第935話

「……え?」


 その間の抜けた声を発したのは、一体誰だったのか。

 それは分からずとも、今、天から降ってきた矢がレイと突然現れた男達の致命的な衝突を止めたというのは明らかだった。

 矢……それは、本当にただの矢だ。

 何の変哲もない、マジックアイテムの類ですらない、普通の矢。

 だが、その矢は一触即発の状況だったこの場面を間違いなく止めた。


「この矢は……」


 矢が降ってきてから最初に動いたのは、刺青の三人組の中でも三十代の男。

 自分達とレイとを分けるように突き刺さっている矢を見て、小さく呟く。


「ひょ? 知っとるのかね?」

「はい。……奴が、天弓が出て来たとなると、この場でこれ以上の戦闘は避けるべきかと。このような隠れる場所が多い戦場は、奴の最も得意とするところです。勿論このまま戦っても負ける、とは言いませんが。その代わり、この一画が消滅してしまう可能性があります」


 老人の言葉に三十代の男が答え、それに二十代の男も同意するように頷く。


「そうですね。私も一旦この場から去るのは賛成です。彼が出て来たのであれば、深紅への神罰執行は今暫く時を待つべきかと。あの二人が相手では、スティグマの解放をしても確実に神罰を与えることが出来るとは限りません」

「ふむ、そうじゃの。スティグマを解放しておらんとはいえ、お主の一撃を受けてすぐに立ち上がる男じゃ。そのような者と天弓を同時に相手にするというのは厄介か。ならば……ここは退こうぞ」


 老人がそう告げた瞬間、周囲に強烈な光が生まれ、その場にいた者達の視界を遮る。


「このまま逃がすかよっ!」


 相手が撤退するのだと判断したレイは、その光が生まれた瞬間咄嗟に目を瞑ってミスティリングの中から槍を取り出し、素早く投擲する。

 いつものように身体の捻りを加えた万全の体勢での投擲という訳にはいかず、純粋に腕力だけを使っての投擲であったが、レイの手から放たれた槍は真っ直ぐに光のなかへと消えていく。

 そうして周囲を強烈に照らしていた光が消え……開いた目で見たのは、自分の投擲した槍が壁へと突き刺さっている光景だった。

 ただ、何も出来ずに逃したという訳ではなかったようで、槍が通り過ぎただろう地面には数滴の血が零れ落ちていたが。


「……ちっ、結局逃がしたか。上手くいけば壁に縫い止めてやったってのに」


 舌打ちをしながら槍の突き刺さった壁へと近寄り、柄の部分へと手を伸ばし……すぐに眉を顰める、

 当然だろう。柄を握った瞬間にその場所が折れたのだから。

 もっとも、レイが投擲用の槍として使っているのは大抵が穂先が欠けたりしているような、そんな槍だ。

 いつ壊れてもおかしくないからこそ、使い捨てに出来る槍。

 勿論普通の槍も多いのだが、今回投擲したのはそんな壊れかけの槍だった。

 それでも一方的にやられた訳ではなく、向こうの誰かに血を流させることには成功したのだと、何とか自分を落ち着かせたレイは、視線をエーランドの方へと向ける。

 だが、エーランドとその護衛達は全員が今の姿を見せた三人から受けた圧倒的な存在感と衝撃から未だに立ち直れないらしく、まるで時間が止められたかのように動きを見せていない。

 ある程度の技量があるエーランドとその護衛達ですらそうなのだから、ここでその護衛達と戦っていた刺客の中には精神的な意味で押し潰されてしまっている者もいた。

 周囲を一瞥し、最終的にレイの視線が止まったのは、地面に突き刺さっている矢。

 その矢に対し、レイは忌々しいような嬉しいような、複雑な感情を抱いていた。

 これから反撃するというところで戦いに水を差したのは事実だが、二十代の男の攻撃により多少ではあってもダメージを受けていたのも事実。

 レイに一切気が付かせることがないまま近づき、攻撃をしたのだ。

 並大抵の技量の持ち主ではないというのは理解していたが、その強さを持つ者が最低三人。……もしくは、レイに気が付かせずに近寄ってくるだけの実力を持つ者だけに、他にまだいてもおかしくはない。

 それだけの実力を持つ者を相手にレイ一人で……更にはエーランドのような足手纏いを庇いながら戦って勝てるかと言われれば、それは難しいだろう。


(否、とは言いたくないが……それでも苦戦するのは必至だ。短い戦いだったけど、ランクA冒険者クラスの実力の持ち主と見てもいい。そんな相手を三人か。……セトがいればどうにかなったか?)


