第928話

「ふ、む。この矢がレイ殿に……?」


 エリンデは執務机の上に置かれた矢を手に取り、目の前にいる二人の人物……レイとグリンクへと問い掛ける。

 その問い掛けに頷く二人。


「はい。レイさんだから回避出来ましたが、あの速度で全く意識していなかった方から放たれた矢。もし私が狙われていたら、間違いなく食らってました」

「そして、一撃を食らえばそれで終わり……か。この毒の効力を考えれば、かすり傷を受けただけでも致命傷となりうる」

「その毒がどんな毒なのか分かるのか!?」


 手掛かりを求めてこの学園長室に来たレイだったが、まさかこんなにすぐ情報を得られるとは思ってもいなかったのだろう。

 驚愕の視線をエリンデへと向けて尋ねる。


「うむ。この毒は天の涙と呼ばれている毒で、主成分はバジリスクの血。それに魔力や毒草、モンスターの素材といった代物を混ぜ合わせて作る毒だよ。この毒を使われた者は、その名の通り天が同情で涙を流してしまう程に強烈な苦しみを与えられ、三日三晩苦しみ、それでようやく死ぬ」

「……随分と愉快な毒だな。まさかそんな毒で俺を狙ってくるとは思わなかったけど」


 レイも、そこまで凶悪な毒だとは思っていなかったのだろう。エリンデが持っている矢へと改めて視線を向ける。


「それ程に凶悪な毒が、グラシアールだとそう簡単に手に入るのか? ……思っていたより、随分と危ない場所だったんだな」

「そんな訳があるか!」


 自分の住んでいる都市を誤解したままにはさせたくない、とエリンデが叫ぶ。

 普段の態度とは全く違うエリンデの様子に驚いたレイだったが、改めて口を開く。


「なら、なんでそんな毒があるんだ?」

「レイ殿を狙っている者が用意した以外に考えられないだろう? 勿論グラシアールへ入る時にこのような危険物を持っていると判明すれば、即座に事情を聞くことになるだろう。だが、この手の代物をきちんと判別するには相応の知識が必要となる」

「つまり、警備兵が見逃したと」


 端的に結果を口にしたレイに、エリンデは渋々と頷く。


「そうなるね。他に考えられることとしては、材料を別々に持ち込んで、グラシアールの中で毒として調合したか、それとも他に何らかの手段があるのか……その理由の有無はどうあれ、これ程の毒が学校の中に持ち込まれたとなると色々と問題だ」

「しかも、この毒矢の持ち主はセトから逃げられる足の速さの持ち主だ」

「セト……レイ殿の従魔のグリフォンだったね?」

「ああ。普通の動物やモンスターと比べてもセトの五感は鋭い。特に嗅覚はな」


 正確にはセトのスキルの嗅覚上昇があるからそこまで鋭い嗅覚を発揮出来るのだが、レイもわざわざ自分の手札を晒したりするつもりはない。

 それに、事実セトは通常の状態でも高ランクモンスターだけあって五感が鋭いというのは事実なのだ。


「グリフォンの追跡から逃げることが可能な人物……うん? それでいて、弓を……いや、まさか。それにしてはあまりにもあからさま過ぎるし、こんな無様な真似をするとも思えん。そもそも、毒を使うなど……」


