に毒矢を使うなんて手段を取るような者に」

「は? えっと、その……本当なんですか?」


 エリンデが何を言っているのか分からない。そんな風に声を上げるサマルーン。 

 当然だろう。このグラシアールはクエント公爵家の本拠地と言ってもいい場所だ。

 そこでクエント公爵が匿っているレイを襲撃するというのは、完全にクエント公爵の顔を潰す行為だ。

 普通であれば、まずそんなことをするような者はいない。

 つまり、普通でない者がそれを行っているということになるのだが……


「レイさん、何か心辺りはあるんですか?」

「……まぁ、心当たりは色々とある。それこそ、数えるのも面倒なくらいにな」

「あー……」


 確かに、とサマルーンも思わず頷く。

 レイの性格を考えれば、敵となる相手は幾らでもいるだろうと。

 直近では、それこそクエント公爵の所属する国王派の貴族が狙ってきてもおかしくはない。

 それも、クエント公爵の意図しないところで、部下が独断で、だ。


「まあ、レイ殿なら普通の相手に狙われたとしてもどうにかなるのだろうけど、問題は向こうが使ってきた毒矢だよね」

「そう言えばさっきも言ってましたね。ですが毒矢というのは、こう言ってはなんですが暗殺では良く使われるのでは?」


 サマルーンの口から出た言葉は、紛れもない事実だった。

 古来より暗殺で毒が使われるのは珍しくない……それどころか、もっとも一般的な暗殺方法の一つと言ってもいいだろう。

 その毒も植物や動物から作られるものといったものが一般的なのだが……今回の場合は、その毒が問題だった。


「そうだね、この毒が天の涙でなければ、私もそこまで今回の件を気にはしなかっただろう。サマルーンならよく知ってると思うけど、この天の涙という毒は非常に強力な猛毒だ。それこそ、かすり傷が致命傷になりかねない程の。同時に、作るには非常に手間が掛かる」

「天の涙!?」


 エリンデの口から出た言葉が予想外のものだった為だろう。サマルーンは反射的にレイの方へと視線を向ける。


「本当ですか?」

「残念ながら俺は毒物に詳しくないから何とも言えないけど、エルフのエリンデがこう言うのなら、間違いのない事実なんだろうな」

「そういうことだね。とにかく、レイ殿は天の涙を用意出来、使えるような者達から狙われているんだ。それを考えると、迂闊な動きはして欲しくないというのは分かるだろう? つまり、レイ殿の今回の行動は少し……いや、かなり独断専行的な意味が強かったということになる」


 改めて据わった目つきでレイへと視線を向けたエリンデは、この後、一時間近くもレイとサマルーンへと説教をすることになる。

 ……サマルーンは完全にレイに巻き込まれた形なのだが。

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