 セトがいれば嗅覚で撤退した三人の後を追えたのだと考えれば、つくづくおしいことをしたと思える。


「で、だ。……この矢は結局誰の仕業なんだ?」


 呟き、改めて矢を見る。

 天の涙という毒矢に狙われた経験のあるレイとしては、矢にはあまりいい思い出はない。

 と、非常におかしなことに気が付く。

 地面に突き刺さっている矢には、一切の傾きが存在していない。

 あたかも、矢を上から真っ直ぐ落としたかのような刺さり方なのだ。

 上空へと視線を向けるレイだったが、当然そこには誰の姿も存在していない。

 つまり、この矢を放った相手は真上へと向かって矢を放ち、山なりに飛んだ矢が角度を変えずに真っ直ぐ一直線に落ちてきたということになる。

 しかも、レイから見える範囲内にその姿がないのを考えると、かなりの遠距離から。


「天弓とか言ってたな。……誰だ?」


 そうレイが呟いた瞬間、エーランドが信じられないといった視線をレイへと向ける。

 一瞬前までは全く動けない状況だった筈なのだが……それだけレイの口から出た言葉は予想外だったということなのだろう。


「知らないのか!?」

「うん? 何をだ?」

「だから、天弓……サルダート様をだ!」

「サルダート?」


 聞き覚えのある名前に、何かを思い出すようにレイは目を閉じ……すぐにその名前を思い出す。


「ミレアーナ王国所属の、ランクS冒険者か?」

「そうだ。天弓のサルダート様。その矢はどれ程遠くからでも標的を射貫くという……誇張された噂だとばかり思っていたが、どうやらこれを見る限り決して間違っている訳ではなかったらしいな」


 エーランドの口から出た言葉に、レイは微妙な表情を浮かべる。

 いや、この矢の持ち主には感謝をしているが、やはり戦いの邪魔をされたという思いがあった為だ。

 もっとも、わざわざそれを口に出すような真似をしたりはしないが。

 だからこそ、意図的に話題を変える。


「どれ程遠くからでもって……エーランドの感覚でそんなに周囲の様子をきちんと確認出来るのか?」


 レイの前にいる人物が、二年Sクラスであるというのは知っている。

 だが、それでも結局はその程度でしかないというのも事実だ。

 三年、四年のSクラスの生徒達の実力を見る限り、飛び抜けて強いということはない筈だった。

 事実、最初にレイがエーランドに追いついた時には、刺客四人を相手に怯んだ様子を見せていたのだから。


「それは……」


 自分でも実力不足だというのは理解しているのだろう。エーランドが多少不満そうにだが黙り込む。


「悪い、そこまでへこませる気はなかった。それに、実際お前の言ってる内容は決して間違ってない」


 エーランドから、地面に突き刺さった矢へと視線を向けながら、レイは言葉を続ける。


「こう見えて、俺の五感は鋭い。しかも、さっきのあの三人を前にして、かなり本気になっていた、なのに、どこから矢が射られたのか、全く理解出来なかった。気が付いたらこうして矢が天から降ってきてたからな。……なるほど、それで天弓なのか?」


 天から降ってくる矢。それも、遠く……レイの感覚でも把握出来ない程の距離から放たれる矢というのは、非常に脅威だろう。

 レイであっても、天弓のサルダートという相手と向かい合っている状態であれば例え矢が真上から降ってきてもどうにでも対処出来る。

 だが、乱戦の最中に狙い澄ましたように矢を放たれれば、そちらにも意識を割かねばならずに対処が難しくなるだろう。


「勿論ランクSのサルダート様だ。真上から矢を落とすだけじゃなくて、他にも色々と弓に関する技術は高いらしい。このグラシアールの正門から士官学校に侵入しようとしていた盗賊を射貫いたという話は有名だな」