 何かに気が付いたかのように呟くエリンデだったが、自分ですぐにそれを否定する。

 そんなエリンデの様子を疑問に思ったレイが視線を向けるが、本人は首を横に振ってから口を開く。


「いや、私の知り合いに弓を使う腕利きがいるのでな。短絡的に弓とその者を結びつかせてしまっただけだ。気にしないでくれ」

「……本当にその心当たりとやらは無実だと思っていいんだな?」

「ああ。それは間違いない。そもそも、今グラシアールにはいない筈だ」

「それはそれで微妙に怪しいような気がするんだけどな。まぁ、いい。次の話題……と言っても、もう答えは分かりきっている以上、聞かなくてもいいか?」

「うん? 何のことかな?」

「いや、いつも小鳥を使って士官学校を見回っているって話だったから、もしかしたら怪しい人物を見てないかと思ったんだよ」


 もしかしたら、それで怪しい人物を見てはいなかったのかと聞きたかったレイだったが、これまでのやり取りでその辺を期待出来ないのは分かっていた。

 エリンデの方もレイの言いたいことを理解したのだろう。厳しい表情で頷きを返す。


「そうだね、私は今日も小鳥を使って学校の中を見回っていた。それは事実だ。そこに怪しい人物がいれば、間違いなく見つけることが出来ると思うんだけど……」

「セトが途中で追えなくなったというのも考えると、多分何らかの種があるんだろうな」


 そういいながら、レイはその種の正体を何となく理解していた。

 実際にセトがそれを使った……より正確には使われたことがあった為だ。

 それは即ち……


「転移石、か」

「転移石? それは確かベスティア帝国の錬金術師が作ったというマジックアイテムじゃなかったかな。それをこの矢を使った者が持っていたと?」

「ああ。そもそも、その天の涙とかいう毒も錬金術を使って作り出すんだろ? その辺を考えると、符号的にそんなに間違っていないと思うんだが」

「……つまり、今回の件には錬金術師が絡んでいる、と? それともベスティア帝国が?」


 エリンデの言葉に、レイは首を捻る。

 ベスティア帝国が自分に手を出してくるとは思えなかった為だ。

 現在ベスティア帝国で大きな勢力を持っている第三皇子派は、それこそレイの力がどのようなものなのかをよく知っている。

 レイの力のおかげで先の内乱を潜り抜けた……と言えば多少言い過ぎかもしれないが、それでもレイの力が大きな戦力となったのは事実だ。

 その力がどれ程のものなのかというのを知っている以上、今更レイに対して敵対するとは思えなかった。

 レイがどれ程の力を持っているのかというのは、それこそミレアーナ王国の人間より、その力を近くで見て、実感した第三皇子派の者達の方が良く理解しているだろう。

 だとすれば、特に理由もないのにレイへと手を出してくる筈がなかった。

 第三皇子ではなく、その父親……現役の皇帝が手を出してきた可能性もないではなかったが、現状でレイを敵に回すようなことを考えるとは思えない。


(もしかして、内乱に俺が参加したというのが色々と不味くなったとか、そんな理由で手を出してきた? いや、まさかな。それなら、シスコンの誰かさんが春になれば俺とヴィヘラが一緒に行動するのを阻止しようとして……とかの方が、まだ考えられる)


 そこまで考えると、それはそれで可能性としては十分に有り得るのでは? とレイも思ってしまう。

 だが、すぐにそれを否定する。

 幾ら何でも、自分という存在を敵に回すことの愚かしさを考えられないとは思わないからだ。

 最悪、メルクリオが血迷ってそんな判断をしても、テオレームが止めるだろうという予想もある。

 そもそもレイと敵対した場合、下手をすればセトに乗って空中から炎の魔法を好き放題に撃ちまくられるという結果になるのだから。

 そんな目に遭ってしまえば、ベスティア帝国は莫大な被害を受ける。


(さすがにそんな真似は……しないよな?)


 もしそうなら面倒なことになる……と思っているレイの横で、今までレイとエリンデの話を聞いていたグリンクが口を開く。


「錬金術師ということでしたら、ベスティア帝国に限らないのでは? ここ最近はベスティア帝国が錬金術について有名になってきましたが、元々は魔導都市オゾスの方が本場です。そちらから流れてきている可能性もあると思うのですが」

「その可能性は否定出来ないだろうね。けど、転移石というのはベスティア帝国で開発されたものだろう? それを使ったとなると、やはりベスティア帝国が最大の容疑者であるのは変わらないんじゃないかな?」


 エリンデが執務机の上に置かれている矢へと視線を向けながら尋ねるが、グリンクは首を横に振る。


「転移石というマジックアイテムを開発したのはベスティア帝国かもしれません。しかし、逆に言えば開発しただけです。オゾスは近年ベスティア帝国によって錬金術の技術が猛追されていますが、それでもこれまでの魔導都市として栄えてきた技術的な蓄積があります」


 そこで一旦言葉を切ったグリンクは、レイとエリンデの視線を向けられながら言葉を続ける。


「つまり、そういう物があるというのを知っていれば、同じようなものを作るのは不可能ではないのでは?」

「……そうだね。グリンクの言うことにも一理ある。実際、オゾスは長年魔導都市として栄えてきた歴史がある。その歴史を考えると、グリンクの言う通り同じような物を作り出したという可能性は十分にあるかもしれない。それこそ転移石の実物を手に入れることが出来れば、オゾスなら間違いなく作り出せるだろうね」