「……何の冗談だ?」


 正門から士官学校までというのは、レイも実際に通ってきたからどれ程の距離があるのか理解している。

 そもそも、何度か曲がったりもしているので、決して一直線という訳ではない。

 そんな地形で、どうやればエーランドが口にしたような真似が出来るのか。

 誇張された話だろうと取りあえず考えるも、エーランドは見るからにサルダートという人物を尊敬している様子であり、わざわざそれを口に出すような真似はしない。


「それより、結局これから……」


 どうする? と尋ねようと思ったレイだったが、こちらに近づいてくる気配を察知してデスサイズを構える。

 先程の三人組が戻ってきたのではないか? そう思ったのだが……やがて路地裏の入り口から姿を現したのはグリンクだった。

 その顔を見て小さく安堵の息を吐き、レイはデスサイズを下ろす。


「レイさん? どうしたのですか? この者達が刺客だということで構いませんか?」

「ああ。……まぁ、もっと大物には逃げられたけどな」


 レイの口から出た言葉に、グリンクの顔は驚愕へと変わる。

 レイがどれ程の実力を持っているのかというのは、ここ暫く授業で行動を共にして十分以上に理解している。

 勿論生徒達はグリンクと比べて腕が落ちる。それでも、自分が戦ってレイに勝てる……どころか、まともに渡り合える姿すら想像出来なかった。

 それ程の強さを持つレイが逃げられた相手と聞き、グリンクの脳裏を以前授業中にレイへと向かって放たれた毒矢が過ぎる。

 そう考えてみれば、地面に一本の矢が突き刺さっているのも見えた。

 エーランドの護衛にも弓を武器にしている者はいたのだが、その護衛の放った矢は地面に突き刺さるのではなく落ちている。


「また矢、ですか?」

「いや、違う。この矢は俺達の援護をしてくれた奴の矢だ。……天弓と言えば分かるか?」

「っ!?」


 再びの驚愕。

 当然だろう。このミレアーナ王国に住んでいる者で、自分の国のランクS冒険者の名前を知らない者はいない。

 ……レイは知らなかったのだが、幸か不幸かグリンクはそのことに気が付いてはいなかった。


「サルダート様が援護してくれたと? ……ですが、その、珍しいこともありますね。いえ、決してレイさんのお話を疑うつもりはないのですが」

「珍しい? 何がだ?」

「やっぱりグリンク教官もそう思いますか」


 何故かレイを放っておきながら、グリンクとエーランドの二人は事情を分かったような表情を浮かべてお互いに無言で視線を交わしていた。 

 そこにあるのは、何らかの前提を共有しているが故の無言の会話。

 それを疑問に思ったレイだったが、視線を向けられたグリンクは話を誤魔化すかのように口を開く。


「それで、この者達は……その、先程と同様に?」

「ああ。……ただ、生きてるのがどれくらいいるのやら。その辺がちょっと疑問だけどな」

「情報を聞き出すのであれば、なるべく殺さない方がいいのでは?」


 グリンクの口から出た言葉に、レイは溜息を吐いてから空を見上げ、態度で不満だと示す。


「別にこいつらは俺が殺した訳じゃない。天弓が出てくる前に俺達と戦っていた相手だ」

「……そのレイさんと戦ってた相手が、さっき言っていた大物ですか?」

「ああ。不意を突かれたとはいえ、まさか一撃をまともに食らうことになるとは思わなかったな」


 ドラゴンローブの中で脇腹を撫でながらレイが告げる。

 まだ痛みは残っているが、それでも攻撃されたと思った瞬間咄嗟に跳んで衝撃を逃がした為だろう。肋が折れるというようなことにはなっていない。

 もっとも、それは跳んで衝撃を殺そうとしたレイに対して有効なダメージを与えたということでもあるのだが。


(にしても、神罰……神罰ね。まさか、な)


 一瞬迷宮都市エグジルで起きた騒動の件が脳裏を過ぎったレイだったが、その可能性を考える前にグリンクが口を開く。


「どうやら、色々と面倒な事態になっているみたいですね。……取りあえずエーランドはどうしますか? 私は警備兵にこの者達を預けようと思いますが」

「……では、私達も同行します。こちらの事情に巻き込んでしまった以上、説明は必要でしょうから」


 レイに対する言葉使いとは随分と違うが、冒険者と教官に対する使い分けと考えれば当然なのだろう。


「分かりました。では、私と一緒に。……レイさんは申し訳ありませんが、この件を至急学園長にお伝えして貰えますか? 今日も学園長は学園長室にいると思いますから。ここにレイさんがいると、色々と後処理が大変になるので」

「分かった。なら任せる。それと、俺を狙った相手の件についても……」

「はい、出来るだけ情報を集めさせて貰います」


 こうして、レイは取りあえずその場から一旦離れ、士官学校へと向かう。






「やあ、君がレイかい? 噂では男だと聞いてたんだけど、どうやら嘘だったようだね」


 学園長室へとやってきたレイに対し、エルフの男がそう告げて歯を光らせるような笑みを浮かべて近寄ってくるのだった。

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