 指先で執務机を叩きながら告げられたエリンデの言葉に、レイは微かにだが安堵の息を吐く。

 レイにとっても、ベスティア帝国というのは既に完全な敵国というだけではなくなっている。

 色々と顔見知りも増えており、出来れば戦いたくない相手となっていた。

 勿論向こうから攻めてくるのであれば迎撃はするだろう。

 何があったとしても、自分が一方的に攻撃されるという行為は好まないのだから。


「それにしても……オゾスか。行ったことないんだよな」

「ほう? マジックアイテムを好むレイ殿が、かい? オゾスには色々なマジックアイテムがある。錬金術も発展しているし、魔導都市という名前に相応しく魔法に関する研究も進んでいる。一度は行ってみた方がいいと思うけどね」

「……魔法の研究って意味だと、俺よりサマルーンの方がいいんじゃないのか?」

「あー……彼の場合、下手をしたらオゾスに行ったまま戻ってこなくなりそうでね。本人もそれを分かっているのか、興味がありながらも、躊躇しているようだよ。何だかんだと自分の生まれ故郷でもあるこの国に愛着があるんだろう」


 エリンデの言葉を聞き、そうか? とレイは疑問に思う。

 サマルーンの魔法に関しての熱中具合は、凄いものがある。

 それこそ半ば暴走しているのではないかと思うくらいに。

 だからこそ、魔導都市と呼ばれる場所へ行かないのは疑問に思う。

 生まれ故郷くらいあっさり捨ててもおかしくないというのが、レイがサマルーンを見て抱いた思いだったのだから。


「とにかく、この件に関しては放って置くわけにもいかない。いや、それどころか士官学校の中で片付けるという訳にもいかないだろう。レイ殿はクエント公爵が自分の領地に招待した客人。その客人が害されそうになった以上、クエント公爵にも知らせる必要があるね」


 レイへ対してそう告げつつ、エリンデの表情にはどこか憂いの色がある。

 学園長という立場にいるエリンデとしては、できればクエント公爵に……いや、友人でもあるロナルドに気苦労をかけるような真似をしたくはなかった。

 公爵家当主とエルフという人種も地位も違う二人だったが、そこにある友情は間違いなく真実なのだから。

 その友人が、今現在非常に忙しくしているというのは当然エリンデも理解している。

 もっともその忙しさの原因を作ったのが、今エリンデの目の前にいる人物なのだが。


「確か、レイ殿はまだクエント公爵との面会は行っていなかったよね?」

「うん? ああ、本当はここに来た翌日に……って予定だったんだけど、何だか色々と忙しいみたいでな。それに、俺も堅苦しいのはあまり好きじゃないし」

「……だろうね。その辺を考えると、レイ殿とクエント公爵は相性が悪いかもしれないかな。ただ、作法には色々と厳しい人だけど、決して悪い人じゃないんだ。そこは私が保証させて貰うよ」

「その言い分だと、俺にクエント公爵と会えと言ってるように聞こえるが?」

「そうだよ。今回の件についての話をする上でも、一度会っておいた方がいいと思う」


 エリンデの口から出て来た予想外の言葉に、レイの眉が軽く顰められる。

 貴族という存在にあまり良い印象を抱いていないレイとしては、出来ればこのままなあなあで話が進み、春になってギルムに戻れる日がくればいい。そう思っていた為だ。

 もし会うとしても、気楽に接することの出来るマルカ辺りで、と。


「レイさんが貴族に対してあまり良い感情を抱いていないのは知ってますが、そのような先入観なしに会ってみてはどうでしょう?」


 ここが押し時とでも思ったのか、今まで口を出さずに話の流れを見守っていたグリンクもまた、レイにそう進めてくる。


「……さっきも言ったけど、俺は貴族に対する礼儀を殆ど知らないぞ? そんな俺が、国王派の中でも重要人物のクエント公爵に会ったりすれば、間違いなく騒ぎになると思うんだけど」

「レイ殿も拘るね。……いいだろう。なら、こうしよう。もしクエント公爵が礼儀作法とかを気にせずにレイ殿と会ってもいい。そう言ったら、会ってくれるかな?」


 エリンデの言葉に、レイは少し考え……やがて頷く。


「分かった。そうしてくれ。ただ、何度も言うようだけど俺はあまり貴族に関わり合いたくない。それをきちんと理解して、その上で礼儀作法云々を気にしないって言うのなら、俺も会わせて貰うよ」

「よし、言質は取ったよ」


 何か勝算があるのか、エリンデはレイの言葉に笑みを浮かべてそう告げる。

 ……レイの計算違いは、エリンデとクエント公爵がどれくらい親しい友人同士なのかを知らないことだった。

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